名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

コラム・エッセイ

【旅の空から】坂からハブトラブルまで...

一年ぶりに飯田線に乗った話を書いたのは目的地に到達する前に車内でのこと。
そのときはそれから大変なことが待っているとはつゆ知らず、のんきなものだった。

十時五十八分に向市場駅到着後、駅前でFATBIKEを組み立てていると、いつの間にか近所のおじさんが傍でその光景を見物していた。

「山住神社まで行くんかね。神社は頂上にある。五度は低いよ」

十一時十五分に駅出発。
FATBIKEに乗って行けたのはそこから三十分もたたないところまで。
延々続く坂道に変速機がない我が愛車では歯が立たない。
駅で出会ったおじさんは「三十分くらいで着くよ」といっていたがそれは車での話だろう。
三十分どころか一時間経過してもなお山頂は程遠い。

背中に降り注ぐ日光。
シャツは汗だく。
こまめに休憩をとりながらFATBIKEを押して歩く。
幸い山頂近くには湧き水が出ていたので頭からかぶり顔じゅうの汗を落とし、ミネラル分が多い水は水筒に確保した。

しばらくすると山頂に到着。
山住神社は遠江国周智郡の茅原川内神社の論社である。
参拝後、向かい側の茶屋で団子とお茶をいただき、これの先のことを考えた。
当初、森町方面の神社を訪ねる予定でいたが、山頂到着時、すでに十三時を回っていたのでそこからさらに50kmを走るのは体力的に無理と判断。
スーパー林道から秋葉神社経由で浜松まで走ることにした。
途中、疲れたら西鹿島から遠鉄線に乗ることも可能だ。

「少し登るけど、そのあとはずっと下りだから、こがんでもいいら」

茶屋のおじさんの言葉を信じていざスーパー林道へ。
確かに三十分ほど登ったが、峠にさしかかると一気に下った。
が、しばらくすると下りも落ち着き、再び登り。
登っては下り、を繰り返す。

気温は低く、山頂付近ではツクツクボウシやヒグラシといった秋のセミが盛んに鳴いていた。
すると突然、霧が立ち込めてきた。
時折、太陽が顔を出していたが、そのうちポツッと落ちたかと思うと次第に雨足が強くなった。
雨宿りできそうな場所はなく、葉っぱが密に茂った木の下に潜り込んだが、雨足の強さは木の下も侵入してきた。
ネットが繋がらないから雨雲レーダーで確認することができない。
ここで待つしかないのか、それとも行こうか。
時間は十五時過ぎ。
一か八かで外に飛び出し、大雨をモロに受けながら走った。
登り坂も立ち漕ぎで一気に上がる。
頭から足先まで強い雨を浴び、ビショビショになった。
それでも所詮、通り雨だ。
しばらく行くと日差しが現れ、そのうち道路には雨が降った痕跡すらない場所に出た。
もう少し早く進めていたら濡れずに済んだかもしれない。
だがその先も登ったり下ったりの繰り返しで、ついには「また登りかよ」と強い語気の言葉が口から出た。

状況が変わったのは秋葉神社本宮の鳥居が見えてきたころだ。
茶屋のおじさんの言葉はここからではないかと思うほど、一気に里に下った。
落石や側溝の蓋があったりするから舗装路とはいえかなりのラフ具合。
FATBIKEにはうってつけのコースだった。
そしてとうとう里に出た。
そこからは川に沿って走っていけば浜松の市街地に到着する、はずだった。

昨年訪れた西鹿島駅を通り過ぎたころだった。
後輪がやけに重い。
気のせいかと思ったがだんだん重くなってくるので止まって後輪を確認したところ、大変なことになっていた。
緩んだハブのナットがいつの間にか、クイックレリーズのナットとフレームを挟んで絞めあっていたのだ。
少し緩んでいたのは知っていたけど走りに支障がないのでそのままにしていた。
それが下り坂の振動でさらに緩み、最終的には絞めあう状態になったのだ。

このままでは走れないので遠鉄線で輪行することにして駅に向かった。
その前にタイヤが外れるかどうかと試してみたが、かなりきつく絞めあっているので工具がないと外せない。
駅に着き、何度かトライするものの自力ではまったく歯が立たない。

