名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市西区:菊井・名駅

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

「提灯は高いところに上げんならんでしょう、危ないもんでお祭のときだけにさしてもらうことにしたんだわ」

以前、テレビの取材を受けたとき、担当のディレクターと名駅近くにある屋根神さまを見て回った。

円頓寺商店街で待ち合わせをして名駅、菊井町にまつられている屋根神さまをVTRに納めていく。

「菊井町に変わった屋根神さまがありますよ」

小公園内にまつられている社に案内したものの、お供えだけで提灯は出ていなかった。
聞けば、ビール箱のような台に乗らないことには提灯をつるせず危ないので、特別な祭礼日以外にはやめてしまったという。

先月の月祭のときもお供えだけで提灯はなかった。

今月、栄生から名駅方面に向かって歩いていたとき、偶然菊井町を通った。
どんぐり広場はいつになくにぎやかだった。

五社の提灯を飾る神さまは西区だけでなく市内でも珍しい。

「ここの神さまは提灯を五つ飾るで珍しいでだろう」

社を写真に納めながらニヤニヤ笑っている僕に、ゴミを出しにきたおじさんが声をかけてきた。

「そうですね、珍しいですね」

知らないフリをしてそう答えた。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

押切から菊井町にかけて伸びる一本道。
そこには、大型かつ立派な社殿がまつられていた。

屋根神さまを見て歩くイベント「屋根神ウオーク」を開催するにあたっても、このルートは外せなかった。

しかしここ数年、この一本道に異変が起きた。

押切交差点に近い北端の神さまが消滅した。
小さくとも神域にまつられたミニ神社だった。

大型の唐破風屋根を持ち、月祭では熱田、秋葉、津島だけでなく伊勢神宮と氏神である浅間社を加え五社の提灯が並ぶ屋根神さまでは、普段の月祭で提灯を出さなくなった。

そして躍動感あふれる竜の彫刻に宮大工の心意気を見た屋根神さまは、十月一日に訪れると隣接していた家屋とともにその姿はなかった。

一本道沿いの祭礼省略化は数年前から見られたことだったが、なぜここまで…

愛知万博の開催以降、菊井町では老朽化した工場や築年数の古い長屋が、軒並みマンションなど新しい建物に変わった。

加速度的に見慣れた風景が変化していけば、ひとの意識にも大きな影響を与えるのかもしれない。

まつるひとびとの高齢化や社殿自体の老朽化もあろうが、目の前の風景の変化にひとの意識も少しずつ適応していくのだろうか…

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

「屋根神さまって西区の那古野辺りに多いでしょ」

屋根神さまに興味があって写真を撮り歩いていると話すと、このような反応が返ってくることが多い。

名古屋市の町並み保存地区に指定された那古野の四間道周辺には、かつての豪商たちの住まいと蔵をはじめ、木造の古民家も往時の姿のままに残されている。

そんな環境だからか数十年前までは各組に一社は神さまがまつられていたようだが、いまではその多くが消滅してしまった。

近隣の菊井町も屋根神さまの多い地域のひとつだった。
以前勤めていた職場が菊井町にあったので、昼休みに写真を撮りに行けたくらいだった。

押切の交差点西側から南下する道沿いには大型で貴重な造りの社が集中していた。

なかでも民家にはさまれた狭い通路上の社は、まちの文化遺産にふさわしい「逸品」だった。

唐破風造の屋根、札を納める扉に打ちつけられた金属製の神紋、屋根を支える柱に彫刻された躍動的な竜…

見れば見るほど、路傍にまつられていることがもったいなく思うくらいだった。

【町の神さま考】 屋根神さまのいま

100301西区菊井1

先日テレビの取材があり、久しぶりに名古屋市西区界隈を歩いた。
かつて月次祭ともなると足繁く通っていた円頓寺や菊井町もご無沙汰だったが、屋根神さまは以前同様おまつりされているものと思い、テレビ局のディレクター氏と祭礼の様子を撮り歩いていた。

押切から南に伸びた直線の道路沿いには個性豊かな社が多い。
屋根から降ろされたものばかりだが、大型で堂々とした造りのものが見られるのは、菓子などの軽工業が盛んで寄付が多く集まったことと隣接する町内に対する競争心があったからではないだろうか。

しかし立派な社も祭礼を担当する人々の高齢化の波に逆らうことはできないようだ。
公園の中に置かれた唐破風屋根の立派な社に五社の提灯とお供えはなかった。
当番が忘れているだけと思い近所の人に声をかける。

