190513宍道神社石宮1

一日の予定を終えて松江市内の逗留先のマンションに帰ってきてからのこと。
シャワーと洗濯を済ませ夕食の支度をしているとき、何気なく西側の窓を開けると、民家の向こう側に広がる宍道湖の湖面が夕焼けを受けてオレンジ色に光っていた。
毎日のことだから見慣れてしまったけど、松江での生活で初めて夕日を見たときは、ありきたりだけど、感動のあまり言葉が出なかった。
ひと月滞在しただけのプチ移住者でしかない僕だけど、松江を象徴するものは何かと問われれば真っ先に「宍道湖に沈む夕日」と答えるだろう。

逗留先からは歩いても十分とかからず湖畔にたどり着く。
湖に向かう前には白潟天満宮で手を合わせていく。
それもいつの間にか習慣となった。
天満宮の正面にある広場では日曜日の晩、神楽だと思うけど、笛と太鼓の音が鳴り響く。
夏祭りの練習なのか知らないが、風に乗ってマンションの窓にも届く心地よい調べ。
決して大げさなものではないけど日常のなかにさりげなく感じられる伝統は、観光じゃない「プチ移住」だからこそ見つけられたものだと思う。

宍道湖から話が飛んでしまった。
その「宍道湖」の名前は「出雲国風土記」にいう「宍道の郷」がもとになっていると思われるが、郷を紹介する項にはこう書かれている。

「郡家の正西三十七里。天の下所造らしし大神命の追い給ひし猪の像、南の山に二つ有り。一つは長さ二丈七尺、高さ一丈、周り五丈七尺。一つは長さ二丈五尺、高さ八尺、周り四丈一尺。猪を追ふ犬の像長さ一丈、高さ四尺、周り一丈九尺。其の形、石と為りて、猪・犬に異なること無し。今に至るまで猶在り。故、宍道と云ふ」

これを荻原千鶴全訳注「出雲国風土記」の力を借りて要約すると以下のようになる。
「大国主命が犬を連れて猟をされたときに追われた猪の像は南の山に二頭あって、一つは長さ8m、高さ3m、周り16.9m。もう一つは長さ7.4m、高さ2.4m、周り12.2m。猪を追った犬の像もある。長さ3m、高さ1.2m、周り5.6m。その形は石となって猪と犬のようである。だから宍道という」

宍道の郷の由来譚であるこの説話で大きなポイントとなるのが猪と犬の石。
その石をまつったといわれる神社が完道神社の論社のひとつ石宮神社である。

宍道湖の南側、下白石から内陸側に向かってペダルを漕ぐと神社の行き先を示す案内板が出ていた。
でもよく分からなかったので畑で作業をしていたおばあさんに声をかけて尋ねたら、「まっすぐ行けば鳥居が見えるけぇ」と教えて下さった。
言葉通り神社にはすぐにたどり着くことができた。

神社の入り口、鳥居は左右の巨石に挟まれるように立っていた。
石宮という社名そのままの光景がそこにある。
両側の石とは「風土記」にいう二頭の猪である猪石。
鳥居をくぐり拝殿まで43歩。
拝殿は柵のない切り立った場所にあるので、下の道路に落ちないように気をつけて参拝。
拝殿奥に建物はなく玉垣のなかに石がまつられていた。
ご神体の犬石である。
「風土記」に記述されている石が目の前にあると思うとが然、テンションが上がる。

1956年に宍道町(当時)史編纂委員の一行とともにこの石を調査した加藤義成氏は、猪石、犬石ともに「風土記」に記載されている大きさと寸分違わぬことを確認したと、「式内社調査報告」で興茂利先生は完道神社の記事中に記しておられる。

論社が三社ある完道神社において、確定できない要素がほかにもあるのだろうけど、宍道の郷で触れられた石が境内にある石と同じ大きさであるというのは完道神社を確定する上で大きなポイントになるのだと思う。

社名について「延喜式」では「完道神社」となっているが本当は「宍道神社」が正しいようだ。
広辞苑で調べると「宍」とは食用の獣肉を指す言葉。
大国主命が狩ろうとした獣は猪、その肉とは今風にいえばジビエ、だね。

写真は島根県松江市。

190513宍道神社石宮2