名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

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メルマガ過去記事/第四十六号/05/6/22

■岐阜を訪ねる:岐阜東西通で屋根神さまを見た!

 以前、美濃市を訪れたときに乗ったバスの車窓から偶然発見した屋根神さま。その屋根神さまを求めて当日は岐阜市内を東西に走る岐阜東西通を歩いてみた。すると、鉄製やぐらの上や家と家の間、そして待望の屋根に上がった屋根神さまを発見した。当地では「アキヤさん」と呼ばれる秋葉神社について、実際におまつりしている方にお話を聞くことができた。(Q=筆者)
 
Q:こちらの神さまは何がまつってあるのですか?
A:これは町内のアキヤさん、つまり秋葉神社です。飾る場所がなかったのでね。でも先代が自治会の会長さんをやっていた関係で、町内でまつる場所がなかったから、ちょうど家を建て替えるときだったものですから、まつる場所を提供するということになりました。たぶん、この高さ(一段高い場所)に飾ってあるものはみんな秋葉さんじゃないでしょうか。

Q:この通り(東西通)沿いにも何軒かありますよね。
A:岐阜でも昔からのまちは家と家がくっついいましたからね。秋葉神社をまつるスペースがなかったようですね。その地域の有志というか善意のある人が場所を提供したようです。材木町(長良川沿いに残る昔ながらの町並み)の方にもあるし。みんな多分、同じ理由だと思いますよ。ようは飾る場所がなかったからね。

Q:この神さま自体は最近のものですか、先ほど家を建て替えたとおっしゃいましたが。
A:40年くらいになるでしょうかね。

Q:神さま自体は昔からあるものですか。
A:町内会がうまれると自動的にですね。岐阜市の伊奈波神社の末社のような形でまつっています。

Q:伊奈波神社自体は火の神さまをまつっているわけではないですよね。
A:岐阜の神さまの総本家とでもいえましょうか。岐阜市に住んでる人たちにとってあそこが本山ですからね。

Q:ということは、名古屋でいうと熱田神宮みたいなものですか。
A:そうですね。熱田さんとは格が違いますがね(笑)。本当は静岡にある秋葉神社に行っていたのですけど、昔はね、行楽がない時代には町内から有志をつのって、静岡県の秋葉神社まで行きお札をもらって帰ってきたものですが、もちろん今でも静岡に行かれる町内会もあるのでしょうが。でも、時間もお金も大変だから(笑)。近くのお宮さんでもお札を発行してくれることになったからね。

Q:この神さまは何か特別なおまつりがあるのですか?
A:1、15日におまつりします。お供物も出しますし。一年に二回かな、お宮さんから宮司さんに来てもらってお祓いをしてもらいます。

Q:それは12月16日ですか。
A:いや、左義長の前日に来てもらうのと、それからもうひとつ、春の岐阜祭、伊奈波さんのお祭りと連動してやりますね。

Q:伊奈波神社のお祭りにあわせて町内ごとでもまつるんですか。
A:そうです。よく気をつけて見てると、家の間とか側溝の上とかにもまつられていますよ。

Q:確かにいろいろなところにまつられていますね。私も歩いてここまで来たのですが、さまざまなまつり方の神さまを見かけました。こういった神さまはこの辺りにはたくさんあるのですか。
A:昔は各町内にひとつはアキヤさんあったんだけどその数は減りましたね。人が減り町内がくっついたりしましてね。私たちは習慣でやっているだけですけどね。

Q:ところで名古屋ではこういう神さまが少なくなりつつあります。いま現在、140軒くらいしかないんです。昔は町中にあったらしいのですが、戦争で焼失したり、やられる方が少なくなってきたり。あとは高齢化とか。
A:飾るの大変でも、こちらではなかなかむげに止めるなんてことはできませんね。

Q:神さまですからね。だけど、おまもりするのが無理だと止めてしまうようですよ。
A:だけど、なかなかそれを言い出せる人がいません。

Q:名古屋の場合だと、熱心な方がなくなられたときにそれを機にやめようか、ということもあるらしいのです。そこぞこの都合でやられたりやられなかったり。
A:だけど、みんな年とってくるとそういうことをやるんだし、順送りでやる人も出てくるものではないでしょうか。

Q:たしかに、それでやられる方が出てこればいいのですが。でも代が変わって若い人たちが多くなるとやり方も分からなくなってしまいます。それが途絶える理由になることもあるみたいです。
A:その家々を守っている人たちがですね、その家々の習慣とか、だいたいおばあさんがやってますが、それをお嫁さんがやるようになる。そういう感じに普通に伝承されていってると思います。地域の行事もそこの家の主人が出てきていたとしても、年をとればそこの息子がいやでも出てこざるをえない。そうやって知らない間に伝承されていくと思うんですけどね。

Q:そうやって伝承されていけばいいと思うのですが。
A:ただ深く聞いているわけじゃないから分からないこともあります。意味分からずにやっとることもありますしね。

Q:そういう面では名古屋は途絶えてる地域が多いようですね。最近になって神さまの減り方が速くなってきていて、数年で数十軒がなんらかの形でなくなっています。
A:だけど、なくそうとする手間を考えたら、続けていった方がいいような気がしますが...

Q:それが名古屋では建物の新改築などの理由で続けていくことが難しいようです。お社自体も形は残っていても中が何もはいっていないものもあります。昔はまつっていたのだけど、おまもりできないから止めてしまう。
A:さしたる手間でもないと思うのだけど...。供え物といっても、米と塩と酒があればいいし。

Q:名古屋の場合、おまつりをやられるところはきっちりやられます。半面、簡略化してやられるところもある。お社自体は百数十年前に作られた立派なものなんですけどね。
A:やめられることの方が勇気がいると思います。

Q:やっぱり、神さまですからね。私の聞いた話だと、屋根神さまは秋葉神社をまつっていますよね。一度、おまつりをやめられたのだけど、そしたら火事になって、また再びまつりなおしたらしいです。
A:以前は本当に火事が多かったです。木造家屋ですから、一軒燃えれば、全部燃えてしまう。(木造家屋が多い)材木町が一生懸命まつっている強い理由はそういうことだと思いますよ。

Q:火の恐さというものがありますよね。
A:材木町にはうだつがあるでしょう。うだつは火災の類焼予防ですから。

Q:ほんとうにいろんな理由があってまつったりまつらなかったりというのが名古屋の現実です。ただ、やめられた方でも、まつってた方がよかったといわれる方もいらっしゃるんですよ。でも町内の大多数の意見としてなくしてしまうので、それに従わざるをえない。
A:みんな面倒臭いと思うこともあるかもしれないけど...

