名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

FATBIKE古社巡礼!

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國への道・準備編 その3

ウイークリータイプ「レオパレス」は残念ながら島根県では営業していなかった。
仕方なく振り出しに戻りほかの方法を当たってみることにした。

その前に期間をどうするか。
休職期間は六月末まで。
島根から帰って即、仕事のことを考えるのはいくらなんでも酷。
数日の余裕は欲しい。

かといって「平成」から「令和」への改元がある今年のGWは十連休。
連休にはまってやりたいことができなくなっては元も子もない。

そうこう考えた結果、出発を連休終了翌日の五月七日に、帰宅を一ヶ月後の六月七日に設定した。
梅雨の時期にかからないかという心配がないではないが、そこは出雲国の神社を訪ねる旅である。
出雲の神さまのご加護があるはずである。
God bless me! 

居場所探しの続き。
「レオパレス」断念後、「Airbnb」やゲストハウスの類いものぞいてみたけど、島根県は少なかった。
出雲大社という神社界の大御所が鎮座する県にも関わらず、検索結果は山陰ではなく山陽の広島が多数出てくる始末。
だめこりゃ。
民泊も四十五歳のおっさんをFATBIKE込みでひと月も面倒見てくれるところないだろうと最初から諦めていた。

せっかくの休職期間。
人生折り返し地点のバカンスを無為に過ごすことだけはしたくない。

それにしてもこの日本には島根に短期滞在したいひとがこれほど少ないとは思いもよらなかった。
僕が変わり者であることは承知している。
でも人口減少が叫ばれているとはいえ広い日本だ、
いないのかよ! 変わりモンよ...

結局、もう一度「島根県 短期滞在」で検索することにした。
もしだめだったら観光協会にでも尋ねてみよう。

検索結果をスクロールしていると結果とともにマンションのような建物の画像が出てきた。
ここはどうだろう。
大手「レオパレス」がだめだったことがトラウマになっていたので、期待薄でリンク先をクリック。
「エリアワン松江駅前」という場所。
もちろん聞いたことはない。

そもそも近年、数日間の旅をのぞいて短期滞在なんて経験ないし、仕事の出張(前の仕事で島根に来たんです)はここ十数年ない。
だから旅の宿泊といえば「東横イン」、もしくはペーパー会員のユースホステルくらいだ。

そんなことはよい。
「エリアワン松江駅前」について早速チェックしてみた。
場所は松江駅から徒歩三分、しかも期間は一ヶ月というような中途半端な期間でも受け入れは可能のようだ。
五月七日からの空室を検索したところ、複数あるなかで残りひと部屋以外はすべてうまっていた。
幸い空いていた部屋について問い合わせたところ、早速見積書がメールで届いた。
ここがだめなら土地勘のない島根県、あとがないと思ったのですぐに部屋をキープするべく申し込みのメールを返信、どうにか居場所だけはなんとかなった。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國へ。出発準備編・その2

「出雲国の式内社を巡るため、島根県に短い期間住むことはできないだろうか」

そう思い立ってからというもの、来る日も来る日もそんなことが果たして可能なのかどうか、考え続けていた。
仕事の問題や奥さんの説得もある。
また、これまでの古社巡礼は基本的に自宅から現地を訪ね、たまに宿泊することもあったけど、そこからまた自宅に戻ってきていた。
巡礼とはいいつつ家に帰れる安心感が常にあったのだ。

もし短期滞在、例えばひと月くらい、島根県に滞在しながら神社を訪ねることになったら、自分の精神にどのような影響をもたらすだろうか。
丸々一日、神社を回ることが生活の中心になるという楽しみがある半面、不慣れな場所での日常生活は一体どうなるのか想像もつかない。
もちろんそんな心配は向こうに行けばなんとかなるものである。
学生時代に住んだ京都や韓国・ソウルでも、実際現地に着いてみると心配ごとなんてただの杞憂だった。

住居に関しては以前、アメリカに住んでいる知り合いが実家のある名古屋に短期間滞在するためにウイークリーマンションを借りたという話を聞いたことがある。
ホテルを借りるよりも安かったそうだ。

ウイークリーマンションなら島根県の県庁所在地である松江市にもあるだろう。
グーグルで「島根県 ウイークリーマンション」と検索してみた。
トップには「レオパレス」が出てきた。
昨今、施工不良が問題になってはいるがさすが大手、島根県にもあってくれた。
思わず感謝の気持ちがこみ上げてきた。

あとは、松江は日本海が近いから新鮮な魚が買えるスーパーが近くにあるといいし、でもマンションの場所は駅から近いといいな、酒蔵があれば直接買いに行ける、なんてことを頭のなかであれこれ想像を膨らませながら検索結果をクリック。
が、新鮮な魚も駅近くも酒蔵も、すべての期待は一瞬にして消えた。

