名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

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メルマガ過去記事/第三十六号/05/3/15

■干潟と万博と屋根神さま<下>

 さて、今月25日から名古屋市の近郊である長久手町と瀬戸市で愛知万博が開催される。名古屋に住みながらなかなか万博を実感することはできなかったが、開催が迫ってきて連日マスコミの報道の中に万博関連のニュースの露出が多くなるといつしか自分の中でのカウントダウンが始まっていた。かくいう筆者もこの半年間、地元で開催されるこのイベントに関わっていくことになった。日本といえば東京や大阪ばかりが取り上げられているなかで、名古屋を中心としたマチを国内外の人に見てもらいたい、という気持ちが強かった。名古屋に残る消えゆく風景を記録し多くの人々に知ってもらいたいと思っている私にとってこの機会を逃す手はないと思ったのだ。

 じつはご存知の方も多いとは思うが、今回の万博のテーマは「自然の叡智」、そしてサブテーマのひとつが「循環型社会」、万博の柱のひとつとして「環境に配慮した万博」という考え方で推進される。実際に万博会場でこの理想が100%体現できるかというのは疑問であり賛否両論あるが(万博開催そのものが環境破壊であるという指摘もある)、仮にそうだとしても会期終了後の名古屋がどうかわるかが大変楽しみである。環境への配慮として万博で採用される施策としては「パーク&ライド」、「ゼロエミッション」などがあり、ゴミは日常生活以上の分別(9種類)で会場内への外部からの持ち込み(弁当など)も規制される。いざふたを空けてみないことには分からないけれども、実際にはかなりの面倒であると思う。クルマ社会の名古屋では「クルマに乗って行けない=行かない」という人もいるだろうし、パビリオンで長い時間待たされたあげくに面倒なゴミの分別までしなくてはいけないのか、という怒りの声が聞かれるかもしれない。筆者も客として会場を訪れれば絶対そう思うだろう。でも藤前に来てみると、面倒臭いと分かっていながら名古屋人は真面目にやりこなしてしまうんだなあ(もちろんそうでない人もいるけど)、と妙に安心してしまった。

 筆者が小学生のときに開催された筑波科学博(1985年)では子供ながらに各パビリオンで繰り広げられた近未来のショーに胸をときめかせたものだ。一番思いで深かったのは夢の乗り物とうたわれた「HSST」、つまりリニアモーターカーである。ほんの短い区間ではあったが、宙に浮いた車体に身を任せると子供心にこれが未来なんだな、と自分自身のその後の生き方に多少なりとも影響を与えたかどうかは分からないが、その感動の余韻を今でも思い出すことができる。あれから20年、磁気浮上式リニアモーターカーは筑波ではなく少年の故郷・名古屋ではじめて開通した。

 だが20年の歳月でHSSTが夢から現実の乗り物になった半面、人間の生活は科学だけではまかないきれないことも分かってきた。科学が人間の生活を便利にする一方で環境破壊の一助となっている現実。人間同志のつながりも現実から仮想空間に広がりつつあるが、その分地域のつながりも希薄になり、犯罪が多発する社会になった。自殺者数もここ数年は年間3万人以上にのぼる。何かがおかしくなってきている。

 万博はあくまでも理想の追求事業であるが、そこで披露されたひとつひとつが時間をかけながらでも広く普及・定着しなくては意味がない。HSSTがリニモになるだけでなく、藤前を守った名古屋人の心が万博を通して多くの人々にその意味を問うてもらえるようになってほしい。環境を考えるという観点からなら青少年公園よりも藤前がいいと思うが、いくらラムサール条約に登録されていても満潮時に行けばただの海だし、干潮時に行っても単なる泥地には変わりない。派手なパビリオンはなくともそこでは干潟が何かを見て、泥に生きる生物の生きる声を聞き、飛来する鳥を見ながら鳥たちにとっては大切なところなんだと感じることはできる。だからひとりでも多くの人に訪れてもらいたいものだ。

 そして筆者にとって万博のもうひとつの意味は、屋根神さまという存在をさらに多くの人々に知ってもらいたい、という期待がこもっている。雑誌をはじめとするメディアでは名古屋が多く取り上げられている。新空港や万博の開催が拍車をかける。名古屋の景気はトヨタという巨大企業の存在なしには考えられないという「デメリット」もあるが、普段注目を浴びることのないわが故郷に国内外からの視線が集中する(するだろう)この機会をどうにか利用したいものだ。名古屋名物といえば食べ物や名古屋弁ばかりが先行しているような感がある。しかし藤前をはじめ地味だけど先進的かつこの地域独特のものが紹介されても面白いと思う。名古屋人の生活様式のなかでの屋根神さまなんて地味すぎるけど、各媒体で紹介された名古屋を見て関心を持って下さる方にはぜひ知ってもらいたい。それにはまず自分が何をやらなければいけないだろうか。
 万博まであと10日。

メルマガ過去記事/第三十五号/05/3/14

■干潟と万博と屋根神さま<上>

 久しぶりの冷たい空気に体がぶるっと震えたものの、空は晴天、しかも日曜日の朝ときている、こんな日は外に出かけない手はない。昨晩遅くまでかけて自転車のパンク修理をしておいたので、お出かけには万全の体制である。さてどこへ行こうかと思案しているとなんだか海が見たくなった。かといってポートタワーに日曜日にひとりで行くのは酷というものだ。インターネットを検索していると偶然、藤前干潟を扱ったサイトを発見した。早速地図とにらめっこすると、筆者が住んでいる熱田区からは十分自転車で行ける距離である。行きは自転車で走り帰りはあおなみ線にでも自転車を乗せて帰ればいいじゃん、という気楽さで、いざ出発とあいなった。