Q:それは熱心に信仰されているということですね。
A:いやあ、そんなことはないですよ。習慣ですからね。ただお宮さんに来てもらうときはたしかに、火事だけはないようにというのはあると思いますが。

Q:その願いや気持ちっていうのは名古屋でも同じだと思うのですけどね。
A:それ以外は単純に習慣ですよ。だって前の当番の人が終わると次の当番のところに道具がくるから。飾るものも、若い世代がやるときはシンプルなものです。米と塩とお神酒だけですよ。それぞれの当番によるけど、年輩の人がやられる場合はいっぱい飾られます。

Q:1、15日には幕を飾ったり、提灯を飾ったりということはあるんですか?
A:いや、ないですね。本当にお供物だけ。その日の日の暮れには下げてね。

Q:そのときに、かがり火を焚いたりということは。
A:ないですねえ。そこまでやると続かないですね。ちょっと手があいたときに来て飾って、手があいたときに下げてといくところでしょうか。

Q:ありがとうございました。

 いちがいにはいえないかもしれないが、岐阜市の方の話からは町内の神さまを守ることに対して熱心というよりも当たり前とする気持ちが感じられた。火の恐ろしさを知るからこそ火伏の神に対する信仰心の厚さもそうだが、火災から守っていただくかぎりお守りするのは当たり前という気持ちとでもいえばいいだろうか。だからこそ、名古屋の現状を聞いたとき、かなり驚かれていたようだった。

 それにしても岐阜市内には多様な祭祀形態の秋葉神社を見ることができる。屋根の上もあれば脚上、側溝の上など。名古屋人以上に祭祀に対し苦心している様子がうかがわれた。各町内にいまでも一社ずつまつられているよいうが、名古屋市内よりも多い可能性も否定できない。少しずつ岐阜の神さまもレポートしていきたいと思う。

メルマガ過去記事/第四十五号/05/6/21

■現場より:避難する屋根神さま

 現在、納屋橋旧加藤商会ビル地下一階にて開催中の山地英樹さんの写真展「なごやの屋根神さま」を訪れました。堀川筋(西区)を中心に現存する屋根神さま、消滅した屋根神さまの両社が60枚の写真に納められており、飾られたモノクロ写真からは火や疫病から守ってほしいという庶民の素朴な願いを感じ取ることができました。
 展示写真の中で西区栄生の屋根神さまが消滅となっており気になって、会場を出てすぐに現地に向かいました。その屋根神さまは筆者が以前屋根神さまを実生活の中から見てみたいと移住した西区の家のすぐ裏側にあります。
 早速現地に着くと、そこはすでに重機が入って作業しています。普段から扉の閉っている社殿もかんぬきをしたままなので、近づいてすきまからのぞいてみると中からは社殿が取り除かれている様子。とうとうここもなくなったかと「別れ」の写真を撮りました。
 そんな落胆した気持ちで歩いていると外で花を世話していた人がいたので「あそこの神さまはいつなくなったのですか」と話しかけてみると、「あぁ、神さまはなくなったわけじゃないよ。建物を壊すもんで一時的にないだけで、どこかで保管しとるって聞いたよ。いつになるか分からんけど、建物を新しくしたらまつるらしいよ」と、意外な答えが返ってきました。
 たしかに工事をしている状況を見てしまうと消滅してしまったのかなと思ってしまいますが、地域の結びつきの強さを感じた一幕でした。それにしても一時的に保管とは、やはり神さまも工事のホコリや雑音は苦手なようです。

メルマガ過去記事/第四十四号/05/6/11

■岐阜を訪ねる:うだつの上がる屋根神さま! <後編>

 筆者が美濃を旅しながら見聞した中で興味を持ったことがある。それは、美濃の秋葉さまの祭神についてである。秋葉さまの祭神は秋葉神社に決まっとる! といわれる方もいるかもしれないが、前編で記したように秋葉神社のほかに津島神社や地元の氏神をまつるケースも多い。特に筆者は津島神社のまつられ方に関心を持ったわけだ。

 美濃に着いてすぐに観光案内所を訪ねたとき、そこで面白いことをうかがった。協会の方は加冶屋町の方で、同町内で行なわれていることを話して下さった。

 「加治屋町では秋葉神社のほかにも津島神社をまつります。夜祭(7月10日)があるのですが、秋にかけてまつります。まつりが始まるころに當元(とうもと)の家に(社殿を)まつります」

 ということは名古屋の神さまのように常時津島神社をまつるというわけではなく、季節が来たら、その時期だけまつり、あとの時期はまつらないということなのだろうか。しかもまつるための社殿が移動する(?)らしい。これは一体どういうことだろう。津島神社は厄よけの神さまとして知られているが、この地域で夏にだけ津島神社もまつる特別な理由はあるのだろうか。
 その答えを聞きに実際に加冶屋町で屋根神さまをまつっている「柴竹呉服店」のご主人にお話を聞いた。ちなみにこちらの神さまの祭神は火伏の秋葉神社と氏神の八幡神社の2社、だが、町内では津島神社もまつっている(?)という。

 「この町内に関しては、7月10日がここの町内の祭(夜祭)なのだけど、まずその前に津島神社でお札を受けてきます。そして、お札さまを入れるだけの小さな社を回り持ちで管理し、その神送りの儀式を旧暦の9月30日に行ないます。7月10日の夜祭の日に神さまに来てもらって、神主にお祓いもしてもらい、それからは各家が毎日順番に夕方になるとお灯明をあんどんに入れて津島神社がまつってある家にいき、灯します。9月30日の神送りの儀式では、津島神社のお札を川に流しにいきます。前は笹に提灯つけてそれをそのまま流しておったけど、今では枝にお札さまをつけて流しています」。つまり津島神社をまつるの7月10日から9月30日までの間である。そしてお札は屋根神さまに納めるのではなく専用の小社殿にまつる。「4ヶ月くらいあるから順番に2〜3回はまわってくるかな」

 ではなぜ津島神社だけをこうしてまつるようになったのか。ご主人は「よく分からないなあ」と首をかしげながらも、「8月に水神さまの祭があったり、昔、水運が栄えていたことと関係があるのでは」と話してくれたが、ここでピンときたのが、津島神社=水の神さまという図式。津島神社は一般には疫病除けの神さまとして知られているが、一方で「水天宮」としてまつられているケースもある。名古屋市内における屋根神さまの祭神としての津島神社は多くが厄除けの機能を期待されているようだが、市内を南北に流れる堀川周辺には水の神さまとしての天王社を目にすることができる。ご主人の言葉通りならば、ここ美濃の先人たちは厄除けよりも水の神さまとして水運の無事を願っていたのかもしれない。