松江にもレオパレスはあるにはあった。
でも僕が望むような短期滞在型ではなく、少なくとも半年以上借りなくてはいけないタイプだけだった。
松江以外の他地域で探すも結果は同じだった。
ひと月滞在なんて需要はないのだろう。

これで島根県に滞在するという夢も無残に散ったか…
そう肩を落としたけど、もう一度気持ちを改めて再び検索をかけてみることにした。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國へ。出発準備編・その1

手元にある「式内社調査報告」と「日本古典全集 延喜式」によれば、全国の式内社数のうち上位は下記のようになるそうだ。

一位・大和国286座(社数216社)
二位・伊勢国253座(同232社)
三位・出雲国187座(同187社)
四位・近江国155座(同142社)
五位・山城国122座(同90社)
六位・尾張国121座(同121社)

座数はまつられている祭神の数を、社数は純粋に神社の数を表している。
座数をもとにすれば大和国が一番多く、神社の数でいえば伊勢国が最も多い。

名古屋市に住む僕にとって、先に列挙した上位六カ国のうち、自分の住む尾張国をのぞいて、JRなどの交通機関や名古屋からの自走という手段を使いなんとか行ける(というか行けなくはなない)のは、大和(奈良県)、伊勢(三重県)、近江(滋賀県)、山城(京都府)である。
実際に伊勢国では桑名市や四日市市、鈴鹿市の一部までは朝早く名古屋を出発して現地に赴いていた。

2014年に愛車であるFATBIKE(BIKEといっても自転車です)を手に入れた。
最初はただ目的もなく遊んでいたのだけど偶然、岡谷公二氏の著書との出会いをきっかけとして延喜式に掲載されている式内社を巡り始めたのが翌2015年。
以来、「式内社調査報告」をテキストに、仕事の休日を利用して多くの神社を訪れた。
尾張国、伊勢国、志摩国は終了。
近江国は残すところ数社となり、大和国は少しずつ回り始めている。

しかし上位にランキングされたなかで難易度が高い唯一の国が出雲国。
まず遠い。
試しにグーグルマップで我が家から近い熱田神宮から出雲大社の距離を検索すると482km。
車を持たない僕は自ずと交通機関を利用することになる。
熱田神宮最寄りの熱田駅から出雲大社最寄りの出雲市駅までを路線検索すると時間は約八時間、料金は新幹線を利用して片道約九千円。
これまでの経験から一日に十社程度の神社を回ったとして二十回は先に示した距離を往復しなくてはいけないのだ。
観光気分で回るには荷が重い。

再び手元の延喜式に目を向けると、巻第九の初めには全式内社の座数について、「天神地祇惣三千一百三十二座。社二千八百六十一処」と記されている。
神社の数だけでもざっと三千社近く。
古くからの神社なので所在が分からなくなったり廃絶したりする神社がある一方で、論社といって何らかの理由で同じ神社の由来や言い伝えを持つ神社が複数存在することもあるから、三千社、もしくはそれ以上を覚悟しなくてはいけないだろう。

四十路を迎え人生の後半戦に何をやろうかと考えたとき、式内社を大好きな自転車で回ることを思いついた。
生涯に渡って訪ねることを考えたとき、式内社が数多く存在する近畿一円に足を向けるにあたって比較的近い名古屋に住むことはかなりの利点だ。
だけど突出して多くの古社が存在する出雲国だけは畿内とは違ったアプローチでないと僕の一生涯のうちに回れなくなる可能性が大きい。

「いっそのこと出雲を訪ねるのではなく出雲に住みながら回れないだろうか」

そう、松江に住んだ作家・小泉八雲ことラフカディオ・ハーンのように。
冗談程度に考えていたけど、交通手段に頼るのが難しい以上、「移住」や「短期滞在」という選択肢が現実味を帯びてくる。
普通には考えつかないことをやってみることも、人生後半戦を有意義にするためのスタートとして面白そうだ。

これは四十五歳になっても少年のように、いや、いまだ大人になりきれないおじさんの物語である。

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國長上郡・大歳、朝日多波加神社

190130大歳朝日多加波蒲神明2

午前中に奥浜名湖にある神社を巡り、午後には遠州鉄道沿いに南下。
蒲神明宮に着いたのは午後一時半ころだった。

「式内社調査報告」によれば遠江国長上郡の大歳神社と朝日波多加神社の論社と記されている蒲神明宮。

鳥居をくぐり参道を歩いて拝殿まで150歩。
先客にひとりの女性が参拝していた。
僕も続いて手を合わせるが久しぶりに長い距離を走ったものだから疲れてしまい、池のほとりのベンチにへたり込んでしまった。
耳を澄ますと近くの幼稚園から子どもたちの声、またクスノキほか多くの木々が周りを囲んでいるので視覚的にも疲れた体を休めてくれる。

