名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

名古屋市西区:則武・栄生

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

十一月一日の月祭、先月と同じく西区栄生の通称 “マコロンの屋根神さま” を訪れた。

名古屋ではなかなか見られない、正真正銘の屋根の上にまつられた神さまだ。

同じ栄生でも名駅通の西と東とでは準備の仕方に違いがある。
西側では午前八時きっかりに組単位で準備を行う。
時間より少し前に神前で待っていればグループがやってくるので、声をかけて撮らせてもらえばよい。

一方、東側では当番の裁量に任されているので、準備時間は一定ではない。
マコロンの屋根神さまもそのタイプである。

月祭の朝、栄生駅に降り立ったのは午前六時半。
小走りで屋根神さまに向かうが、着くと社の下にはすでにお供えが…

「おはようございます。あなた、よく来てたね」

悔しまぎれにシャッターを切っていると、顔見知りのおばあさんに声をかけられた。
かつて月祭のたびにマコロンの屋根神さまにレンズを向けていたとき以来だから、三年ぶりだろうか。

「最近、また屋根神さまが気になりましてね」

屋根神さまがつないでくれた縁はまだ生きていた。
自分の居場所に戻ってきたような安ど感。

写真が撮れなかったことよりも、それが嬉しい。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

マコロンの屋根神さまの月祭準備はいたってシンプルだ。

僕も何度かお手伝いさせてもらったことがあるが、当番が来た時点で準備はほぼ終わってしまうほどあっけない。

工場のひさし屋根をくりぬいてはめ込まれた屋根神さまは大きさ、迫力ともに他をしのぐ存在感だ。
普通の神社と違って社の下に空間ができるのも屋根神さまの特長であり、そこが祭祀空間となる。

当番になると前の当番からクリアケースと提灯の枠、折りたたみテーブルが申し送られる。
クリアケースのなかには三宝や榊のびんが納められており、ふたの裏側には提灯の配列や三宝へのお供え方法が書かれた紙が張られている。

あらかじめケースのなかに供え物を用意しておけば、神さまの下にテーブルを広げその上にケースごと載せるだけでよい。
提灯も枠に取りつけて持ってこられる当番が多く、月祭にかかる時間がかなり短縮される。

祭祀の省略化ともいえなくはないが、慌ただしい朝にも月祭をきちんと行うために考え出された工夫である。

月祭の現代化といえるだろう。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

「屋根神さまの写真撮りたいんですが」

マコロンの屋根神さまでこの言葉をかけたのは何年ぶりだろう。

午前五時四十分に自宅を出発。
地下鉄と名鉄を乗り継いで栄生に着いたのは六時過ぎ。
そこから歩いて屋根神さまのある菓子工場まで十分ほど。
空が完全に明るくなる前に到着した。

同じ栄生でも名駅通西側の地域は大町内のなかにある隣組が当番を受け持つことから、みんながそろいやすい午前八時に準備を行うと決まっているようだ。

しかし通りの東側では特に決まっていない。
個人のときもあれば夫婦のときも、また数人が出てくるときもある。

しかも時間が一定ではないので、夏場の暑いときには日の出とともに準備を行う当番もいたりする。
時間的な制約はなく、あくまで個人の裁量に委ねられているのだ。

久しぶりにマコロンの屋根神さまを訪れた十月一日は、若い夫婦が二人で準備を行っていた。
神前で待つこと二十分。

数年前まで月祭の日の恒例行事だった。
なんだか古巣に戻ってきた気分だった。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

栄生の風景は僕の暮らした二〇〇二年とは大きく変わっていた。

古い長屋のあとにはこぎれいな一戸建てが建っており、小さなお店は営業をやめてしまっていた。
また、これまで家屋で密集していた場所が駐車場に変わったので、町の中に大きな風穴が空いたようだった。

アパートのブロック塀上におまつりされた屋根神さまは、数年前に訪れたときには消滅の危機にさらされていた。

地震でも来たらひとたまりもないと、アパートを壊す際に一緒になくしてしまおうという話も出たそうだ。
仕事で近くを通るたびに気になって、その所在を確かめに行くことがあった。
その後、アパートは壊されさら地になっても、幸い神さまだけは残った。