 その津島神社だが、この町内では独特の方法でおまつりしているようだ。引き続きご主人に教えていただいた。

 「おまつりしてある社殿自体は當本部長さんといって當本さんのえらいさんやね。一年間、「まつり當本」というんだけど、町内の神事だとかいろんなことに対してそこが責任持って親方としてやる。そしてそこに社をまつる。社といっても本当に小さなものをまつってます、うちの町内では。ただそういうことをしてみえないところはこちら(屋根の上の社殿)にまつってみえるかもしれないけどね」

 この町内、というか美濃では「當本さん」という存在が津島神社の祭礼には欠かせないだけでなく、美濃の町で行なわれる祭においても重要な役割を果たしているようだ。年中行事を引っ張っていく重要な人物である。ちなみに4月のお祭りが済んだときに『お役目交代』がある。
 
 美濃を旅しながらそこでまつられている屋根神さまのことをいろいろ書いてみたものの、あくまで伝え聞いた話であって、なんだか実感が伴っていないというのが本音だ。筆者にとっては多くの屋根神さまに出合った特別な日でも美濃の町にとっての普通の日である。柴竹のご主人は別れぎわに「美濃の人たちは本当にこの町のことを大切に思っているから、今度は祭の日にいらっしゃい」といって下さった。今度はぜひ祭の日に訪れたいものだ。

 それにしても今回も多くの方に出会った旅だった。観光案内所をはじめ、屋根神さまをまつっている家々の方からは祭神、起源などさまざまな話を聞くことができた。そして最後に「柴竹呉服店」のご主人。屋根神さまとの出合いはすべてそこに住む人との出合いである。屋根神さまの記録を志すものにとってその出合いこそが、一枚の写真と同じ価値を持つものだと信じている。

メルマガ過去記事/第四十三号/05/6/8

■岐阜を訪ねる:うだつの上がる屋根神さま! <前編>

 最近岐阜通いが続いている。岐阜市に始まって羽島、大垣と歩いてきたが、どこも魅力的な屋根神さまとの出合いにあふれていた。そもそも屋根神さまといいながら屋根にある社が少ない名古屋市内と違って岐阜県内の町にまつられているものはそのほとんどが軒下や建物の一階の屋根上にある、文字通りの屋根神さまを見ることができる。ただ毎月1、15日に紫幕や提灯、供え物などで飾り付けを行なう「名古屋式」の月次祭は行なっていないようだが、それでも年間の行事を通して町内や地域の人々との結びつきを守る媒介として大切に守られているようだ。

 さて、今回の旅は岐阜県美濃市。美濃といえば「うだつ」と和紙が有名だが、じつは屋根神さまが多くまつられている町として筆者は以前から注目していた。5年ほど前の話だが美濃を訪れたことがある。そのときに龍の背骨のような見事な曲線美を見せるうだつもさることながら、大切にまつられている神さまに目が釘付けとなった。しかし当時はまだ名古屋市内の屋根神さまを中心に撮影していたので、岐阜の神さまに関してはそれほど関心はなかった。しかし頭の中のハードディスクがしっかりと記憶していたので、岐阜通いの流れのひとつに加えてみようと思ったのだ。

 さて、とはいうものの社殿の写真を撮るだけでは芸がないということで、岐阜市から郡上八幡行きのバスを降りてすぐ市内の観光案内所を訪ね、屋根神さまについて所在地や祭神をはじめとする資料はないかを尋ねてみた。が、美濃市はうだつと和紙の町。屋根にまつられている神さまについて触れた案内パンフレットのようなものはなく、案内所の方も当惑された表情だった。「神さまについてねえ、ちょっと待ってね、町内会長さんに聞いてあげるから」とほうぼうに電話をかけて聞いて下さった。そのかいあってか、まずは所在地をつかむことができた。それを町並散策の絵地図に落とし込む。赤ペンでチェックを入れた絵地図を見ると神さま所在地は町の中心部にかたまって存在しているのが分かる。歩きの旅にはちょうどよい。さらに「加冶屋町の『柴竹呉服店』さんならいろいろ詳しい方だから、そこで聞いてみたら」と場所を教えて下さった。

 昼食をとり早速撮影を開始する。祭礼日ではないのでどこも扉の閉まったままの社殿を周囲の風景を入れながら撮るのだが、さすがにうだつの上がる町。古い町並の中ではうだつのすぐ横に社殿が設置されているケースが多く、たいへん絵になる。当日は空気が澄んでおり、また高い建物がないのでうだつの上がる旧家が山々の背景と相まって、名古屋では絶対に味わうことのできない光景をつくり出している。屋根神さまは町の文化としてとらえてきたけど、岐阜を旅しながら自然が近くに感じられる雰囲気もまた一興とひとりほくそ笑んだ。

 さて、当日に筆者が確認した屋根神さま(当地では秋葉さまと呼ばれている)は、13社。そのうち大半を屋根に確認することができた。祭神は前述したように秋葉神社が基本だが、町内によっては津島神社や伊勢神宮、氏神である八幡神社の札を入れているという。なぜ秋葉神社がまつられるようになったのか。はっきりした理由を調べたわけではないが、どうも立派なうだつの多さに関係するようだ。美濃のうだつは江戸時代におこった大火の教訓として火災を防ぐ知恵から屋根の両端に作り上げた。しかしうだつというのは自分の家を守るだけのものでしかない。周囲で大火が発生すれば、木造家屋が棟続きに建てられていた当時はなにかしらの被害を被ることは避けられない。そこで地域(町内)の安全を祈願するために火伏の秋葉信仰が普及したと考えられる。立派な社殿をまつる常盤町の鈴木家で聞いてみた。
 
 Q:この神さまはなにをまつっていらっしゃるのですか?
鈴木家:『秋葉さまといって、防火の神さまで、家ができたときからあるんですけどね。うちのものじゃなくて町内のものです。ひとつの町内に2つくらいずつあるんですけど、家が並んでいて祠をたてる場所がなくてたまたまうちにあるんですけどね』

Q:いま扉が閉まっていますけど開けてお祭りをすることはあるのですか?
鈴木家:『7月15日に「夜まつり」を行ないます。そのときに扉を開けて飾ってお物も置いて、そのとき神主さんに来ていただいてお勤め(お祓い)をしてもらいます。赤い提灯もかけます。もとは子供のための夜まつりなんですが、町内ごとにまつってある神さまのまつりなので、町内ごとに違う日にちに転々とあるんですね。この通りには三つの町内があり、もとは違った日にちでやっていたのですが、いまでは一緒にやるようになりました。夕方から夜にかけては歩行者天国のようになります。6月30日に行なわれる茅の輪くぐりから8月1日の花火までの間のひと月間、各町内で夜まつりが行なわれます。もちまきや相撲大会、ゲームなどが行なわれます』

