「日本古来の服忌の心得により、火葬場の帰りに神社境内・御神域へ立ち寄る事はご遠慮ください」

粟井神社の境内に向かう参道の入り口にこのような注意書きが石柱に張られていた。
わざわざこう書かれているのは火葬場の帰りに神社に立ち寄るひとがいるということなのだろう。
式内社といわれる神社を回って四年以上になるが、境内入口にこんな注意書きを見たのは初めてだった。

粟井神社は讃岐国における名神大社三社のうちの一社。
神社は高台にあって観音寺駅から南下して神社に近づくころには遠目からも流造の本殿が見えてくる。
神社に向かう坂道を上がっていくと例の注意書きがあり、さらに進むと拝殿の正面に当たる場所に玉垣と玉垣との間に鳥居が立っていた。
だがその先に大鳥居も見えていたのでそこまでFATBIKEを押して歩いていくことにした。

改めて鳥居をくぐり戻る形で拝殿まで125歩、まずは参拝。
境内にある「記念碑」によれば創建の時期は不明だが、いまより五丁程度南にあった社殿は大同元年に焼失、寛弘元年に現在地に遷座、祭神は天太玉命、とある。

境内を歩いていると突然、雨が降ってきた。
当日の観音寺市は雨のち晴れの予報。
駅を出た時点で傘を持つひとの姿が見られたが、どうにかここまで持ってくれたわけだ。
幸い屋根のある休憩所があったのでそこのベンチで雨宿り。
天気がよければ高台にあるこの場所からは観音寺市内が一望できたことだろう。
レインウェアを持ってこなかったのでこれからどうしようと悩んでいたら雨足は次第に弱まり、神社を出発するころにはすっかりやんでいた。
ちなみに高松にいた妻によれば高松市内は午前中いっぱい雨が降っていたようだから、三十分ほどでやんだ観音寺にいた自分はラッキーだった。

それにしても冒頭の注意書きには少々ひっかかるところがある。
というのも式内社と呼ばれる神社のなかには境内に古墳がみられるケースがある。
もちろん讃岐国も例外ではない。
古墳とはいわずと知れた墓のことである。
「日本古来の服忌の心得」とはもっともらしいようだけど、神社と古墳の関係を考えると本当に「日本古来」なのかどうか。

僕は考古学者でも神道学者でもないけど、少なくともこれまで神社を回った経験から神社と古墳(墓)は決して忌み嫌う関係ではなく、共存・並存していても何ら不都合がないように思う。

於神社の項でも話したように苅田郡には「大野原古墳群」はじめ古墳が多く存在する。
それらと粟井神社の創立とは、まったく無関係でないと思うのは僕だけだろうか。