「台の上にあがってやらなかんでしょう。皆、年食った人ばかりだから危なくてね。榊とお神酒を供えておしまい」

正月と氏神大祭以外では、残念ながら破風下に提灯が並ぶ姿を見ることはできなくなってしまった。

写真は名古屋市西区、かつての月次祭での屋根神さま。

【屋根神】西区菊井/西-14

kikui












西-14
所在地:名古屋市西区菊井
    Nagoya-shi nishi-ku kikui
祭 神:秋葉・熱田・津島・伊勢・浅間
場 所:ドングリ公園内・台上
向 き:南
祭礼日:正月・月次祭・浅間社大祭(10月)
氏神社:冨士浅間神社
地 図西区の屋根神さま所在地(Google Map)
メ モ

・10年12月1日
 「第4回屋根神ウォーク」にて現地ガイドを引き受けてくださった西区菊井の吉村さまより貴重な写真をご提供いただきました。「こんな写真が出てきたで...」と見せていただいた写真は二日分あり、一日目(昭和44年9月28日)には家の屋根に社を載せるための台を設置し、そこへ社(現在はどんぐり広場にある神さまです)をおまつりしています。二日目(同10月3日)は屋根に載った神さまの下で神主を呼びお祓いを受けています。二日目の写真に社そのものが写っていないため最初は屋根から下ろした際の写真かなと思ったのですが、よく見ると祝詞を上げている神主さんの頭上に後ろの家のガラスに映った提灯が見えます。
19691003西区菊井提灯確認







恐らく社をのせる台を新しくした際の写真ではないでしょうか。次回、吉村さまに詳しい話をお聞きしてみます。

<昭和44年9月28日>
19690928西区菊井119690928西区菊井319690928西区菊井2


























<昭和44年10月3日>
19691003西区菊井419691003西区菊井619691003西区菊井519691003西区菊井7

























・08年10月4日
 本日10月4日は浅間神社(名古屋市西区浅間)の大祭の日です。西区名駅、菊井、新道にまつられている屋根神さまでも同時に飾り付けを行うことは以前にもご紹介したと思います。一年に一度、この地域の屋根神さまが「豪華」に飾りつけされる風景を見るために、私は午前6時に自宅を出ました。

 菊井町の屋根神さまは今ではすっかり「広場の主」といった貫禄ですが、もとは長屋の屋根の上にまつってあったそうで、祭礼に集まっていらっしゃった方の中には、「昔そういえばはしごかけておまつりした覚えあるわ」とかつて屋根にあったころの話をしてくださる方もみえました。文房具(駄菓子)屋さんの上にあり、重くて大きい社なのでひさしが重みに耐えかねて下がってしまい、そのため下から棒で支えていたそうです。

 午前8時前くらいに町内の方が集まって神さまの準備だけでなく祭壇を組み立てたり町内の人たちの配るお菓子を袋詰めをしていらっしゃいました。

081004kikui1











 9時になると、祭礼開始。かつては町内に住んでいた神主さんがお祓いを行っていたのですが、高齢のため現在は中止。そのかわり、参集した人全員でのりとを上げました(写真)。先達の方は私に「この神さま立派でしょう。戦争のときここから出征した人で死んだ人はおらんし、空襲でも焼けんかったし、火事はないでね。この神さまのおかげだから大切に守らしてもらいます」と話してくださいました。 

・08年4月15日
080415kikui3080415kikui2080415kikui1













・06年10月4日
 午前8時ころから準備。以前は近所に住んでいた神主さんがお祓いをしていたが、老年のため今年よりなくなった。

・04年10月4日
 冨士浅間神社(名古屋市西区浅間)は10月4日、秋祭である「大祭」を開催した。それにあわせて、氏子地域にまつられている各町内の屋根神さまでも大祭に伴う祭事を執行した。
 西区菊井1丁目は区内でも屋根神さまが集中して残る地域であるが、氏子地域は同町の北側が榎白山社、南側が冨士浅間神社とわかれていて、当日は南側の地域で祭事が行われた。
 菊井(ドングリ公園内)の屋根神さまでは午前8時半ころから当番の方が準備に来て神さまの飾り付けを行った。通常の月次祭と違い、紫幕、提灯、お供えのほかに、祭壇を設けて社殿下の備品入れとは別の倉庫から獅子舞を出し、子供たちに配るお菓子なども同時に供えた。
 祭事は午前9時から行われ、町内会長のあいさつのあと神主が祝詞を読み上げ、参列者がそれぞれ玉ぐしをささげた。町内から約30名ほどが参列した。

・03年10月4日
 町内の方の話
「昔は、いま駐車場になっとるとこにあった長屋の屋根にあったよ。神様の下は駄菓子屋で神さまの重さで軒が落ちないように黒いポールが2本たてたったな。5人のひとが戦地に向かうとき、神さまの前で出征の見送りしたよ。まえは獅子舞出しとったけど車がくるで危ないし、子供が少ないもんで町内で協議して取り止めにしたんだわ」
西区菊井