久しぶりに訪れてみると神さまの背景には新しいマンションが建てられていた。

「写真撮ってもいいですか」

当番の方に声をかける。

「かなり前に屋根神さまの写真をもらったことがありますよ。いまでも大切に取ったります」

その言葉を聞き嬉しくなった。

風景は変わっても屋根神さま同様、変わらないものが栄生にあるような気がした。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

十月一日、久しぶりに一日に休みが取れたので、屋根神さまを見てみたいと思った。

毎月一日と十五日は屋根神さまの月祭。
祭神である熱田、津島、秋葉の三社の提灯を吊るし山海の幸を供える。

僕が屋根神さまから離れて数年がたったが、以前と同じような祭礼を行っているのだろうか、という心配もあった。

名鉄栄生駅には午前六時過ぎに到着した。
目指すはマコロンの屋根神さま。

市内だけでなく各地の屋根神さまを回っていると、より好みしてはいけないと思いつつ、どうしても好みというものが出てきてしまう。

マコロンの屋根神さまは僕の好きな神さまのひとつで、四間道の屋根神さま同様、初めてのひとにはまず見てもらいたい。

大型の社、貴重な八の字型の屋根、二十一世紀になったいまでも屋根におまつりされていることに惹かれる。

ちなみに、十数年前に軒下に座って当番を待って撮った一枚は公募展に入選した。
まぐれとしかいえないけど、そんなことも好きになってしまう理由のひとつだ。

【愛知・名古屋市】屋根神さまのある風景 2013

名古屋市西区、上更通の南側に古い菓子工場がある。

横に長い建物は瓦ぶきの平屋建てで、軒の上には立派な屋根神さまがおまつりされている。
「本田マコロン」さんの工場だから「マコロンの屋根神さま」と僕は勝手に呼んでいる。

僕と屋根神さまとの最初の出会いは、山地英樹さんの写真集「なごやの屋根神さま」を手に取ったときだった。
いまよりももっと長屋や古民家が多かった、ほんの少し前の昔に撮られたものだ。
モノクロームで切り取られた写真を眺めていると、行ったことも見たこともない風景に懐かしさとときめきを感じた。

業界紙で勤めを始めた年の八月。

月次祭の前の晩に夢を見た。
内容までは覚えていないが、マコロンの屋根神さまが出てきたことははっきりしている。

あくる朝、カメラを持って出かけた。
屋根神さまの当番はまだ来ていない。
準備しているところをどうしても見てみたいが、いつやるか分からない。

でも確実な方法がある。
屋根神さまの下に座って待っていれば、必ずひとは来るはずだ。

【町の神さま考】さようなら、屋根神さま

091116西区栄生38

「ここの屋根神さまね、今度なくすことにしたのよ」

僕が屋根神さまの写真を撮るようになって10年目のある日、西区栄生で屋根神さまが消えようとしていた。
理由は社の建てられていた場所を駐車場にするとか...
なら別の場所に移して再びおまつりすることもできようが、場所がない、あったとしても高齢者が多くなりおまつりを続けていくことができるだろうか、と考えた末、今が潮時と判断されたようだ。

神さまがなくなる当日、朝早く社のある現場に駆けつけた。
時間になると町内の人々が神さまの周りに集まり、神主の到着とともに最後のお祓いが始まった。
様々な角度からレンズを向けようと動き回っていると、何人ものすすり泣く声が聞こえる。

戦前は屋根に、その後は場所を転々としながらも町の人たちに支えられ、また町の人々を見守り続けてきた。
この道を通るときには必ず頭を下げていた。
子どもの多かった時期には通りに提灯を吊るして、それはにぎやかなお祭だった。

お祓いが終わり提灯や紫の幕を外す前に、町内の人に神さまの前に並んでもらい記念写真を撮った。
屋根神さまが消えゆくものだからこそ写真に残したいと撮り始めたものの、なくなる現場を目にするのは、辛いことだ。

写真は名古屋市西区栄生。

【町の神さま考】屋根神さまのいない、石取のまつり

120527西区則武新町26

名古屋市西区則武新町の「津島神社祭礼」を初めて訪れたのは十年以上前のことだと思う。

西区内の職場に勤めていたころ、自転車で自宅マンションに帰ろうとすると何かを叩くカン高い音が聞こえた。
韓国の農楽で使う金属製の楽器、ケンガリによく似ていたが、そのときは音の正体を探し出すことはせず、足早に帰宅したことを記憶している。