 藤前干潟に行く、といっても筆者に格別環境に対する「意識」があるわけではなく、むしろ干潟というものをこの目で一度見てみたいという思いが強かった。可燃・不燃・資源とゴミを毎日分別している身としては、一度くらいその存在を確かめてもいいはずである。ご存知の通り藤前干潟は、ゴミ処分場を建設する前に反対の声が起こり、計画は断念。そこから名古屋市がゴミ非常事態宣言を出し、現在市内で行なわれている分別回収が始まったいきさつがある。名古屋市民の普段の行いが本当に渡り鳥君たちの休息の地を提供しているのか、確認の旅である。

 家から藤前までは自転車でおよそ40分くらいだろうか。途中最近できたばかりのホームセンターに寄ったり食事したりで干潟到着は午後1半過ぎ。インターネットであらかじめ潮位を調べておいたので(13日は午後1時34分が干潮)グッドタイミングの到着だが、目の前に広がるのは海というよりも一面の泥地だ。これが干潟かあ...。数年前に一度訪れたことがあったがそのときは満潮時で干潟といえど本来の海の姿に変わりなかった。だけど今、目の前に広がるのはまさしく干潟である。

 干潟の手前の堤防には干潟についての説明が書かれた看板が立っている。以前はなかったのでラムサール条約登録後に立てられたのもののようだ。藤前干潟が渡り鳥たちにどのような恵みを与えているのか、それがひいては人間生活にも大きな影響を与えている、というようなことが書かれていたが、干潟そのものについての知識がない筆者には実感がわかない。

 堤防を降りて消波用に積み上げられた石を飛び越して海の方に向かうと焦茶色の泥地には海水はなく辺り一面泥の世界だ。しばらくそこにたたずみながら耳を澄ますと、ぴちゃぴちゃと小さな音が聞こえてくる。音の発生源が何か分からないが、恐らく干潟に住む小動物だろう。ちなみにそこいらの石をひっくり返してみると中から親指の先ほどの蟹が出てきた。泥地の先を見るとシラサギと思われる鳥たちがしきりに足もとを突いている。数は少なかったけど鳥たちがたわむれてる様子を見ることができたから、ここに来たかいがあったというものだ。

 筆者が目にした藤前干潟とは海水の引いた泥地だったが、もしこの干潟がなくなれば鳥たちはもう名古屋に立ち寄ることはないだろう。いや中継地点が消滅するわけだから「渡り」自体が成り立たなくなり越冬ができない、ということになるのだろうか。越冬ができないということは鳥たちは行き場を失ってしまう。となると鳥たちは鳥としての「生」をまっとうできなくなる。専門家ではないので本当にそうなるのかは分からないけど、筆者のような素人でさえそう感じてしまうくらいなのだから、深刻な問題として受け止めなくてはならない。そう考えれば、この干潟を守るために(建て前でも)面倒なゴミの分別を実践する名古屋の人々の行動はすごいと思う。

メルマガ過去記事/第三十三号/05/2/1

「月次祭見に津島再訪」

 1月22日以来、また再びの津島。先日もレポートした通り、津島の屋根神さまの祭神は熱田神宮の代わりに伊勢神宮がまつられているものの、基本的には名古屋と同じ三つの神社を祭神とする点を図書館で得た文献「津島の屋根神様」にて確認することができた。しかし文献が発行されてからすでに17年の歳月が流れている。そこで手に入れたばかりの新しい移動手段である「HANDY BIKE」の試乗もかねて冷たい風が吹くなか10日ぶりに津島を訪れた。
 
 先日訪れたときもそうだったが、当日も大変寒い。それ以上の言葉が思いつかないくらいの寒さだ。ニュースでは岐阜県などの山沿いの地方では積雪が70cmを超えたという(岐阜県郡上市)。しかし出発の朝は雲の切れ目から陽光がさんさんと輝いている。吹く風は冷たいが自転車に乗れば温かくなるはずだ。風邪が完治していないのが心配の種ではあるが、津島の月次祭を見てみたいというはやる気持ちも押さえられない。午後からは別の用事があるので午前中だけのタイムリミットを課し、熱田区の自宅を出発した。

 津島へは名鉄金山駅で弥富行電車に乗り換え20分ほど。輪行といってもBD-1のようにかさばることもなく、しかも機材はカメラ1台にレンズは2本の軽装である。ブログ版でもお伝えしたように今回のお供の「HANDY BIKE」はいっとき流行したキックボードを自転車に作り直したようなスタイル。自転車として乗れる状態はそれほど大きくなく、最大高さ、ホイールベースともに90cm。しかも折り畳むと高さはなんと43センチまで小さくなり、さらに重量は7.9キロときているからその名の通り持ち運びには大変便利な代物だ。ちなみに折り畳み方法は、まずサドルを降ろす。次にサドルの下側を内側に畳む。ハンドルをくるっと180度内向きに回して付け根を内側に折り畳む。これで出来上がりだ。

 津島駅でさっと自転車を組み立ていざ出発。駅からまっすぐ津島神社に伸びる天王通をひた走る。ついうっかりして地図と資料の「津島の屋根神様」を家に忘れてきてしまった。記憶をたどりながら津島神社の方向へと走ってみるが...。あっ、確かここに屋根神さまがあったはずだと、引き返してみるが、屋根神さまの社殿は閉じられたまま。古い社殿だからまっ仕方ないか、と大目に見ることにして次に進む。同じ天王通にあるもう一つの社殿を見ても提灯どころかお供物も見当たらない。筆者は午前9時少し前に津島入りをしているが、いくら冬といっても早朝とはいえない時間である。おかしいなあ、吹く風にブルブル震えながらペダルをこぐ。

