名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

くらしの窓から

【くらしの窓から】おでん会。

久しぶりのおでん会を開いた。
鍋のなかで煮えた大根、玉子、ちくわに黒はんぺん。
だし汁から立ち上る湯気の香りに食欲がそそられる。
おでんとともに妻特製のポテトサラダをつまみにビールで乾杯!

我が家に家族が集まるのっていつ以来だろう。
最後に集まった日には父の姿があったから二年前のことだ。
年二回、姉夫婦と両親を呼んで集まっていた。
六月の熱田まつりの花火鑑賞と十二月のおでん会。
実家に集まる盆と正月以外で、偶然六月の花火大会の日に皆を呼んだのがきっかけで、年二回の行事が生まれた。

しかし父が入院、そして亡くなったことから法事以外で集まろうという雰囲気がなくなってしまった。
僕は父の死亡に関する手続き等で母宅と行き来があるものの、姉夫婦とは滅多に会うことがなくなってしまったし、姉夫婦と母が会う機会も少なくなったようだ。

母もいまでは僕と姉とも同じ区内に住んでいるのに、バラバラになってしまった感がある。
そこで久々におでん会を開催することにした。
盛り上げようとかそんなことより、まず皆がひとつの場所に集まる場を作りたかった。

父がいたころは何もなくてもまとまっていたから、改めて父の存在感の大きさを知った。
僕にそれだけの力量があるか分からないけど、家族同士がうまくやっていけるように努力したいと思った。

【くらしの窓から】ゆっくり過ごす朝。

朝をゆっくり過ごすことはとても贅沢だと思う。
なぜなら僕の一週間で、仕事に出る火曜日から土曜日は朝が早い。
休みである月曜日でさえもFATBIKEに乗って古社巡礼に出かけるから早い。
火曜、水曜、木曜は午前七時の地下鉄に乗り、金曜、土曜は市場の仕事があるので五時前に出勤している。

だから毎週日曜日はお出かけの日であっても平日より二時間以上はゆっくり起きるようにしている。
三時五十分に目覚ましが鳴ると、いったん止めて再び眠りにつく。
だがしかし、毎朝早起きをしているのでどうしても五時には目が覚めてしまい、そこから眠るのは至難の技である。

そんなときは遠慮せず起き、淹れたてのコーヒーを飲みながら届いたばかりの新聞を読むのが楽しみ。
ほんの小さな、朝のお楽しみの時間。

【くらしの窓から】父の一周忌。

今日は父親の一周忌。
早朝、市場の仕事を終えてから母の住むマンションに向かった。
法事は午前十一時半からだが、その前に準備を手伝って欲しいと母にいわれていたので十時には着けるように家を出た。

仏壇のある部屋に来客が座れるよう、テーブルや椅子を動かす手伝いをした。
空いた空間に座布団を敷いて経本を並べたり、焼香用の炭に火をつけたりのんびり準備をしていた。

来客といっても母と僕たち夫婦に姉家族、父の兄弟二人の八人だけ。
昔は法事といえば大勢のひとが我が家に集っていた記憶がある。
それに比べればだいぶ少なくなった。

父親が亡くなって一年。
この一年間、母は父の死亡に伴う手続きに追われ、僕は原因不明の体調不良に見舞われた。
手続きは無事終わり、僕の体調不良も松江での「プチ移住」のおかげでほぼ完治し、現在は三ヶ所でトリプルワークをしながら、元気にやっている。

一年の次は二年、三年。
自分も年を重ねていき、父が亡くなった年齢に少しずつ近づいていく。
一日一日を精一杯生きたい。

【くらしの窓から】ホテル“掃除”マン。

松江での「プチ移住」を終えて名古屋に帰ってきたのは六月の頭だから、そろそろ五ヶ月がたとうとしている。

六月いっぱいはのんびりして再び働き始めたのは七月から。
もといた介護事業所で非常勤として働きだした次に、市場での荷運びの仕事、さらに八月からホテルの清掃業務を始めた。

介護の仕事は以前やっていたことなのでそれほど大変とは思わない。
ただ毎週水曜日に事務の仕事をやるため事務所に行くのがやっかいなくらいだ。
市場の仕事は朝早いことと配達先のお客さんの車の位置を覚えるのが大変。
朝早いのは慣れるしかないし、車の位置はまだまだメモを見ながら勉強中である。
ホテルの清掃はどうかといえば、週二回とはいえ三ヶ月やったのでだいぶ慣れはした。
ワンフロア十七室中、全室清掃という日はいままでなく、最大十三室。
シーツをはがしたあと、ユニットバスを洗い、その後、ベッドメイクと備品の片つけに掃除機かけ。
部屋の掃除のほかにリネン室の整頓もあるけど、流れとして毎回変わらないので、仕事内容自体は必ずしも難しくはない。
もともと介護の仕事でも清掃はやっていたので軽い気持ちで応募したのだが、実際にやってみると結構しんどい。

