■祭礼レポート:羽島市竹鼻の屋根神街道を行く <下>

<「中心街」という名の商店街>
 江吉良から竹鼻駅方面に向かって歩く道は旧街道のように蛇行しながら通っており、道幅も行き交う車どうしがすれ違うのがやっとだ。すれ違いざまにお互いがスピードを落とし徐行しながら通り過ぎるさまは、道路の広い名古屋中心部では見かけない光景だ。車よりも歩行者を前提につくられている昔ながらの道のよさはこういったところにある。

 続いて北に向かって歩くと「中心街」とい名前の商店街に入る。道路の鋪装部分が緑色に塗装してあり、まさしく中心街をアピールしているようだ。しかも電柱に取り付けられたスピーカーから演歌が流れる、どこか牧歌的な商店街でもある。

 さてそうこうしているうちに中心街初の屋根神さまに出合った。「甘泉堂」という和菓子屋さんの向いの家の二階部分にまつられている社殿はまだまだ風雨を経験していないような美白が特徴。そしてその数軒先にもまた神さまがまつられている。以前美濃路沿いの枇杷島をその数の多さから「屋根神銀座」という愛称がついていたものの、廃社や消滅などでいまでは見る影もない。しかし名古屋市内から遠く離れたここ羽島には数メートル間隔を置いていまでも神さまを大切に守っている。きれいに手入れされた社殿と数の多さからその土地の人々の信仰心の厚さがはじめてその土地を訪れた旅人にもひしひしと伝わってくる。

 道路沿いの「門得寺」向いの民家には木造の社殿が一階屋根部分より少し低い位置にまつられている。扉は閉っているが上段が社殿で、下段は備品入れだろう。近所で働いている人に聞くと「おまつりしてある神さまは分からないが、町内でまつっているのんじゃないかな」とあまり詳しいことはご存知ないらしい。

 でもなぜかその社殿のことが気になった筆者は竹鼻町の市民活動の拠点である「まちかどステーション『一葉亭』」で話を聞いてみた。が、屋根神さまのことについては詳しいことは分からないとのこと。そこで「詳しいひとがいるよ」と知り合いの薬屋さんを紹介してもらった。

 「まつってあるのは秋葉神社で、ここらの『町内神社』だよ。まつりは毎月1日と15日で、扉を開けてお榊と供え物をまつるよ」。やはりここも秋葉神社をまつっている。地元の造り酒屋である「千代菊酒造」を過ぎて羽島市民俗資料館手前の民家屋根にまつられている社殿は外から秋葉神社のお札が確認できた。尾張や岐阜がそうであるようにこちらでも秋葉神社を単体もしくは数社のうちの一社としてまつるケースがほとんどだ。竹鼻は城下町としてではなく、長良川と木曽川を結ぶ逆川(さかいがわ)の水運で富みを得た商家の町として栄えた。そのためか屋根神さまをまつる家は大店であるケースが多い。大半が秋葉神社をまつるのも火事で財産を失うことを恐れたからという理由もあてはまるかも知れない。

 ここまで歩くとそろそろ竹鼻線竹鼻駅が近い。民俗資料館で小休止をとり、その後二ケ所で神さまを確認した。なお街道の終わりのような場所(マチからムラへの入り口のようなところ)には神域を持った秋葉神社が鎮座していた。さしずめこの町全体の火伏を担当する守神とでもいうべきだろうか。
 
 江吉良駅から竹鼻駅まで、距離にすると数キロだが、これほど多くの屋根神さまに出合えて幸せな半面、疑問も残る。なぜこの町にこれほど多くの屋根神さまが存在することになったのか。じつは前出の民俗資料館でその疑問をぶつけてみたが、このことについての書かれた資料がないだけでなく、把握もしておらず納得のいく解答は得られなかった。

 ただ一つ気になることを耳にした。竹鼻で毎年5月に行われる「竹鼻祭」では町内が所有する山車が町を練り歩く。逆川の水運が13台の山車を所有するにいたる巨利をもたらしたものと思われる。その山車には各車からくり人形が備えついており祭では演技を披露する。そのからくりの製法が名古屋で多く見られる形であるという。そもそもこの竹鼻という土地はいまでは岐阜県であるが、昔は尾張藩に属していたという。これが屋根神さまの縁起とどう関わってくるか分からないが、気になったので書き記しておくとしよう。

 最後に情報を提供くださったNobuさん、本当にありがとうございました。Nobuさんのおかげで屋根神さまだけでなく地域の人々とのすばらしい出合いに恵まれました。
感謝!