 津島神社の朱色の社殿が視界に入ってきた。先日津島に来たときに津島神社へは行かずじまいでお参りしていなかったから、今日はどこの神さまも準備してないのかなあ。肩を落としてため息をつきながら馬場町にある公園の中を見るや落胆から喜びにかわる瞬間! 公園の中ほどにまつってある覆殿の扉は開けられ、6個の提灯が吊り下げられていた(写真をブログ版で掲載)。左から秋葉神社、天照皇太神宮、津島神社の三社の提灯がそれぞれ2個ずつが風に吹かれゆらゆらゆれていた。覆殿のなかにまつられた社殿の扉も開いており祭神のお札が確認できた。名古屋市内以外でのはじめての月次祭に感激してカメラを構えると、近所の老夫妻が神さまに向かって手を合わせてた。「写真撮らせてもらっていいですか」、「いいよ、撮ってちょうでゃー、珍しいでな」。

 しかし月次祭が行なわれているところはほとんど見当たらなかった。馬場町から天王通をはさんだ向い側の町、浦方町の白木造の立派な屋根神さまも、朝日でお社の白さが際立つだけで特別なおまつりはやっていない。先日訪れた神さまを記憶をもとにたどってみるのだが、どこも祭礼を行なっている気配はない。

 一方、南本町付近で見つけた「南三神社」は資料には掲載されていなかった社だが、天照皇太神宮と津島神社の提灯を吊るしており、お神酒や塩などが供えられていた。三社用の神棚の中央と向かって右側の扉が開いており、それぞれのお札を見ることができたが、秋葉神社はまつられてはいないらしい。コンクリート製の玉垣に囲まれた社殿は新しさが残っている。協賛者一覧が書かれた横には「平成十一年十二月吉日」と記されていた。

 その後、確認した社でも月次祭の模様は見られず残念な結果に終わったが、そもそも残念という言葉を使うのは間違いではないかとも思った。名古屋市内と津島市内では屋根神という共通点があっても、成り立ちや性質自体が別物である可能性もある。「津島の屋根神様」では名古屋市内に残る屋根神さまを挿入句に津島に残る社を論じていた。しかし形態は似ていてもその中身については最初から共通点のみを見ていくよりも、違うことを前提に見ていかなくてはいけない部分もあるのではないか。

 これまで尾張では小牧や犬山、瀬戸、三河では西尾や岡崎を見てきた。だがほとんどの社が秋葉神社のみを祭神としてまつってあるという現状から、「名古屋とは似て非なるもの」という前提を導入句として、のちに共通する部分を探っていったつもりだ。その証拠に「屋根神さま」という言葉よりも「秋葉さま」と祭神である秋葉神社を親しげに呼ぶ姿が大部分であるし、社によっては秋葉神紋が社殿の装飾として刻まれており、秋葉神社であることを示していた。残念な気持ちもないではないが、それよりも2回も津島の屋根神さまに出合い、しかも今回は月次祭の調査に来れたことを満足と思わなければ。

 結果的に津島では当初の目論み通りに月次祭風景を写真に納めることはできなかったが、津島という小さなエリアで名古屋とは似て非なる方法でまつられている姿をこの目で確かめることができた。津島は津島神社の門前として古くから栄えてきたマチだからそうした習慣が残っているだろう。だが愛知県にはまだまだ屋根に神さまをまつるという行為が行なわれている地域があるかもしれない。2005年もすでにひと月が過ぎた。名古屋以外の地域を見ることにより名古屋市内の屋根神さまの姿がより鮮明に見えてくることを信じ、小さな自転車と少ない機材で小回りを効かせながらフィールドワークを楽しみたい。

メルマガ過去記事/第五号/04/1/25

■月次祭レポート 1月1日 中区平和

 屋根神さまを撮り続けていると、あるパターンに気付くようになる。1、15日に月次祭を行うところ、1日だけ行うところ、年に数回だけ飾り付けを行うところなど、様々だ。中区平和にはお正月にだけ特別な姿を見せてくれる屋根神さまがあるので、2004年の元旦早々早起きをして現地に向かった。
                   
 中区平和は名古屋市内の中心部にありながら長屋や閑所などが多く残る。山地英樹さんの写真集「なごやの屋根神さま」には屋根や軒下にまつられた屋根神さまを平和地区だけでも数軒見ることができたが、現在同地区で見られるのは3軒のみ。そのうちの1軒を今回訪ねたのだが、通常の月次祭のときにはお供えは飾ってあるものの提灯をつるしてある光景を見たことがなかった。毎年1月2日か3日に現地を訪れて提灯を飾った写真を撮っていたので、ぜひ準備風景を写真におさめ、まつっている方から話を聞きたいと思っていた。そこで大晦日の12月31日、現地に出向き掃除をしていたおじいさんに準備を行う時間を尋ねた。「毎年8時半から9時にはやるよ」「もし準備する人がこなかったらわしがやったるでいいよ」と協力的な言葉をいただいた。
                  
 さて元旦の朝、自宅のある西区から名鉄に乗り金山駅で下車。7時50分ころに現地に到着、カメラを用意し三脚をたてる。すると8時10分ころに当番の女性が踏台らしきものを持ってきたので尋ねると今から神さまの準備を行うという。すかさず撮影にとりかかった。
 当日は正月ということもあってか、野菜や果物をはじめとする山海の幸を盛った三方は山盛りである。さらに社殿両脇には小さな門松を飾った。飾り付けは約30分ほどで終了。お正月だけに念願だった秋葉、熱田、津島の三社の提灯がつるされた。
                   