その状況に途方に暮れた。
タイヤを外せなければ輪行は無理だ。
このままでは帰れない。
かといってここにい続けることもできない。
だが無理を承知で輪行してみることにした。
後輪はそのまま、前輪とハンドルを曲げて袋に収めた。
後輪は半分出てはいるが、ギア部分は輪行袋の先端で隠してお茶を濁した。

遠鉄線に無事乗り込んで新浜松へ。
JR浜松駅ではひとが多すぎてインチキ輪行も気づかれず無事構内へ。
豊橋行、米原行ともになんとか車内に持ち込み、最後は地下鉄で自宅まで持って帰ることができた。

ハブトラブルは出雲でもあったがここまでひどくならなかった。
そろそろ寿命かな。
それを思い知る機会となったわけだが、相当冷や冷やしたので、もうこんな経験ごめんである。

坂からハブトラブルまで、大変な一日だった。

【旅の空から】飯田線にて。

午前八時十一分、飯田線が豊橋駅を出発し、車上のひととなった。
飯田線は昨年九月に豊橋から岡谷まで乗車して以来。
ちなみにその前月八月には古社巡礼で遠江国の神社を回っているから一年ぶりの乗車である。

出発時間よりも二十分ほど早めにホームへ輪行した自転車を持ち込んだ。
青春18きっぷが利用できるこの時期、秘境列車として人気のある飯田線には多くのひとが乗車する。
だから自転車という大荷物を持って行く以上、場所の確保が最優先になる。

飯田線のホームは一番線と二番線でどちらも同じ位置に停車する。
向かい側に停車した電車の位置から自転車を置くスペースをあらかじめ確認しておく。
もちろん座席の確保も重要課題である。
目的地の向市場駅到着は十時五十八分、豊橋からの所用時間は二時間四十七分、三十三個目の駅である。
電車に乗っている時間が長いのは飯田線の宿命。
できるだけ早めにホームにいるようにするのは、三時間近い乗車をできるだけ快適に過ごしたいからでもある。
車窓からは外の景色が眺められるがとても暑そうだ。
時間もかかるし暑い、だから苦行のような旅。

向市場は昨年訪れた相月駅の二駅先、なぜ昨年行かなかったのだろう。
見落としかもしれないし、神社が駅から遠い山の山頂にあることから避けたのかもしれない。

先日、近江国の式内社で回ることのできる神社を回り終えた。
できれば今後、回り始めて以来数年経過している遠江国や若狭国も終えたいと思っている。
やりたいことは多いけど神社巡りはスタンプラリーではない、あくまでも巡礼である。
単にペダルを漕ぐだけでなく、その土地ならではの自然や森の姿を眺めたり、未知なる酒との出会いなどすべてが混じり合って僕の古社巡礼になり経験という血肉になる。

時間もかかるし体力も消耗する旅だけど、無理なく自分のペースでやっていければいいのだ。

【くらしの窓から】お盆と台風。

台風十号の影響か、名古屋に戻ると風が強く吹いていた。
生ぬるて湿った風だ。

お盆休みに妻の実家に帰省して先ほど帰ってきたところ。
帰宅早々、ベランダに干しておいた洗濯物を取り込んだ。
明日は僕の実家に行く予定。
だけど雨風が強ければ近いところとはいえ外出は控えなくてはならない。
しかも、朝一番に一件だけ仕事が入っている。
キャンセルになることを心待ちにしながら、でも万が一のために出勤できるような態勢を整えなくては。

それにしてもせっかくのお盆休みに台風が来るなんて。

もし明日、家にいることになったら。
そんなこともあろうかと岐阜のうまい酒を仕入れてある。
本でも読みながらのんびり過ごせるとありがたいのだがなぁ。

【くらしの窓から】お墓参り。

お盆を間近に控えた今日、八月十二日。
日・月連休の僕はお休みで、FATBIKEに乗っての古社巡礼に行く予定でいた。

出かけるときはいつも早起きである。
午前四時半に起きて朝食をとり、FATBIKEに荷物を取りつけた。
出発準備が整い、FATBIKEをマンションの外に出した。

少しの間休憩を、と座ったところ頭が熱くなった。
滋賀の酒蔵まつりに出かけた昨日、たくさん飲んだことが原因なのかしらと二日酔いを疑ったけど、それなら起床の時点ですでに気持ち悪いなど反応が出るはずだ。