・02年06月15日
 おまつりされている方に聞くと、現在は町内50~100軒(正確な数字は分からない)でおまつりしており、1年に1度当番が回ってくるとのこと。当番は1ヶ月交替で、1と15日をふつう2軒ひと組で助け合って祭祀をおこなう。詳細は不明だが社殿は100年以上たっているようで、もともとは家の上にまつってあった(現在は駐車場になっている)ものを家が水もれ(?)をおこしたのをきっかけに下におろし、どんぐり公園に移設した。移設時期は不明。祭神は3社のほかに伊勢神宮と浅間神社をまつっているが同社をまつりはじめたきっかけについても不明であるとのこと(一説にはお札を受けてきたからまつっている)。
 普段は当番にもよるが、だいたい午前8時前後に祭祀をはじめ、夕方4時ころにはしまうという。以前は社殿にお賽銭箱をつけていたが(現在も形だけは残っている)、さい銭泥棒に盗まれたことを機にやめたという。当番は社殿下の収納の鍵をまわす。準備品などはすべて収納の中に入れており、当番になると鍵をあけて準備をおこなう。提灯は雨や風を受けると破れてしまうので交換することもあり、現在飾られているものは最近交換したものであるという。

【講演録】菊井通八丁目の屋根神さま/最終回/西-19

ー那古野小学校の生徒さんに話をする写真も見せていただきました。
 那古野小学校の先生が、私に尋ねられました。たしか4年生か5年生の子供たちですが、氏子総代をやってみえるので、屋根神さまのことをいっぺん話をしてもらえませんかと。さてできるかな、私もそういったことには慣れてませんでしたけど、でも「よければ、先生、説明させてもらいます」といって屋根神さまの前にお子さんに寄っていただいて、30〜40分説明させてもらいました。その後、作文をいただきましてね、「高橋さん、いろいろと神さまの話を聞かせてくださってありがとうございます。これからは神さまの前を通るときには会釈をして通ります」、そういったことが書かれていました。私の方が教わりましたね。当たり前のことでも小さな子供たちに説明したことによって「これから神さまの前を通るときは必ず会釈して通りたい」という文章をいただき、 十分な説明ができなかったかもしれないけど 、こんな嬉しいことはありません。
ーありがとうございました。
(終)

【講演録】菊井通八丁目の屋根神さま/その6/西-19

ーまつっていらっしゃる人数はどれくらいですか?
 箱のフタの内側に書いてある人数、10人くらいじゃないですかね、人数としては今にも中止になるんじゃないか、氏子総代として冷や冷やしている、なんとかほんだで、負担のないように私が考えなかんということです。
ー屋根神さまを維持していくことも難しいと。
 けれども、(山地)先生からもいろいろと話を聞きまして、このことを町内の皆さんにお伝えしたいと、そういう気持ちになりました。だからなんとか続けていきたいなと思っております。(会場から大きな拍手)
ー強い熱意が、守っていくための原動力となるということでしょうか。最後に高橋さんの屋根神さまに対する思いを聞かせてください。
 私は昭和8年生まれなんですよ。小学校5年で終戦です。当時はこの町内から出征兵士を送るための神さんかなと子供心に思っていました。出征兵士の赤紙が来ますと、まず私どもの町内は駅まで送るんですね。そうすると屋根神さまの前で町内の全員が寄って、武運長久で万歳を唱えて兵隊に行かれる方を駅まで送るんです。万歳三唱をやってそのあと、国防婦人会の方がたすきかけて、うちのおふくろもやってましたけど、そこでお神酒をついで皆様に振る舞うんです。私も子供だったけど、まあじきもらえるなと。スルメです。スルメもらいたさに待っとるというわけです。そうすると皆さんにスルメとお神酒が配られ、「おい、ぼんたち、はい、ぼんたち」といって、スルメをもらえるんです。スルメかじりながら名古屋駅まで「歓呼の声に送られて」とか「行って来るぞと勇ましく」と歌いつつ、戦地へ行かれる方を送った覚えがあるもんですから、私は兵隊さんを送るための神社かな、と子供のころはそんなような感覚でありました。今思うと恥ずかしい話ですが。当時は名古屋駅まで送りました。コンコースは昔のままでしたが、ホームに上がって汽車が来るまで待って送ったような覚えもありました。
 ところで神さまの前は電車通りでしてね、ほいで大勢が集まると車道でやるからね、「おい自動車来た、ふちふちふち」「電車来た」といってふちに寄ったもんですわ。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

