名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市:瑞穂区

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

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肴瓮石を見てその由来を知ったとき、僕は熱田区にある畑中地蔵を思った。
地蔵といってもそれは自然石で、神体ははっきりしないが人々を治癒してきた歴史がある。

肴瓮石には弘法大師にまつわる伝説が残されている。

「弘法大師が尾張地方を巡錫の際、(中略)童子集まりて石を叩いているその音をお聞きになって、これは唐に伝わる肴瓮石であり、この石に祈願すれば頭痛、歯痛、腰痛が立処に本服すると仰せになった」

石の前に建てられている説明板にはこう書かれていた。

人間の体の痛みを治癒する機能。
僕の知る限り、石を神とまつる場合の必須条件とでも言わんばかりである。

石という硬質で冷たい物体に神が宿ったとして、どうして柔らかで体温のある人間に呼応するのだろう。
石という素材を使用した神仏像であれば彫り込まれた表情に温もりを感じることもできよう。

しかし、肴瓮石にしても畑中地蔵にしても、不定形の自然石である。

その形状から醸し出される神秘性か? 
それとも四肢を持った神仏像が想像される以前の神はこのような姿だったのだろうか?

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

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猿田彦命と天鈿女命が習合した猪子石は、サイノカミとしての信仰の所在を匂わせると同時に、石を干支に登場する猪に例えることに大切な意味が隠されているようだ。

ただ、信仰の対象となる石が必ずしも整った形状をしているとは限らない。

名古屋市瑞穂区高田町界隈には、ひとが一人ようやく通れるような狭い道が毛細血管のように張り巡らされている。

区画整理されずに残された路地はそれ自体が貴重である。

行きつ戻りつしながらたどりついた神ノ内八幡社には、「肴瓮石(なべいし)大明神」と呼ばれる石がまつられている。

東向きの本殿に向かって右側には高さ二メートルほどの堂がある。
なかには、肴瓮石大明神と思われる祠と秋葉神社の祠が、肴瓮石の上に置かれた状態でまつられている。
下敷きになっている平べったい石は一メートル四方ほどだが円形でも方形でもなく、一部が堂の後方からはみ出している。

厚みも一定せず、厚い部分と薄い部分がある。
そして所々に小さなくぼみがあるがきれいな円形をしているので、何らかの理由で人工的に作られたものなのかもしれない。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】町の神さまの東西、再び! 瑞穂区編

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踏切地蔵のあるJR東海道線と旧東海道とが交わる踏切は、いまでも交通量が多い。

地蔵尊のお世話をしていたおばあさんの話によると、ずっと昔は国道一号線も踏切と交差していたため事故が多かったそうだ。

現在の一号線は、パロマの本社前あたりから自動車専用の高架道路になって線路をまたいでいる。
しかし、下を通る道、つまり踏切地蔵前の道はいまでも車が通行できるので、事故そのものがなくなることはない。

近くには小学校や中学校もある。

「子どもが踏切鳴ってから走ってくることもあったわぁ」

おばあさんはその光景を思い出すようにいった。

踏切地蔵は現在、地蔵講の有志によってお世話をされている。
講といっても近くに住むひとたちが中心になって守って下さっているようだ。
事故に遭ったひととは見ず知らずでも、偶然、踏切の近くに住んでいることで地蔵尊をお守りし、亡くなった方の霊を慰める。

踏切地蔵は、火事を防ぐために秋葉さんを疫病除けに天王さんをまつるように人々の願いやご利益を求めてまつる神さまではない。

地蔵尊は踏切という一点の共通項でもって、今を生きる人々と亡くなった人々とをつなぐ役割を担っている。

悲惨な事故は起らないほうがいいに決まっている。
ただ、起きてしまった無念さを決して無縁にさせず、ひとつの縁として毎年供養する人々がいる。

その存在の大きさに頭が下がるばかりだ。

写真は名古屋市瑞穂区。

【愛知・名古屋市】町の神さまの東西、再び! 瑞穂区編

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「今日はね、庵主さんが忙しくて来れんのですよ。そこで仕方なく地蔵講のひとたちでお経を上げることにしました」

残念ながら、地蔵堂の前で“お経を唱える庵主さんと地蔵講のメンバー”という絵を写真に納めることはできなかった。
でも毎年来ている庵主さんが来ないというのはある意味特別ではないか。
そう自分を励ましていると、講員の方が僕に線香を差し出した。

「はい、これお兄さんの分」

先に火のついた三本ほどの線香を堂の前の机に置かれた線香立てに立てる。
他の講員の方がやるように僕も立てると、もうひとつあった線香立てを線路の脇に持っていった。

「ギャーテイギャーテイハラソーギャーテイ」

般若心経の一部を唱えて手を合わせる。

「何をされてるんですか」
「この踏切でなくなった方を供養しているんですよ」

以前お世話をしているおばあさんと話をしていたときにも踏切事故の話が出た。
踏切地蔵は、いまでは小さくとも堂のある地蔵尊だが、もともとは踏切事故で亡くなったひとたちを供養するために建てられたものから出発したのだろう。