起きてからの行動を振り返ると台所でコーヒーを淹れたり朝食の準備をしていた。
台所は窓を開けておくと風がよく通る半面、コンロの火を揺らしてしまうので、火を使うときは窓を閉めておく。
そのため熱がこもりやすくなるのだ。
頭が熱いので熱でもあるのかと思い体温計で熱を測ってみたが三十六度二歩。
平熱である。

妻が保冷剤を頭や脇にあててくれたらやけに気持ちいい。
もしかしたら熱中症の初期症状だったかもしれない。
だったら自転車で出かけるなんてもってのほかだ。

ところで、お墓参りにいつ行こうか考えたとき、仕事と実家への帰省でなかなか行けないことに気づいた。
行くなら休みの日の朝一番に行かねば炎天下の墓地は灼熱地獄である。
行くなら今日しかない。
ということで急きょ、お墓参りに。

墓参といっても少しだけ暑さを我慢すれば終えられるし、何よりも心配事がなくなる。
お墓のある場所は思った以上に暑かったけど、墓石に水をかけて花とみたらしをお供えし、手を合わせるとなんとなくホッとした。
やはり今日、来てよかった。
祖父母が呼んでいたのかもしれない。

その後、デパートのレストランに移動。
眺めのよい席でお値打ちなランチをいただくことができたのは、祖父母からのお礼かもしれない。
そのデパートへも祖父母とよく来たことを思い出した。

【旅の空から】近江の幸。

青春18切符を使って滋賀方面にお出かけ。
醒ヶ井の梅花藻と醤油アイスクリーム、そして愛荘町の酒蔵、藤居本家のお酒「旭日」。
近江の幸を堪能した一日!
帰宅後、疲れてしまってブログは短文しか書けずこの有様...

【くらしの窓から】新しい仕事、新しい挑戦。

四月から三ヶ月間休職して、七月に復職した。
いろいろ考えた末、もとの職場に戻ることになった。
少しずつ現場の仕事を始めひと月がたち、八月からは夏休みということもあってさらに仕事が増えることになった。

休職中の三ヶ月間はもちろん仕事をしていない。
自分がやろうと考えたことを計画的にやってはいたので、何もやっていないわけではないけど、それは仕事ではない。
これまで三ヶ月もの期間、仕事をしないなんて状況はなかったから、仕事に対する気持ちや考えがかなり萎えてしまっていた。
休職期間に入ったころ、もう仕事なんてしたくない、と真面目に考えていたし、いきなり以前のように休みなく働くことが怖かったのも事実。

七月からは仕事数を徐々に増やして体を慣らして行こうと考えた。
五月から六月にかけての松江「プチ移住」期間にずっと自転車に乗っていただけあって体力はついていた。
今後も引き続き古社巡礼を続けていくとなると、今まで以上に標高の高い山に登ったり長距離を走ったりする可能性がある。
そのためには体力維持も必要となってくるのだ。

そこで以前の職場の仕事に加えてスポット的に新しい仕事を入れてみることにした。
七月にひとつ始めて、八月からはもうひとつ始めたので、もとの仕事と合わせて計三つの仕事を稼働することになった。
もともと介護の仕事をしていたけど、あとのふたつも体力仕事である。
いまはまだしんどいが、慣れるしかない。
その代わり、日曜日と月曜日は完全にフリーだから、古社巡礼や式内社に関する勉強に当てる時間にしたい。

松江で暮らしたひと月は四十路の僕に自分がまだ変われる自信を与えてくれた。
古社巡礼だけでなく、三つの仕事を同時にこなすことも変わった自分の新しい挑戦である。

【くらしの窓から】二十年前「親韓派」だったおじさんのつぶやき。

1997年、僕が韓国で暮らしていたときのことだ。
親戚のおじさんを通してある留学生と親しくなった。
両親と姉、そしておじさんという不思議な組み合わせが韓国に遊びに来た。
そのとき、おじさんに連れられてきたのがMだった。
日本に興味がある韓国人であるMと韓国に興味がある日本人である僕、同い年ということもあって親しくなるのに時間がかからなかった。

いま考えるととても不思議なんだけど、二十代半ばの当時、男であろうと女であろうと意気投合すればだれとでも仲良くなった。
だからMとも付き合うとかっていう考えはなかった。
おじさんが間にいると思うとお互い安心していたのだと思う。

