神社を回り始めブログにその記事を書き始めた当初、書く順序というのは延喜式に則ったものではなく、行った順、つまり訪ねた順番に書いていた。
尾張国、伊勢国、つい最近終わった近江国も順番など関係なく、てんでんばらばら、なのだ。

手元の延喜式を参考にすると国名→郡名→神社名というように順序だって並んでいる。
一方、「FATBIKE古社巡礼!」では回った順のため、国名も郡名も神社の順番も無視。
例えば、伊勢国○郡A神社の次にB神社を書きたいところだが、ちょうど青春18きっぷが出たばかりで福井に行く機会があった場合、伊勢国の次に突如、若狭国△郡C神社を割り込ませていた。

それはいまでも続き、最近では出雲国を書きながら途中で遠江国、美濃国ととびとびになることが少なくない。
当ブログを応援してくださる方々に申し訳ないとは思いながら、気の向くままに書いているのは僕の適当な性格ゆえである。
そしてまた新しく讃岐国を始めることにする。
出雲国と美濃国が途中やりになってしまうが、それでも飽きずにおつきあいいただければありがたい。

高松に到着した翌日、気持ちが高ぶっていたせいか、午前四時台に起きた。
朝食と準備を済ませ高松駅へ。
夜が明けてうっすら明るくなったばかりの駅前で輪行、高徳線に乗り込んだ。
車窓を眺めていると栗林公園近くで日差しが強い朝日が降り注いできた。
予想通りの快晴。

志多張神社は当日予定していた七社のうち最後の神社だった。
大通りを一本なかに入ると旧道のような曲がりくねった道が続いていた。
しばらく走ると民家の脇に常夜灯が二基、また生け垣に隠れて社名が書かれた標石が立っていた。

標識が立つのは限りなく民家ギリギリで、写真を撮っていると怪しまれそう距離感だ。
試行錯誤しながら極力民家を入れない構図で写真を撮影、参道を先へ進むと生い茂る木々のなかに口を開けるように立つ鳥居をくぐった。
小高い丘の上にある境内はしっかりとした“森感”だった

鳥居から拝殿まで90歩、まずは参拝。
拝殿の前には一対の注連柱が立っていた。
中央には注連縄が張られた柱には文字が刻まれている。
神社によって書かれる内容は違うが当社では向かって右側に「廿四社其一」、左側に「志多張神社」と刻まれていた。
ちなみに廿四とは讃岐国の式内社数であり、社名ははそのうちの一社という意味を込めてだろう。
注連柱は讃岐の神社ではどこの神社にもあり珍しいものではないが、僕の故郷・名古屋ではあまり見かけないから讃岐らしい風景といえるかもしれない。

拝殿は木造瓦葺で神明造の本殿ともども重厚な造りである。
ただ拝殿は扉が開け放たれていたので動物なが侵入しないかと心配になった。

ひとの気配はなくひっそりとした境内。
木陰に座ってメモしていると、蚊の大群がまとわりついてきた。
ひと気がない分、飛んで火に入る夏の虫のような僕は、飢えた蚊たちの格好の餌食になった。