午前十時、読経が始まった。
講員一同が堂の前に座り、経本を手に般若心経を唱える。
その間も読経の声をかき消すように電車はひっきりなしに通り過ぎていった。

写真は名古屋市瑞穂区。

【愛知・名古屋市】町の神さまの東西、再び! 瑞穂区編

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JR東海道線の踏切を渡ると、踏切地蔵ではすでに祭事の準備が整っていた。

地蔵堂には普段よりもきれいな花やお菓子がお供えされている。
手前には木魚とリンが置かれ、地域のひとだろうか、今年なくなられた方の名前が記された和綴じのノートが仏前に供えられていた。

また「踏切地蔵尊」という提灯が二張り仏前につるされている。
その前を何度か通ったことがある僕でも初めて目にする光景だった。

「僕もお参りさせてもらっていいですか」
「いいよいいよ、お兄さんもお参りしてって」

賽銭箱にお賽銭を入れて手を合わせる。

「お兄さん、せっかくだでお菓子一個もらってって!」

踏切地蔵堂は文字通り踏切の手前に立てられているお堂で、建物の構造は西側で地蔵尊をまつり、東側がちょっとした寺務所と倉庫を兼ねた部屋になっている。

当日は「盆地蔵祭」ということもあり地蔵講の関係者が、いただいた寄付の計算や寄付者の名前を壁に張り出していた。

堂の前には机と椅子が出され、ガードレールに結びつけた竹竿の上にビニールシートを張り、即席の礼拝所兼接待所が設けられていた。
そこで参拝に来た地域の人々にお茶が振舞われる。

僕が期待する、地蔵堂で行われる行事について尋ねると、意外な答えが返ってきた。

写真は名古屋市瑞穂区。

【愛知・名古屋市】町の神さまの東西、再び! 瑞穂区編

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僕の住む名古屋市熱田区から実家のある瑞穂区に行くとき、旧東海道を歩くことにしている。

熱田神宮の南側には東海道最大の宿場といわれた宮の宿があった。

かつての建物はほとんど見られず宿場の雰囲気は失われてしまってはいるが、東海道という一大幹線は生活道路として残っている。
新しく伸びた道路と違い緩やかに蛇行した道沿いには、小さな神社やお堂が残っている。

「踏切地蔵」と呼ばれる地蔵堂は、JR東海道線の踏切を渡った東側にある。

ある日、実家に行く用事があり踏切地蔵の前を通ると、仏前の花を準備しているおばあさんがいたので声をかけてみた。

「お兄さん、お参りしてって。若いのに珍しいなぁ」

近くに住むおばあさんは定期的に花をかえたりこのお地蔵さんの世話をしているという。

「一月二十四日と八月二十四日にはここに机と椅子を並べてね、庵主さんがござってお経を読んでくだれるんだわ、十時ころだったかな」

ここでも地蔵盆などの行事を行うようだ。

地蔵盆といえば京都で見たことがある。
道路にゴザを敷いたうえで、子どもたちがお経に合わせて大きな念珠をグルグル回していた。

踏切地蔵の地蔵盆。
八月二十四日、雨を心配しながら地下鉄伝馬町駅を出た僕は、旧東海道を東に向かって歩いていった。

写真は名古屋市瑞穂区。

【愛知・名古屋】山下の“道祖神場”

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「山下のお地蔵さんにお参りしてくる」

生前の祖母はそういってよく出かけていた。

山下とはサッカーや陸上競技が行われる瑞穂運動場東側の辺りで、地元の人間なら山下通のことか、とすぐに気づくところだ。

南北の道と東西の道が交差する西側に車道に囲まれた三角形の小島があり、その中心にお地蔵さんがまつられている。
のぼりには「道分地蔵」と書かれている。
交差点の小島に地蔵尊をまつるのはいくつかの理由が考えられるけど、やはりその場が事故の起きやすい場所だからという理由が大きいと思う。

地蔵尊はかつて事故にあったひとの霊を慰めるものかもしれないし、神仏の存在自体に抑止効果を期待しているのかもしれない。

一方、道分とは道を分けること、つまり二股のつけ根、辻、交差点である。
交差点には各方向から様々なものが往来する。
ひととともに悪霊や災いもやってくると考えられていたから、その場を守るために衢の神(ちまたのかみ)として道祖神をまつった。
道祖神の密集地域では道祖神場と呼ばれる石仏のたまり場が見られる。

わが故郷の名古屋では残念ながら信州のような道祖神場はないけれど、交差点に地蔵尊をまつろうとする意識のなかに、かつてこのあたりにも道祖神をまつっていた記憶が入り込んでいたのかもしれない。

写真は名古屋市瑞穂区。

【ことば】屋根宮と呼んどった...

