多久神社の北側にそびえる大船山。
「出雲国風土記」には神名備山として記されている。

「嵬の西に石神在り。高さ一丈、周り一丈。往の側に小き石神百余り許在り。古老の伝へて云はく、阿遅須枳高日子命の后、天御梶日女命、多宮の村に来坐して、多伎都比古命を産み給ひき。尓の時、教し詔りたまひしく、「汝が命の御祖の向位に生まむと欲ほすに、此処し宜し」とのりたまひき。所謂石神は、即ち是、多伎都比古命の御託なり。旱に当りて雨を乞ふ時は、必ず零らしむる也」

「峰の西に石神がある。高さ一丈、周り一丈。道の傍に小さな石神が百余りある。古老が伝えて言うことには、阿遅須枳高日子命の后の天御梶日女命が、多宮の村までいらっしゃって、多伎都比古命をお産みになった。そのときお腹の中のこどもに教えておっしゃったことには、「おまえのお母様が今まさに生もうとお思いになるが、ここがちょうどよい」とおっしゃった。いわゆる石神は、これこそ多伎都比古命の御依代だ。日照りのときに雨乞いをすると、必ず雨を降らせてくれるのだ」(荻原千鶴全訳注「出雲国風土記」より)

道は宍道湖北側と日本海の間に連なる山塊を東西に貫く。
いうまでもなくアップダウンの連続である。
午前十一時になり日射しの強さが増すなかを上り下りしながら走っていくと田んぼに囲まれて立つ鳥居が視界に入った。
「風土記」に出てくる「多宮の村」はこの辺りのことだろうと思いながら鳥居に向かった。
神社は集落奥部、ちょうど谷筋の再奥で「風土記」に出てくる大船山を見上げる麓に鎮座している。
見方によれば神名備山を拝する位置にあるといってもいいくらい、山容がくっきりと眺められる場所だ。

先にあげた「出雲国風土記」には、大船山山頂に石神がまつられているとある。
残念ながら時間的な余裕がなく山に登ることはかなわなかったけど、古社巡礼の際に参考にした平野芳秀著「古代出雲を歩く」には烏帽子岩と呼ばれる石神の写真が掲載されている。
また登山道には遥拝場所のように自然石が組み合わされた場所もあるそうだから、「風土記」に書かれた「往の側に小き石神百余り許在り」という石神かもしれない。
これだけでも一見の価値がありそうだ。

境内の手前に立つ鳥居をくぐり、その先の境内までは石段を上っていく。
拝殿まで240歩、まずは参拝。
平屋建ての拝殿の奥に大社造の本殿が鎮座している。
境内に掲げられた由緒によると「風土記」に書かれている通り「多宮の村」で生まれたとされる多伎都比古命を主祭神に母神である天御梶姫命ほかをまつる。

しかし由緒にはもうひとつ面白いことが書かれていた。
多伎都比古命を云々するのは古代の話で、現在の多久神社の直接の祖になった大船大明神は近江国から渡ってきた松本一族により勧請されたとされる。
近江と出雲ではかなりの距離があるが、近江にも「出雲」という地名があるように両者には歴史的につながりがあったのだと思う。
それにしてもどうしてそんな縁起が生まれたのだろう。
「近江の松本一族」とは一体だれ?

じつは我がつれあい、近江国つまり現在の滋賀県生まれで旧姓は松本である。
彼女の先祖と多久神社に関連があるかどうかは分からないが、祖先をたどっていくと出雲に到達する可能性だってあるかもしれない。
その夫である僕が多久神社を訪ねたのも何かに導かれてのことだとしたら、なんてロマンチックなんだろう。