名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

FATBIKE古社巡礼!

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・同社神大穴持御子大社。

出雲大社神楽殿に吊された注連縄はとてつもなく巨大である。
テレビでは何度も見たことあるけど、映像を通して見るより実際は何倍も大きく見える。
百聞は一見にしかず。
出雲大社のホームページによると長さ約13メートル、重さ5.2トン。
よくこれだけ大きな縄を巻いたものだと感心しながら見上げた。

注連縄だけでなく、かつての出雲大社自体も巨大な建物だったという。

「雲太・和二・京三」

平安時代における当時の巨大な建物を比較した言葉だか、出雲大社は大和の大仏殿や京都の京極殿よりも高い建物だったから「雲太」と表現されたようだ。

古代の技術で高層の建物が可能かどうか議論があった。
それが平成十二年、境内付近から巨大な柱が発掘された。
国譲りの条件である、大国主命が隠棲する巨大な神殿の所在と、巨大建築物が建築可能であったことが裏付けられた。

巨大神殿が鎮座していたころの出雲ってどんな風景だったのだろう。
そこにはもちろん神殿の大きさにふさわしい巨大な注連縄が吊されていたはずだ。

神楽殿の横を流れる素鵞川に沿って歩いて行くと駐車場を過ぎた辺りからひと気がなくなる。
背の高い木々が林立する道をそのまま進むと橋があり、たもとには「福迎の社、この先三歳社」と書かれた看板があった。
橋を渡り高台に上がると大社の摂社である三歳社の小さな社殿が鎮座していた。

息を整え手を合わせようとしたその瞬間、下の方から車がこちらに向かってきた。
と思ったら、社のすぐ上を通っていった。
一体どういう道かは分からないけど、深山幽谷という言葉がぴったりな神の杜を歩いてきただけに、拍子抜けだ。

三歳社は「延喜式」では同社神大穴持御子神社という。
その名の通り、大穴持命の御子である事代主命と高比売命の二柱、そして御年神がまつられている。
車さえ通らなければとてもひっそりとした静寂さが支配するこの場所も一月三日の福迎神事の日だけは遠方からも大勢の人々が参拝するのでとてもにぎわうそうだ。
僕はむしろ、静かなときに来れてよかったと思った。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・同社神魂伊能知奴志神社。

出雲大社を東側の出入口から出て北島国造館前の「社家通り」と呼ばれる道を命主社の方向へ向かった。

その途中、「出雲の森」と呼ばれる場所がある。
鬱蒼と茂った森を想像していたけど通ってみると玉垣のなかに一本、木が植えられているだけだった。
見たところ森とはいいがたい印象だったが、注連縄を巻かれた神木の周りを玉垣で囲い、入れないように柵で閉じられている様を見ると、ただならぬ雰囲気を感じた。

そのまままっすぐ歩いていくと命主社へつながる参道の入口に出た。
狭い道の先には社があるのだが、その社の前に巨大なムクノキの巨木が胴をよじらせたような状態で鎮座していた。
胴に刻まれたシワのある樹皮、まるで恐竜の足を思わせる。
前方のムクノキの存在感が大きすぎて後方に鎮座する社はおまけ程度にしか見られない。
出雲の森は、本当はこちらのことを指すのではないかと思われるくらいの森感であった。

当社は「延喜式」の同社神魂伊能知奴志神社に比定されている。
「伊能知」という言葉、たしか出雲大社境内の瑞垣内に鎮座する天前社が同社坐伊能知比賣神社であったことを思い出した。
「式内社調査報告」によると伊能知とはまさに「命」のことのようだ。
大国主命が兄の八十神に焼石を投げつけられ殺されたとき、蚶貝比賣命と蛤貝比賣の二神が助けられたことで再び命を吹き返した。
蚶貝比賣命と蛤貝比賣は命を救った恩人、つまり命を救った比賣をまつるから「伊能知比賣神社」とされる。

