名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市:東区

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん

五十年前の中日新聞紙面をにぎわせた、東区橦木町の大楠。

記事を読み進むとクスノキと地域の人々との関係性が見えてくる。

戦時中の燃料不足のときには切って薪にするという話が出たが、これだけの木を切るのは惜しいと取りやめとなった。

また戦災にあったときには小枝が燃えながら火を食い止めたこともあった。

そういった記憶のためにクスノキに対する愛着も深く、町内の守り神として大切にしたい、自分の住む家は移転してもクスノキはこのままにしてほしい、という訴えとなった。

記事を見る限り悲観的な見方が支配的だったが、その後のことについては現在の姿を見れば分かる通りだ。

それから三十五年後、中区松原のクスノキが伐採の危機に直面した。
2002年の中日新聞記事には、橦木町の大楠を市に残させた、当時の山吹小PTA会長の言葉が出ていた。

「自分が小学校へ通うときに眺めた木がなくなるのが忍びなかった。町は変わっても、面影を木は残している」

※参考文献
「中日新聞」1967年(昭和42年)1月8日付市民版
「中日新聞」2002年(平成14年)11月19日付市民版
名古屋市農政緑地局「生きている文化財 なごやの名木」1987年

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん

140413東区橦木町2

「樹齢300年のクス 道路拡張ひっかかる 東区橦木町内」

名古屋市東区。
「空港線」と呼ばれる国道41号線には現在、名古屋高速が重なるようにその頭上を通過している。

記事のクスノキは東片端交差点北側の高速道路入口付近に専用に作られた浮島の上に立っている。
手もとの資料によれば樹高18m、幹回り3.29m。

実際に浮島に上がって参拝してみると、幹部分には注連縄が張られ根元には花や供物が供えられていた。

1967年1月8日付け中日新聞市民版。
マイクロフィルム化された記事によれば、クスノキの樹齢は約300年。
武家屋敷の多い橦木町界隈には邸宅内に巨木がそびえるが、なかでも「この大クスノキは代表的な名木で地元の人たちに親しまれてきた」という。

しかし名古屋市の都市計画路線、つまり空港線の道路拡張により伐採の危機に直面した。
記事は、これまで親しんできた木の保存を地元の人々が強く望んでいると伝えている。
記事とともに掲載された写真には道路脇に立つ道路拡幅以前のクスノキの姿が写し込まれていた。

写真は名古屋市東区。

※参考文献
「中日新聞」1967年(昭和42年)1月8日付市民版
名古屋市農政緑地局「生きている文化財 なごやの名木」1987

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん

140425東区片山神社1


尼ケ坂に緑が多く感じられるのは、片山神社の豊かな社叢のおかげでもある。
その緑に誘われて境内を訪れた。

本殿に参拝し、左側にある立派なクスノキの写真を撮らせてもらった。

資料によれば、四本のクスノキが本殿を囲むよう植えられてるという。
1899年に目通まわり九寸(約27cm)のものが、1983年現在では幹回り約2mに成長。
それから三十年、さらに大きくなったクスノキは緑あふれる社叢の主要メンバーである。

ところで、写真を撮っていると、参拝に来た若い女性が本殿参拝後、おもむろにカバンの中からビニール袋を取り出し、草取りを始めた。

「一分間奉仕のお願い」

拝殿の柱に張られた紙は草取りへの協力を訴えていた。

三脚をたたみカバンにカメラをしまったものの、依然草取りの手をやめない女性の姿を横目に見ながら帰れるものではない。
神前ということもあり...

クスノキの写真を撮らせてもらった御礼、と本殿へと続く石段のすき間に生えた雑草を取り始めた。

少ない時間とはいえ、すっきりした気持ちで境内を後にできたことは、いうまでもない。

写真は名古屋市東区。

※参考文献
名古屋市農政緑地局「生きている文化財 なごやの名木」1987

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん

DSC_1966

尼ケ坂公園に植えられた、接近しすぎて根がくっついてしまったクスノキ。
その南側にはさらに「異形」のクスノキがある。

樹高、幹回りともに巨樹の雰囲気を漂わせているが、正面に立つと根元から僕の目線までにコブのように隆起した部分があり、その上にはくぼみまでできている。
単にねじれたのか、それとも分かれた若い幹が再び主幹と結合したのか、カットされた幹が傷口を塞ごうとしたらこんな形になってしまったのか。

木は黙って何も語らないけど、自分に起ったことを時間をかけてその体に表現するようだ。
大須・春日神社のクスノキの肥大化した根もそうだ。

「異形」となることで何かを訴えているのかもしれない。

しかし樹木医の知識もなく木が好きで眺めているだけでは何を訴えているのか分からない。
ときに曲解して、「異形」ゆえに木の意思とは別に神々しさを見てしまう。

尼ケ坂のクスノキは坂の頂上、つまり峠に立つ道祖神のような木であると思った。
「異形」さが悪霊の侵入を防いでくれそうだ。

写真は名古屋市東区。

※参考文献
名古屋市農政緑地局「生きている文化財 なごやの名木」1987

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん

DSC_1979

市の木であるクスノキは、名古屋市内であればいたるところで見られる。
街路樹、学校の外周、公園など、成長がはやく、冬になっても緑が絶えない常緑樹なので多くの場所で植えられたようだ。