 話を聞くと美濃の屋根神さまも名古屋同様、祠をまつる地所がなかったために屋根の上にまつったようだ。しかもこちらでは火伏というはっきりとした目的があるので、名古屋の屋根神さまのように津島か秋葉かという祭神起源について不透明ではないようだ。
 
※美濃市内屋根神さま所在一覧(筆者確認分)
1、殿町=田中家住宅。西向、軒下。うだつと丸型ポストに囲まれた神さま。
2、殿町=東向き。台上、箱型社殿。木製の箱型社殿で扉は閉まっている。
3、永生町=東向き、神域内。域内には秋葉常夜灯が設置されている。
4、本住町=松久家。南向き、屋根。
5、泉町=大石家。南向き、屋根。祭神には秋葉神社と伊勢神宮、津島神社、八幡神社の4社をまつる。7月10日の町内の祭、8月1日の川まつりの際に飾り付けを行なうという。
6、常盤町=森田家。東向き、台上。屋敷の東側に小さな神域を設けており、そこのコンクリート台上にまつられている。
7、常盤町=鈴木家。南向き、屋根。祭神は秋葉神社。上記参照。
8、相生町=小坂家。北向き、屋根。国の重要文化財である小坂家は造り酒屋の「小坂酒造場」。社殿は珍しく北向きである。秋葉神社をまつる。
9、魚屋町。東向き、屋根。岡家の南隣にまつられている。
10、俵町=林自転車店。北向き、屋根。構造上やむを得ず北向きにしているのだろうか。
11、加冶屋町=柴竹呉服店。南向き、屋根。祭神は秋葉神社と氏神の八幡神社。
12、米屋町=友禅屋クリーニング。西向き。軒下。
13、広岡町。西向き。旧美濃駅から近い。

メルマガ過去記事/第四十二号/05/5/25

■岐阜を訪ねる:必然的な出合い!? やはりあった大垣の屋根神さま

 5月25日、休みの最終日だが、絶好の天気である。にわか雨に降られた一昨日、そしてパンクに見回れた昨日とこのところあまり運気に恵まれていないのだが、だからといって今日のような晴天時に外に出ないのはみすみす運気を逃すようなものである。先日の竹鼻で刺激的な感動を得たので今回も岐阜を探索することにし、フィールドは以前より気にかかっていた水の都、大垣に向かった。

 大垣にはすでに何度も訪れたことがあるが、屋根神さま自体を目的に訪れたのは本日が初めてである。これまで岐阜市、羽島市(竹鼻)と見て回り、岐阜には秋葉神社をまつる小祠を町内で管理している実態が明らかになった。「名古屋よりも岐阜の方が多い」と耳にした噂通りの展開である。それならばこれから時間の許す限り見てみようということで、今回はそのほこ先を大垣に向けたわけだ。

 大垣の屋根神さまについて結論からいえば、現在は船町と宮町に1社ずつが残されているだけである。大垣駅の観光案内所で聞くと、市内の大半は第二次世界大戦の空襲で焼失しており、古い街並はほとんど残っていない。だが数軒ならあるかもしれないと教えられまずは船町に向かった。ご存知の通り大垣は水路の町で駅から近い距離に水路が引かれている。案内所でいただいたパンフレットをみると春には両岸を桜の花がうめ尽くしている。

 そんな水路に沿ってペダルをこいでいると数軒だが木造の民家が見られた。そして船町の交差点を渡ろうとしたとき通りの反対側の家に社殿を発見。建物の二階部分、窓の隣に設けてある。近所の方に話を聞いた。「これは愛知県にある津島神社がまつってありますよ。これって屋根神さまっていうんでしょ」。祭神に関して念のために秋葉神社はまつっていないか確認したところ「秋葉神社はないよ」と、先日訪れたばかりの竹鼻のほとんどが秋葉神社をまつっていたのとは対照的である。ちなみに最近ここの屋根神さまを見にくる人が多いという。「屋根神さま」という言葉は見にくる人たちが使っていたらしい。「大垣にはね、屋根神さまはここと駅の近くの宮町の二軒だけって聞いたよ」と情報も教えて下さったので、写真撮影を済ませ宮町に向かった。

 船町から先ほど通った道を北上し再び駅の方角に進んだ。町の各ブロックごとに張り付けられている町名表示を見ながらも古い民家はないか、あるならばそこに神さまはまつられていないか、を探すが、じきに宮町へ。自転車だとあっという間の距離である。町名表示で「宮町」の所在を突き止めて前を向いた瞬間、こちらも通りをはさんだ反対側の家の前に社殿を発見した。二社とも意外と簡単に見つかったが、感動は大きい。

 宮町の神さまは現在、鉄製のポールの上にまつられており、ポールには「宮町の秋葉神社」と書かれたプレートが張ってある。もとあった高さに備え付けられているのを見ると、本来ならばもとのようにまつりたかったができない、仕方ない、という近所の人々の気持ちを感じ取ることができる。まつってある家の方はその心境を、「この神さまはね、この家がまだ木造だったころ軒の上にまつってあったんだけど新築する祭に、苦肉の作でこうしてポールの上に乗せたんですよ。この辺りは神さまをまつる場所がないもんだでね、仕方なくだよ。以前はね、この辺りは三社あったらいいよ。だけどそれは戦前のもっと前の話でね、私は実際見たことなくてあったということしか知らないですね。」と話して下さった。

 なお、社殿は竹鼻で見られたものと似ており、流造でガラス扉付きの覆殿の中にさらにガラス扉の付いた木箱があり、その中に神棚が設けてある。また祭礼は毎年9月9、10の両日に行なうという。

 それにしても大垣の二社はそれぞれ津島神社と秋葉神社を主神としてまつっているとは面白い。簡単な推理だが、船町は水路脇にまつられていることから、「水天宮」といわれる天王社をまつったのではないだろうか。疫病や災害は水からもたらされる。津島神社は疫病除けの神さまである。名古屋市熱田区大瀬古の堀川端にも同じように水天宮として津島神社をまつる社が見られる。一方の宮町に関しては岐阜や羽島のように住宅が密集しており火事の危険性と隣り合わせだったことから秋葉神社をまつったのではないだろうか。このふたつの推理が正しいのならば、大垣ではそれぞれの地域の機能にあった神さまを選択してまつっていたという考え方もできるのではないだろうか。ただ、空襲で町の大半が焼けてしまっているので、空襲以前にまつられていた神さまについては不明だが。

