■岐阜を訪ねる:うだつの上がる屋根神さま! <後編>

 筆者が美濃を旅しながら見聞した中で興味を持ったことがある。それは、美濃の秋葉さまの祭神についてである。秋葉さまの祭神は秋葉神社に決まっとる! といわれる方もいるかもしれないが、前編で記したように秋葉神社のほかに津島神社や地元の氏神をまつるケースも多い。特に筆者は津島神社のまつられ方に関心を持ったわけだ。

 美濃に着いてすぐに観光案内所を訪ねたとき、そこで面白いことをうかがった。協会の方は加冶屋町の方で、同町内で行なわれていることを話して下さった。

 「加治屋町では秋葉神社のほかにも津島神社をまつります。夜祭(7月10日)があるのですが、秋にかけてまつります。まつりが始まるころに當元(とうもと)の家に(社殿を)まつります」

 ということは名古屋の神さまのように常時津島神社をまつるというわけではなく、季節が来たら、その時期だけまつり、あとの時期はまつらないということなのだろうか。しかもまつるための社殿が移動する(?)らしい。これは一体どういうことだろう。津島神社は厄よけの神さまとして知られているが、この地域で夏にだけ津島神社もまつる特別な理由はあるのだろうか。
 その答えを聞きに実際に加冶屋町で屋根神さまをまつっている「柴竹呉服店」のご主人にお話を聞いた。ちなみにこちらの神さまの祭神は火伏の秋葉神社と氏神の八幡神社の2社、だが、町内では津島神社もまつっている(?)という。

 「この町内に関しては、7月10日がここの町内の祭(夜祭)なのだけど、まずその前に津島神社でお札を受けてきます。そして、お札さまを入れるだけの小さな社を回り持ちで管理し、その神送りの儀式を旧暦の9月30日に行ないます。7月10日の夜祭の日に神さまに来てもらって、神主にお祓いもしてもらい、それからは各家が毎日順番に夕方になるとお灯明をあんどんに入れて津島神社がまつってある家にいき、灯します。9月30日の神送りの儀式では、津島神社のお札を川に流しにいきます。前は笹に提灯つけてそれをそのまま流しておったけど、今では枝にお札さまをつけて流しています」。つまり津島神社をまつるの7月10日から9月30日までの間である。そしてお札は屋根神さまに納めるのではなく専用の小社殿にまつる。「4ヶ月くらいあるから順番に2〜3回はまわってくるかな」

 ではなぜ津島神社だけをこうしてまつるようになったのか。ご主人は「よく分からないなあ」と首をかしげながらも、「8月に水神さまの祭があったり、昔、水運が栄えていたことと関係があるのでは」と話してくれたが、ここでピンときたのが、津島神社=水の神さまという図式。津島神社は一般には疫病除けの神さまとして知られているが、一方で「水天宮」としてまつられているケースもある。名古屋市内における屋根神さまの祭神としての津島神社は多くが厄除けの機能を期待されているようだが、市内を南北に流れる堀川周辺には水の神さまとしての天王社を目にすることができる。ご主人の言葉通りならば、ここ美濃の先人たちは厄除けよりも水の神さまとして水運の無事を願っていたのかもしれない。

 その津島神社だが、この町内では独特の方法でおまつりしているようだ。引き続きご主人に教えていただいた。

 「おまつりしてある社殿自体は當本部長さんといって當本さんのえらいさんやね。一年間、「まつり當本」というんだけど、町内の神事だとかいろんなことに対してそこが責任持って親方としてやる。そしてそこに社をまつる。社といっても本当に小さなものをまつってます、うちの町内では。ただそういうことをしてみえないところはこちら(屋根の上の社殿)にまつってみえるかもしれないけどね」

 この町内、というか美濃では「當本さん」という存在が津島神社の祭礼には欠かせないだけでなく、美濃の町で行なわれる祭においても重要な役割を果たしているようだ。年中行事を引っ張っていく重要な人物である。ちなみに4月のお祭りが済んだときに『お役目交代』がある。
 
 美濃を旅しながらそこでまつられている屋根神さまのことをいろいろ書いてみたものの、あくまで伝え聞いた話であって、なんだか実感が伴っていないというのが本音だ。筆者にとっては多くの屋根神さまに出合った特別な日でも美濃の町にとっての普通の日である。柴竹のご主人は別れぎわに「美濃の人たちは本当にこの町のことを大切に思っているから、今度は祭の日にいらっしゃい」といって下さった。今度はぜひ祭の日に訪れたいものだ。

 それにしても今回も多くの方に出会った旅だった。観光案内所をはじめ、屋根神さまをまつっている家々の方からは祭神、起源などさまざまな話を聞くことができた。そして最後に「柴竹呉服店」のご主人。屋根神さまとの出合いはすべてそこに住む人との出合いである。屋根神さまの記録を志すものにとってその出合いこそが、一枚の写真と同じ価値を持つものだと信じている。