出雲大社を東側の出入口から出て北島国造館前の「社家通り」と呼ばれる道を命主社の方向へ向かった。

その途中、「出雲の森」と呼ばれる場所がある。
鬱蒼と茂った森を想像していたけど通ってみると玉垣のなかに一本、木が植えられているだけだった。
見たところ森とはいいがたい印象だったが、注連縄を巻かれた神木の周りを玉垣で囲い、入れないように柵で閉じられている様を見ると、ただならぬ雰囲気を感じた。

そのまままっすぐ歩いていくと命主社へつながる参道の入口に出た。
狭い道の先には社があるのだが、その社の前に巨大なムクノキの巨木が胴をよじらせたような状態で鎮座していた。
胴に刻まれたシワのある樹皮、まるで恐竜の足を思わせる。
前方のムクノキの存在感が大きすぎて後方に鎮座する社はおまけ程度にしか見られない。
出雲の森は、本当はこちらのことを指すのではないかと思われるくらいの森感であった。

当社は「延喜式」の同社神魂伊能知奴志神社に比定されている。
「伊能知」という言葉、たしか出雲大社境内の瑞垣内に鎮座する天前社が同社坐伊能知比賣神社であったことを思い出した。
「式内社調査報告」によると伊能知とはまさに「命」のことのようだ。
大国主命が兄の八十神に焼石を投げつけられ殺されたとき、蚶貝比賣命と蛤貝比賣の二神が助けられたことで再び命を吹き返した。
蚶貝比賣命と蛤貝比賣は命を救った恩人、つまり命を救った比賣をまつるから「伊能知比賣神社」とされる。

それなら当社はどんな恩人かといえば、祭神である神産靈神はそもそも二神の降臨を命ぜられたことから命の大恩人というわけだ。
少々、強引な展開だし、だったら大恩人の方が境内に入るべきとツッコミを入れたくなる。
でも大国主命にとってみれば比賣神に助けられたことの方がよほど嬉しかったのだろう。
男子ならきっとそう思うはずだ。

そんなことを思いながらベンチに座ってメモをとっていた。
境内には「信徒館」という建物がありブランコや滑り台といった遊具があるが、単なる公園ではないようだ。
銅戈や勾玉が出土しているれっきとした遺跡だそうな。