人間の業、とでもいうものだろうか。
僕は自転車が好きだけど、いまの愛車に乗っていながらほかの自転車を夢見てしまうことがある。
これを浮気性というのかもしれない。
だけどモノである自転車は人間と違い感情がないから僕がどのように考えようと何とも思わないだろう。
切実な問題として、これからもいままで通りFATBIKEに乗っていられるか不安になるときがある。
四十路後半の体には重めの鉄フレームに太いタイヤ、変速のないシングルスピードがきつく感じられるときがある。
自転車に速さを求めるのであればまったく逆を行く。
カーボンなど新素材のフレームに対し鉄、極細のロードタイヤに対し四インチの極太タイヤを身にまとう我がFATBIKE。
でもこの自転車に乗り五年が経過した。

先週、ブレーキ系統を総入れ替えして高校生のころ夢見た「総XT化」した我がFATBIKE。
往年の理想に近づいたわけだ。
ハブもブレーキも快調であるにも関わらず、もし変速があったならとか、タイヤが細かったならとか、欲望を満たすことばかり考えてしまうのだ。
分かるよ分かる。

そうしていまの自転車を売りに出し新しい自転車を買ったとしよう。
新しいバイクを手に入れた瞬間は欲望が大満足するはずだ。
しかし乗っていると、自分が意識せずとも少しずつ不満が蓄積されて、新しいモノを欲しがるのに時間はそうかからないだろう。
そうなれば結局、お金をつぎ込むことになり結果、銭を失うことになるだろう。
少し想像すれば分かることなのに、理性を保ちながら、いや理性を保っているように見せかけて保っていないのだろう、さらに新しいモノを欲しがるようになる。
その繰り返し、それが資本主義の鉄則でもあるのだ。

さて今日は、豊川と新城の古社を巡り、おまけに本宮山を登拝した。
神社の詳しいことは後日掲載するとして、登山に疲れ切って豊川稲荷駅に戻り駅前のコンビニでお茶を買うために店の前にFATBIKEを止めた。
すると店の前でビールを立ち飲みしていた粋なお兄さんがFATBIKEを見るなり「いいっすね」と僕に向かって賞賛してくれた。
僕が「いいっすよ」と返すとお兄さん、「絶対、いいっすよ」とさらなる賞賛の言葉をくれた。

そうだ、僕のFATBIKEはいいんだ! 
改めて自分のバイクを誇らしく思った。
当分はこのバイクでやっていこう、そう思った。