明治三年二月二十七日、旧愛知郡中根村。

「新修名古屋市史」(市史)によれば銅鐸は、里道改修工事中に丹羽利吉という人物の宅地内にかかる路傍を掘っていたとき、偶然、利吉と小川粂三郎の二人によっては掘り出された。

今では銅鐸といっても簡単に想像がつくが、当時はこれまで見たこともないようなものが地中から出てきたわけであり、鐘の形をしているとはいえ、鐸身は渦巻きや鋸歯で表面がびっしり装飾されている。

後々美術品としても評価されて重要文化財に指定される銅鐸も突然地面から出てきたら、その形態や表面を飾る意味不明な文様にたじろいでしまうことだろう。
ちなみにそのとき銅鐸とともに土器も出ているようだが、何がどれだけ出たのかはっきりしていない。

掘り出された銅鐸はその後、地区の総代格である小川幸七によって役所に届けられたが、「市史」によれば「官より地元に下げ渡され」地元に戻ってきたそうだ。
維新直後の役場にとっては出てきた銅鐸を管理する部署もないだろうし、そもそも銅鐸が何か分からず、極端にいえば「迷惑な物件」だったのかもしれない。