190508前野神社稲田神社1

熊野大社でのお参りを済ませいざ帰ろうとしたとき、ハッと思い出した。
境内にまつられている摂社に式内社がありはしなかったか。
その予感は的中(というか事前準備を怠ってド忘れしていただけだけど)、再度境内に戻った。

「式内社調査報告」によれば熊野大社の摂社としてまつられている旧式内社は六社。
本殿に向かって右側に鎮座する稲田神社には前神社が、左側に鎮座する伊邪那美神社には能利刀、田中、楯井、速玉、布吾彌の各社が合祀されている。
幸い時間に余裕があったので、改めてせっかちな自分の性格をうらめしく思いながら二カ所の摂社に手を合わせた。

「出雲国風土記」によると前神社は「前の社」、能利刀神社は「詔門の社」、田中神社は「田中の社」、楯井神社は「楯井の社」、速玉神社は「速玉の社」、布吾彌神社は「布吾彌の社」と記述のある通り、もとは独立した神社であった。
なかに長い年月の間に社を失った神社もあったようだが、決定的となったのは明治四十年代に吹き荒れた神社合祀令。
それにより式内社と目される神社でさえ整理の対象となり、稲田、伊邪那美両社の内に合祀されたのだ。

話は変わるが、式内社数が全国二位の伊勢国は皇祖神のお膝元であるが故か、合祀が盛んに行われたとみえる。
式内社巡りが、実際に鎮座する神社だけでなく旧社地巡りも多かったことをよく覚えている。
一方、合祀後に再び、地域の人々の熱望により旧社地に社を構えた神社も見受けられた。

官社であった式内社も長い歴史の流れを受けて地域の氏神に変質した。
その地域の事情を差し置いて整理の対象としてしまう神社合祀令とは一体何だったのだろう。
古社といわれる神社を巡りながらそんなことを思うことがある。

※写真は島根県松江市。上段が稲田神社、下段が伊邪那美神社。

190508能利刀・田中・楯井・速玉・布吾弥伊邪那美社1