いただいた略記を読むと、もともと奉祭していた「蒲大神」は創立年月不詳であるも古い神社らしく、一説には大同元年(806)創立とも。
その後、藤原静並公が伊勢神宮の御神託によって当地を開発。
「蒲御厨」として伊勢神宮に寄進、神明宮を勧請した。

しかし大歳、朝日多波加の両社との関わりについては触れられていない。
それどころか「式内社調査報告」にも式内社と比定するのは難しいと書かれている。

ちなみに当社の手水舎には水質調査の結果が張られていた。
飲料用ではないが汲んでいくひとが多いそうだ。

写真は静岡県浜松市。


190130大歳朝日多加波蒲神明3

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・若倭神社

190130若倭神社1

浜松の銘酒「花の舞」
これまでも浜松に行くたびに買ってはいたが、浜松出身の義兄が駅ビル「メイワン」に浜松土産を集めた場所があると教えてくれたことがきっかけで、そこのしぼりたて生原酒を買うのが恒例となった。
しかし毎度駅ビルで買ってばかりでは味気ない。
一度蔵のある場所を訪ねてみたいと思っていた矢先に、最寄り駅である天竜浜名湖鉄道宮口駅に降り立った。

蔵の近くに鎮座する若倭神社。
「花の舞」本社蔵を通り過ぎて右手にみかん畑、左手に竹やぶの小道を奥に進むと「新興社」と書かれた山車蔵に隣接して小さな社が鎮座していた。
手を合わせるが、扁額には八幡社と書かれており若倭の社名は見当たらない。
横に立つ万葉歌碑の説明を読むとその答えが分かった。

「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘れらじ」

この歌を詠んだのは防人に徴兵された同地出身の若倭身麿。
麁玉郡の役人の息子で郡家はこの付近にあったという。
八幡社ももとは若倭神社だったそうだから、若倭部氏の祖神をまつった神社がいつしか八幡社に変わってしまったのだろう。

話を戻して花の舞だが、近くに蔵元直売所があったので、喜び勇んで出かけたものの水曜日はあいにく定休日。
結局浜松駅でいつもの生原酒を買って帰ることになったのだった。

写真は静岡県浜松市。

190130若倭神社2

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・多賀神社

190130多賀神社高根山2

みかん畑に囲まれた小道を上がっていくと鳥居が立っていた。
式内多賀神社の論社、高根神社が鎮座する高根山の入り口。

FATBIKEをとめ置く場所に困り拝殿近くまで押して歩くも、くねくねと曲がる急坂に悪戦苦闘。
左手でハンドルを持ち右手でサドルを押しながらFATBIKEを押し上げる。
最近の運動不足を思い知らされる場面である。

坂を登りきりベンチにFATBIKEを立てかけ、僕はさらに上の境内へ。
古そうな拝殿は文亀二年(1502)建立。
由緒によれば、初めは多賀神社と呼ばれていたがその後、明治の初めまで観音さまを合わせまつることから高根山観音と呼ばれていたという。
どことなくお堂の雰囲気を漂わせる造りでもある。

本殿はといえば拝殿の裏手に鎮座。
手すりの鎖をつかみながら岩山を登ると頂上の手前、岩に囲まれた場所に高根神社と岩本神社の小祠がまつられていた。
狭い空間で身を縮ませて手を合わせる。

そこからさらに急斜面をよじ登ると急坂が嘘のような平面を木々が覆う頂上へ。
当日二つ目となる高根山古墳があった。
石室は柵などなく開口しており、石室を覆う大きな石板が露出している状態だった。

式内社+山+古墳。
尾張国や伊勢国でも同じような組み合わせを見たことがあった。

写真は静岡県浜松市。

190130多賀神社高根山4

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・多賀神社

190130多賀神社六所1

小道の右手にはみかん畑、左手には神社の社叢林。
私有地だったらやばいな、と思いながらペダルを漕いで進んでいくと参道らしき道に出た。

突き当たった参道の先にはこんもりと盛り上がった塚。
手前には案内板が立っており、「興覚寺後古墳」と記されていた。
全長33mの前方後円墳。
古墳時代後期・六世紀前半のもので副葬品には金銅板の馬具、太刀、鉄鏃、玉類、須恵器が埋葬されていたという。

台風の影響だろうか、塚の上には幹の太い木が倒れていた。
倒木の上をまたいだり下をくぐったりして南側に出ると、横穴式石室の開口部がぽっかり口を開けていた。
柵などない無防備な開口部。
何かが出てきそうなわけではないけど、なかをのぞいて写真を撮り、一目散にその場を離れた。