 その後、前日に準備の時間を教えてくださった方が出てきて神さまにまつわる話を聞かせてくれた。
 この閑所の奥に設置された神さまは長屋の人たちの守り神である。飾り職人をしていたというおじいさんの先代がまつり始めたもので、まつり始めた年代は分からないが相当古いものであるらしい。またこの神さまのおかげで長屋は事故や火災が一度もおこったことがない。「以前はのぼりを立てていたんだけどね。長屋の家が立ち退いていくにつれて人が減ったもんで、今ではやっていないんだわな。でも神さまに関することは率先してやってるよ。ご利益があるでね」。
 おじいさんの奥さまも出てきて下さり、神さまの話を聞かせてくれた。以前は12軒あった当番は今では5軒のみ。月次祭は1日は当番が行い、15日はおばさんが自主的に準備を行っている。提灯は今ではお正月にだけつるしているという。「いつまでできるか分からんけど、やれるうちはやるつもりだよ」。
 ここの神さまは屋根神さまじゃないんですか、と尋ねると、「屋根神さまは屋根にまつってあるのでしょう。ここの神さまは『町内の守り神』だよ」との答えが返ってきた。ちなみにこの町内で以前立てていたのぼりを見せていただくことができた。社殿下の収納庫に大切に保管してあったものを広げて下さったので、写真におさめる。のぼりには「奉納 三社御神前 組内安全」と染めあげられていた。
 
●プロフィール●
外形:切妻造(だと思う)、台上。
祭神:津島、熱田、秋葉
お祭りを行う戸数:5軒(1日のみ)
社殿年数:詳細は不明だが100年はたっているという。

メルマガ過去記事/第三十一号/05/1/8

「寒風吹き荒れるなか、那古野神社の宮司さんとともに屋根神巡り」
<西区幅下、中区丸の内>

 2005年を迎えて早一週間。元旦に屋根神さまを撮りに行き、今日もこうして写真を撮っている。今年一年、屋根神さまの写真を精力的に撮れますように、と屋根の上の神さまに向かって柏手を打つ。

 毎年1月8日、旧六句町(現西区幅下)の屋根神さまでは新年のお払い「氏神様祭典」が行なわれる。筆者にとっては今年で4回目である正月の風物詩に今回も参加して写真を撮らせていただいた。

 当日は寒風吹き荒れるなか祭事が執行された。例年、午前10時から開始されるが今年は少し遅れて10時半スタート。ニ体並んだ屋根神さまの前には「御神燈」と書かれた大提灯と「献燈」提灯2つ、「秋葉神社」と書かれた提灯がそれぞれ2つ吊り下げられている。また両社殿ともにそれぞれの神紋が染め抜かれた紫幕が張られ、本日の主役である向かって左側の天王社の扉が開けられた。

 10時半少し前に那古野(なごや)神社の宮地宮司が到着した。神主の装束に着替えを済ませたあと町内の人々が集まる社殿前に登場する。当日の参加人数は25人ほど。神事が始まる前までは準備風景などを撮っていたのだが、気温が低く寒風が容赦なくビルの間を通り過ぎるので、カメラを持つ手が凍りつく。社殿の前ではかがり火を焚いているので、凍てついた手を氷を溶かすかのごとく燃え盛る火にかざす。すると血管が急に膨張し血液が一気に流れ出すのを感じた。

 神事は宮地宮司による祝詞の読み上げと、町内有志が玉ぐしを捧げ、さらに宮司より今年一年の町内繁栄祈願で一通りが終わる。時間にして20分ほど。

 その後、宮地宮司と少しお話させていただくと、「今日はこのあと午後からもう一軒お祓いがあるんだけど、もしよかったら来てみますか? そこの町内会長さんが那古野神社の総代さんをやられていますから」と急きょ中区丸の内の祭事を見せていただくことになった。

 名古屋の屋根神さまの祭神といえば、熱田神宮、秋葉神社、津島神社の三社が一般的だが、地域によって祭神が少しずつ違うケースもある。那古野神社の氏子地域である名古屋市中区から西区にかけては同神社が天王社であることから津島神社の代わりとして祭神の一席を任されている。筆者が元旦に訪れた西区那古野の五條橋の屋根神さまも同じである。以前、宮地宮司から聞いた話によると、一昔前までは屋根神さまも多く残っていたので旧六句町のようにお祓いのために何ケ所か訪れていたようだが、今では旧六句町や西区樋の口町(1月2日)をはじめ数社を数えのみ。そのうちの一社にこれから訪れる旧泉町(現中区丸内)の「いづみ社」がある。

 「いづみ社」は筆者にとって当日が初めての祭事である。そういう場合は始まる30分前には現地に到着して準備の最中にいろいろな情報を得るのがベストだ。午後1時に現地に到着して待っていると社殿がまつられている場所の建物から人が出てきた。聞いてみると今から神事の準備を始めるとのこと。「宮地宮司からお聞きしたのですが」と写真を撮りたいむねを説明すると「いいですよ。私は那古野神社さんで総代をやっています」と返ってきた。期待に胸がふくらむ瞬間だ。

 じつは「那古野神社」の総代さんこと大西さんは、京町通(五條橋から東に向かう筋)の「大西人形本店」の社長さん。その大西さんから「いづみ社」についてあれこれ聞いたところ、今では地上に降りてしまっている社は以前は京町通沿いの民家の屋根にまつられていたという。これが何を隠そう山地英樹さんの写真集「名古屋の屋根神さま」の表紙を飾った屋根神さまである。社殿脇に「平成7年正月」と書かれた札がたっているがちょうど10年前、屋根から現位置に移されたのだ。

