190513宍道神社大森1

完道神社には三社の論社があるという。
「出雲国風土記」で宍道の郷について書かれた説話からすれば、境内に猪石、本殿に犬石がまつられている石宮神社がその第一候補のように思えるが、事はそんなに簡単ではないらしい。

もうひとつの論社である大森神社。
入り口の鳥居から拝殿まで70歩。
先に訪れた佐為神社の拝殿に備えてあった「宍道 神社巡拝スタンプラリー」の台紙は当社でいただいた。
同じく宍道神社の論社といわれる氷川神社が発行するスタンプラリーである。

結局はすべて回りきることができなかったけど、裏面にある案内図のおかげで訪れるべき神社の場所の把握にひと役買ってくれた。
そこには簡単な神社の説明も載っている。
大森神社については「中世に約1km川下の地より大樹の茂る現地に移転して大森大明神としたが、社殿の広壮社頭の壮麗は町内のその比を見ない」と書かれている通り、鳥居をくぐるとその先の随神門が隠れてしまうくらい枝葉に覆われている。
境内の由緒から補足すれば、旧社地は「神籬ケ坪」と呼ばれる場所にあったそうだ。

境内は大森大明神という名に恥じない大きな森で、青々とした木々に囲まれている。
そのうちの一本には出雲地方で多く見られる藁で作った蛇が幹に巻きついている。
荒神さんだ。

冒頭、完道神社の論社として石宮神社が第一候補のようだと書いたが、そう簡単に決められないことが大森神社に来て分かった。
ポイントは二つ。
ひとつは当社の社家が「宍道氏」であること。
境内にあった看板によれば現在は東京に移られているとのことだが、神社の祭祀を行う社家の苗字が社名と同じであることは出雲に来てたびたび見かけることである。

そしてもうひとつのポイントは石。
宍道の郷の地名由来譚である猪石、じつはもうひとつあるというのだ。
「女夫岩遺跡」はスタンプラリーの台紙に掲載されているゆいいつの遺跡でもある。
名前から岩は二つから成ってることが想像できるから、それが二頭の「猪石」であっても不思議ではない。
境内をひと通り歩き回ったあと、女夫遺跡に向かってペダルを漕いだ。

遺跡の場所は宍道町運動公園に隣接する島根県家畜市場の向かい側。
ちなみに当日の昼食は宍道町運動公園内でとったのだけど、園内の少し小高い場所には「水溜古墳群」といって古墳がある丘になっている。
古墳の周囲にはバンガローやキャンプサイトがあって泊まれるようになってはいるが、残念ながら草がぼうぼうと茂りお世辞にも整備が行き届いているとは思えない。
公園を抜ける道を上り切ると正面に家畜市場の広い施設が見えてくる。
当日は閉場しているようだった。

市場沿いの道を下ると右手に女夫岩遺跡の入り口があった。
FATBIKEを置いて整備された階段を上がっていく。
マムシでも出ないか心配している間に目の前には大きな岩が現れた。
石宮神社の猪石も大きかったけど、こちらの岩もかなり大きく広場になった場所から見上げるとかなりの迫力である。
二つの巨岩にはしめ縄が張られ、中心部分には御幣が立てられている。
大森神社の飛び地境内地のようで、小祠もまつられていた。
遺跡とはいえいまも生きる巨石信仰の対象であるので、岩の前に進み手を合わせた。

こちらの遺跡、古墳時代中期から後期にかけての祭祀に使われたと思われる土器片が出土したという。
水溜古墳群との関係はわからないけど至近距離にあること、それと遺跡がある森とつながった場所に佐為神社があることとも何かしらの関係があるのではないかと思った。
それよりも、FATBIKEを置いた遺跡の入り口に戻るまでマムシは出なかったからホッとした。

写真は島根県松江市。

190513宍道神社大森女夫岩遺跡1