190513佐為神社1

出雲国の神社については「延喜式」と同じように、八世紀に成立した「出雲国風土記」(以下「風土記」)にも郡ごとの神社一覧が掲載されている。
驚くべきことに、「風土記」の神社数は「延喜式」とほぼ変わりなく推移している。
ということは出雲国の神社は全体的に見て相当に古い歴史を持っているということになるのだ。

神社が所属する郡について、「風土記」では国庁の所在地であった意宇郡から嶋根郡、秋鹿郡、楯縫郡、出雲郡、神門郡、飯石郡、仁多郡、大原郡の順に九郡が記されている。
そこに二百年後、意宇郡から分離して能義郡が新設される。

佐為神社は「風土記」「延喜式」ともに意宇郡に属する神社である。
延喜式の配列からすると西意宇郡(「式内社調査報告」に出ていた言葉をそのまま借用。意宇郡西部の意?)に所在するのだけど、不思議なことに同じ伝承を持った神社が意宇郡西部(佐為神社)と同東部(出雲路幸神社)の二ヶ所に存在する。
位置からすればまったくの逆方法。
これはのちに触れる佐久多神社も同じで、意宇郡から能義郡が分離・新設されたことと関係がある、らしい。
式内社の謎がまたひとつ増えた。

意宇郡西部、宍道湖の南側に鎮座する佐為神社。
閉場日のため牛が一頭もいない島根県中央家畜市場の広い建物の横を通り、南側に抜ける道を一気に下る。
前方を横切る高速道路下のトンネルをくぐると、四方を小高い山に囲まれた平地に田んぼが広がっていた。
神社の場所は平地をのぞむ山際にあり、トンネルを出てすぐに鳥居が見えてきた。

鳥居の先に目をやると石段となった緩い坂が深い森にある境内へと続いている。
鳥居から拝殿まで133歩、まずは参拝。

先に大森神社でいただいた「宍道 神社巡拝スタンプラリー」の台紙。
そこには佐為神社の欄もある。
巡拝記念に備えつけのスタンプをポコンと押した。

昼なお暗いという月並みな表現がぴったりの境内。
山を切り開いて建てられた神社なので当たり前だけど、とくに本殿裏手の荒神さんをまつる木々の茂みを見ると近寄りがたい畏れを抱いてしまうのだ。

畏れ多い森と世俗的なスタンプラリー。そのギャップが可笑しかった。

※写真は島根県松江市。

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