 社殿は大西人形本店のあるビルの入り口にまつられているのだが、本来ならば花壇を作ろうとしていた時に移設話が出たことでまつるようになったという。社殿は結婚式場で使われていた神殿を使用し、中にはかつて空襲で焼け残った那古野神社の御神木がお札とともに奉納されている。祭神は那古野神社を中心に秋葉神社と伊勢神宮で以前は白山社をまつっていたというが、伊勢神宮に切り替わったという。

 さて再び宮地宮司も登場し、旧泉町の町内の人々もビルの一階の駐車スペースに介した。参加人数は15人ほど。旧六句町と同じように祝詞に続いて町の代表者が神前に玉ぐしを捧げる。そして宮地宮司の町内繁栄祈願で幕を閉じた。

 じつは神事が始まる前にちょっとした、いや筆者にとっては重大な事件が起こった。現場に到着し撮影の準備でカメラをバックから取り出そうとした刹那、なんとカメラボディにしっかりと取り付けられていたはずのカメラがコンクリートの地面に落下し、鈍い音を上げた。すぐにひろいあげてみるとピントリングが妙に重くなっている。ボディに取り付けオートフォーカスを試してみてもレンズの中に組み込まれた超音波モーターがのろのろとしか動かない。超音波がこれではカメではないかと怒っても時すでに遅しだ。仕方なく修理センターに搬送し、サブ機を使って撮影を行なった。ちなみにこのサブ機、持つところが金属なので素手でもっているとかなり冷たい。さらに冷たい風がここでも容赦なく吹き荒れる。屋根神さまを撮るということはあらゆるアクシデントやバッドコンディションに耐えるということを身をもって知ることとなった。

メルマガ過去記事/第三十号/05/1/4

■お正月の風景 西区那古野界隈

 西区に住んでいたときは年末年始も通常も関係なく近くの屋根神さまを撮影していたものですが、熱田区に引越してくるとさすがに毎回西区に通うというわけにもいかなくなってきます。ですが、しめ縄や門松など正月という特別な装いを身にまとった屋根神さまを、やはり見てみたいものです。そこで毎年のことですが、今年も西区に出かけてしまいました。

 じつは昨年初めての雪が降った大晦日にも西区内の屋根神さまを数カ所訪れました。さすがにまだ準備をしていないところが多かったのですが、社殿の小さな屋根に雪をかぶった屋根神さまもいいものです。

 ところで元日は西区那古野近辺を訪れました。以前に消えるかもしれないと書いた名古屋一有名な四間道の屋根神さま。存続に関すする消息は知ることができませんでしたが、私の仕事はまず写真を撮ることです。ちょうど現場に到着しカメラをセットしているころに飾り付けの準備をする方が出てこられました。四間道といえばかつての豪商の蔵が並んでいるのですが、屋根神さまを撮りながら、その奥に見える蔵の屋根にもうっすらと雪が残っていました。

 さて次に向かったのは円頓寺商店街の東側にかかる五條橋のたもとの屋根神さまです。こちらでは一時間ほど待ってようやく撮ることができました。茶色い銅板が張られた新しい社殿もそろそろ慣れてきました。筆者は改築以前にも撮っているので朽ちかけた屋根神さまが本当にきれいになったなあ、と写真を撮るたびに感動しています。

 そのほか1月2、3日もカメラをかついで市内をはじめ西春日井群西批杷島町や小牧市にも足をのばしました。名古屋市外では飾り付けや神事を行うのは元日だけのようで、筆者が訪れたときにはすでに下げられたあとでした。

メルマガ過去記事/第二十九号/04/12/31

■2004年の編集後記
 早いもので2004年も残すところあと2日。今年は本当にいろいろなことがありました。じつは7月ころから精神的にまいってしまうようになり軽い「うつ」と診断されました。写真を撮っていても全然面白くない、何のために撮っているのだろう。そう考える日が多くなり、7月はとうとうカメラを手にすることさえできなくなってしまいました。

 しかし8月のある日、親戚のおじさんのひと言が救いとなりました。それまでは写真に撮るだけだったのですが、デジタル化をして多くの人に公表しなくてはとのアドバイスをいただき、そして立ち上げたのがブログ版「屋根神さまのある風景」(http://yanegmi.exblog.jp)です。

 今年の後半はこうして撮影・執筆・ブログ作成・メールマガジン発行の4本立てでがんばってきました。すでに「うつ」はなくなり、写真を撮る喜びが復活してきました。月次祭はじめ秋祭、秋葉祭、そして各地の屋根神さま。行く先々で厚くもてなして下さった地域の方々、屋根神さまについて多くのことを話して下さった方々へ。私がどうにかここまで写真を撮ることができたのも、周囲で支えて下さった皆さまのおかげだと思います。またメールマガジンやブログを通して叱咤激励をいただいた皆さまにもお礼申し上げます。ありがとうございました。

 2005年は今年以上に取材・撮影に力を入れ、消えゆく名古屋の風景を撮り続けていきたいと思っています。ご声援よろしくお願いいたします。

メルマガ過去記事/第二十六号/04/11/29

■屋根神さま探訪記(三河・西尾編)
「抹茶の町、西尾の旧家で三河の屋根神さまと出合う」

 最近20代と30代の大きな違いはなんだろうかと考えることがある。身体的部分、精神的部分様々あると思うが、自分自身の中で最も大きいと感じられるのは、「思い立ったときにすぐ行動できるか否か」、である。以前は考えるや否や行動していた。学生時代やアルバイト時代は「これやりたい」「これなら面白そうだ」と考えるとすぐに行動に移してきた。歩いて韓国の釜山からソウルまでを旅したり、沖縄を縦断したり琵琶湖を一周したり、ハタから見れば何してるんだと思われることでも自分が「面白い!」と感じることなら周囲の雑音は関係なかった。

