190511揖夜神社3

越前・敦賀の気比神宮の境内奥に鎮座する角鹿神社。
大きく立派な本拝殿の建物に比べると小さく日陰にたたずんでいるように見えるが、れっきとした式内社である。
祭神は都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)で、その名は現在の「敦賀」のもととなったといわれる。

僕は敦賀を訪れるたびに駅前に立つ都怒我阿羅斯等の銅像の前で必ず一緒に写真を撮るくらいの爛▲薀轡肇侫.鶚瓩覆里世、そもそもその名前、かなり変わっている。
「日本書紀」垂仁天皇記によれば都怒我阿羅斯等が笥飯宮、現在の敦賀にやって来たのは崇神天皇の時代、額に角の生えた人が来航したと書かれている。
どこから来たのかという問いに対し、「大加羅国の王の子、名は都怒我阿羅斯等、またの名は于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)という」と答えたという。
実際には角というより、角のような兜をかぶったひとだったのだろう。

都怒我阿羅斯等と于斯岐阿利叱智干岐という名前を比較すると、前者の方が日本語っぽく後者はニュアンス的に日本語ではなく加羅の言葉のようだ。

「都怒我阿羅斯等」と「角があるひと」を声に出すと同じように聞こえることから、通称として「都怒我阿羅斯等」と呼ばれ、「于斯岐阿利叱智干岐」が本名だったのではと考えられる。

それにしても「都怒我阿羅斯等」という名前、「角があるひと」の完全なる当て字ではなく、「阿羅」という文字をわざと入れているところが心憎い。
なぜなら彼は大加羅国の王子なのだから。
「阿羅」も彼の出身地、もしくは朝鮮半島を指していると思われる。

なぜ揖夜神社を訪れたときに敦賀を思い出したのかといえば、境内入口脇の看板に司馬遼太郎の「街道をゆく」に書かれた文章が抜粋して掲載されていたからである。

「荒神社」について書かれた一節。
出雲の神社の境内には荒神さんと呼ばれる神さま(自然神で五穀豊穣を祈念する神)が自然石や木としてまつられているが、揖夜神社で司馬遼太郎が目にした荒神社は「こうじんじゃ」ではなく「あらじんじゃ」とわざわざふりがなを振られていたそうなのだ。
韓神をまつったような神社ってどんなだろうと楽しみに境内に入った。

入口の鳥居をくぐり随神門を抜け拝殿のなかまで83歩。
広い境内と太くて大きなしめ縄に圧倒されながらも、まずはどこからお参りしようかと考えた。
やっぱり本殿からでしょ、ということで拝殿の建物のなかに入って手を合わせた。
本殿の両脇には摂社が鎮座、向かって左側には韓國伊太氐神社、右手には三穂津姫神社。
それぞれ参拝後、少し境内を散策してから社務所近くのベンチに座った。

後ろを振り返ると樹齢六百年という椎の神木があった。
説明を見る限りでは荒神さんのようで「あらかみ」ではなさそうだから、社務所にいたひとにお守りを買うついでに尋ねてみた。

「荒神さんはそこにありますけどね。この地区には山がないので、境内にまつって荒神祭をやっています。
爐△蕕犬鵑犬祗瓩任垢? 聞いたことがないですね」
どうやらご存知ではないらしく、「こうじんさん」ではあっても「あらじんじゃ」ではないようだ。

その後、広い境内を歩いてみたけど、「あらじんじゃ」らしきものは見つからなかった。
「街道をゆく」に書かれていた「あらじんじゃ」は結局見つけることができなかった。

写真は島根県松江市。

190511揖夜神社2