それなら当社はどんな恩人かといえば、祭神である神産靈神はそもそも二神の降臨を命ぜられたことから命の大恩人というわけだ。
少々、強引な展開だし、だったら大恩人の方が境内に入るべきとツッコミを入れたくなる。
でも大国主命にとってみれば比賣神に助けられたことの方がよほど嬉しかったのだろう。
男子ならきっとそう思うはずだ。

そんなことを思いながらベンチに座ってメモをとっていた。
境内には「信徒館」という建物がありブランコや滑り台といった遊具があるが、単なる公園ではないようだ。
銅戈や勾玉が出土しているれっきとした遺跡だそうな。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・杵築大社、その四。

出雲大社の本殿が鎮座する広い瑞垣の外を東側(右手)からぐるっと一周した。

東西には神在月に全国の神々が集まる末社十九社本殿の長い建物がある。
僕が訪れたのは五月なので時期的に神々はいないが、立ち止まって手を合わせた。

しばらくすると瑞垣内に桧皮葺屋根の社殿二棟が見えてきた。
垣根があるので全体像は確認できないが、手前に鎮座するのが天前社といい「延喜式」上の同社坐伊能知比賣神社、その向こう側が御向社で同じく同社大神后神社である。
垣根に張られた説明によれば天前社には蚶貝比売命と蛤貝比売命が、御向社には素戔嗚尊の娘神である須勢理毘売命がまつられている。

本殿裏手の小さな摂社を参拝しながら西側へ移ると先ほどと同じように垣根の上から筑紫社の屋根が見えてきた。
「延喜式」には同社神魂御子神社の社名で記載されており、祭神は多紀理比売命。
瑞垣内の三社には近い場所からそれぞれ手を合わせ再び正面に戻った。

休憩所のベンチに腰掛け辺りを見渡すと、少しずつ参拝者が増えてきているようだけど、まだまだ朝の静けさは保たれていた。
松江での「プチ移住」が終われば次はいつ来られるか分からない。
そう思うと、境内に立ち込める澄んだ空気を思いっきり体に取り込みたくなった。

いま考えてみると、出雲大社だからというよりも出雲国にやって来てひたすら神社を回っていたことで、それまで体内にあふれていた淀んだ気が澄み切った気に浄化された。
それは島根滞在期間中だけのことではなく、こうして名古屋に帰ってきたいまでも浄化の余韻が続いている。

帰宅後の自分はひとが変わったようだった。
真っ黒に日焼けして体が引き締まった外見とともに中身もひと月という短い時間で常に前向きな気持ちを持てるようになった。
もちろん辛いことや大変なことは日々多い。
けど、それらを何とかうまくかわし、気持ちの振り幅を少なくして、以前ならよくおちいっていた不安定な気持ちにならなくなった。
そして四十路半ばであっても変わろうと思えば変わることができるし、挑戦や成長も可能であることを学んだ。
だからこそ松江での暮らしは自分にとってとても貴重な経験だった。
目に見えないところでは出雲の神々が僕の活動をバックアップしてくれていたのだろう。
ひと月無事に暮らせれたのはそのおかげだと思う。

ベンチに座り込むとその場を去り難い気持ちだが、当日は出雲大社を皮切りに周辺の神社を回る予定でいた。
後ろ髪を引かれる気分だけど立ち上がり、境内をあとにした。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・杵築大社、その三。

出雲大社の境内。
一般の参拝者である僕が瑞垣のなかに入ってお参りすることはできないので、正面の門から本殿をのぞき見るしかない。

「ようやくやって来ました」

手を合わせながら心のなかであいさつする。

祭神である大国主命は別名の多い神である。

「大物主神」「大穴持命」「大己貴命」「葦原醜男」「八千戈神」「大国玉神」「顕国玉神」

なかでも「大穴持命」は出雲国を旅すると社名に冠する神社があるくらい、大国主命よりもポピュラーな神名だと思う。
個人的に「大国主命」という、国を作った主というような下から仰ぎ見ないと恐れ多い名前よりも「オオナムヂ」(「大穴持命」「大己貴命」)という名前が好きである。
日本語っぽくない語感にミステリアスさもあるが、それでいて何となく親しみやすい感じを受ける。
水木しげるの「水木しげるの古代出雲」に出てくるコミカルな姿に引っ張られているのかもしれない(同書では「オオクニヌシ」と書かれている)。