業務時間はチェックアウト後の午前十時からチェックインが始まる午前三時まで。
最初のうちは仕事を覚えるため先輩社員についてその指示に従って洗いをしたりベッドを作っていた。
僕の勤務は毎週火・木の二日間だからなかなか上達せず、という状態が続いた。
仕事の流れをひととおりメモし内容を頭にたたき込んでも、実際現場に立つと体が思うように動かない。
無駄な動きが多いので時間ばかりを食う。
当時、一回にできる部屋数は十部屋未満、それも手伝ってもらってやっと終われるレベルだった。

それがようやくマシと思えるようになったのは十月に入ってから。
自分なりに無駄と思われる行動・動作を少しずつ改善していった。
いままで数回でやっていた動作を一回でできるように細かいところを少しずつ見直したら、時間内に終わるようになった。
とはいえまだまだ最終チェック時にやり残しがあったり、ほかのことで注意されたりすることはあるのだが。

今日は珍しく部屋数が少なかった。
朝の打ち合わせ時点では十一部屋だったのがフロアに上がるとそのうち二部屋が未清掃に変更となった。
階をまたいでの掃除なので大変ではあったけど、終業三十分前には終えることができた。

カタツムリのようにゆっくりしか上達することしかできないけど、年齢のことを考えると少しずつでも成長を感じられることがありがたい。

【くらしの窓から】久々の来客。

市場の仕事を終えて家に帰り台所をのぞくと、おでんが煮えていた。
土鍋の蓋をあけると湯気とともに出汁のいい香りが立ち上ってきた。
久しぶりに我が家に来客がある。

今宵の賓客は妻が九月末まで勤めていた職場で知り合った元同僚。
お酒好きな彼女はたびたび一升瓶を持って遊びに来てくれた。
昨年の年末に泊まりで来たのを最後になかなか都合があわず、今年に入ってからは今日が初めてである。

ちなみに本日のメニューはメーンディッシュのおでんに、ポテトと水菜のサラダ、炊き込みご飯で、飲み物は日本酒。
残念ながら彼女はいま禁酒中らしいが、僕と妻は俄然飲む気なので、食事に合う日本酒を仕事帰りにセレクトしてくる予定だ。

僕は少し休憩してから次の仕事に出かける。
夕方戻ってきたら飲み会が始まる。
そう思うと仕事も張りきれそうだ。

大雨から一転、今日はすごぶる快晴!

【くらしの窓から】「プチ移住」という生き方。

高松から帰り一日が過ぎた。

その翌日である今日、朝から夕方まで仕事をするとようやく自分の身が高松から名古屋に帰ってきたんだな、と実感した。
十日間も仕事をせず自転車に乗って神社を巡っていたのだから、現実の生活に戻るのに時間がかかるかと思いきや、その辺の変わり身というか切り替えは早いようで、今日もつつがなくなく仕事をやってのけた。
高松での生活(「プチ移住」と僕は呼んでいるが)のあとに普通の生活に戻るのは難しいと思ったけど、案外とそうでもなかったのだ。

本屋で立ち読みをしていると移住に関する本や雑誌を目にする。
地方移住、田舎へ移住、羨ましいなぁ。

亡くなってから一年になる父親も移住という言葉のもつ甘美な語感に魅せられたひとりだった。
しかし老いた両親と二人の子どもの存在よりも自分の気持ちを優先することに抵抗があったのだろう。
とはいえ気持ちの高ぶりには抗しきれず、セカンドハウスという形で折り合いをつけた。
ちょうどいまの僕と同い年くらいにである。

父親と同じ生き方をする必要はないが、その背中を見て育ったせいか、自分の家、拠点がありながらもどこかふらっと行ってしまいたい衝動に駆られる。
単なる旅では物足りない、かといって見知らぬ土地に移住する勇気はない。
だったら短期間でもいいから住んでみたい。

松江にひと月暮らし、高松で十日暮らした。
もともと恵まれた生活をしていることも考慮にいれないといけない。
でもミニマルな生活を心がけていれば、名古屋というメーンの場所で暮らしながら、「プチ移住」という暮らしもなんとかなる、と思う。

【くらしの窓から】讃岐暮らし。

今日は十一ヶ月目の父親の命日。
仕事を終えて実家に向かい、母親とともにささやかな夕食をとった。
昨年の十月といえば、父親の思い出の場所へ家族全員で旅行した。
その後、一週間ほどの時間しか残されていなかった。
だから旅行は最後の最後に間に合ったといってもいいかもしれない。
行くことができて本当によかった。
父親がいないいまとなっては本当にそう実感する。

明日からまた旅に出る。
旅というのか分からないけど、とりあえず出かける。
行き先は香川県高松市。
十日間の「プチ移住」

今回の高松行にはいろいろな理由が混じり合っている。
まず僕の父親。
讃岐うどんが好きで青春18切符が出るたびに香川へ出向き、うどんを何杯が食べてその日のうちに帰ってきた。
名古屋から日帰りが基本だけど、一回だけ疲れて高松で泊まると連絡が入ったことがあった。

