「新修名古屋市史」には市内各地の遺跡の説明に加え、別枠で名古屋の銅鐸を紹介するページがあった。
ここでは名古屋市内で出土された銅鐸及び銅鐸鋳型について出土時の状況や特長などが説明されている。

とはいえ完全な形で出土した銅鐸は二体、うち一体が中根銅鐸で、もう一体は「伝名古屋城濠銅鐸」という長い名前の銅鐸である。

しかし二体とも考古学者の発掘調査をへて出土したものではない。
とくに後者は鐸名に「伝」と冠がついているだけに発見の時期と経緯については不明である。

さて目的の中根銅鐸については結構な分量を割いて説明している。
ざっと目を通してみると僕が知りたい、名古屋になくて兵庫県に存在する理由も書かれていた。
しかしその内容は正直、えっと思わずにいられないものだ。

中根銅鐸が発見されたのは明治三年二月二十七日、つまり江戸時代が終わり維新をへて明治という新時代に入って間もない時期だ。
そのころ、僕の地元では銅鐸を通して、いや銅鐸が出たことが“事件”となってしまったのである。