また記念樹としても植えられることあり、南区楠町のクスノキさんの手前の若木は、出征兵士の無事を祈り植えられたと聞いた。

同じく戦争に関連したクスノキがあると知り訪れたのは、名古屋市東区の尼ケ坂公園。
名鉄瀬戸線「尼ケ坂駅」南側、出来町通に抜ける尼ケ坂沿いにその木は立っている。

近づいて観察すると、クスノキは二本を一組にしたものが二ヶ所で植えられているのだが、北側の組はあまりに接近しすぎて、両者の根がくっついてしまい一体化している。

しかも時間がたっているせいか、結合箇所はとても自然な風合いで雑草まで生えている。

いったん離れた幹が再び結合した木を「連理木」と呼ぶが、根が一体化したものは連根木とでもいうのだろうか。

写真は名古屋市東区。

※参考文献
名古屋市農政緑地局「生きている文化財 なごやの名木」1987

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131209東区芳野社宮司神社2

「名古屋地方の社宮司信仰」によれば、社宮司の神さまは大変怖い神さまとして、以下の伝説を伝えているという。

「昔、殿様の枕元に大蛇があらわれ、家来がこれを退治した時、大蛇が自分を祀ってくれるならばよろずの痛みに霊験をあらわすであろうと云った。それで大蛇を四斗樽に入れて社殿の下に埋めて祀ったとということで、神経痛などに御利益があり...」

大蛇という恐ろしい存在が人間の苦痛を癒す存在に転じたことを説いている。

しかし不思議なのは、社に参拝して痛みを癒してもらうのではない。
社の手前に植えられた桜の木がその役割を果たしているようだ。

「『筋神さま』と呼ばれてましてね。筋、つまり神経痛に効くということです。桜の幹をさすってそれを患部にあてると痛みが癒されるそうです。多くのひとが触る部分がツルツルになってしまいました」

瀬戸電に「社宮司駅」が健在だったころ、筋神さま参りに来る人々でにぎわったことだろう。

筋神さまと呼ばれる社宮司の桜はこの辺りでは、早咲きの桜としても知られているそうだ。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131209東区芳野社宮司神社1


「社宮司の森」

芥子川律治先生は「名古屋の民間信仰」のなかでそう表現されている。

社を管理されている方によると、この辺りは竹腰家という武家屋敷の敷地で当時は社地も広かったようだが、戦後に整理されて住宅地となった。

辺りを歩いてみる。
地図を見ると社宮司のある芳野二丁目八番地の一角は学校の広い敷地から独立しているようだ。
南西角には稲荷社があり、社宮司同様かつては森のなかにまつられていたのかもしれない。

残念ながらいまでは住宅地のなかにたたずみ、森であったことは遠い記憶の彼方である。

「いまでは一、十五日にお供えをするだけですね。以前は石で組んだ鳥居もあったんですが、撤去しました。『伊斯許理度売命』の碑は伊藤萬蔵さんの寄付で建てられたものです。漢字の違う碑ももう一本あるんですよ。これは金属の神さまのようですが」

市内の石神社でよく見られる猿田彦命や農業神である倉稲魂命ではなく、金属の神をまつるとは。

社宮司とどういう関係があるのだろうか。

写真は愛知県名古屋市。
※十二月二十二日掲載分の写真もUPしました。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131209東区芳野社宮司神社4

名古屋市東区芳野。

グーグルマップで「名古屋市 社宮司」と検索すると市立工芸高校の裏手辺りにピンがささる。
マウスをあてると「社宮司神社」と表示される。

しかし実際訪れてみるとどうも様子がおかしい。

「伊斯許理度売命」

二メートルほどの石柱がまず目に入り、その奥、といっても明らかに民家の庭先のような場所に小さな社がまつられているが、どこにも「社宮司」っぽいものはない。

以前はそれであきらめて帰ったが、今回はどうしても社宮司であることを確かめたいという欲求が強くなっていた。

知りたいという気持ちが通じたのか、その家の方が出てこられたので声をかけてみた。

「ええ、社宮司神社ですよ。『おしゃぐじさん』とか『おしゃもじさん』とも呼んでましたよ」

社宮司神社であることは間違いない。

「昔はね、そこに『社宮司駅』があったんです」

あとで分かったことだけど、そのお宅の南隣のビルの名は「社宮司ビル」だった。

【ことば】待っているばかりが能じゃないから...

「日によってやらない場合もあるし、待っているばかりが能じゃないから手を打たないと」


--解説--
東区内の神さまの写真を撮ろうと早朝から待っていると、その様子を見た近所のおばさんが声をかけてくれた。ここはその日によって、また当番によって準備の時間が違うから、待っているだけじゃなくて自分から町内会長さんや氏子総代さんを探して聞きなさい、とアドバイスを下さった。幸い、その後すぐに当番の方がやってきた。
名古屋市東区/2006年12月

【ことば】昔は盛大にやっとったけど...

「いまはおかがりは焚かっせんよ。7月のなかごろに神主さんがみえて、お祓いやってもらう。子どもの夏病みを防ぐやつだわね。昔は盛大にやっとったけど」


--解説--
かつては月次祭のあとに社の前でかがり火を焚いていたが現在では飾りつけのみ。また東区のこの近辺にも神さまがたくさん見られたが、いつのまにかなくなってしまったという。
名古屋市東区/2006年12月
カテゴリ
最近のコメント
RSS
ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
お願い
◆お問合せ、ご質問、取材などご連絡はコメント欄へお願いします。後ほどご連絡差し上げます。


◇ ◇ ◇


◆当ブログの写真や図、文章等の無断転用・転載を禁止します。
お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
  • ライブドアブログ