ちなみに僕自身、結婚式を妻の実家がある岐阜県内の某三輪神社で挙げた。
この神社では祭神である大国主命を「ダイコクさん」と呼んでいたがもちろん「オオナムジ」でもあり、僕たちが結婚の誓いを立てた神さまなのだ。
二人では大和の大神神社にも参っているし、松江「プチ移住」期間中には古社巡礼とは別に出雲大社を参拝している。
大国主命=大物主命=大穴持命ラインは出雲と大和のほかにも全国にまつられているだろうから、僕たち夫婦は出雲を筆頭とする全国の「オオナムジ」神に守られている(はず)である。

余計な話をしてしまったが、「式内社調査報告」を見ていると不思議なことに気づいた。
「延喜式」上、大和、伊勢に続いて神社数が多い出雲国だが、名神大社の数は二社しかない。
そのうち意宇郡では熊野坐神社が筆頭に挙げられているので出雲郡では当然杵築大社かと思いきや筆頭は「大穴持神社」となっている。
「出雲国風土記」では「杵築の大社」が筆頭で「大穴持神社」自体が見られない。
風土記完成から延喜式編纂までの間に新設されたのだろうか、名神大社ではないけど筆頭ということは杵築大社よりも格上ということなのだろうか、という疑問がわく。
でも基本的には「大穴持神社」と「杵築大社」では先に挙げたように祭神名が違うというだけで同じとされる神をまつっているので、並立する意味がないと思うのだが。

この点に関して「日本の神々」では杵築大社の元の祭神が素戔嗚尊ではなかったかと述べている。
「出雲国風土記」、意宇郡の条で出雲郡は朝鮮半島の新羅の岬から引っ張ってきたとされる。
「韓國」という名を冠する神社が見られるのも出雲国の特長だけど、祭神が素戔嗚尊やその御子である五十猛命であることを考えれば、あながち可能性がないともいえない。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・杵築大社、その二。

松江からFATBIKEを自転車の状態のまま一畑電車に載せて一路、出雲へ。

出雲大社駅から大社の入り口鳥居のある場所まで走っていき写真を撮ろうとすると、すでに石段近くで案内を聞くために数人のグループが集合していた。
朝早いというのにさすがは出雲大社である。
いや、お参りは朝だからこそいい。

島根県内で一番の観光地でもあるだけに一日を通して参拝客が多いことだろう。
前回、大社を訪れたのはまだ平成の大遷宮が行われている最中だったが、日中ということもあり、すごいひとだったことを記憶している。

FATBIKEを駐車場脇にとめておき再び鳥居に戻り、いつもするように拝殿までの歩数を測った。
一の鳥居は一畑電車の駅の向こう側、堀川にかかる橋のたもとにあるけどそこはご勘弁いただき、勢溜の交差点向かい側の鳥居をお辞儀をしてくぐり、歩き始めた。
長い長い参道が一直線に続いていた。
並木として植えられた胴回りが太く立派なマツに見とれながら歩いていると、いろいろなことを思い出した。

前年に父親が亡くなり、とき同じくして僕の体にも異変が現れた。
下腹部、足の甲、尻など至るところに湿疹が出た。
かゆいので掻くと今度はウミに悩まされるようになった。
さらに、それがかさぶたになるとまたかゆくなる、その繰り返し。
皮膚科を受診するも原因は分からないし、単なる湿疹としか診断されなかった。
処方された薬を飲み、本当は塗りたくなかったステロイド系軟膏を塗りかゆみを収めなんとか仕事を続けていた。
それだけでなく夜な夜な寝ていても仕事のことが頭から離れないし、休日にも仕事関係の携帯が鳴る。
精神的に限界に近づいていた。
父親が亡くなった当日にも仕事を休めないという状況にも辟易した。
そんな状況が改善さえることもなく、当たりまえとさえ考えるような代表者。
やってられないと思い辞めることを決意、そして三月の末、建前上は休職という形をとって仕事から離れることになった。
やっとやめられたという解放感とともに僕の頭に出雲国の式内社巡り浮かんだことは、なんども書いていることである。
せっかくの時間、かねてからやりたいと思っていたことをやらなきゃ損だ。
そうして松江で「プチ移住」が始まった。

