中根銅鐸が地元から消えるきっかけとなった金銭を巡るトラブル。

「新修名古屋市史」には当時、愛知県史蹟名勝天然記念物調査会主事であった小栗鉄次郎による関係者への聞き取りが記されている。

丹羽利吉の長男は当時のこととしてこう回想している。
・自分の家で二日間開帳して鐸を見せ賽銭九十六文上がった。
・粂三郎宅でも開帳した。
・総代が仲に入って郷倉に預け長持に入れて錠を下ろし鍵を粂三郎が保管していた。
・粂三郎は仲間とかたらって鐸を一つ撞くと一銭といって金儲けをした。

一方、粂三郎の娘は「世間でやかましくいうので御器所の新助という人と父と二人で白木綿で巻いて荷って、別院に持っていったが再び戻らなかった」と語っている。

発見者である二人は互いの家で銅鐸を開帳しあい賽銭という名の利益をあげた。
その後も金儲けが続き銅鐸は地域のトラブルメーカーになってしまったため、解決策として東別院への寄付を考えた。
当時の時代状況を考えると妥当なことだったのかもしれない。