 さて本日の大垣の旅はこれにて終了だが、ひとつ心配事が出てきた。岐阜市、羽島市、そして本日の大垣市が終わるとまた次の地域を選ぶことになるのだが、現在屋根神さまもしくは屋根上にまつられている秋葉神社を確認したことのあるエリアが岐阜に数カ所ある。この調子だと「岐阜の屋根神さまのある風景」という項目でブログができてしまうようだ。ブログ版の容量が底をつきつつある現在にあって急上昇中の岐阜シリーズの新しい展開については検討の余地ありである。

メルマガ過去記事/第四十一号/05/5/22

■祭礼レポート:羽島市竹鼻の屋根神街道を行く <下>

<「中心街」という名の商店街>
 江吉良から竹鼻駅方面に向かって歩く道は旧街道のように蛇行しながら通っており、道幅も行き交う車どうしがすれ違うのがやっとだ。すれ違いざまにお互いがスピードを落とし徐行しながら通り過ぎるさまは、道路の広い名古屋中心部では見かけない光景だ。車よりも歩行者を前提につくられている昔ながらの道のよさはこういったところにある。

 続いて北に向かって歩くと「中心街」とい名前の商店街に入る。道路の鋪装部分が緑色に塗装してあり、まさしく中心街をアピールしているようだ。しかも電柱に取り付けられたスピーカーから演歌が流れる、どこか牧歌的な商店街でもある。

 さてそうこうしているうちに中心街初の屋根神さまに出合った。「甘泉堂」という和菓子屋さんの向いの家の二階部分にまつられている社殿はまだまだ風雨を経験していないような美白が特徴。そしてその数軒先にもまた神さまがまつられている。以前美濃路沿いの枇杷島をその数の多さから「屋根神銀座」という愛称がついていたものの、廃社や消滅などでいまでは見る影もない。しかし名古屋市内から遠く離れたここ羽島には数メートル間隔を置いていまでも神さまを大切に守っている。きれいに手入れされた社殿と数の多さからその土地の人々の信仰心の厚さがはじめてその土地を訪れた旅人にもひしひしと伝わってくる。

 道路沿いの「門得寺」向いの民家には木造の社殿が一階屋根部分より少し低い位置にまつられている。扉は閉っているが上段が社殿で、下段は備品入れだろう。近所で働いている人に聞くと「おまつりしてある神さまは分からないが、町内でまつっているのんじゃないかな」とあまり詳しいことはご存知ないらしい。

 でもなぜかその社殿のことが気になった筆者は竹鼻町の市民活動の拠点である「まちかどステーション『一葉亭』」で話を聞いてみた。が、屋根神さまのことについては詳しいことは分からないとのこと。そこで「詳しいひとがいるよ」と知り合いの薬屋さんを紹介してもらった。

 「まつってあるのは秋葉神社で、ここらの『町内神社』だよ。まつりは毎月1日と15日で、扉を開けてお榊と供え物をまつるよ」。やはりここも秋葉神社をまつっている。地元の造り酒屋である「千代菊酒造」を過ぎて羽島市民俗資料館手前の民家屋根にまつられている社殿は外から秋葉神社のお札が確認できた。尾張や岐阜がそうであるようにこちらでも秋葉神社を単体もしくは数社のうちの一社としてまつるケースがほとんどだ。竹鼻は城下町としてではなく、長良川と木曽川を結ぶ逆川(さかいがわ)の水運で富みを得た商家の町として栄えた。そのためか屋根神さまをまつる家は大店であるケースが多い。大半が秋葉神社をまつるのも火事で財産を失うことを恐れたからという理由もあてはまるかも知れない。

 ここまで歩くとそろそろ竹鼻線竹鼻駅が近い。民俗資料館で小休止をとり、その後二ケ所で神さまを確認した。なお街道の終わりのような場所(マチからムラへの入り口のようなところ)には神域を持った秋葉神社が鎮座していた。さしずめこの町全体の火伏を担当する守神とでもいうべきだろうか。
 
 江吉良駅から竹鼻駅まで、距離にすると数キロだが、これほど多くの屋根神さまに出合えて幸せな半面、疑問も残る。なぜこの町にこれほど多くの屋根神さまが存在することになったのか。じつは前出の民俗資料館でその疑問をぶつけてみたが、このことについての書かれた資料がないだけでなく、把握もしておらず納得のいく解答は得られなかった。

 ただ一つ気になることを耳にした。竹鼻で毎年5月に行われる「竹鼻祭」では町内が所有する山車が町を練り歩く。逆川の水運が13台の山車を所有するにいたる巨利をもたらしたものと思われる。その山車には各車からくり人形が備えついており祭では演技を披露する。そのからくりの製法が名古屋で多く見られる形であるという。そもそもこの竹鼻という土地はいまでは岐阜県であるが、昔は尾張藩に属していたという。これが屋根神さまの縁起とどう関わってくるか分からないが、気になったので書き記しておくとしよう。

 最後に情報を提供くださったNobuさん、本当にありがとうございました。Nobuさんのおかげで屋根神さまだけでなく地域の人々とのすばらしい出合いに恵まれました。
感謝!

メルマガ過去記事/第四十号/05/5/21

■祭礼レポート:羽島市竹鼻の屋根神街道を行く <上>

 先日、ブログ版「屋根神さまのある風景」に一通の手紙をいただいた。読んでみると、岐阜県羽島市で屋根神さまを見かけたという読者の方からの情報のようである。すこし長いが紹介しよう。

 「yanegamiさん、こんばんは。(略)岐阜県羽島市で多くの屋根神さまを見かけました。(略)こんなに多くの神様をみかけたのは初めてで、びっくりしています。今回は天候が悪く、これより先へ行くのは断念したのですが、まだ神様があるのかもしれません。よろしければ訪れてみてください」

 その読者の方のコメントによると、屋根神さまが多く見られるというのは羽島市を通る名鉄竹鼻線江吉良(えぎら)駅付近という。羽島どころか岐阜についてはそれほど詳しく知らないので、果たして羽島・竹鼻とはいったいどういうところだろうか。屋根神さまがたくさんあるとは何を意味するのか? 期待に胸ふくらませて名鉄電車に飛び乗った。

 名鉄本線を笠松駅で竹鼻線に乗り換える。新幹線駅である羽島まで続く単線のローカル線だ。車窓からはところどころに昔ながらの格子戸をつけた民家が見られる。はやる気持ちを押さえきれずついその一階屋根に目をやるが、屋根神さまらしき社殿は見当たらない。屋根神さまが多く、今回の旅のスタート地点である江吉良駅は笠松より八番目の駅だ。竹鼻線の多くの駅がそうであるように江吉良駅も無人駅だった。

