名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市:中村区

【FATBIKE漫遊記】FATBIKEで訪ねる…サドルから見た風景

150104中村区名城高校角1

枇杷島大橋のエノキからさらに南へ下ると名城高校が見えてくる。

仕事で乗る市バスは校舎と校舎にはさまれた道を通り過ぎるのだが、その校舎の北西角に三メートルほどの木が立っている。
バスに乗るたびに視界に入っていたが、ほかの木と違い根元近くに何かが巻かれている。
ひょっとして注連縄?

視力が良くない僕には何が巻かれているのか、バスの車窓からは判別することはできない。
通るたびに目を凝らして見るのだが注連縄にも見えるし、大きな葉っぱが根元に張りつけてあるようにも見える。

FATBIKEでバス道を勢いよく下ると校舎角まではあっという間である。
巻かれていたのは注連縄でもなんでもなく、それは灰色の布だった。
しゃがんで木の根に近い部分を見ると、西側に穴が開いておりそれを布で塞いでいたのだ。

周りを見回してもこれほど高い木はなく、敷地角に植えていることから、学校にとって特別な意味を持つ木なのではないかと思った。

樹種が分からなかったので図鑑を持って来ようと思ったが、残念ながら、最近再びバスで通ったときにはすでに伐られてしまっていた。

写真は名古屋市中村区。

【FATBIKE漫遊記】FATBIKEで訪ねる…サドルから見た風景

150104中村区新富町敷地内エノキ


正月休みの最終日。
ぎっくり腰で腰を痛めたせいで旅に出られずもやもやしていた。

外は久しぶりの晴天。

FATBIKEを連れ出し走り始めてみたものの、とくに目的地があるわけではなかった。

とりあえず庄内川に向かい堤防を走る。
世間は正月休みだからひとも車も少なく、堤防周辺はとても静かだ。

枇杷島大橋を過ぎたところで、「そういえば…」と、近くにある木々を思い出した。
巨樹・巨木というわけではないけど、この際だから仕事の行き帰りに目にする木を見てみようと思った。

枇杷島大橋東詰を南に降りると更地にひときわ大きな木が植えられているのをバスの車窓から見て知っていた。
エノキのようだ。
木が植えられている更地にはかつて家が建っていたようで、門柱のような柱が二本立っている。

十年ほど前、近くに住んでいながらこの木の存在に気づくことはなかった。
更地という空虚感が漂うなかでもエノキは、天に向かって両手を広げたように凛とした姿で立っている。
葉をつける時期にもう一度その姿を見てみようと思った。

写真は名古屋市中村区。

【愛知・名古屋市】巨木・神木・クスノキさん その二

140909中村区太閤1-3

名古屋市中村区内にある職場への往復には地下鉄とバスを使っている。

往復とも地下鉄だけで可能なのだけど、帰りだけはバスに乗ることにしている。
仕事を終えて疲れた身には外の景色が見られるバスに乗るとホッと一息つけるのだ。

僕の定位置は後輪上の少し高い席である。
目線が窓枠よりも高いので、ボーっと景色を眺めるにはもってこいだ。
その席から、今日も一日疲れたなぁ...と頭を窓にもたれさせていると、窓外にクスノキを見つけた。

とはいえ何度も乗っている路線である。
普段も目にしているはずのクスノキが単なる街路樹ではないことにそのとき初めて気づいた。

そのクスノキの向かい側には小さな神社がある。
「屋根神さま」と同じように津島神社と秋葉神社をおまつりしていることも知っている。
十二月十六日になると秋葉祭のお供えをしているところも見たことがある。
でもクスノキの存在を気に留めることはなかった。

ゆっくりと動くバスからもクスノキに注連縄が巻かれているのが確認できる。
神社に隣接してはいても境内にあるわけではない。

木を見に行こうと考えたとき、真っ先に頭に浮かんだのがそのクスノキだった。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】湖北の巨木、野神さんを巡る旅へ 名古屋編

