190508佐久佐神社八重垣1

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣造る その八重垣を」

八岐大蛇を退治した素戔嗚尊が詠んだとされる歌だ。
この歌のなかに「八重垣」という言葉が三度出てくる。

出雲をイメージする「八雲」や「出雲」よりも多く表現されている「八重垣」という言葉。
広辞苑では「幾重にも作った垣」と説明されていた。
素戔嗚尊は幾重にも垣を巡らして八岐大蛇から後に妻となる稲田姫命を守った。
姫を守る尊の必死さが世の女性のハートを鷲づかみにしているのだろう。
出雲国にあって最大の縁結び譚である。

さて尊が八重垣を築いた場所とされるのが八重垣神社奥の院「佐久佐女の森」
神社でいただいた由緒によれば森の大杉の周囲に八重垣を作り姫を隠したという。

八重垣神社本殿を参拝したあと、奥の院に向かう。
木の柱に注連縄が張られた鳥居様の入り口をくぐって森のなかへ。
大杉があったとされる場所には現在も背の高い見事な夫婦杉が立っている。
さらに進むと鏡の池があり女性二人が池のほとりに座って縁結び占いの紙を浮かべていた。
池の奥には小さな祠がまつられていたので佐久佐神社と思いきや水神社だった。

「式内社調査報告」によると八重垣神社は元々内陸の大原郡の一小社であり、意宇郡に進出したのは「概ね戦国末期」ころのこと。
「出雲国風土記」に「佐久佐の社」としてその名が現れる佐久佐神社は八重垣神社と一体化し吸収されたかにみえたが古来の記憶は薄れることはなかった。
明治になると式内社に比定されいったんは佐久佐神社と改称されたが、久しく続いてきた「八重垣」という社名をなくすことが忍びなかったようだ。
大正十一年、社号を再び八重垣神社と戻すことが許され、しかも県社に昇格した。
その辺りの複雑な経緯に関しては僕にはよく分からない。

ちなみに佐久佐神社だった当時からの祭神は青幡佐久佐日古命、現宮司の佐草氏の祖神であるというから、その歴史は古い。

写真は島根県松江市。

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