そのMは韓国南部の光州出身。
当時の僕はどこかで見知った光州事件について関心があった。
Mに尋ねると、お兄さんが当時のことを知っているという。
だから一度光州に遊びに来ないかと誘われた。

一足先に帰省したMを追って僕も高速バスに乗り光州入りした。
二十年も前のことなので光州で何をしたかは断片的にしか記憶に残っていない。
Mのお兄さんと一緒に全南大に行き、そこで光州事件当時の話を聞いたこと、そしてどういう経緯か分からないが、Mの実家で兄弟も勢ぞろいしたなか、皆でテレビを見ながら食事をしたことを覚えている。

当時、ある番組で社会的なマナーについて韓国と日本を比較するコーナーが人気だった。
M宅で見たのは信号の停止線。
韓国でも道路に停止線は引かれているがソウルでの撮影ではあってなきようなもの。
信号無視や停止線を守らない光景が続々とカメラに映し出されていた。
次に東京の場面が続く。
信じられないが皆が皆、停止線でピタッと止まる。
テレビを見ながら周囲からウソだろ、撮影のときだけじゃないのかというコメントが出た。
でも僕は自分の少ない運転経験から「日本はこんなもんですよ」と答えると、茶の間の一同は「うーん」とうなっていた。

だけどそれは、日本がよくて韓国が悪いとか、そういうものじゃなくてもっと気軽に、日本はこういうことをちゃんと守るんだよ、程度のもの。
番組的には軽いリスペクトが感じられたけど、明らかに反日ではない。
そこにいた僕は日本人とはいえ別に自慢でもなんでもない。
ただ話題自体が日本と韓国のことだからお互い楽しむことができたのだ。

M宅ではご両親からもえらく歓待され、その夜、僕は姉宅で泊めてもらった。
お姉さん夫婦も日本人の僕をとても歓迎してくれたことをいまでも思い出す。
ただ帰りはMと一緒にソウルまで帰った覚えがない。
僕は放浪癖から、どうせどこかに寄りながらソウルまで戻っているのだ。
それが思い出せないのは歳のせい、ということにしておこう。

あれから二十年以上がたった。
今日は日韓関係にとってとても重要な一日となった。
日本が韓国をいわゆる「ホワイト国」から除外した。
文政権になってからの韓国を見ているとこういう経過になるのはむしろ自然な流れに思える。
ある時期「親韓派」だった僕でも「レーダー照射問題」で韓国の行動を疑った。
現政権が反日を国是とする以上、韓国内で日本に利すると思われる意見が社会的な死を意味する以上、反旗をひるがえすことがどれほど難しいかということを日本人は考えるべきである。

M宅で過ごしたのは戦後五十周年という微妙な年から二年が経過したとき。
それでも僕たちは未来を信じて笑いあっていた。
日韓関係がいち早く正常に向かうことを祈るばかりだ。

【旅の空から】尾張、伊勢、志摩、出雲、隠岐、そして近江。

昨日、滋賀県高島市をFATBIKEで巡った。
ブログの追伸にも書いた通り、これで近江国の式内社と考えられてる神社は“いちおう”回ったことになる。
廃絶社や回りにくい神社をのぞいてということではあるが、ひとまずこれでキリをつけようと思う。

尾張国から始まった式内社を訪ねる旅は尾張、伊勢、志摩、出雲、隠岐に続き近江国で六カ国目になる。

「延喜式」によれば近江国の式内社は百五十五座。
大和、伊勢、出雲に次ぐ四番目である。
単純に座数を社数に換算しても百五十五社。
そこに論社が加わるので数は膨れ上がる。
歴史のある場所だけに一ヶ所に確定できないケースが多々あるようだ。

当日はJR湖西線安曇川駅まで輪行した。
駅前でFATBIKEを組み立てて、向かったのは高島市朽木。
目指すのはすべて高島郡の神社で、大川神社二社、小野神社、大野神社、熊野神社の五社。
数としては多いわけではないのだが、とにかく遠い。

スタートして最初に目指したのは当日もっとも遠い朽木生杉。
緑のなかを走るとはいえ日中の気温は32度まで上がった。
上り基調の往路はそれでも体力があったので二時間以上をかけて大川神社の論社である大宮神社に到着。
その後近くの大川神社にも参拝した。
話を聞いたおじいさんによれば安曇川よりも小浜の方が近く、この辺りは文化的に若狭の影響を受けていると話してくれた。
そんな遠くまで来ておきながら、一時間もおらず再び安曇川方面へ。
小野神社と大野神社、両社の論社といわれる市杵島姫神社、そして日も暮れかけたころ最後の熊野神社に到着した。

