松江に行く前、出雲国の神社をグーグルマップに落とし込んだとき。
韓竈神社の場所を検索すると山塊の真っ只中に出てきた。
しかも「式内社調査報告」に掲載されている写真を見る限り、岩のなかに埋め込まれたような社殿。
大変そうだからと、松江「プチ移住」期間中もいろいろと理由をつけて行くのが延び延びになり、実際に訪ねたのは期間の後半。

普段なら十社くらいを訪ねる予定で計画を立てるのだけど、この日は三社のみ。
登り坂も多いだろうし、もしかしたらFATBIKEを降りて登山するかもしれない。
それが頭で膨らませていた韓竈神社の印象だった。

始発の一畑電車にFATBIKEごと載せて平田駅で下車、神社がある唐川まで走った。
以前、許豆神社の項でも書いたように平田駅から十六島湾に抜ける道は「出雲国風土記」でいう「折絶」にあたる。
出雲郡と楯縫郡それぞれの山塊がぶつかる場所だからその間は谷筋の道。
多少の登りはあるが変速機のないFATBIKEでも立ち漕ぎや降りたりせず、十分にサドル上でのペダリングが可能だ。

途中から唐川川に沿って走っていくと山のなかに入っていくが道の左右に茶畑が見えたりと、のどかな風景が広がる。
韓竈神社専用の駐車場にFATBIKEをとめ、スギ木立ちのなかを神社入口まで向かった。
社名が書かれた扁額のある鳥居をくぐり急斜面に作られた石段をひたすら上がっていくが、滑りやすいのでガイドロープを握りながらじゃないと危ない。
かなりの難路で最後に岩と岩の間にできた隙間を抜けると社殿が鎮座する場所に出た。
ここまで来られたことに感謝を込めて手を合わせた。
出雲国の式内社巡りでは山に登ることも何度かあったけど、「秘境感」のある神社はあとにも先にも韓竈神社が一番だろう。

この辺りには黒鉱鉱床から銅が採集されること、野ダタラ遺跡も見られることから古代の金属生産場所、つまり製鉄所だったわけだが、その生産手段が「韓竈」であり、携わったのは朝鮮半島由来の人々だった。
「出雲国風土記」では「韓銍社」と掲載されているが読み方は同じく「カラカマ」である。
つまり風土記の時代からすでにここで金属生産が行われていたことを岩間の神社が物語っているというわけだ。

でもなぜこんな山奥の険しい場所に神社を建てる必要があったのだろう。
鉱床の存在に加えて野ダタラに必要な大量の木材の調達先として山に入る必要があったことはなんとなく想像がつく。
鉄器の生産や木々を産んでくれる神をまつるために斎きまつった職業的な神社であったと考えれば、集落ではなく山中にまつった意味が分かる気がする。

難路や岩といった秘境感にあふれるこの場所が人気のようで、社殿横に置かれた二十二冊の巡拝ノートを開いてみると全国から日本人外国人問わず、当社を訪ねている。
でもここに住むひとたちにとってはあまりにも険しすぎるためか、唐川の集落内に「韓竈神社遥拝社」なる神社があった。