名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市:中川区

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん その二

141130中川区若宮八幡タブノキ1

タブノキは、同じクスノキ科であるクスノキとは対照的に、市内ではあまりお目にかからない木である。

名古屋市内の巨樹ランキングを掲載している「なごやの名木」を見ても、ベスト10にランクインしている木のほとんどがクスノキである。

各区別の巨樹一覧ではクスノキ率がやや緩和されるもののタブノキは出てこず、「樹種別最大樹一覧表」になってようやく登場した。

中川区小塚町。
八熊通の南側にある若宮八幡社は仕事で近くを通るものの、境内に入ったことはなかった。
鳥居をくぐってまず目につくのはイチョウやケヤキといった落葉樹である。
九月には葉をたくさんつけていたが、十一月ともなるとイチョウは明るい黄色の葉が幹を包み込み、ケヤキは枝から葉を落とし逆さに立てたホウキのようだ。

本殿裏の北西角に幹の太い木がどっしりと立っていた。
根元に保存樹と書かれた杭があり、ようやくタブノキであると分かった。
枝が横に広がった御園のタブノキとは趣が違い、背は高く、注連縄こそ巻かれてはいないが本殿近くにあることから、「境内の主」的存在である。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第一章 その四

091004中野神明社33



初めて見る元中野神楽。

その実物を目にしたとき、破風に載るおびただしい数の細かい彫刻に思わずポカーンと口を開けて見上げてしまった。

驚くことに、彫刻された人形たちは単なる装飾目的だけでなく、破風上でいくつかの物語を形成している。

屋形の最上部には橋がかかっていて、その上に弁慶と牛若丸を思わせる小さな人形が載る。
その下には合戦風景が広がり、馬に乗った将兵や、剣や槍を持った兵どもが戦を繰り広げている。
四本の柱には親子の獅子が巻きつき、軒下からは無数の小竜が、穴の空いた容器から出てくるところてんのように今にも飛び出してきそうだ。

さらに、屋根の両端には雌雄のしゃちほこ、通常の神社建築なら懸魚にあたる部分からは鬼面がにらみをきかす。

長持の引き出しには「天保年間」の文字が書かれているという。
神楽屋形を知らなかったそれまでの人生を後悔するほど、クリエイティビティーに富んだものが百八十年も前に造られていた。

これまで名古屋の伝統的な祭具といえば山車くらいしか見たことがなかったが、こんなどえらいモノが、ご近所にあったのだ。

写真は名古屋市中川区。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第一章 その三

101003元中野神楽2



中川区元中野。

神明社の境内に置いてある神楽屋形からはしょうのうの鼻をつくにおいが強く漂っていた。

その基台である長持には真紅に黒い縁取りのついたコシマキ(腰巻)が巻かれている。
正面には「中野神明社」と金字の社名が張りつけてある。

長持の上には四本柱の内部が空洞になった祠状の屋形が載っており、後方に大太鼓、その左側に小太鼓(締め太鼓)が取りつけられている。
空洞内には通常、獅子頭が納められているはずだ。

もともと神楽屋形は神聖な獅子頭を運搬するための“容れ物”だった。
それが名古屋の仏壇産業と融合したことにより、本来の使われ方とは違った形に発展してしまった。

自治体史などを見ると、かつては名古屋市内でも神楽屋形を持ちながら嫁獅子など、獅子舞を伝承する地域もあったが、その多くが途絶えてしまったようである。

衰退するものがある一方で、神楽屋形に欠かせない神楽太鼓は中川区下之一色の故西川新次郎の尽力により、「尾張新次郎太鼓」として多くの後継者を育て現在に至っている。

写真は名古屋市中川区。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第一章 その二

091004中野神明社31


ある朝、歩いて仕事に向かっていたときのこと。

近くにある神社の秋季大祭の告知に、珍しい御輿のようなものの写真が掲載されていた。
幕の巻かれた台の上に祠のようなものが載っており、さらにその祠の屋根部分には無数の細かい彫刻が飾られている。
その横で、取りつけられた太鼓を叩くひとの姿も写っている。

これまで見たこともない御輿とも祠ともつかないものの姿だった。
でも祭で出るのなら一度見てみたいものだ。

祭礼日を手帳にメモして仕事に向かった。

二〇〇八年十月のその日、僕が初めて神楽屋形と出会った記念すべき日である。

写真は名古屋市中川区。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第一章その一

091004中野神明社23



「君はまだ若いんだから、屋根神さまだけじゃなくていろんなものを見なきゃダメだ。専門バカになってはいけない!」

ある勉強会の席上、僕が私淑しているある先生はこういって、屋根神さまにこり固まっている僕を一喝した。

僕自身も、屋根神さまばかり見ている自分自身の限界をうすうす感じていた。

実家を飛び出して名古屋市西区の屋根神さまをまつる町内に居を移し、まつる側から屋根神さまを見れないかと躍起になっていた。
祭礼があれば飛んでいき、何年も通い続けて写真を撮る。
そのおかげで西区から撤退したあとでも祭礼には通い続けることになった。
屋根神さまとその祭礼が僕の生活の中心になっていた。