出雲国の神社でも圧倒的存在感を持ち、松江での古社巡礼の「本丸」でもあった杵築大社こと出雲大社。
松江にやって来て初めて訪れた神社にも大社造の本殿がまつられていた。
ここでは小さな神社も出雲大社の影響を受けているし、他の神社を回っている最中にも出雲大社の存在を意識することがあった。
よそ者の僕にとって単に珍しさからそう感じただけかもしれないけど。

参道を歩いていき、重厚な桧皮葺の拝殿まで700歩。
とうとう来たんだなと思いながら賽銭を投げ、二拝四拍手一拝の作法で手を合わせた。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・杵築大社、その一。

松江市内の逗留先のマンションから出雲大社に早く楽に行くにはどんな手段を使えばいいだろうか? 
もちろんFATBIKEというお荷物を持っての話である。
考えられる手段としては宍道湖の南岸を走るJRと北岸の一畑電車。
自走もあるがここでは交通手段を使って、ということにする。

まずはJR。
松江駅から始発の山陰本線で出雲市駅までは午前六時四十一分発、七時二十分着、運賃は590円。

一方の一畑電車。
松江しんじ湖温泉駅からの始発は川跡駅乗り換えで着駅は出雲大社前。
六時十九分発、七時二十二分着、運賃は820円。

出雲市駅と出雲大社駅の違いがあるので一概に比較はできないが重要なのは「楽に行く」ことである。
マンションから駅まで徒歩五分の距離や運賃、時間をみればJRがいいようにも見える。
しかしFATBIKEを輪行するという手間が生じる。

松江での暮らしを初めて以来、出雲国の神社を回る順番は「延喜式」記載順とは関係なく、逗留先から走って行ける順だった。
そうなると自然、松江から近い場所が優先される。
初めは ̄路自走+復路自走だったものが、次第に往路自走+復路輪行になり、そのうち1路輪行+復路輪行となっていった。

輪行の最大のメリットは電車などの手段を使えばペダルを漕がずして遠くに行けること。
半面、慣れないと自転車の分解・組み立ては面倒くさいし、輪行バッグを担いで歩くのは自転車自体を担ぐよりも重たく感じられる。
ただでさえ普通の自転車よりも大型のFATBIKEはなおさらだ。

「延喜式」上、後半に記載されている出雲郡へは松江から遠いので自ずとになることが多かった(たまに復路自走という選択肢もあったが、それは体力があるときに限られた)。
だからメンタリティーとしてはできるだけ面倒な輪行を避けたいという思惑が働く。

で、改めて最初の話に戻ると、時間や運賃からすればJRに分があるけど、一畑電車では自転車をそのまま載せられるサイクルトレインを実施していることが大きかった。
別途料金が必要だが回数券を販売しており、お値打ちに利用が可能である。
松江から一時間かかってしまうとしても一回数十分の時間がかかる輪行がないだけ「楽」なのだ。

ということで、松江しんじ湖駅まで自走し、始発の一畑電車にFATBIKEごと乗り込むことにした。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國大内郡・水主神社。

高松に到着した翌朝、無性にテンションの高ぶりを感じ、朝早く目が覚めてしまった。
できるだけ早い電車に乗りたい。
朝食をとり昼食用のおにぎりを握ってから逗留先のマンションを出たのは午前五時過ぎ。
高松駅前の輪行はとてもスムーズで予定していたより一本早い電車に乗ることができた。