【講演録】菊井通八丁目の屋根神さま/その5/西-19

ー以前は当番で木箱を回していたとお聞きましたが。
 これ(木箱)はね、昭和30年代に隣に神さまが移った当時から使っているわけです。ここの中に三方と榊、お神酒、水の瓶、洗米や塩の皿、幕、そしてもうひとつハタキを入れてね、どうしてもそれを入れると結構重い。さらに平成16年以前は三方を神さまのお社頭の上に三つ並べました。これもやっぱり脚立を立てて上がるというので大変、三方三つはとてもじゃないけど、持って上にあがるわけにはいかないと。皆さん高齢になり危ないということで、私が総代になってからここに入れ物を作りました。けれどももうひとつ、この箱とは別にかがり火を焚いていたんですけど、先ほどの話のように苦情もあったんです。だからいつやめたんだろうな、と思い出そうとしたんですが思い出せません。ここに移ってから10年くらいはやったかなと。歩道橋がありましたので、その真下に持って来て焚きました。風が吹くとパッパッパと火の粉が飛ぶもんですから、苦情が出て、困ったなと。それとかがり火に焚く焚き物がですね、まさか古材で焚くわけにはいかんもんで、新しい切り材を束ねたものを買って来た。それも買うことができなくなっちゃった。それもあって、ひょっとして火事にでもなったら困るということで、かがり火は中止、現在はもうやりません。ただまつるだけです。提灯の枠も入りませんので、箱、枠、かごの三つを当番の方に持っていただいておりました。そして次の方にお願いしますと持って行っていました。おうちによってはね、箱は置けるけどかがり火のカゴは座敷に載せるわけにはいかんと、置き場がにゃぁという人が出て来た。それとかがり火のカゴは鉄でできてますから重いんですよ。薄いとすぐ鉄のところが腐っちゃっいまして補修、補修ということがありましたからやめました。


※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

【講演録】菊井通八丁目の屋根神さま/その4/西-19

ー社自体は昔のままなんですが、社の下の部分が新しくなっています。屋根神さまのおまつりのやり方が変わったということは?
 私が平成16年から町の氏子総代として務めさせてもらっているんですが、その前々から、(祭具入れの木箱が)大変重いしもう少し軽くすることはできないだろうか、ということで、三方とか幕、榊の瓶を持ち運んでやっておりましたから、もう少し便利な方法でできないかと考えておりました。今こちら(社)の下のところに(備品入れを)大工さんに作ってもらいまして、その中に三方、榊の瓶、洗米の皿を収めて戸を閉めるようにしました。ただ私の計算違いで、提灯が真横に収まるようにした入れ物を作ればよかったけど、どうしてもここから出るんですわ、道路に。苦肉の策で三方の上に載せて戸を閉めると。ただ、ここに入れてしまうと当番が分からんから、鍵を当番の方に渡して、そこに年間のまつる日をパス入れにつけまして、現在は続けております。
 お供えものの話ですが、町内と個人でどちらがいいということですけども、私は町の会計もやりましたが、いまでは町の会計のなかで3分の2弱くらいは神さま費です。その上にお供えまでもそこから出すとなると大変です。現在も当番の方にお供えを持って来ていただいて、終わったら持ち帰って家で召し上がっていただくということで続けております。今までのように提灯や祭具を箱に入れて、その上にお供えまで持って運ぶとなると大変です。今では鍵とお供えを持ってくるだけでいいので、皆さんに賛成していただいております。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。

【講演録】菊井通八丁目の屋根神さま/その3/西-19

ー先ほどの写真では社が高い位置にありましたが、現在の写真では低い位置にありますよね。これはどういうきっかけでこちらにおまつりするようになったのでしょうか?
 私自身、今となっては不思議なんですが、先ほどの作ったばかりの写真を見ると、はしごがすごく長いですよね。こんな危険なもの、よう皆さん承認したなぁと、思うわけです。だからできて半年足らずで、これではやれんもんで、とてもじゃないけど1、15日のおまつりをするわけにはいかんからということで、その当時の(町の)幹部の方がもういっぺん作り直しするわといいました。今の私の隣の所(現位置)に移したわけです。

ー次に神さまの祭礼日について教えてください。
 祭礼日は1年間で三十回あります。1月は元日、2、3日と15日、2月、3月、4月、5月、6月、8月、9月、11月はそれぞれ1、15日、7月は1、15日と津島さんのおまつりを23日に行います。今では津島神社でのおまつりは土日にやられますね。津島さんは土日でやられても、我々が同じ日にちにやると分かりにくくなりますから、先輩が決められて23日という形でやっております。10月はですね、4、5日が冨士浅間神社の大祭ですので、これは2日間続けてやるわけです。12月は秋葉さんが16日にありますもんで三日間ですね。しめて一年間計算しますと三十日やってます。

※2010年3月6日に開催されたセミナー「残そう! 屋根神」の講義録を連載形式で掲載いたします。
カテゴリ
最近のコメント
RSS
ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
お願い
◆お問合せ、ご質問、取材などご連絡はコメント欄へお願いします。後ほどご連絡差し上げます。


◇ ◇ ◇


◆当ブログの写真や図、文章等の無断転用・転載を禁止します。
お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
  • ライブドアブログ