歩きであれば、いくら早足といっても限度がある。

時速四キロなら路傍の石仏の存在をいちいち気にとめることもできるし、落ちている百円玉や塀の上でひなたぼっこしている蛇にも気づくことができる。

その小さな「気づき」の積み重ねが旅を豊かにしてくれる。

地面に足跡を刻みながら脳内には記憶を刻む。
それはゆっくりした歩きならではといえるだろう。

名古屋で屋根神さまを探し始めたときは自転車が大変役に立った。
でも道祖神やほかの町の神さまとの出会いをかつてのように図鑑を作るような探訪にしたくはないと思う。
凝り性の自分だからこそ、息抜きしながらのんびり歩いていくのがちょうどよいのかもしれない。

ゆっくりと風景を楽しみながら、その土地が紡いできた歴史から生まれ落ちた石仏、石神、町の神さまを見るためには、やっぱり歩きじゃないといけないのだ。