現在、新型コロナの第二波が懸念され、僕の住む愛知県でも県独自の緊急事態宣言が発令された。
名古屋でも毎日百人超の感染者が確認されている。
第一波の緊急事態宣言が解除されホッとしたのもつかの間、世間は第一波のときの生活様式に逆戻りだ。

といっても僕の生活自体は大きく変わらない。
混雑し密空間になる地下鉄を避けるため、自転車通勤、もしくは徒歩十分のバス停まで歩いていきバスと地下鉄を乗り継いで職場に向かうスタイルを続けている。
変わったことといえば、本を読む習慣が以前にも増して生活に根づいたような気がする。

第一波の自粛時、これまで読む機会のなかった日本の文学作品の面白さに気づいた。
家にいる時間や通勤の時間、仕事と仕事の合間に持参した文庫のページを開く。
第一波の三月ころからいままで数十冊の本を購入した。
多くは文庫や新書で、買ってすぐにカバーを取り書斎の机に積ん読する。
そこから気分で数冊をカバンのなかに入れて出かけ、読了するとカバーをかけて本棚へ立てかける。
本棚を眺めながら、四十代も後半になり遅れながら読書ブームがやってきたとひとりほくそ笑む。

ところで、せっかくのブームだから、読書にまつわるものにもこだわってみたいと昨日、ネットで読書用の椅子を検索してみた。
さすが世の中には様々な椅子がある。
ロッキングチェアやゆりかごのようなものからお店に置くような個室風の椅子まで、想像を超えるようなものが多くてびっくりした。
町の本屋がなくなるといわれて久しいけど、読書用の椅子は進化を遂げているようだ。
だが、驚きをもって眺めはしたものの実際、心を揺さぶられるような椅子はない。
ロッキングチェアなら父が四十年以上前に買ったものがある。
それに腰痛改善のための椅子の代用品としてバランスボールがあり、この原稿を書いている机には椅子がセットされている。

それらの椅子でもいいではないか。
もちろんそれらの椅子に座って本を読むこともあるが、なぜか集中することができない。
椅子の問題というより、家という場所にいるがためでもある。
本を手にしていてもやらなくてはいけないことが思い浮かんだり、キリのいいところまで読んだらお茶をいれようとか喉が渇いたので何か飲みたいとか、落ち着いて読むには支障が生まれやすい。

集中して本を読む場所として最適な場所、僕にとってのそれは乗り物のなか。
通勤であればバスや地下鉄だし、古社巡礼の際は輪行するJR車内。
その時間は、立っていても座っていてもとくにやることはない。
通勤の場合、時間にして十数分を乗り換え含めて片道三セット。
自分はじっとしているだけで目的地まで連れて行ってくれるから何も考えなくてよい時間。
だからひとつのことに集中できる。

乗り換えが多いというのもミソで、二冊の本を持って行ったら、乗り換えのたびに替えてみたりする。
もちろん面白い本はそのまま続行だけど、一冊だけを通して読むより頭の体操になってよい。
試行錯誤しながら自分なりの読書術を考えるのも読書生活を楽しむ上で必要なことである。

さて先日、齋藤孝明治大学教授の「読書力」を読んだ。
そこで提唱されているのが「文庫百冊新書五十冊」の読破。
精神の緊張を伴うという条件つきだけど、ぜひ挑戦してみたい。
先述のように買うのは文庫か新書ばかりだから挑戦しやすい環境にある。
昨年、松江に住みながら出雲国の式内社を自転車ですべて回ったことが身体的に秘めた可能性を感じるきっかけになった。
読書への挑戦はどうか。
精神的な可能性を掘り起こすきっかけになれば嬉しい。
四十路後半であっても様々な可能性に満ちあふれていることを証明してみたい。