福島市内を回ろうと決めていた朝は、あいにくの雪模様。

自転車をあきらめ歩き始めたが、しばらくすると雪はやんで明るい日ざしが見えてきた。

最初にたてた予定をすべて回ることは不可能となり、ひと駅分の間を右往左往していた。

出会った道祖神は五体のみ。

だけど歩き終わったときには、

「もっと行けたはず」

というより、

「よう歩いた」

という充足感が体を満たしてくれた。

僕は寝床でその日にあったことを頭の中で反すうするのだけど、自転車で走ったときには対象物(道祖神や道祖神のある場所)についてはよく覚えていても、そこに行く過程の記憶はそれほど残っていない。

速く効率よく移動できるものの、目の前の道路と地図に集中し、さらには自転車というマシーンを操るので、道程へ気持ちを向けることは難しい。

一方、歩きの場合は対象物はもちろん、そこへ行く過程も驚くほどよく覚えているのだ。