 しかし30代に入り、数年会社生活を経験する中で必要以上に考えるクセがついてしまった。一つの行動に対しても「これをやったらこうなる」「面白そうだけど後がややこしい」などと考えこむ。そんなことだから冒険できないんだ、と思ったりもするが、果たして「冒険が必要か?」などと考えてしまう。人生としを経るに従い保守的になるというが、とうとう自分自身にもあてはまるようになったということか、と思うとなんだか寂しい気持ちだ。

 前置きが長くなったが、そんな気持ちとは裏腹にその日は「行こうと決め行ってしまった」珍しく例である。インターネットで「屋根神」を検索していたら三河・西尾で屋根神さまをまつる写真を掲載するページ(西尾まつり肴町大名行列ホ−ムペ− ジ、アドレスが下記)を見つけた。これまで尾張中心に探してきたが三河では初めてである。これは是非みたい、いや見るべきだという心の声が高まる。その日は午前中家で仕事をし午後1時にはどうにか片付いたものの、名古屋市内からでは西尾までとなると時間がかかりそうだ。名鉄ホームページで時刻表を検索してみると、急行西尾行きがちょうどいい時間にあるし、明るいうちにその屋根神さまだけでも見ることができればいい。そんな気軽な気持ちが旅に向かわせた。

 金山で乗り終点西尾までは約一時間。駅で買った菓子をつまみながら本を読んでいたらすぐの距離である。案外遠くない。駅を出て目指すのは西尾市肴町(さかなまち)。駅の西側を歩くこと10分、商店街になっているのか鉄製のアーチが立てられ「さかなまち」とひらがなで書かれていた。ホームページを何度か見ていたので見覚えのある風景である。目線を上にして歩いているとお目当ての屋根神さまをまつる
「平井たばこ店」にたどり着いた。

 二、三枚軽く写真を撮り、さらにないか確かめるべく歩を進めるが、古い家々が残る街並も肴町を過ぎた辺りから少なくなった。仕方なく引き返して再び屋根神さまのある家に戻った。

 ここでまた写真だけ撮って帰るのは惜しいと思い、吸いもしないたばこを買ってついでに話を聞いて見ることに。玄関の隣に一間ほどのたばこを商うスペースがある。まちのたばこ屋さんといえばよく思い出されるそれだ。昔ながらの家だからこそどことなく懐かしく初めてだけど親しみが感じられる。そしてその上に屋根神さまがまつられている。

 たばこを買いがてら「ここの神さまは古いんですか」と月並みの質問からくり出すと「これだいぶ古いですよ。文化13年だから今年で194年かしら」。一瞬耳を疑った。文化13年? といっても手元にある西暦と年号の対照表には「文化」までは載っていない。「相当古いですね」と答え自分が名古屋からきたこと屋根神さまの写真を撮っているむねを説明すると親近感を持ってくれたのか玄関先の上がりかまちに腰掛けさせてもらいながら話を聞くことができた。

 屋根神さまがまつられている「平井商店」こと平井家は現在九代目で五代目はシーボルトに学んだといわれるほどの西尾の名家である。「もとは庄屋だった」いわれる家の歴史は古く、見せていただいた「愛知の民家」(愛知県建築学会編)には家の見取り図が掲載されており茶室や蔵もあるというだけあってその広さは筆者のような庶民にはうらやむばかりである。しっかりとした梁、玄関の内側に取り付けられた吊り上げ大戸などの個々のアイテムにもその家の歴史が感じられる。

 ところでメーンの屋根神さまについてもいろいろと聞いてみた。文化13年につくられた神さまには秋葉神社の札が納められ、「屋根神さま」や「肴町の秋葉さま」と呼ばれている。祭祀は肴町の町内でおこなっており、祭礼日は7月の「祇園さん」、西尾まつりの「大名行列」のときに行う。そのときには社殿の扉を開け提灯や紫幕、供え物を飾るという。お札は当番が遠州秋葉山の秋葉神社に代参し町内の札と各家庭の札を受けてくる。屋根神さまに関する祭事は一年に一度大名行列のときだけにおこない、正月をはじめ月の祭礼はないという。

 さらに「数年前、神さまがだいぶよごれていたので新しくしたんですよ。新しいお社にしてすぐは違和感ありました。なんせ前のは家の色と同じだったからね。白いお社が目立ってしまって。いまは少し慣れてきましたけど」。たしかに文化13年につくられたものにしては新しい。じつは筆者が見たホームページにはその取り替えの模様が掲載されているので、そちらを見ていただいた方が詳しいだろう。なお社殿のなかにはさらに札をおさめる本体が入っているが、それは当時つくられたものをそのまま納めている。

 名古屋で屋根神さまの写真を撮らせていただいているときに社殿や祭礼具をおさめる箱を見せていただくことがある。そこにまつりはじめた年代などが記載されているものの、私が見た限りでは明治期が多かったが、上には上を行くものがあるようだ。しかも屋根神さまの無風地帯と思っていた三河で。

 その後、再び写真を撮っていると「熱いお茶でもどうぞ」とお茶とその家でできたと出された柿のご接待をいただいた。そしてその家にまつわる貴重なお話を聞くことができた。屋根神さまを通していろいろな出会いがあったが、その日もまたすばらしい出会いをいただいた。筆者にとってはいただいた柿の甘さと同じくらい甘美な時間だった。

