能呂志神社の境内に入り手水で手と口を清めようとした。
くぼみがあいた自然石に水を落とし込めるよう水道の蛇口が伸びている。

蛇口に手を伸ばそうとしたところ、カメラのストラップの付け根のヒモが切れてしまった。

僕が携行しているのは一眼レフではなく、コンパクトデジカメ。
付属品としてハンドストラップスがついているのだが、心もとないからと首にかけるタイプのストラップを購入して使っていた。
これが案外便利で、自転車に乗りながらも肩にかけておけばとっさの瞬間にも撮りやすく、境内に入ったときもカメラを手で持つよりも肩にかけておいた方が何かと都合がよい。
もちろん参拝時には手を合わせるから邪魔にならない。

ただ一眼レフのような重量のあるカメラのストラップと違い、カメラ本体につなげるヒモは細くて心もとない。
大丈夫かなと思っていたら案の定、切れてしまったわけだ。

そういうイレギュラーな事態が発生すると「縁起が悪い」と思ってしまうのがひとの常。
でもここは神社であるし、僕が出雲にやって来たのは神社を回るためである。
そこでこう考えることにした。
何か別の悪いことが起こるかもしれなかったのが、ヒモが僕の身代わりになってくれた、と。
考え方なんてひとそれぞれだけど、悲観しても仕方ないので、万事楽観的に考えようと思う、とくにこの旅では。

さて、能呂志神社の社名から単純に「狼煙」を連想した。
神社の背後には山が連なっている。
いまのような通信設備がなかった時代に敵襲を知らせる手段としての狼煙。

残念ながらその「狼煙」案は違うらしい。
「出雲国風土記」で楯縫郡の神社一覧を見ると、能呂志神社に該当する神社として「乃利斯の社」が挙げられている。
式内社が「のろし」であるのに対し風土記では「のりし」と読む。
もともと「のりし」であったが、何かの事情で延喜式編纂時には「のろし」に変わったと考えられる。

能呂志神社には南側に旧社地があるそうだ。
暑さと坂道の多さにそこまで行く気力がなかったが、後々「式内社調査報告」で不思議な伝承のことを知り、行ってみればよかったと少々後悔した。
そこには「海苔石」という石があり、それは「冬季海中、海苔が生ずるときにはこの石にも苔が生える」驚きの石であった。
そのため旧社地辺りはノリイシダニ、ノリシダニ、ノシダニなどと呼ばれていたが、時代がくだるに連れて「のろし」と呼ばれるようになったという。