ーまつっていらっしゃる人数はどれくらいですか?
 箱のフタの内側に書いてある人数、10人くらいじゃないですかね、人数としては今にも中止になるんじゃないか、氏子総代として冷や冷やしている、なんとかほんだで、負担のないように私が考えなかんということです。
ー屋根神さまを維持していくことも難しいと。
 けれども、(山地)先生からもいろいろと話を聞きまして、このことを町内の皆さんにお伝えしたいと、そういう気持ちになりました。だからなんとか続けていきたいなと思っております。(会場から大きな拍手)
ー強い熱意が、守っていくための原動力となるということでしょうか。最後に高橋さんの屋根神さまに対する思いを聞かせてください。
 私は昭和8年生まれなんですよ。小学校5年で終戦です。当時はこの町内から出征兵士を送るための神さんかなと子供心に思っていました。出征兵士の赤紙が来ますと、まず私どもの町内は駅まで送るんですね。そうすると屋根神さまの前で町内の全員が寄って、武運長久で万歳を唱えて兵隊に行かれる方を駅まで送るんです。万歳三唱をやってそのあと、国防婦人会の方がたすきかけて、うちのおふくろもやってましたけど、そこでお神酒をついで皆様に振る舞うんです。私も子供だったけど、まあじきもらえるなと。スルメです。スルメもらいたさに待っとるというわけです。そうすると皆さんにスルメとお神酒が配られ、「おい、ぼんたち、はい、ぼんたち」といって、スルメをもらえるんです。スルメかじりながら名古屋駅まで「歓呼の声に送られて」とか「行って来るぞと勇ましく」と歌いつつ、戦地へ行かれる方を送った覚えがあるもんですから、私は兵隊さんを送るための神社かな、と子供のころはそんなような感覚でありました。今思うと恥ずかしい話ですが。当時は名古屋駅まで送りました。コンコースは昔のままでしたが、ホームに上がって汽車が来るまで待って送ったような覚えもありました。
 ところで神さまの前は電車通りでしてね、ほいで大勢が集まると車道でやるからね、「おい自動車来た、ふちふちふち」「電車来た」といってふちに寄ったもんですわ。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。