写真展を開催したり僕の活動がメディアで取り上げられることもあった。
その半面、満ち足りない虚しさを感じるようにもなっていた。

そんな僕の様子を知ってか、先生の厳しい言葉は僕を覚醒させた。

屋根神さまにどっぷりつかっていたころは、屋根神以外のもので目についたとしても、石仏にしろ珍しい祭礼にしろ、屋根神さまとは関係ないじゃん...と無視してきた。

興味のある対象以外には何も感じない、不感症のような状態になってしまっていた。

写真は名古屋市中川区。

【町の神さま考】おシャモジ供えてイボころり

121108西宮神社1

仕事で中川運河に沿って名古屋駅に向かうバスに乗ると、運河通近くで気になる神社の前を通る。
その神社は大きくもなく有名でもないが、本殿に吊るされたシャモジはやけに大きい。

中川区月島町の西宮神社は社名をどう発音すればいいのだろう。
「ニシノミヤ」なら「えべっさん」で有名な兵庫県の神社と同じだけど、「サイグウ」と読めば事情は変わってくる。
南区星崎の石神社でも触れたように、柳田国男は石神をシャクジンと読み、そこから様々な神々が派生したと「石神問答」で述べている。

シャモジも派生語と考えられているので、件の「サイグウ」ももしかしたらシャグジン→シャグウジ→サイグウと変化したものかもしれない。

境内には願いごとの書かれたシャモジが奉納してある。
イボに悩める参詣人がシャモジを奉納して石で患部をなぜればあとかたもなくなるという。
イボに特化してはいるが、神威の宿った石が患部を治癒するという思考は、石神社や石神である畑中地蔵と共通する。

でもなぜシャモジなのか、その関心は尽きない。

運河を渡って名鉄線を越えた露橋神明社境内にも西宮社がまつられており、イボ神に対しシャモジが数本献納されていた。

写真は名古屋市中川区。

【町の神さま考】神楽のある名古屋の農村風景

111113中川区富田町字榎津1

稲刈りを終えたばかりの田んぼの回りには視界を遮るものはなく、澄んだ空には鰯雲が浮かんでいる。

名古屋市中川区富田町。

国道1号線と302号線が東西を貫き、最近建てられたような外壁の明るい戸建分譲住宅が建ち並ぶ。

10月初旬、すっかり稲刈りを終えたこの地域に甲高い太鼓の音が響き渡った。
神楽だ。

名古屋で神楽といえばそれは無形文化ではなく有形の「獅子神楽屋形」を指す。
金色に輝く神楽は農村部の祭には欠かせない。
金箔を張り細かい彫刻をこれでもかと所狭しに飾りつけている派手な神楽は、収穫前に頭を垂れた稲穂を連想させ、収穫への感謝を表しているように見える。

神楽の周りにはおおぜいの大人や子どもたちがついて歩く。
横笛を吹くものもあれば竹のバチで太鼓を叩くものもある。
神楽から伸びた手綱を持って歩く子供の姿もある。
周りの人たちを含めてはじめて、神楽が存在する。

かつてのように神楽が畔道を進む姿は、名古屋では一部でしか見られない。
畔道が住宅地へ変わっても収穫への感謝の意味は変わらないが、秋空の下、やはり稲刈りを終えた畔を進む姿が、神楽にはよく似合うと思う。

写真は名古屋市中川区富田町榎津。

【ことば】ひと足違いだったね...

「ひと月半前くらいになくしたかね。お社をささえていた柱が腐ってまったもんでね。それと高いところにおまつりしなかんでしょう。わたしらのような年くったもんには高いところは無理だでね。お社は鹽竈さんから宮司さんに来てもらってお祓いしてもらったよ。昔はようけあったんだけどね。町内にひとつはあったんだけど。ひと足違いだったね」


--解説--
鉄製のポール上におまつりされていた神さまがなくなった。確か数ヶ月前に訪れたときにはまだあったのに、と思い近所のおじさんに尋ねた。鹽竈さんとは鹽竈神社のこと。
名古屋市中川区/2005年6月

【なごやの神楽屋形】下之一色の神楽屋形

110723下之一色川祭り

2011年7月23日、中川区下之一色にて。
二年に一度開催される「川祭り」には下之一色に保存されている神楽屋形四台が出されます。
写真は下之一色第一部、旧南ノ切の神楽屋形です。
浅間社でのお祓い、太鼓の揃い打ちを終えて集会所に戻るところ。

【ことば】道路拡張するまでは屋根神さまだった...

「ここの神さまは戦前からあって、道路拡張する前までは隣の家の屋根にあった屋根神さまだったんだけど、拡張で家を建て直したときにここに倉庫と神さまの場所を作ったんですよ。年末には組長さんが秋葉神社や鹽竈神社にお札を受けに行きましたね」


--解説--
家の屋根や軒下にまつられていた神さまも道路拡張や家屋の新改築を理由に新しい場所に移し替えられた。「神さまだで大切にせないかん」という意識の強かった時代は、場所は変われどかつて屋根にあったときと同じように当番を回し信仰を維持してきた。しかし現在では移し替えるよりもなくしてしまう方が多いようだ。
名古屋市中川区/2009年9月
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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