名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

屋根神さまとは

【セミナー】山地英樹氏講演録(3/6)

 こうして興味を持ったもののそれまで屋根神さまのことを知らなかったものですから、まず知りたいと思って図書館に行き探し当てたのが、芥子川律治さんの「屋根神さま」(文化財叢書)という小冊子です。この本には現存する屋根神さまの一覧があり、昭和51年6月現在、名古屋市内で244ケ所が記されています。西区内は129軒で市内でも一番多い。
 その本を頼りに昭和63年(1988年)からこの本に載っている場所を地図で照合しながら、暇を見つけてはカメラ片手に屋根神さまを撮り歩きました。 芥子川さんの本に載っている住所は町名が変更になっていて照合が大変でしたし、なくなったものが数多くありました。本には載っていないもので自分の足で調べ歩いたり知人から教えてもらったりしたところもあり、丸三年かかって221ヶ所を収録した写真集を出版しました。 

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

【セミナー】山地英樹氏講演録(2/6)

 私が屋根神さまに興味をもったのは、弁天通3丁目近くの屋根神さまを見たことがきっかけでした。交差点近くにあった広場には三本の杭を打った台があって、普段は杭と台だけなんですが、あるとき通りかかると、その上に小さな祠が載せてあり、提灯とお供えが見られました。近所の人に尋ねると「これは屋根神さまです」といわれ、1日、15日におまつりしていましたが、その後ビルが建ち、その屋根神さまはなくなってしまいました。そこで「今のうちにあちこち探して写真に撮っておかなくては」と思ったのが、この写真集を作ったきっかけになりました。

 もし私が名古屋生まれの名古屋育ちだったら、小さいときから見慣れていて目を引くこともなかったことでしょう。生まれ故郷の四国には屋根神さまはありません。学校卒業後に出て来た関西にも屋根神さまはありませんが、(似ているものとして)京都市内の辻々にまつられているお地蔵さまでは地蔵盆にお供えしたり、子供たちが遊べるようなスペースを作ったりしてあったことが記憶に残っております。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

【セミナー】山地英樹氏講演録(1/6)

 今から18年前の平成4年(1992年)に「なごやの屋根神さま」という写真集を自費出版したときのいきさつをお話しいたします。モノクロ印刷の写真集を500部印刷したのですが現在3冊だけ残してあって、これは門外不出でだれにもお分けしておりません。それでも年にひとりかふたり「屋根神さまの写真集ないですか」という電話がかかってくるんですけど、「手元に3冊だけ残して、これはだれにもお分けできないんです。各区の図書館に行けば見ることができます」といいましたら、「図書館で見て、欲しいと思った」とおっしゃる方がありました。今となっては私にとって大変貴重な写真集です。

 これに関連して、久屋大通の東側に「エーデルワイス」という喫茶店があるのですが、そこの亡くなられたマスターが写真好きで、コーヒーを飲みながら本棚に置かれた写真集を見ることができるようになっています。じつはこの喫茶店のあるビルの屋上に屋根神さまがおまつりしてあります*。近所にあった神さまを引き取ってビルの屋上におまつりしており、その写真も写真集に収録してあります。ビルの屋上にあるのはお稲荷さんが多いのですが、エーデルワイスの屋上の神さまは屋根神さまなんですね。それで写真集ができたときに一冊差し上げました。喫茶店の本棚に置いてくれてたのですが、しばらくして行くと「山地さんの写真集、いつの間にか盗まれましたよ」といわれました。手元には3冊しかないので補充はできません、とお話したことがあります。

*屋上の屋根神さまは昨年10月ごろに撤去されたそうです。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

