松江での生活を終え名古屋に帰ってきたのが6月11日だから、すでにひと月が過ぎた。
帰宅後は母親が救急搬送されるなどしたから、通院に付き添ったり自宅マンションを頻繁に訪れたりとそれなりに忙しく過ごしていた。

また月末には以前勤めていた職場にあいさつに行った。
退職を伝える予定でいたけど、結果的に七月からは非常勤として働くことに話がまとまった。

今年の四月初旬、引き継ぎも中途半端に職場を去ることになった。
代表には「辞める」と話したが、「とりあえず休んだら」と三ヶ月の休職扱いとなった。
休みに入ってからは仕事のことは一切考えず、また職場と連絡を取ることもなく過ごし、松江での生活に向けての準備を進めていた。

5月18日のことだった。
出雲市内の神社を回っていたとき、携帯に着信があった。
母親かなと思い着歴を確認すると、職場の非常勤さんからだった。

浜山公園内で弁当を食べていたときにかけ直すと非常勤さんは、僕の体調を気遣う言葉の次に、職場の現在の状況について訴えてきた。
僕が去ったあとの職場はメチャクチャの一言らしい。
事務を手伝ってくれてたひとが辞めてしまったり、現場からの苦情の声も多く、後任の責任者は予定に穴を開けては謝りに行くこともあるそうだ。
僕が責任者を任されていたときからすでに余裕ある職場ではなかったけど、たまに来てくれる非常勤さんから仕事の相談を受けたり、軽く雑談したりということはあった。
僕も非常勤さんから仕事のことでは随分助けてもらったから、「持ちつ持たれつ」の関係が保たれていた。
だが、いまは僕がいたとき以上に余裕がなくなっていた。
連絡をくれた非常勤さんは「だから最近、事務所に行きたくなくてさ」と話してくれた。

名古屋帰宅後も連絡があり、「できることなら戻ってきてほしい」と懇願された。
いろいろ考え、職場の代表者とも話し合い、非常勤で現場だけならという条件をつけて限定的に復帰することにした。
早速、七月第一週から少しずつだけど、シフトをこなしている。

一方、こうしていったん仕事を離れたことは好機でもある。
松江では自転車ばかり乗っていたから、名古屋に戻ると体がかなり絞られていた。
そこで新しい仕事にチャレンジしてみようと思い、自宅近くの早朝バイトを始めた。
想像以上にきつい。
けど仕事先まで徒歩で十分以内と近いし、これまで見たことのない世界をのぞいてみるのもいましかできないことのように思えた。

松江「プチ移住」後の僕はまだまだ中途半端である。
これまでのように正社員として、休みなく長時間働くことに魅力を感じないし、嫌である。
お金は大切、だけどそのために生活や自分の時間を犠牲にすることに意味がないと思ってはいたけど、いざ現場にいるとそんなこと口に出せない。
皆が忙しい、ここで働いている以上は我慢しなきゃという空気に支配されている。
体を壊してようやく仕事から解放されるなんて、ありがたいようなバカらしいような。

当分は中途半端な状態でいようと思う。
お金も必要な分だけ稼ぎ、「それ以上」を求め頑張ることをしない。
そのためには自分にどれくらいお金があれば普通に暮らしていけるのかを数値的に割出す作業をしてみたい。
同時に、家にある必要のないものをすべて処分したい。
そうすれば自分にとって何が本当に必要かが見えてくるはずだから。