朝日を浴びながら電車は栗林公園の緑を通り抜けていく。
出発時には数人しか乗っていなかった車内も三本松駅に着くころには通学の高校生を中心にとても混み合った。
どうにか輪行バックを降ろし駅前で組み立てた。
手元の時計では七時半ころ。
駅を出て目的地の水主神社には八時過ぎに到着したからそれほど遠くはなかった。

町場を離れると上り坂になり標高こそ高くはないものの目の前に山々が現れてくる。
この風景、どこかで見たようなデジャブ感を覚えた。
そうだ、松江到着の翌日、市街地を離れ意宇郡の熊野神社に向かったときも同じような低い山並みが目の前を過ぎていったような記憶がある。
「プチ移住」初日の風景だから余計似ているように感じられたのかもしれない。

水主神社は道路沿いにあるため走っていると目の前に鳥居が現れた。
鳥居をくぐり奥に長い境内へ。
三社あるうちの中心、水主神社拝殿まで145歩。
◯のなかに「社」の文字が染め抜かれた青い幕が張られている。
まずは参拝。
次いで、向かって右側の国魂神社、左側の水主三社にも手を合わせる。

本殿の後方の社殿にも手を合わせ再び拝殿に戻ってくる手前で不思議な場所があった。
石垣の上に河原石を敷き詰め塚状になった頂部にはお地蔵さんのような石柱が立っており、その前には幣と榊が飾られた小さな祠がまつられていた。
境内の由緒にもこれが何かについて触れられていないので分からない。
不思議なのは東を向く本殿に対するように西側を向いている。
なお当社には祭神である倭迹々日百襲姫命の陵墓と称する古墳があるといわれる。
由緒には「山上」とあり「式内社調査報告」には「社前」とある。
一体どちらが正しいのか分からないが、もしかしてこれが古墳?

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・黒嶋神社。


黒嶋神社の標柱が立つ場所から境内に向かう途中、参道の左側一面にコスモスが咲き乱れていた。
思わず「すごい」と声がもれてしまうくらい。
FATBIKEを立てかけてコスモス畑とともに写真を一枚撮った。
神社はどちらかというと緑が多いから、こうして花を眺められることは貴重である。

道路沿いの鳥居をくぐりコスモス畑を過ぎて境内に入る。
普段は入口の鳥居から拝殿まで歩数を数えているのだが、ここでは単に距離が長いという理由でサボってしまった。
境内に入るとその広さに驚いた。

拝殿と本殿は平成十年に改築された旨が「祈念碑」に記されていた。
境内を歩くと、拝殿本殿を取り囲むように小祠や石祠、五輪塔など大小様々な神々がまつられている。
しかし一歩、玉垣の外を出ると鬱蒼とした森である。
境外から見ると田んぼのなかにぽっかり浮かんだ緑の島といってもいいくらい、取り囲む森の広さはなかなかなものである。

「式内社調査報告」によればこの付近からは弥生時代の住居跡や銅鐸も発見されているし、母神山古墳群からも近い場所にある。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・粟井神社。

「日本古来の服忌の心得により、火葬場の帰りに神社境内・御神域へ立ち寄る事はご遠慮ください」

粟井神社の境内に向かう参道の入り口にこのような注意書きが石柱に張られていた。
わざわざこう書かれているのは火葬場の帰りに神社に立ち寄るひとがいるということなのだろう。
式内社といわれる神社を回って四年以上になるが、境内入口にこんな注意書きを見たのは初めてだった。

粟井神社は讃岐国における名神大社三社のうちの一社。
神社は高台にあって観音寺駅から南下して神社に近づくころには遠目からも流造の本殿が見えてくる。
神社に向かう坂道を上がっていくと例の注意書きがあり、さらに進むと拝殿の正面に当たる場所に玉垣と玉垣との間に鳥居が立っていた。
だがその先に大鳥居も見えていたのでそこまでFATBIKEを押して歩いていくことにした。