屋根神さまのお社について、8/8

■その他
 これまで六つの代表的な造りを見てきましたが、一番多いのはじつはこの「その他」ではないかと思います。「西区の屋根神さまマップ」には「板宮造」を独立した項目としていますが、これは神明造や流造を簡素にさせた形態であるので、私はあえて「その他」としました。同書には「社殿造営技術の伝承が難しいこと」からこういった造形変化につながったと書かれていますが、私はむしろ、大型社殿をつくらせていた地域の経済力の低下(もちろんお社の設置にはそれ相当の費用がかかりますが)や大型社殿造営という「流行」が過ぎ去りシンプルなものへと時代がシフトしたことが理由ではないかと考えています。 
 簡素な「板宮造」とは逆に、さらに豪華な社として「権現造」も見逃せません。数年前まで西区則武新町の駐車場内にまつられていました。流造と尾張造と唐破風造を足して三で割ったような形態だといえるでしょう。山地英樹さんの「なごやの屋根神さま」を見ると西区、東区に多く残っていたようですが、残念ながら名古屋市内ではすでに「絶滅」、見られなくなりました。こういったものが多く残っている名古屋のまちはきっと今よりも壮観だったような気がします。なぜそれをもっとPRしなかったのか、いや、できなかったのか。行政側の見識不足と怠慢が感じられて仕方ありません。
 代表的な社:
「板宮造」は西区則武新町(西-22)、西区樋の口町(西-40)、西区枇杷島(西-54)
「権現造」は西区則武新町(西-23/廃社)、熱田区明野町(熱田-6/社殿新築のため現在は他形態)

[板宮造]
<1-1>西区則武新町(西-22)
西-22














<1-2>西区樋の口町(西-40)
西-40












<1-3>西区枇杷島(西-54)
西-54













[権現造]
<2-1>西区則武新町(西-23/廃社)
西-23/廃社












<2-2>熱田区明野町(熱田-6/旧)
熱田-6_旧












★神輿をそのまま社にしてしまったものもあります。
<3-1>千種区千種(千種-5)

千種-5

屋根神さまのお社について、7/8

■箱型
 この社殿形態は「箱型」という名称があるわけではなく、箱のなかに社を納めた外見からこの名がついたと思われます。四角い箱のなかに三社用の神棚を納めた形態は、大小問わず数社が現存しています。とりわけ西区那古野(西-1)の神さまは屋根にまつられしかも大型なので人目を引きますが、祭礼日以外だと扉が閉まっており、何か分かりにくい。月次祭のように社殿の扉を開けてはじめて顔をのぞかせる神棚に、これが神さまをまつったものだと明らかになります。それも箱型の特徴といえるでしょう。
 箱型には扉のフタがあるもの/ないもの、その扉が木製/ガラス製といった区分けもできます。一方、社殿構造がシンプルなせいか比較的小型のものが多く、軒下にまつられている光景も見られます。また市外にも多く存在し、高山市や郡上市ではガラス箱のなかに社を入れて、外からの視認性を高めています。露出していた社を風雨から保護する目的で箱のなかに入れておまつりしたのではないか、と思われます。
 代表的な社に、西区那古野(西-1)、西区則武新町(西-20・21)、東区黒門(東-6)。※西-1・20・21は普段は扉が閉まっていますが、祭礼日には扉を開け、なかに入っている神棚(三社用)が見られます。

<1>西区那古野(西-1)
西-1











なかには三社用の神棚
箱型1













<2>西区則武新町(西-20)
西-21











<3>西区則武新町(西-21)
西-20











<4>東区黒門町(東-6)
東-6

屋根神さまのお社について、6/8

■流造
 この社は頂上部から手前側に流れ降りてくる破風の曲線が美しい社殿形態です。市内の屋根神さまのなかでは現在、屋根に存在するものはありませんが、西区菊井(西-18)では唐破風造の覆いのなかにこの流造の社が納められています。菊井周辺には唐破風造の社が多い地域ですが、この神さまは際立っています。一体型のようですが、よく見ると内部に「本体」があり、個性的な社といえます。これも集中地域に見られる競争意識が生んだたまものといえるのかもしれません。しかも社の屋根は今では珍しい桧皮ぶきです。
 代表的な社は、西区菊井(西-18)、西区栄生(西-33)、西区押切(西-43)、中村区名駅(中村-5)
 ※西-18、33、43の写真は社が鞘堂の中に入っているので写真では見られません。実際に現地に行かれ実物を見て下されば、その立派さが、特に(西-18)は、分かります。

<1>西区菊井(西-18)
西-18












<2>西区栄生(西-33)
西-26












<3>西区押切(西-43)
西-43











<4>中村区名駅(中村-5)
中村-5

屋根神さまのお社について、5/8

■山形造
 私は建築に詳しくないのでこれが本当の呼び名かどうか分かりませんが、先述の資料三冊にはそれぞれ「破風が山形になったもの」「切破風」「山形造」となっていますので、私も「山形造」を踏襲します。
 これは比較的小さな社で見られる形態で、屋根など高所にまつられた際には、むき出しのままではなく社が風雨にさらされないよう覆いをつけたものが多かったようです。市内で現存するものではほとんどが下に降ろされて堂内に納められた形態が多く見られます。
 また、上記の社が大型化したものも散見され、かつて昭和区北山本町(昭和-廃社)にまつられていた社はこの造りですし、西区枇杷島(西-46)の社も破風部分が前にせり出してしかも丸みがかってはいますが、このタイプに入ると思います。
 代表的な社は、中区平和(中-4/廃社)、東区泉(東-廃社)、東区東桜(東-廃社)。清須市には新調後も祭礼をおこなっている社(西枇-9)があります。