考えてみれば青春18きっぷの出るころを中心に訪れた近江国の式内社。
日差しの強い暑い夏と雪が吹雪く寒い冬、どちらかの記憶しかない。

それでも事故もなく無事に回り終えることができた。
本当にありがたい。

【旅の空から】一年ぶりの近江国。

午前五時五十分。
あと二十分ほどで出発。
持って行く荷物、自転車ともに準備はOK。

FATBIKEに乗って古社巡礼の旅に出かけるのはひと月以上ぶりである。
松江での「プチ移住」を六月七日に終えると同時に隠岐の島に渡り、名古屋に帰ってきたのが六月十一日。
それ以降、休憩と称してFATBIKEに乗るのは近場の買い物以外にはなかった。
また七月に入り少しずつ仕事を始めると時間が縛られるため休職中のように時間が取れないのと、梅雨がなかなかあけなかったので、思い切って青春18きっぷを二冊購入した割には使うことがなかった。

本日の目的地は滋賀県高島市。
松江に行く前、友人と滋賀を訪れているから久しぶりというわけではないけど、近江国の古社巡礼として訪ねるのは一年近く間があいているはずである。
竹生島への上陸は昨年八月だから、すでに一年が経過しようとしている。

外からセミの大合唱が聞こえる。
新聞記事には梅雨明け後にはとくに熱中症への注意が必要と書かれていた。
出発地点の近江今津駅から大川神社までは片道三十キロ超。
湖西地方も暑くなることが予想される。
焦らずのんびり、素敵な景色に出会えるサイクリングを楽しみたい。

※追伸。
高嶋郡の熊野神社を回ったことで、近江国の式内社で現在確認できる神社はすべて回ることができた。
時間がかかったけど、目標を達成できてとても嬉しい!

【くらしの窓から】名古屋で過ごす一日。

台風6号が来襲した昨日。
梅雨が明けたと思ったらいきなり台風である。
雨風ともに凄まじく、お出かけどころではなかった。

しかし今日は台風一過の素晴らしい青空が広がった。
先週の日曜日は京都に遊びに行ったが、今日は近場で過ごすことにした。

午前中はアサヒビール名古屋工場に見学に出かけた。
昨日、ビール工場行きを突然思いついた。
ネットで予約を入れようとしたところ、キリンビールはすでに満席だった。
日曜日だから難しいかなと思いつつもダメもとでアサヒビールのサイトを確認すると空席があったので、二名分を予約。

JR中央線で金山から新守山へ。
駅から工場までは歩いて十分ほど。
ビールの製造から缶詰めまでひと通りの説明を受けたあとはお楽しみのビールの試飲。
試飲時間は二十分で、飲めるのはひとりグラス三杯まで。
出来立てのスーパードライで乾杯し、続いて黒ビール、「豊醸」といただくと酒好きの僕もお腹がパンパンに膨れた。

ほろ酔い気分で工場を出て再び金山に戻り、昼食後、今度は地元のお祭へ。
中川区の「牛立天王祭」では牛立神明社から切戸斎宮社までを山車が巡幸する。
熱田区に引っ越して間もないころ一度見に行ったことはあるが、結婚後は初めて。
最近、京都に祇園祭を見に行って山車まつりにハマりつつある妻に名古屋型の山車まつりを見せてあげたかった。

神明社を出発した山車は細くくねった里道をゆっくりと進みながら、臨港線の線路を渡りゴールである斎宮社に向かう。

これまで平坦な道を巡幸してきた山車は難所である上り坂を一気に上がりその勢いのまま線路を通過。
すると今度は下り坂をゆっくりと下る。
山車を操る男衆が息を合わせないと危険な場所でもある。
日焼けした顔をさらに真っ赤にして力をひとつに山車を進める姿は最大の見せ場である。
斎宮社に到着した山車は、暗くなると提灯に灯りをともす。
見たことはないけど、これがまたきれいらしい。

僕たちはとりあえず帰宅、お風呂で汗を流してから再び祭の空気を吸いに出かけたいと思う。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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