讃岐路を走っていて気づくこと、それはうどん屋の多さである。
事前に耳にしていて知識としてうどん屋が多いことは知っていた。
でも実際にFATBIKEで走っていると本当に多い。

町なかだけでなく町を抜け明らかに田舎的な場所にも。
香川のうどん事情に疎い僕には、えっ、こんなところにあって大丈夫なの? 
首を傾げたくなるような辺鄙な場所にあったりするのだが、心配は無用なようだ。
なぜならそんなお店に限って店の前には多くの車が駐まっているし、地元香川に混じって他県ナンバーも見受けられるからである。

そこまで高いうどん熱を最初は想像できなかった。
我が故郷名古屋もきしめんが名物だけど、名古屋市内できしめん屋を探すことはそれほど容易ではなく、また立て続けにきしめん屋を目にすることはまずないと断言していいのではないか。
うどんからきしめんに話題が移ったところで本題に入ろう。

神前神社の論社である男山神社。
ちょうど昼時に訪れたのだが、神社の隣のうどん屋の駐車場には車があふれていた。
帰りに寄ろうと思ったけど参拝後、車のあふれ具合を見て断念。
余程の人気店なのだろう。

男山神社は神前神社と目される三社の論社のなかでは一番大きい印象だった。
「式内社調査報告」をもとに敷地を比較すると、神前神社223坪、春日神社1,644坪、男山神社5,968坪と前記二社を圧倒している。

社名が刻まれた自然石の前で記念撮影して、鳥居をくぐり境内に向かう。
参道を歩くと両脇には寄付者の芳名が書かれた常夜灯が立ち並び境内へと導いているが、その数も三社のうちで群を抜いている。
二の鳥居と隋神門、そして注連柱をくぐり抜けると正面には破風が前にせり出した瓦屋根の拝殿が威風堂々とした姿で参拝者を迎えていた。

入口の鳥居から拝殿まで135歩、まずは参拝。
裏手に回り流造の本殿を拝み再び拝殿前に戻ろうとすると、一本の木が目についた。
注連縄が巻かれた木は立ち枯れしているように見えるが、当社の神木とのことだ。

延喜七年四月二十八日、創祀のとき、京都男山の地から一夜にして舞いおりたとも、宝善寺住職が中国の唐から白檀樹の苗を持ち帰ったとも言い伝えられている、と説明に書かれている。
樹種は分からないということだが、この神木が当社の社名と結びつく物語を持つことは明らかなようだ。
「延喜式」の編纂と同じ時期に神木となったその木、年月を表面は乾燥して無数の皺が刻まれていた。