<1>中区平和(中-4/形骸)
中-4












<2>東区泉(東-廃社)
010915東区泉











<3>東区東桜(東-廃社)
東-廃社:東桜






<4>西枇杷島m町北二ツ杁(西枇-9)
西枇-9









<5>昭和区北山本町(昭和-廃社)
昭和-廃社/北山本町

屋根神さまのお社について、4/8

■唐破風造
 唐破風は「からはふ」と読み、日本独特の建築形態といわれます。私が屋根神さまの説明をする際には「松山の道後温泉の入口の屋根の形」といえば皆さん思い出されます。また市内の祭礼で曵き出される山車の屋根の部分もこの造りのものが多くみられます(写真は東区筒井の『湯取車』)。

唐破風7











 湾曲したカーブが美しいこの造りは屋根神さまの代表的な建築形態であり、現存する社は大型で立派なものが多い。しかも破風(屋根)の下に祭神である秋葉(羽団扇紋)、熱田(五七桐紋)、津島(木瓜紋)の紋が刻まれた銅板が張られています。西区内栄生や菊井には巨大なものが多く残っています。かつて長屋の屋根にまつられていたころには社の重さに耐えかねて屋根が下がってきたので、下から棒で支えていた、という話(西-14)も聞いたことがあります。

 代表的な社は西区那古野(西-4)、同(西-6)、西区菊井(西-14)、西区新道(西-9)、西区栄生(西-30)。清須市(新川-1)にも新調されたものがありますが、現在祭礼などは行なわれておりません。 

 町内の経済状態に大きく左右されますが、小さな社にこのような豪華な造りと装飾を施された屋根神さまはまさに「まちの文化遺産」というにふさわしいと思います。しかし行政の方たちにはこの意味がいまいち理解できないようで、残念です。

<1>西区那古野(西-4)
唐破風1











<2>西区那古野(西-6)
唐破風2












<3>西区菊井(西-14)
唐破風6












<4>西区新道(西-9)
唐破風5












<5>西区栄生(西-30)
唐破風4

屋根神さまのお社について、3/8

■神明造
 伊勢神宮や熱田神宮の本殿の形態です。屋根や高所から下に降ろして新しくした際に神明造か簡素化された板宮造にすることもあるようです。もちろん屋根の上にまつられるケースもあります。ただ中橋の西端(西-5)のように祭祀が行なわれなくなってから放置されている姿を見ると痛ましい。風雨にさらされて鰹木がなくなってしまったものも見られます。市内で現存している代表的なものは、西区栄生(西-33)、熱田区花町(熱田-1)、中川区八熊(中川-2)ですが、屋根にまつられているものとしては西区幅下(西-7)、北区下飯田町(北-5)があります。

<1>西区栄生(西-33)
神明造1












<2>熱田区花町(熱田-1)
神明造2












<3>中川区八熊(中川-2)
神明造3

屋根神さまのお社について、2/8

■津島神社拝殿風
津島神社拝殿





 尾張造ともいい、特徴として破風が「八」の字型になっています。「津島神社の拝殿を模した」といわれますが、真偽については疑問です。確かに形は似ていますが、京都で町内の地蔵さまをまつる堂にもこの形態を見たことがあります。屋根神さまの起源を天王社に求めることから偶然、形態の似ていた津島神社の拝殿様式としたのでは、とも考えられます。ですが、この形の社で現存しているものはすべて大型で立派なものが多く、施された彫刻もすばらしい。市内では西区菊井(西-17)西区栄生(西-27)昭和区北山本町(昭和-1)中区金山(中-6)で見られます。

<1>西区菊井(西-17)尾張造1












<2>西区栄生(西-27)
尾張造3













<3>昭和区北山本町(昭和-1)
尾張造4













<4>中区金山(中-6)尾張造2












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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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