雲氣神社の小さな境内は黄金色にみのった稲穂の海のなかに浮かぶ小島のようだった。
その背景には円錐形をした小さな山々が連なる。

地図を確認しながら田んぼのなかを伸びる道を走っていくと前方に鳥居が見えてきた。
お昼も過ぎ小さな境内にはだれもいないだろうと思ったが、鳥居の前にFATBIKEをとめようとすると参道に若い女性が立っていた。
僕が来た時点ではお参りは済んでいたようで、参道に立ちひたすらタブレットの画面を熱心に眺めていた。
式内社巡りの同業者だろうか。
普段なら鳥居や社名が記された標柱を入れて写真を撮るのだけど、後回しに。

「こんにちは」
鳥居をくぐりあいさつをして拝殿に向かった。
鳥居から拝殿まで40歩、まずは参拝。
本殿の裏手に回り一周するも狭い境内なのであっという間だ。

境内にある由緒によれば祭神は豊宇気大神、大竜神、大雷神と、何となく水に関係した神社かなと思ったら、由緒が引く「全讃記」にあるように「天霧山よりい出でし雲により良く雨が降ることから雲氣神社と呼ばれた」とその起源は降雨を祈念する神社のようだ。

現在の場所に鎮座したのは宝暦四年(1754年)。
それまでは所在がはっきりしなかったようで、その証拠に金刀比羅宮は雲氣神社ではないかという論まで出ている。
「式内社調査報告」には「金比羅のコンを雲(クム)の訛音との想定に立ち、ピラは抜(ヒラ)くとすれば瀬戸内海を航行する船舶が、象頭山に坐す神を雲抜く航海の守護神として尊崇し、そこにある神社を雲氣神社と呼んだとも考えられなくない」と書かれている。
なかなか面白そうな話だけど、ちと強引な感がある。
また善通寺にも雲氣明神を含む五社明神がまつられているそうだ。
中世に兵火にかかり廃絶したものの、祈雨の神社だけに、雨への思いから諸説作り出されたのではないだろうか。

ちなみに参拝を終えたころ、タブレットの女性は田んぼの間の道を歩いて帰って行った。