<新道(しんどう)>
 さて、情報にあるように駅からすぐ南の小さな踏切を越えて路地を進むと街道らしき通り(江吉良商店街)に出る。右(南)に回り通りを進むと東側の家の一階屋根部分に発見した。社殿はガラス扉のついた箱型。中には木箱型社殿が納められている。扉が開いており、神棚がまつられているのを確認した。

 さっそく近所の方から話を聞いてみた。「ここは新道(しんどう)2の神さまといって、まつっているのは氏神の野々宮神社と豊川(稲荷)さん、お伊勢さん、秋葉さん。この前の道は笠松からお千代保さんまで続く道で昔は商売屋さんが多かったんだわ。そんだもんで豊川さんをまつっとる。だいたいどこの町内も40軒くらいまつっとるよ。毎月1日に『年行事』が、まつりの準備をするよ。ここの神さまは以前は路地の中にあったけど、事情があって、2月か3月だったかな、いまの場所に移転したんだわ」
※『年行事』=町内の行事を受け持つ当番で、2年に一度交代する。

 この新道という地区は町内が1、2、3と区切られており、新道1の神さまは上記新道2の北側に位置する。水路脇、コンクリート台上にまつられている神さまの社殿を覆う覆殿は最近できたようだが、木造の社殿自体はかなり古そうだ。大きな箱型社の中に一社用の神棚が二つまつられている。付近の餅屋さんに話を聞いた。

「神さまは秋葉神社と伊勢神宮をまつっているよ。だいぶ前にぼやが出てね、そのとき秋葉山でご祈祷してもらいましてね。それ以来、火事はないね。コンクリートで覆ってきれいになったけど、輪中をふさぐ工事をするもんで2年後くらいにまた移転しなきゃいけないよ」「おまつりは毎月1、15日にやってるよ。『年行事』っていう当番が掃除したりお神酒やお供物をまつったりするよ」

 ちなみに街道の南側に位置する新道3の神さまは屋根の上にまつられている。名古屋で見られるような破風のある社殿でガラス扉がついており中が見える。中の社殿は閉まっていたが、社殿の下には祭礼時に使用するためか、木わくが備え付けられていた。

<街道を北へ>
 のっけから三社の屋根神さまと出合うことになり、気分は高まる一方だ。かつて山地英樹さんの写真集「なごやの屋根神さま」をカバンにたずさえて名古屋市内にある屋根神さまを探しはじめたころの気持ちに似ている。もちろん既に廃社になったり消滅した社もあったが、それでも地図とにらめっこしながら自転車で路地を抜け、三社の提灯が飾ってある屋根神さまを発見したときのうれしさは格別だった。まだあるはずだから次行ってみよう! という気持ちの高ぶり。今日はなんだか久しぶりの胸の高まりを感じてしまうのだ。

 そして道なりに進んだその時、西区旧六句町をほうふつとさせる神さまを発見した。なんと社殿が二つ並んでまつられているではないか。六句町とは違い赤い屋根の同じ形の社殿が双子のように並んでいる不思議な形態だ。祭神は不明だが、新道1の神さまが別の神棚に伊勢、秋葉の2社をまつっていたことから、こちらもそうではないかと思われる。

 その後も一定間隔でまつられている神さまを見ながら北上する。するとまたもやどこかで見たような風景だ。西区枇杷島の美濃路沿い、金物屋さんの入り口上にまつられている神さまがある。家(店鋪)を改築するさいに神さま用のスペースを設け、社殿をはめ込む形で納めている。美濃路にはほかにも医院の屋根にくぼみを作ってまつっている社もある。

 同じ金物屋さんの入り口付近ということでよけいな話をしてしまったが、竹鼻にもどろう。「リビング三浦」という雑貨店の入り口上、二階窓下部分に社殿がまつられている。新しく作られたような社殿の内部には、三社用の神棚が見られる。社殿前には提灯をつるす鉄製のポールを確認した。推測だが、こちらも店鋪を改築するさいに社殿ごと新しくしたのではないだろうか。どちらにせよ町の人々の信仰心の厚さを物語る光景に違いない。

メルマガ過去記事/第三十九号/05/5/15

■祭礼レポート:「津島神社祭礼」 西区則武新町

 かん高い鉦と力強い太鼓の音が町中に響き渡る。西区則武新町で5月14、15日の両日に行われた「津島神社祭礼」には三輪の山車である「石取車」が鉦と太鼓の音をお供に町内を練り歩く。名古屋市内では珍しい勇壮なお祭りに魅了され、筆者は西区に移住した当初からこのお祭りと町内に残る屋根神さまとの風景を写真に残している。

 今年は万博の関係で名古屋まつりが5月下旬(28、29日)に行われるが、石取車は重要文化財ではないものの西区を代表する山車としてエンゼルパークに集結することとなった。そこでは祭に欠かせない鉦と太鼓の演奏も行われる。

 それはともかく、則武新町に足を運んで4年目の今年も屋根神さまは筆者を待っていてくれたかのように、祭の装いで飾られていた。お供えに紫幕、熱田、秋葉、津島の三社の提灯、笹がまつられていた。「神様当番」の方に聞くと、「前はよう、このあたりも(屋根神さまが)ようけあったんだよ。だけど市営住宅を建てたときに全部なくなったなあ」と話してくれた。以前はそこら中にあった屋根神さまも今では2社を数えるのみとなった。

 津島神社前に集結した山車は午後2時半と6時半にそれぞれ町を練り歩く。筆者は14日は終日、15日は半日のみ撮影を行った。昨年は新聞にも祭の模様が紹介されたせいか、カメラを持った人々が多く見られたが、14日にはほとんどいない。

 「今年も来てちょうたかね」といろいろな方に声をかけていただけるのも毎年通い続けたことのご褒美のようだ。こうして限られた時間の中でも自分のことを知って下さる方がいるというもはうれしいものである。

 さて、山車は町内を練り歩いているが、今年のコースは屋根神さまの横を通る経路が少ないようだ。筆者が狙っていた位置には結局来ずじまいだった。でも今年は撮れなくても来年撮れるではないか、と考えるのは筆者のような部外者の甘い考えらしい。というのもこの地区でも他の地域がそうであるように子どもの数が減ってきているという。祭といえば以前は子どもたちが群がってきたものだが、現在ではそういった光景も一部だけとなった。

 名古屋の消えゆく風景として屋根神さまを撮りはじめたが、屋根神さまもさることながら、地域の連帯感を育んできた伝統的な祭礼とその主人公である子どもたちの姿が見られるのもいまのうちである、というのはなんとも寂しいことだ。

