出雲大社の本殿が鎮座する広い瑞垣の外を東側(右手)からぐるっと一周した。

東西には神在月に全国の神々が集まる末社十九社本殿の長い建物がある。
僕が訪れたのは五月なので時期的に神々はいないが、立ち止まって手を合わせた。

しばらくすると瑞垣内に桧皮葺屋根の社殿二棟が見えてきた。
垣根があるので全体像は確認できないが、手前に鎮座するのが天前社といい「延喜式」上の同社坐伊能知比賣神社、その向こう側が御向社で同じく同社大神后神社である。
垣根に張られた説明によれば天前社には蚶貝比売命と蛤貝比売命が、御向社には素戔嗚尊の娘神である須勢理毘売命がまつられている。

本殿裏手の小さな摂社を参拝しながら西側へ移ると先ほどと同じように垣根の上から筑紫社の屋根が見えてきた。
「延喜式」には同社神魂御子神社の社名で記載されており、祭神は多紀理比売命。
瑞垣内の三社には近い場所からそれぞれ手を合わせ再び正面に戻った。

休憩所のベンチに腰掛け辺りを見渡すと、少しずつ参拝者が増えてきているようだけど、まだまだ朝の静けさは保たれていた。
松江での「プチ移住」が終われば次はいつ来られるか分からない。
そう思うと、境内に立ち込める澄んだ空気を思いっきり体に取り込みたくなった。

いま考えてみると、出雲大社だからというよりも出雲国にやって来てひたすら神社を回っていたことで、それまで体内にあふれていた淀んだ気が澄み切った気に浄化された。
それは島根滞在期間中だけのことではなく、こうして名古屋に帰ってきたいまでも浄化の余韻が続いている。

帰宅後の自分はひとが変わったようだった。
真っ黒に日焼けして体が引き締まった外見とともに中身もひと月という短い時間で常に前向きな気持ちを持てるようになった。
もちろん辛いことや大変なことは日々多い。
けど、それらを何とかうまくかわし、気持ちの振り幅を少なくして、以前ならよくおちいっていた不安定な気持ちにならなくなった。
そして四十路半ばであっても変わろうと思えば変わることができるし、挑戦や成長も可能であることを学んだ。
だからこそ松江での暮らしは自分にとってとても貴重な経験だった。
目に見えないところでは出雲の神々が僕の活動をバックアップしてくれていたのだろう。
ひと月無事に暮らせれたのはそのおかげだと思う。

ベンチに座り込むとその場を去り難い気持ちだが、当日は出雲大社を皮切りに周辺の神社を回る予定でいた。
後ろ髪を引かれる気分だけど立ち上がり、境内をあとにした。