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僕の職場の近くにある中村公園。

今の仕事に就いてからほぼ毎朝、公園のなかを通るのが日課になっているが、最近までこの公園の木について意識することはなかった。

公園の中心に鎮座する豊国神社、それを囲むように公園の外縁にはクスノキが生い茂る。
どの木も背が高く、一年を通して緑が絶えない。

あるとき公園のなかにご神木はあるのだろうか、と探し回ったとき、意外にも豊国神社ではなく、園内に祀られているもうひとつの神社、八幡社の小さな境内のなかにあった。

覆い屋根のついた社殿のすぐ後ろにそのクスノキがあった。

根元から一メートルほどの場所に巻かれた注連縄、根元には灯明を立てておくための三十センチほどの箱が置いてある。
八幡社ではなくクスノキという神に対してである。

「毎年、年末に注連縄を替えていますよ。注連縄を巻かれているのは、この公園のなかで一番立派だからじゃない?」

灯明箱に賽銭を投げて手を合わせていたおじいさんはそう教えてくれた。

写真は愛知県名古屋市。 

【愛知・名古屋市】湖北の巨木、野神さんを巡る旅へ 名古屋編

名古屋市中川区長良町から中村区方面に歩いていく。

いまでこそ住宅街になっているが、農地が点在しているこの地域はかつて、田んぼや畑が広がる名古屋の穀倉地帯だった。

ムラの鎮守を訪ねてみるとそこにも立派な神木が立っている。

中村区烏森の八剱社境内には樹高・胴回り・枝振りともに立派なクスノキが二本、名古屋市長の名で「保存樹」と指定されている。
しかし八剱社の神木はその「保存樹」ではなく、末社である秋葉神社と津島神社とともにあるクスノキのようだ。
神社境内にあればすべて神木といえるかもしれないけど、その一本にだけ注連縄が巻かれている。

秋葉津島の両社に手を合わせようと目線を祠に向ける。
視界に入るクスノキは胴回りが「保存樹」に比べそれほど太いわけではない。

参拝を終え境内を出た。
すぐ北側にある歩道橋を上がったところで神木とされている理由が分かった。

胴回りだけ見れば若そうなクスノキも、空に向かいながら枝を四方八方に伸ばし、さらにそこから芽吹く葉の緑が境内を覆い尽くしている。
そうして、鎮守の杜のにぎやかさに彩りを添えている。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131208中村区七所社境内石神社2


石神から名古屋の道祖神を考えようと試みたものの、現場に行っただけでは分からないことがあまりにも多い。

そもそも石神と道祖神ってまったく関係ないんじゃないか、石神転じたシャグジはじつは別の神ではないのか...

しかし捨てる神あれば拾う神あり、「名古屋地方の社宮司信仰」という資料が図書館の書庫から出てきた。

パラパラめくっていると先日訪ね歩いた中村区・七所社の石神についての記述があった。

「七社ノ社ノ西ノ方ニ社宮司ノ社アリ」(「尾張志」)

七社は七所社だろうから、その西側つまり庄内川の方向ということになる。
「社宮神」「南社宮神」という小字名のある場所と合致する。

子供の病気に霊験があるので、中村の石神社(石佛)とは地理的に近いだけに機能面でも共鳴しあう部分があるようだ。

すでに故人となられた著者は江戸時代に発行された資料を丹念に調べ上げ、すでにない社宮司社の姿までも明らかにしている。
故人の功績を称えつつ、その仕事をいまに生かすことができないか考えた。

写真は愛知県名古屋市。

※蜂谷季夫「名古屋地方の社宮司信仰」天白川流域研究会 1981

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131208中村区庄内川河川敷社宮神1

「社宮神」
「南社宮神」

地図を見ていたらこんな地名を見つけた。
庄内川河川敷に割り振られた名前のようだが、実態はどうなんだろう。

「きねこさ祭」で知られる中村区岩塚町の七所社横を万場大橋へ上がり、橋を渡らず堤防の北側を降りれば河川敷だ。

地図と照らし合わせて件の「社宮神」を見当つけて歩いてみるが、残念ながら祠など神さまをまつる形跡はない。
南社宮神も然り。
つまり神体はすでに消え去り、過去の記憶のみが地名に定着しているだけだ。

河川敷に降りる前に七所社に立ち寄った。

社宮神とは境内末社にまつられている石神社ではないか...
中村区の歴史に関する著書のある横地清氏はすでにこう指摘している。

「尾張名所図会」によると、七所社境内に「三狐神」、つまりシャグジがまつられていたと記されているというが、境内にある石神社は河川敷の社宮神を取り込んだものかどうかはっきりとは分からない。

そもそもなぜ川に社宮神なんて地名があるのか。

川はムラとムラとを隔てる境界といえるけど、中村区内だけで見ると、すべての社宮神が境界に関係する場所にあるかといえば、そうというわけではない。

石神、社宮神と道祖神とは本当は何のつながりもないのではないだろうか...