「私らは神さまのことを『屋根宮』と呼んどったわね」


--解説--
現在でこそ屋根神という呼称を用いるようになったが、それが広まる前には独自の名前で神さまを呼ぶ地域もあった。「屋根宮」もそのひとつ。
名古屋市瑞穂区/2001年8月

【屋根神】瑞穂区平郷町/廃社

瑞穂-廃社平郷






瑞穂-廃社
所在地:名古屋市瑞穂区平郷町
    Nagoya-shi Mizuho-ku heigo-cho
祭 神:秋葉・熱田・津島
場 所:軒(屋根に切れ込みを入れて)
向 き:南
祭礼日:正月・月次祭・名古屋まつり
氏神社:一之御前神社
地 図
メ モ

・09年5月22日
 久しぶりに平郷町を訪れました。屋根神さまがおまつりされていた当時は頻繁に訪れたのですが、なくなってしまって以来、あまり来る機会がなくなってしまいました。かつて社のあった部分はトタン板でふさがれてはいますが、社の存在を感じさせる“温もり”はまだ残っていました。瑞穂区の屋根神さまもあと二社となってしまいました。寂しいものです。

090522平郷町1090522平郷町3









・05年1月19日
 屋根神さまを撮っているとこんなことがある。同じ屋根神さまを何度か写真に収めていると情が湧き様々な角度から撮ってみたり、月次祭とは関係ない写真まで撮ってしまうのだ。フィルムの整理をしながら同じ場所の屋根神さまの写真の多さに我ながらへき易しながらもあの現場ではああだった、こうだったなど、そのときの状況をひとり考えてはほくそ笑んだりする。
 瑞穂区平郷町には私にとってお気に入りの屋根神さまがまつられていた。昔ながらの長屋のひさしに隙間をつくり社殿をまつった“労作”でもある。私がひかれた理由はといえば自分が当時住んでいた瑞穂区にある、という単純なものだが、近いからこそ何度か通っているうちに神さまにも愛着が湧き、神さまをまつる近隣の方々とも親しくなっていった。
 特に神さまのはす向かいに住むおばあさんはいろいろな話を聞かせてくれた。屋根神さまの由来やら一年のうちのいつに祭を行うかなど。おばあさんが準備をしている横からファインダーをのぞいていると、「榊がうまく供えれん」と声がかかるや「手伝いますよ」とカメラを肩に掛けていうことをきかない榊の葉を前に向けた。おばあさんがおまつりの準備をしている様子を当時まだ出たてのデジタルカメラで撮った。はじめて一眼レフを買ってすぐに平郷町まで自転車で走っていき、屋根神さまの写真を撮った。その日は月次祭でもないのに。そして今、そこには屋根神さまの姿はない。社殿を備え付けていた隙間をトタン板がふさいでいる。偶然通りかかったときにはすでになくなっていた。一昨年前の話である。近所の人に聞くと「この辺りには昔はたくさんあったんだけど、だんだんなくなってね。ここが一番最後まで残ったけどね」と少し残念そうに話してくれた。
 屋根神さまのある風景はこうして名古屋の街角から少しずつ多くの人に振り向かれることなくひっそりと消えていくのである。

・01年08月01日
 午前6時に訪れたが準備はしてあるものの提灯は出ていなかったが、筆者が引っ張り出して向かいの家のおばあさんに飾り付けしてもらった。
 おばあさんによると、平郷町には以前屋根神さまが13箇所あったが、今はここだけになってしまった。社殿の中はいたみが激しい。宮大工でなければ直すことはできないだろう。
 夏季は午前5時ころ(暑いから)、冬季は6時ころに準備を行う。
 また近所の人はこの神さまのことを「屋根宮」と呼んでいたと教えて下さった。

・00年10月15日
 神さまの向かい側に住むおばあさんの話。
 お供え物は野菜、果物、海の物(コブなど)で、海に感謝、土に感謝の意味がある。熱田神宮には塩と酒を供える。お榊は毎日供える。お供え物は当番が買って自分が下げる。
 平郷町は13組町内会があるが、現在も月次祭を行っているのはここだけ。皆、年寄りばかりなので、屋根神を撤去してしまった。はしごに上がる作業が危ない。年寄りが多くなった。
 作業時間は午前6時半くらいで、午後5時にしまう。あまり朝早いと寝ているひとがいるので、午前6時半くらいには支度するようにしている。屋根神さまの前の道を車が通るので、神さまにお参りしながらケガしたらやっとれん。
 正月に札受けする。出費は自分で、1月の当番が札受けする。
 10月のお祭は名古屋まつりと合わせてやりたい。00年は運良く合致した。地域のお祭と連動してやる。
 昔は平郷町全体にあった。今残っているのはここだけ。しかし消滅は時間の問題。まつりを行うのが年寄りだけ。若いひと関心ない。維持費がかかる。

【第2刷】瑞穂区内屋根神分布一覧

 市内屋根神一覧表、「名古屋市瑞穂区」をUPいたしました。2006年のデータを基準に作成しており、「瑞穂-1」等の番号は「屋根神」写真の番号と連動しています。

★「名古屋市瑞穂区内屋根神分布一覧」はこちらから。

※所在地は丁目までの掲載となります。

<更新情報>

・第2刷発行:[09/5/22]
 [瑞穂-1]の廃社を確認いたしました。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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