改めて鳥居をくぐり戻る形で拝殿まで125歩、まずは参拝。
境内にある「記念碑」によれば創建の時期は不明だが、いまより五丁程度南にあった社殿は大同元年に焼失、寛弘元年に現在地に遷座、祭神は天太玉命、とある。

境内を歩いていると突然、雨が降ってきた。
当日の観音寺市は雨のち晴れの予報。
駅を出た時点で傘を持つひとの姿が見られたが、どうにかここまで持ってくれたわけだ。
幸い屋根のある休憩所があったのでそこのベンチで雨宿り。
天気がよければ高台にあるこの場所からは観音寺市内が一望できたことだろう。
レインウェアを持ってこなかったのでこれからどうしようと悩んでいたら雨足は次第に弱まり、神社を出発するころにはすっかりやんでいた。
ちなみに高松にいた妻によれば高松市内は午前中いっぱい雨が降っていたようだから、三十分ほどでやんだ観音寺にいた自分はラッキーだった。

それにしても冒頭の注意書きには少々ひっかかるところがある。
というのも式内社と呼ばれる神社のなかには境内に古墳がみられるケースがある。
もちろん讃岐国も例外ではない。
古墳とはいわずと知れた墓のことである。
「日本古来の服忌の心得」とはもっともらしいようだけど、神社と古墳の関係を考えると本当に「日本古来」なのかどうか。

僕は考古学者でも神道学者でもないけど、少なくともこれまで神社を回った経験から神社と古墳(墓)は決して忌み嫌う関係ではなく、共存・並存していても何ら不都合がないように思う。

於神社の項でも話したように苅田郡には「大野原古墳群」はじめ古墳が多く存在する。
それらと粟井神社の創立とは、まったく無関係でないと思うのは僕だけだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國苅田郡・於神社。

讃岐国苅田郡の神社がある観音寺市には古墳が多いそうだ。
ネットで検索すると、真っ先に出てきたのが「大野原古墳群」
国指定史跡である同墳をPRするサイトが観音寺市のホームページにあるくらい。

「大野原町大野原の直径約700メートルの中に集中する」ので「短時間ですべての古墳を歩いて巡ることができること」が特徴。
日本でトップクラスの玄室床面積を持つ「椀貸塚古墳」、香川県下最大の円墳「平塚」、香川県下最大の大型方墳「角墳」が古墳群のトップスリー。
だが事前の準備不足で古墳群について知らなかったこと、仮に知っていたとしても式内社が近くになければコースに組み入れるのが難しい。
どちらにしても今回は難しいから次回の楽しみにとっておく。
これで香川に行く楽しみがまたひとつ増えた。

それを補うというわけではないけど、於神社と黒嶋神社の間にある観音寺市総合運動公園内の母神山古墳群は訪ねることができた。
古墳群を見て古代の息吹を感じたい...
そんなロマンチックなきっかけなら格好いい。
しかし実際にはトイレが我慢できなくて公園に入ったら偶然、古墳群があったというもの。
それでも神社とともに古墳と酒蔵には寄りたい自分にとってラッキーであった。

公園の中心にそびえる母神山の麓にひさご塚古墳と鑵子塚古墳の二基がきれいな形で保存されていた(古墳自体はもっと多いらしいが)。

鑵子塚古墳前の説明によれば、同墳は母神山古墳群の盟主的存在の大円墳。
周壕が掘られ横穴式石室を持つ。
その横穴は入れないよう格子で塞がれてはいるけど、自転車用のライトを照らしてのぞくと壁面の石組みが明るく浮かび上がった。
ここに眠っていた古墳群の被葬者と近隣の式内社とは関係があったのだろうか。

先に書いたように母神山は於神社の北側に位置し、FATBIKEで十分ほどの近い距離にある。
その於神社は小さな神社で、鳥居をくぐり拝殿まで45歩。
まずは参拝。
本殿の後方から境内を眺めると盛り土の上に鎮座しているのがよく分かる。
まさかここも古墳? と思った。
「式内社調査報告」にも「周囲の田地より、少し小高くなつてゐる」と述べられているものの、それが古墳とは記されていない。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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