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

121008中村区烏森町禅養寺道祖神像1

烏森・禅養寺境内にあらわれた道祖神像。

男神と女神が手をつなぎ肩を抱く、素朴な双体道祖神である。

烏森町には「才ノ神」「社宮神」といった道祖神に連なりそうな小字がある。
また民俗学者の折口信夫が「おしゃぐし」を詠った歌碑の存在も、境内の道祖神像建立と何かしらの関係があるのではと思った。

「ここに建てられているだけで、おまつりしているわけではありませんよ」

掃除をしていたご住職に尋ねた。
道祖神はお寺が新しくなったことで檀家の方が寄贈してくださったものだという。
折口信夫の歌碑とも関係があり、弟子の坪井忠彦氏の親類の方から贈られたものらしいのだ。

「おしゃぐし」の歌を詠んだのは実際におしゃぐし、つまり社宮神がそこにあったからだろう。

「むかしは神社にある木のことを『おしゃぐし』と呼んでいたようです」

「おしゃぐし」が道祖神に関係するものだからこそ道祖神像を贈られたのではと思いきや、そうともいえないようだ。

石神から転じたはずの「おしゃぐし」、社宮司、社宮神は、石や道祖神とは関係ないのだろうか。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

131205中村区石神社1


石神はその名の通り石をまつる神さまだと思っていたけど、中村の石神社を見ると必ずしもそうとは限らないことが分かった。
農業神による熱病平癒という祭神と機能の不一致はどう考えても理解に苦しむ。

中村区内にはシャクジン転じておシャグジさまと呼ばれる神さまが何ヶ所か見られる。

同区烏森町。

東海道の脇往還である佐屋街道が東西を貫く町内には「才ノ神」「社宮神」という地名が小字として残っている。

「『烏森町社宮神一八」』という地名の南、現在の近鉄線が通るところに『おしゃぐし』があった」
「そこは二本の榎の木があり十坪程の塚であった」

中村区の郷土史本の著者、横地清氏はこう解説している。

「おしゃぐしの森はこのははひろふともあどけきものをめぐしとおもへ」

烏森の「おしゃぐし」について、民俗学者折口信夫が詠んだ歌だ。
その歌碑は折口の弟子で烏森出身の坪井忠彦氏にちなんで禅養寺境内に建てられている。

しかし興味深いのは、歌碑よりもなぜかそこに立っている双体道祖神像である。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】石神に名古屋の道祖神を見た... わが名古屋の道祖神考

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「石神社まつり」は毎年六月六日に開催される地域のお祭だ。

鳥居の手前には「石神社」と書かれた提灯五張がビニール袋に入れられた状態でつるされ、社殿に取りつけられた橘紋の紫幕が祭の雰囲気を伝えている。

「この絵の体に自分の悪いところを書くんだわね」

近くにいたおばさんが手にしていた紙を見せてもらうと、手を広げた裸の人体図が表裏を向いた状態で書かれている。
町内会を通して配られる人型(ひとがた)で、体の悪い部分を書き入れて社殿の前に座っている神主に渡すと、神前で読み上げ神に平癒を祈ってくれる(人型供養神事)。

また境内左側の空間では四方に笹を立て中央に篭を置いて護摩を焚いていた(祈祷木神火祭)。

厄除を主目的として二つの神事が執り行われる石神社まつりだが、本来の機能は「子供の熱病(オコリ病)の折祈願する」(社殿の前の説明)ものだった。
それがいまでは厄災を人型に託して地域の人々を救っている。

でも、繰り返すが、石神社の祭神は農業神でしかもご神体そのものがないとなれば、石神→シャクジン→シャグジとは一体何の神さまなんだろう...

再びふりだしに戻ってしまった。

写真は愛知県名古屋市。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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