次に義父。
若いころ仕事で七年間、高松に滞在していたという。
妻が高松行を切望したのは父親の目にしていた風景を自分でも見たいということがきっかけだ。
そこから火がつき、高松を拠点に島を巡りながら瀬戸内国際芸術祭を観覧しようという計画を立てたのだった。

「プチ移住」について細かい決まりごとがあるわけではないけど、「暮らしながらその土地について知ろうとすること」としておけば、僕にとっては松江以来二回目、妻は初めての経験となる。
期間は十日で、初日と最終日は移動日なので滞在期間は正味八日。

そして僕。
式内社を回ることが使命と勝手に考えている。
父親のことを考えながら、讃岐の古社を巡りたい。

【くらしの窓から】トリプルワーク。

「トリプルワーク」するようになった八月以降、一週間の動きがようやく固定化されてきた。
日曜と月曜は休みで、火曜から土曜を出勤日としている。
その間に三ヶ所で仕事をするわけだが、三ヶ所とも体を使ういわゆる「肉体労働」
そのため、土曜日最終の介護の仕事のあとで酒を飲むと倒れるようにして爆睡してしまうこともお決まりとなってしまった。

ちなみに今週の勤務スケジュールはというと...

火曜日:介護1.5+ホテル清掃5(6.5h)
水曜日:介護1.5+介護事務1+介護1.5(4h)
木曜日:介護1.5+ホテル清掃5+介護1+介護2(9.5h)
金曜日:市場配達4+介護1.5+介護2(7.5h)
土曜日:市場配達4+介護4+介護1.5(9.5h)

五日間の合計は三十七時間。
一日八時間労働週五日勤務の四十時間よりは少ないものの、仕事の中身はほぼ動きっぱなしで結構ハードである。
とくに今週は一日9.5h労働の日が二日あったことが疲労感を高める結果となった。

ただ肉体的にはしんどくても仕事内容を後々引きずることがまったくない分、精神的にはとても楽である。
おかげさまで食事も酒もおいしく感じられる毎日だ。
できればもう少し楽になるとありがたいのだが。

【くらしの窓から】あぁ、またやらかした...

大変なことをしてしまった。

仕事を終えて帰宅してからブログの原稿を書いたものの、そのファイルを何も考えず消してしまった。
かなりのボリュームで書いたものだったから、それなりに動揺している。

今日はどうやらそんな一日らしい。
朝から何だかタイミングというか、自分がやろうとすることと自分の外側の世界との波長がいまいち合わない。
バスが到着時間を過ぎて相当待っていてもちっとも来なかったり、仕事はいつもより時間がかかり、しかも疲労度はその仕事を初めてから一番きつかったりとか...
何か、それが何だか分からないけど、いつもと違うようだ。

家に帰ってきて、パソコンに向かいどうにか書き上げたブログの原稿。
それも書き上げた安心感で保存せず完全に消してしまった。

こうなったら気持ちを切り替えるしかない。
その原稿は今日書くべきものではなかったんだ、明日、ゆっくり書くためのものだったんだ、と。

そう解釈しよう。

【くらしの窓から】休職から得たもの。

松江での「プチ移住」を含め、六月末で休職期間を終えてから少しずつ働き始めた。

形式的には元の職場に復帰、ということになってはいるものの、そこでは常勤ではなく非常勤を希望した。
元の職場では事務と現場を合わせて週に数時間働くだけである。
もちろんそれだけでは家計を賄うことは難しいので他でも仕事を探し、七月から中央卸売市場内の配達を、八月からはホテルの客室清掃の仕事を始めた。

休職期間中、四月は三月の給料が100%出た。
五月は四月に少しだけ出勤した分があったけど、六月、七月は無収入。
蓄えを切り崩して生活費に充てた。
八月になりようやく七月分の給与が入り始め、今月九月は介護、市場、ホテルの三ヶ所で働いた八月分の給料を得た。
派手な生活さえしなければどうにかやっていける程度になった。

仕事は日月休みの週休二日で、仕事は火〜土。
一日八時間労働になるように二種の仕事を組み合わせている。
三ヶ所とも肉体労働だが、以前のように休日でさえ常に携帯で縛られるといったことはないため、精神的にはとても楽になった。
古社巡礼で回っているとき、山中の神社境内で電話を受けたことがあったけど、いまはもう昔の話である。
それだけでも本当にありがたい。
それに責任者という立場上、スタッフが抜けると代わりで出なければならず、それで休みが潰れることがあったし、父親が亡くなった当日も代わりがいないことで仕事に出た。

いまは毎週日曜日は完全に休みなので、妻と一緒に散歩や近場に出かけたりと一日をともに過ごす時間が増えた。
当たり前のことが当たり前のようにできるようになったんだと思うと、体調が崩れた悔しさも慰められる。

いまはもう一生懸命でなくてよいと思う。
一生懸命というと聞こえはいいが、それで体調を崩して損をするのは自分だ。
休職してまず自分ありきであることの大切さを痛感した。
ひとのため、はそれからでいい。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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