「式内社調査報告」によると宮口地区の六所神社は麁玉郡の多賀、長谷、若倭の三社の論社と考えられている。
「昔、多賀神社と申し伝えられて」いたとされる由緒の言葉を反映してか標柱は「式内六所神社」となっていた

鳥居をくぐり拝殿まで50歩、まずは参拝。
僕が訪れた日は社叢林の伐採作業中で、チェーンソーのエンジン音とそれがやむと「ガシガシガシ」とノコギリで枝を切る音が境内に響いていた。

写真は静岡県浜松市。

190130多賀神社六所3

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・長谷神社。

190130長谷神社六所3

天竜浜名湖鉄道「宮口」駅で輪行してきたFATBIKEを組み立て、北に向かうこと三十分。
曲がりくねった登り坂は森林公園を抜けると尾根道のようにダラダラしたアップダウンに変わった。
目指すはその先、堀谷地区に鎮座する六所神社。
「式内社調査報告」によれば、同社は麁玉郡の長谷神社と考えられている論社のひとつである。

集落には入り「不審者注意」の看板にドキリとしながら神社のある丘に上がっていく。

「おぉーすげぇ」

境内に入ると拝殿手前に立つクスノキのあまりの巨大さに思わず声を上げた。
クスノキは注連縄を巻かれたご神木で浜松市の保存樹にも指定されている銘木だ。
樹高20m、幹周5.8m、根元が特に太く、しかも別の位置から見るとぽっかり穴が空いている。
巨大な口を開けた怪獣のようで、うかつに近づきでもしたら飲み込まれそうな迫力である。

鳥居をくぐり石段を上がって拝殿まで25歩。
二礼二拍手をすると屋根の内側に取りつけられているランプがパッと点灯した。
先ほどの「不審者」には賽銭ドロも含まれているのかもしれない。

ここでそんなことしたらクスノキの巨大な口に飲み込まれてしまうような気がして、僕なら怖気づいてしまうだろう。

写真は静岡県浜松市。

190130長谷神社六所1

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・蜂前神社

190114蜂前神社2

NHK大河ドラマの地元にもたらす経済効果は大きいらしい。
そのため大河ドラマを誘致する動きもあって、僕の職場がある名古屋市中村区でも同区出身の加藤清正を題材にした大河ドラマ作成の署名活動を見たことがある。

「おんな城主 直虎」はすでに終了したドラマだけど、井伊氏出生の地である引佐郡井伊郷界隈を訪ねるといまだその余韻を感じ取ることができる。

蜂前神社の境内、駐車場に一台タクシーがとまっていた。
先客かなと思い、FATBIKEをとめて鳥居をくぐり境内を横切って拝殿に向かう。
すると音声ガイドが流れてきた。
それを聞いていたら入口鳥居からの歩数を忘れてしまった。
とりあえず参拝。

拝殿の鈴の右側にヒモが下がっていてそれを引っ張ると説明が流れる仕組みになっている。
耳をそばだてると、神社の創建は古墳時代初頭。
応神天皇の命令を携えて都から「八田毛止恵」という役人が来て祝田に勧請、蜂前神社としてまつったのが始まり。
当社には井伊直虎の直筆花押のある「徳政令」も残されているという。

古文書の写真だけでなくドラマ出演者の写真が社務所に掲示されいた。
直虎ファンには見どころが多い神社だろう。
古社ファンの僕にとってはなんとなく落ち着かなかったが...

写真は静岡県浜松市。

190114蜂前神社1

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・須倍神社

190114須倍神社2

四柱神社のある滝沢地区から上り下りを繰り返し都田川沿いの国道362号線に出た。
ここまで降りてくるとつい数十分前まで三岳山にいたことがうそのようにアップダウンがなくなる。

気楽な気分で国道を走っていると道路脇に自然石風の標柱が立っていた。
うっすらと須倍神社の社名が書かれており、先に目をやると境内の入り口に鳥居も見える。

鳥居をくぐりゆるい石段を上って拝殿まで192歩、まずは参拝。
すでに先客があり熱心にお参りした後でおみくじを引いていた。
僕が境内にいる間も何組かの参拝客が車で来ては帰っていった。
大半がお札や注連飾りを専用の箱のなかに入れていった。
近日中に行われる「焚上祭」の告知が張られてあった。

参拝後、広い境内を歩いた。
瑞垣の外から本殿を眺めると屋根に鰹木を載せた神明造のお社が二社並んでいた。
伊勢神宮の内宮と外宮で、それぞれ天照皇大神と豊受大神をまつる。

「光孝天皇仁和三年(887年)建宮」
「延喜二年(902年)に上都田内宮と下都田外宮を合わせて社号を須倍神社と改めた」
由緒には建立に関してこの二つの年代が書かれていた。

写真は静岡県浜松市。

190114須倍神社5
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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