 なお、今回の撮影ではいろいろな方との再会、出会いがあった。この場をお借りして厚く御礼申し上げたい。特に(財)平野町町政会の三濃川理事長をはじめお祭りの役の方々には様々な情報をお教えくださったり励ましのお言葉もいただいた。ありがとうございました。

メルマガ過去記事/第三十八号/05/4/13

■お気に入りの道具:プラチナ社製 「PressMan」

 屋根神さまの撮影に向かうとき、必ず持っていくものがある。写真機材はもちろんだが、おまつりを行なう地域の人々や屋根神さまと関わりのある人々から聞いた話をメモするための道具、つまり筆記用具は必ず携行する。小学生時代、担任の先生から「どこかに行くときには必ず筆記用具を持っていくこと」と口やかましくいわれていた。当時はその理由も分からず、うっとうしく感じていたものだが、今となってその口やかましさが自分自身に染み付いたクセとなっていることを大変ありがたく感じている。

 屋根神さまの記録を行なうようになって筆者は、まず着ていく服に気をつけるようになった。といってもお洒落をしていこうなんて気持ちはさらさらなく、とにかく右胸にポケットのある服にこだわっている。理由は胸ポケットにメモ帳とシャープペンシル(以下シャープ。ときにはボールペンとダブルで)を入れておくためである。これは筆者が業界紙記者をしていた経験やだれかから教わったからというよりも、自然と身についたものだ。カバンの中に丁寧に筆箱なんかにペンを入れていてもとっさのときにはなかなか出ないもの。何かあった際にはすぐにペンを取り出せるよう、常に臨戦体制にしておく必要がある。

 普段、筆者は胸に1〜2本、カバンを持っていればその中に数本忍ばせておく。撮影途中のカメラの故障に備えてサブ機を持つように、シャープが壊れては正確な記録に支障が出てしまう。しかも筆者愛用のシャープは使い込むほど味が出るどころかガタがくるものなので、一本では心もとない。最近では胸ポケット用、カバン用、カメラバック用とスチュエーションによって持っていくものが違うので、それぞれにシャープを入れている。

 はじめての屋根神さま取材で地域の世話役のような方から屋根神さまの年中行事をはじめ縁起などを聞くことができても、その内容を記憶ではなく記録にとどめなくては意味がない。さらにメモ帳は帰宅すれば必ず目を通すようにしているので、「撮った写真を送って」などといわれたときにもその場でメモしておけば忘れることはない。どこのウマの骨とも分からない人間が未知の世界で人と知り合おうとするならば、当たり前だが細かい配慮が必要である。それがひいては貴重な人脈形成に役立つのだと思う。

 じつは筆者は記憶力がいい方だと思っていたが、時間の経過ともに鮮明な記憶も色あせてくるのは凡人の証拠。しかも数字など勘違いしやすいものは絶対そのときに書いておかなくては正確な数字を忘れてしまう(ときには書いていても間違ったりするのだが...)。

 さて肝心の筆記具だが、筆者はここ6年ほどシャープに関しては一種類をのぞいて使ったことがない。その一種類とはプラチナ万年筆社製「PressMan」 (プレスマン)。名前からすれば報道記者用(もとは速記用らしい)のシャープということになろう。形状はプラスティックでお世辞にも高級品とはいえないどころか一見すると安物に見えてしまう。しかもノック部のキャップがゆるいのでちょっとした不注意ですぐなくなってしまう。我が家にはキャップなしで消しゴムの露出した情けない姿の「PressMan」がそこかしこに転がっている。

 しかし欠点だけをあげつらっては愛用筆記具として紹介する意味がない。というより欠点を覆い隠すくらいの長所、つまり筆者が6年間使い続けているだけの価値がそこにはあるのだ。まず芯は、太さ0.9mmで濃さ2Bを標準使用する。これが何を意味するかといえば、メモ帳を見ずに話を聞きながら書いていても2Bだとちゃんと紙に写ってくれる。字がきれいか否かは別として後で確認できるほどであれば問題はないからだ。しかも話を聞きながらす早くシャープを走らせるときに限って芯が折れてしまいそうなものだが、 0.9mmはよほど力を入れない限り折れることはない。筆者は指でシャープをクルクル回す癖があり、そのせいでよく地面に落とすことがあるが、拾い上げたときに折れていることは意外と少ない。ちなみにプラチナ社からはPressMan専用の替え芯が売られているが、芯の種類はひとつだけ。もちろん 0.9mmの2Bだ。

 PressManとの出合いは、以前某新聞社で働いていたときのこと。そこではまだ「生原稿」(原稿用紙)を使っていた。そのため筆者も会社から支給されたシャープ(一般的な0.5mmのもの)を使っていたが、筆圧が高いためか芯がすぐ折れてしまう。そこで有名な「Dr.Grip」を使い始めたのだが、最初のうちはグリップ部のゴムが指先に馴染んで使いやすかった。が、そのうちどういうわけか指が疲れるようになった。しかも右手中指には大きなペンダコまでできてしまい、大変みっともない。ちょうどそのころだろう、ある雑誌を見ていたら、有名ライターによる「PressMan」を紹介する記事が目にとまった。早速試してみたところ、以前のように力を入れなくても濃い字が書けるではないか! とそれ以来の仲である。

 ちなみに先ほども触れたが、我が家にはかなりの数の「PressMan」が分散している。恐らくすべて集めたら10数本になるのではないだろうか。筆者にとってはカメラ機材よりも譲れない愛用筆記具となってしまった、というわけである。いまでは大きな文具店に行かなくては買えないようですが。

メルマガ過去記事/第三十七号/05/3/21

■JRに乗って、いざ、岐阜の屋根神さまを見に行く

 三連休の最終日である3月21日、かねてから屋根神さまの撮影にと考えていた岐阜市を訪れた。春の陽気を思わせる暖かな気候の中、最近の屋根神撮影で活躍している6インチの小径自転車であるHANDYBIKEを折り畳み、最寄り駅の金山からJRに乗った。岐阜までは快速を使えば20分ほどで着いてしまうが、久しぶりのJRである。ちょうど岐阜行の各駅停車がやってきた、しかも乗客はまばらなので、これに乗ることにした。

 前の晩に、岐阜の屋根神さまについて少し調べておいた。岐阜市内の観光地を扱ったホームページによると金華山の麓で長良川沿いの玉井町には昔からの町並みが残る地区があると書かれており、そこには一階のひさし屋根の上に木製の社殿をまつっている写真まで掲載されている。愛知県の尾張や三河地方の屋根神さまを自分の目で確かめたように、岐阜の屋根神さまも一度この目で確かめてみたいと思った。