メルマガ過去記事/第二十四号/04/11/25

■屋根神さま探訪記(犬山編)
「犬山で秋葉さまと感動の出合い!」

 最近、外を自転車で走ると冷たい風のせいで手がかじかんでくることがある。早いもので冬の訪れを肌で感じられるようになった。冬といえばスキーやスノーボードなどウィンタースポーツの季節。筆者も最近知り合いから「今年スノボどうですか?」と誘われたが、いまだ返答に窮している。スノボは冬しかできないかもしれないけど来年だってきるじゃないか。しかし屋根神さまは今年はあっても来年はない可能性も否定できない。四季折々の移いを屋根神さまに感じながら写真に撮るのが私の仕事。しかも12月には一年のなかでも重要な秋葉祭が行われるので気が抜けない。屋根神さまにバケーションはないのだ。

 と、偉そうなことを書いてきたが、かといって自分が人より偉いわけでもなくスノボに行かない、いや行けないのは財力と単に滑れないだけで、屋根神さまは口実に過ぎませんのであしからず。

 ところで前置きがだいぶ長くなったが、先日の小牧取材に続き尾北の屋根神さまに出合う旅の一環として、今回は犬山を訪れた。

 犬山は犬山城を中心に街が形成されているようで街自体も碁盤の目のように東西南北に規則正しく整備されている。各通りには名前が付けられており、格子戸がついた家々が歴史を感じさせる。

 犬山について予備知識を持っていない状態で旅立ったのでまずは駅前観光案内で散策地図(「イラストマップ」と「犬山城下町案内図」)をもらい昔の街並が残っている場所を聞いてみた。そこを目安に探せば屋根神さまが見つかるかもしれない。
 携行していた折り畳み自転車を組み立て駅を出るや否や、朱色の鳥居が目についた。鳥居に「冨士見町守護神」とかかれた秋葉神社だ。名古屋市内の屋根神さまはご存知の通り熱田、秋葉、津島の三社をまつるが、地方によっては秋葉、津島を単体でまつる小祠が見られることがある。しかも犬山は名古屋型の山車が多く現存されているといわれるだけに、山車のあるところ神さまあり、と期待もふくらむ。駅前の秋葉小祠の社殿は神明造とさほど珍しい形態ではないが、さい先よいスタートとなりそうだ。

 地図を見ながら自転車で街をめぐる。地図には見るべき旧家に印がついているが、実際走ってみると狭い路地や地図上に出ていない古い町家が目についた。鍛冶屋町から練屋町へ。すると背の高い山車蔵の前に神さまがまつられている。社殿には神紋などはなく祭神の判別が難しいが社殿のすぐ横に火の用心と書かれた木箱が設置されておりさらに横には防火を訴えるポスターがはってあるので、防火の神さまの秋葉神社だろうと確信した。さい銭箱に目をこらすとだいぶはげてしまった字でうっすらと秋葉神社と書いてあった。

 犬山の下町には今でも昔のたたずまいを残す町家が残っている。明治24年の濃尾大地震により卯達もあったといわれる当時の風景は一変したがその後は頑丈に再建された。しかも犬山市はこの街並を伝統的建造物保存地区として守っていこうとしているので、その努力の成果ともいえる街並は懐かしい気分にひたるには最高である。

 ところで町家の屋根を見ながらペダルをこいでいるが、高いところにまつられている神さまは見当たらない。じつは数年前に犬山を訪れたとき一社見つけたのだが、それから当日まで訪れていなかったので、確かめに行くことにした。

 犬山城から伸びる本町通を南に下り地図上の外町にその神さまはまつられていた。昔ながらの家の一階廂屋根の上にまつられている。木製の木箱に扉はガラス戸になっており、扉には両側に秋葉神社の神紋である葉団扇の紋が取り付けられている。中には一社用の神棚が見える。社殿をまつる形態は名古屋でも見られるものだが、このスタイルの社殿は名古屋にはなく以前岐阜の高山で見かけたものと類似している。ちなみに社殿上部に白くみえるのはハトなどが入らないよう鳥除けであるらしい。

 近所の方は、「もとは隣の閑所の入口の上でまつっていましたけど、隣の家を壊すときに屋根の上に上げました。移動しようという話が出たけど神さまだからね。ここのがいいということで今の位置でまつることにしました。町内でまつっていて、7月15日に近くの秋葉神社と一緒にお祭りをやります。こういう形で上に上げている神さまはここしかないのでは」と話してくださった。

 たしかにその後随分探してみても、地上の小スペースにまつられた秋葉社や津島社を見かけることはあったが、屋根神さまといわれるものには出合っていない。犬山には屋根神さまはないのだろうか、と思った矢先、珍しいものを発見した。

 家の入口の上、つまり軒下に一社用の神棚をそのまままつっていた。これを果たして屋根神さまと呼んでいいのか、筆者には判断できかねる。じつはこの形態は名古屋市西区の小田井地区でも見られ「西区の屋根神さまマップ」(西区役所まちづくり振興課)の中でも紹介されている。犬山ではこのほかにも古い家の玄関の上に木製のお札入れをまつっている。よく見るとお寺のお札らしいが一枚だけでなく数枚一緒に入っている。両者を同じものと扱っていいのか分からないし、これを屋根神さまの仲間と分類できるのかは分からない。筆者の推理では、地上にスペースがないから屋根や軒にまつり始めたといわれる屋根神さまとは違う。私の家の玄関にも盗難除けのお札が張ってあるのだが、それに近いのではないか。お札を張っていたのだが、紙をそのまま張れば風雨にさらされるとすぐはがれてしまう。しかもそれが数枚となればはがれた姿はみっともないものだ。そこでこのようなお札専用の箱を考案し軒先に取り付けておいた。果たしてそれが正しいのか分からないけど、犬山ではよく見かけられる、独特の風景である。