あれから十年。

毎年必ず来ているのは、まつりの主人公、「石取車」と呼ばれる三輪の山車と、地域の中で大切にされている屋根神さまとの「共演」を見たかったからだ。
屋根神さまの前でひたすら石取車が来るのを待ち、多くの子どもたちを引き連れてやって来るほんの一瞬に照準を合わせて、カメラのシャッターを押す。

祭礼当日の屋根神さまは社の両脇に二メートルほどの笹を立てられ、一年一度の特別な飾りつけにご満悦の表情に見えた。

しかし則武新町の屋根神さまは昨年までにすべてが消滅した。

石取車の鉦と太鼓の音が騒がしいほどに、どこか寂しさを感じてしまう。

写真は名古屋市西区則武新町。

【町の神さま考】夏を告げる音、祭

120527西区則武新町10

石取車の本場といえば三重県桑名市。

町内ごとに石取車を保有し、祭礼日には数十台がひき回されるものだから、「日本一やかましい祭」としても知られている。

この石取車は隣接する愛知県にも影響を与え、弥富市や津島市内にも保有する町内があるが、県内東限が名古屋市西区の津島神社祭礼でひかれる三台の山車だ。
その石取車には、十二個の提灯の上に「津島神社」「町内安全」と書かれた行灯と御幣が取りつけられる。
天王祭の一環として初夏の五月にひき回されるのはここだけのようだ。

保存会の面々や子どもたちは町内をひき回しながら大音量で鉦や太鼓を鳴らす。
大きな音が悪霊や災いを威嚇し、津島神社の御幣で祓うという意味にも解釈できないことはない。
神楽屋形がカン高く囃子を奏でながら練り歩くのと同様に、「音の効果」を期待しているようにも見える。

祭礼の行われる二日間のうち、例年一日は雨に降られるが、今年は両日ともに晴天だった。
名古屋にも本格的な夏が到来する。

写真は名古屋市西区則武新町。

【準屋根神】西区則武新町/西-21/廃社

100522西区則武新町cl1








西-21
所在地:名古屋市西区則武新町
    Nagoya-shi Nishi-ku noritakeshinmachi
祭 神:秋葉・熱田・津島
場 所:台上
向 き:東
祭礼日:正月・月次祭・津島神社祭礼(5月)
氏神社:津島神社
地 図西区の屋根神さま所在地(Google Map)
メ モ:5月の津島神社祭礼時には西-20とともに、社の両脇に笹を立てます。廃社確認

・10年12月1日
 とうとうなくなってしまいました。これで5月の津島神社祭礼で石取車と共演する屋根神さまはなくなってしまいました。社が立てかけられていた民家の塀にはまだ最近まで神さまがおまつりされていたことを示すように社の跡が見られました。以前うかがった時に近所の方は「社の土台部分も腐ってしまってもうガタがきとるで」と話していましたが、まさかこんなに早いとは。
 早速近所の方を見つけて話を聞きました。「うん、なくしたんですよ。高齢者ばっかりで、もりするのがえらいでね。10月か11月だったかな、神主さんにお祓いしてもらってね。通りのお宮さん(津島神社)に持ってかした。燃やしたかどうかは知らないけど。このへんもだいぶなくなったでしょう」
101201西区則武新町2101201西区則武新町1






・10年5月31日
 写真変更しました。

・10年5月22日
 則武新町に夏の訪れを告げる「津島神社祭礼」が開催されました。屋根神さまのある町内を石取車が練り歩くのですが、路地の屋根神さま(西-20)が昨年廃社になったため、祭礼時の姿を見られるのはこちらの神さまだけになってしまいました。「ここも台の木が腐ってしまって、どうなるかわからんでね」。祭礼は一日目は快晴(二日目は雨)だったので、鐘と太鼓の音とともに笹が立てられた神さまを見られて安心しました。
100522西区則武新町cl2100522西区則武新町cl1
 午後6時ころに訪れると、すでに提灯はしまわれ、扉は閉められていました(写真右)。

・10年2月3日
【区分】「屋根神」→「準屋根神」

・01年08月15日
 準備をしていた方は「町内に置いてもらうには(神さまの)世話をしなくてはならない」と話していた。町内は全部で80軒ほど。当番は3年に1回のペースで回ってくる。年末には氏子総代が札受けに行く。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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