 そもそもなぜ岐阜の屋根神さまの存在を知ったかといえば、それは偶然の産物である。以前、美濃や郡上に行く際にバスを利用したのだが、岐阜市内を走る車窓を眺めていたときに偶然、軒下にまつられている祠を数社発見した。そのときはすでに名古屋市内の屋根神さまの写真を買ったばかりのデジタルカメラで撮っていたので、屋根神さまが名古屋独特のものでないことを認識したきっかけが岐阜の屋根神さまだった。それ以来、美濃や高山など岐阜市以外では神さまを目にする機会が何度かあったが、岐阜市自体を屋根神さまを目的に訪れるのはこれが初めてである。

 列車内では本を読んでいたので、心なしか早く到着したようだ。改札を出て自転車を組み立てる。HANDYBIKEは組み立てるというより、寝かしてあるハンドルとシートを立ち上げるという表現がぴったりなくらい簡単に乗車態勢に戻すことができる。慣れれば時間にして30秒もかからないくらいか。普通の自転車に比べ、タイヤの径が極端に小さいことと一回こいでも進む距離が短いので乗り心地という点では到底及ばないが、携帯性(この場合、機能的である点も加えてモバイル性とでもいうべきか)はこれに勝るものなし。

 地図を見ると駅から玉井町までは長良橋方面行のバスに乗るといいが、時間もあることだしとそのまま自転車で向かう。名鉄岐阜駅(旧・新岐阜駅)前を3月末で営業終了となる岐阜市内線を横目に北に向かってペダルをこぐ。屋根神さまを見に来たのに大通りだけを走るのはどうかと道路際に立てられた地図のついた案内板に目をやると、走ってきた国道256号線と平走する形で「鮨街道」なる道を見つけた。街道というくらいだから昔からの町並みも残っているはずだ。

 大通りから街道へ。それほど多くはないが、防火壁である卯達がそびえ立つ立派な家や連司格子の似合う木造家屋が道路際に軒を連ねる光景を目にすることができた。もちろん初めての土地でするように目線は屋根の上にある。

 ここまで屋根の上に社殿を見つけることはできなかったが、長良川に上がる手前の道端に置かれた社殿を発見、秋葉神社と書かれた札がかかっている。かなり大形の覆殿の中には以前高所にまつられていたと思われる神棚が納められている。秋葉神社と書かれているものの神棚自体は三社用である。覆殿下部は備品を収める倉庫になっているようで、鍵がかかっていた。

 再び地図を見ると古い町並みが残る玉井町まではあと少し。犬の散歩をしていたおばさんに念のために聞いてみると「ここからすぐ近くだよ」と行き方を詳しく教えてくれた。言葉通りに自転車をこぐこと約3分、長良川の支流に沿うように曲がりくねった道を行くと木造の家が道の両側に見えてきた。自転車のブレーキをかけながら目線を家の屋根にゆっくり進むと、あったあった! ホームページに出ていた屋根神さまだ。社殿は四軒続く長屋のひさし屋根にまつられている。丸型屋根で祭礼日ではないので木製の扉は閉じられている。名古屋でも見られるようなオーソドックスな形態だが、神紋は見当たらない。偶然その家に住む方が家に入ろうとしていたので、まつっている神さまは何かを聞いてみると「伊奈波神社だよ」との返事が返ってきたので、えっ、と思い反射的に「一社だけなんですか」と聞き返してしまった。するとその家の人はぶ然とした表情をしたので、「いやあ、秋葉さんとかはまつられていないんですか」と尋ねると、「ここではまつっとらんよ」。

 古い町並である玉井町の屋根神さまはその一社だけだった。なんだか拍子抜けしてしまったが、時間はまだまだたっぷりある。

 岐阜に行かれた方ならご存知かも知れないが、地図を見ると町名はじつに細かい。特に岐阜駅の南側から長良川にかけては一区画一町内といった感じを受ける。これは岐阜が金華山にそびえ立つ岐阜城を中心に広がるように発展した歴史ある町、ということの証で、まさに京都のようだ。各町内に一社、神さまがまつられていたとしたら、とてつもなく膨大な数になるではないか。そんなことを思いながら自転車をこいでいると家の角に見つけた。今町の神さまも元は屋根の上にまつられていたのではないだろうか。丸型屋根の社殿を石垣の上にまつっている。向きはまつる場所の関係上、西向きになっている。

 さらに進むと、久屋町には屋根の上に神さまを発見した。時代物のコーラの看板が出ていたことから以前は商店をやっていたと思われる建物のひさし屋根の上にまつられている。一見すると箱型の社殿のように見えるものは覆殿で、そのガラス窓からは丸型社殿の屋根部分が顔をのぞかせていた。中にまつられている社殿を元の状態で補強する目的で作られたのか。しかも屋根の上に設けられた階段に手すりまで取り付けられているのは名古屋を含めはじめて目にした。

 その後、岐阜駅方面に南下を続けるが、屋根の上にまつられている神さまはほとんど見られず、その代わりに台上にまつられているものや秋葉堂といわれるお堂形式のものが見られた。そこには秋葉神社であることを示すように石柱や板に「秋葉神社」と刻み込んでいるケースが多かった。

 昼食後は柳ヶ瀬商店街から金町を通って岐阜市内線の駅がある忠節に向かった。途中、秋葉神社を数社見かけたが、コンクリートの台上にまつられているもの、鉄製のやぐら上にまつられているものなど様々だ。秋葉神社が火伏の神であることから社殿の脇に消化器が置かれていたり、また町内の神さまということから町内に住む人の名札を張り付けた看板(というのか)が数社の社殿の近くに取り付けられていた。商店街から近い高野町では塀の上にまつられた社殿下に件の看板を取り付けていた。社の隣家の人によると、今でも一年に四回ほど祭礼を行う。祭礼時には社殿の周りに町内の人々が集まり金(こがね)神社から来た宮司が祝詞を上げるとのことだ。

 その後、忠節まで行き、3月いっぱいで廃線になる市内線に乗り名鉄岐阜駅に向かい帰途についた。市内線の車窓からも何社か発見したので、岐阜市内にある神さまの数はもしかしたら名古屋よりも多いのではないかとさえ思った。ただし玉井町の神さま以外はほとんどが秋葉神社一社のみをまつっているようなので、名古屋のものと同列に比較していいものかどうかは悩むところだが、「町内」という小さな集団によって守られる地域の神さまであることには変わりない。そういう面では名古屋よりも岐阜の方が伝統を守り続けている社会なのかも知れないと思う。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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