 結果として屋根神さまと同じ形態の神さまとは一つしか見つけられなかったが、それ以上に犬山の古い街並が気にいってしまった。それだけでもお得な旅だったようだ。
 
<交通>
 当日の筆者は名鉄神宮前駅より犬山線犬山下車。市内を散策する場合、駅に隣接されている観光案内所で地図などをもらってから出発しよう。私は自転車を持っていったけど歩きでも十分。ちなみに文中の屋根神さまにいくには犬山駅から駅前の御幸通を西に進み眞野家住宅のある本町交差点を左折し南に下ればあります。犬山口駅からは駅の北側、出来町交差点に出て、さらに北側に歩けば左手にあります。

メルマガ過去記事/第二十五号/04/11/28

■屋根神さま探訪記(瀬戸編)
「焼きのものまちで屋根神さまを探し歩いてみる」

 屋根神さまは名古屋独特の信仰か? その疑問を解き明かすため名古屋以外の屋根神さまを探して小牧、犬山を歩いてきた。小牧では名古屋と同じ形状の社殿が見られ、犬山では屋根にまつられている秋葉さまと出合った。そしてさらに名古屋以外の屋根神さまとの出合いを求め、名古屋東部、来年「愛・地球博」(愛知万博)が開催される瀬戸を歩いてみた。
 
 名古屋の中心・栄から瀬戸電に乗って30分余り、陶器のまち・瀬戸に到着。始発の栄町駅と東大手駅は地下駅だが大曽根に向かうにしたがって高架へ、すると車窓も周囲の建物を見下ろす景色に変わっていく。さらに守山から尾張旭にかけては家々が点在しはじめ郊外色が強くなっていく。久しぶりの瀬戸駅。以前は仕事で訪れた瀬戸。まさか屋根神さまを求めやってくるとは思いもよらなかった。

 まず犬山でと同じように観光案内所で周辺地図を入手する。小牧でも犬山でもそうだが、名古屋のように屋根神さまが集中してかたまっている場所が分かればいいが、事前に情報を得られない場合はその土地の古い街並が残る場所か、街道沿いを探すことにしている。滞在時間が短いだけに狭い地域で徹底的に探すことが肝要だ。

 観光案内所を出てすぐアーケードのある末広商店街に入る。商店街を歩くと古い建物もちらほら見かける。アーケードのおかげで外にある家よりも色つやがあり若々しいような気がする。松千代旅館もその一つ。屋根に注意しながら歩いていたら一階ひさし屋根の上に祠を見つけた。社殿自体は名古屋で見なれたものと比較しするとじゃっかん小さい気がするが、建物とのバランスもよい。建物は現在ギャラリーとして使用してされているようだが、その昔全国から瀬戸物を買い付けにきた商人たちが利用
した旅館であると、説明書きがされていた。

 自転車でふらふらしてみるが窯元が多い山側には古い建物があっても屋根神さまらしきものは見当たらない。まち側に降りてきて偶然曲った角の右手にブロック塀の間に社殿を埋め込んだ神さまを見つけた。正確にはブロック塀二列分を取り除き、そこに木製の箱をはめ込みなかに社殿を取り付けたという形。どの地域でも見られるが、神さまのまつり方にマニュアルはないというように、屋根にまつったり塀の上にまつったり新しい家の壁に埋め込んだりと様々だ。それだけ神さまに対する畏敬の念を抱き、地域の安全、ひいては自分自身の安全を守っていきたいという願いの現れなのだろう。しかし祭神をうかがわせる神紋やお札などが見えないのでどの神さまをまつっているのか不明である。

 この神さまを屋根神さまとして分類していいのか分からない一方で、名古屋のそれに近い神さまを見つけた。宮前橋を南に進み突き当たりを東に折れてすぐの店の物置きの上にまつられていた神さまには秋葉神社と津島神社のお札が納められているのが見えた。神明造の社殿は天王社で見られる赤い玉垣で囲われていた。社殿にかぶさるような覆殿にはフックのようなものが取り付けられており、祭礼時には提灯などで飾り付けを行うのだろう。

 再びまちの中心に戻り銀座通り商店街に向かう。商店街を西に進みアーケードが終わった辺りで空中に祠らしきものを見つけた。よく見ると鉄製の脚上に社殿がまつられている。ここでも祭神を示すものなどはなかった。名古屋でも小牧でも見かけるようにもとある場所を新改築したさい神さまを降ろしたり祭を放棄せず、もとの位置にまつろうという意志が感じられる方法だと思う。

 瀬戸のまちで屋根や高いところにまつられている神さまのほかにも地域の守護神として地上にまつられている神さまも多く見かけた。なかでも天王社が特に目立った。赤い玉垣に覆われているものや社殿時代が朱色のものなど様々だ。社殿をまつる近所のおじいさんに聞くと「この辺には天王社といって津島神社を各町内で一つずつまつっとるよ」という。秋葉神社は一緒にまつらないのかという問いには「秋葉神社は山を上がったところにあるで」と教えてくれた。その秋葉神社に行ってみると旧東海道で見られるような立派な常夜灯が立てられている。さらに驚いたのはその町名、なんと瀬戸市秋葉だった。

 焼き物のまち瀬戸は窯元で火を使うために秋葉信仰が盛んであると聞いたことがあるが、この秋葉神社はまさに瀬戸秋葉の中心的存在なのだろう。ではお天王さまこと津島神社が多く見られながらも合祀しないのは、津島神社は各地域のもの秋葉神社は瀬戸全体のものという意識があるのだろうか。残念なことに祭神を確認した屋根神さまは一社だけ。その一社には秋葉、津島の両社がまつられていた。取材当日が祭礼日でなく話を聞ける人にも出会わなかったため疑問を残して帰りの瀬戸電に乗り込むこととなった。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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