1997年、僕が韓国で暮らしていたときのことだ。
親戚のおじさんを通してある留学生と親しくなった。
両親と姉、そしておじさんという不思議な組み合わせが韓国に遊びに来た。
そのとき、おじさんに連れられてきたのがMだった。
日本に興味がある韓国人であるMと韓国に興味がある日本人である僕、同い年ということもあって親しくなるのに時間がかからなかった。

いま考えるととても不思議なんだけど、二十代半ばの当時、男であろうと女であろうと意気投合すればだれとでも仲良くなった。
だからMとも付き合うとかっていう考えはなかった。
おじさんが間にいると思うとお互い安心していたのだと思う。

そのMは韓国南部の光州出身。
当時の僕はどこかで見知った光州事件について関心があった。
Mに尋ねると、お兄さんが当時のことを知っているという。
だから一度光州に遊びに来ないかと誘われた。

一足先に帰省したMを追って僕も高速バスに乗り光州入りした。
二十年も前のことなので光州で何をしたかは断片的にしか記憶に残っていない。
Mのお兄さんと一緒に全南大に行き、そこで光州事件当時の話を聞いたこと、そしてどういう経緯か分からないが、Mの実家で兄弟も勢ぞろいしたなか、皆でテレビを見ながら食事をしたことを覚えている。

当時、ある番組で社会的なマナーについて韓国と日本を比較するコーナーが人気だった。
M宅で見たのは信号の停止線。
韓国でも道路に停止線は引かれているがソウルでの撮影ではあってなきようなもの。
信号無視や停止線を守らない光景が続々とカメラに映し出されていた。
次に東京の場面が続く。
信じられないが皆が皆、停止線でピタッと止まる。
テレビを見ながら周囲からウソだろ、撮影のときだけじゃないのかというコメントが出た。
でも僕は自分の少ない運転経験から「日本はこんなもんですよ」と答えると、茶の間の一同は「うーん」とうなっていた。

だけどそれは、日本がよくて韓国が悪いとか、そういうものじゃなくてもっと気軽に、日本はこういうことをちゃんと守るんだよ、程度のもの。
番組的には軽いリスペクトが感じられたけど、明らかに反日ではない。
そこにいた僕は日本人とはいえ別に自慢でもなんでもない。
ただ話題自体が日本と韓国のことだからお互い楽しむことができたのだ。

M宅ではご両親からもえらく歓待され、その夜、僕は姉宅で泊めてもらった。
お姉さん夫婦も日本人の僕をとても歓迎してくれたことをいまでも思い出す。
ただ帰りはMと一緒にソウルまで帰った覚えがない。
僕は放浪癖から、どうせどこかに寄りながらソウルまで戻っているのだ。
それが思い出せないのは歳のせい、ということにしておこう。

あれから二十年以上がたった。
今日は日韓関係にとってとても重要な一日となった。
日本が韓国をいわゆる「ホワイト国」から除外した。
文政権になってからの韓国を見ているとこういう経過になるのはむしろ自然な流れに思える。
ある時期「親韓派」だった僕でも「レーダー照射問題」で韓国の行動を疑った。
現政権が反日を国是とする以上、韓国内で日本に利すると思われる意見が社会的な死を意味する以上、反旗をひるがえすことがどれほど難しいかということを日本人は考えるべきである。

M宅で過ごしたのは戦後五十周年という微妙な年から二年が経過したとき。
それでも僕たちは未来を信じて笑いあっていた。
日韓関係がいち早く正常に向かうことを祈るばかりだ。