名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

神楽屋形

【福島・福島市】あたしは福の神、福島の道祖神考六

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一九八一年発行の「福島市史」(福島の民俗1)は「野のほとけ」の項に道祖神を取り上げている。
そこでは道祖神についての説明や市内でまつられる道祖神の傾向について簡単に語られている。

「文字塔のほか、男根、女根で現わす例もあり、道祖神社もある」

「道祖神に男根を奉納する例は各地で見られる」

「女根を御神体とする例は少く、岡部の川面、山口の女形などが顕著」

「飯坂・瀬上など有名な花街を控えた所に道祖神を祭る例があった」

この中で気になったのは飯坂の例である。
遊郭のあった瀬上と違い飯坂は温泉街のなかに花街の機能を持っていたようだ。

ちなみに温泉街の中心にある飯坂八幡神社の境内には男根像と文字碑が他の石像とともに立っている。
花街としての飯坂と道祖神信仰が結びついていた証なのかもしれない。

ところで「福島市史」には各地の道祖神の写真も掲載されているのだが、見たことのあるものにも関わらず違和感を感じる写真があった。

茂庭の道祖神、そこには自然石がひとつ立っているだけだった。

写真は福島県福島市。

★参考文献
野地一二「福島付近の道祖神」『福島史学研究』一九六九
福島市教育委員会「福島市史」『福島の民俗1』一九八一
小林金次郎「ふくしま福の神さま」一九八一

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

101017港区東海通辰巳町2

僕がかつて屋根神さまの写真を撮ったように神楽屋形を追い求めるのは、屋根神さまも神楽屋形も名古屋という僕にとっての故郷を象徴するものだからだ。

屋根神さまがマチの文化とすれば神楽屋形はムラの文化である。

東海通の祭礼に出会って以来、名古屋市南西部に残る神楽屋形に興味を持ち自分の目で見てみたいと思った。

図書館で探し当てた分布一覧を手に港区や中川区、中村区内を歩き回る。
職場のある中村区だけはどうにか土地勘があるものの、港区と中川区はさっぱり分からない。

でも神楽屋形を探すのは意外と簡単だ。

地図を見て神社記号がついているところに行き、背の高い倉庫に天井まで届きそうなシャッターがついていれば、それが神楽庫である。

町内が神社以外の神楽庫を保有している場合は勘に頼るしかないが、慣れてくるとそれすらも地図を見ただけでなんとなく見当がついてしまうものである。

それを嗅覚というには恥ずかしいが、土地勘と地図を読み、足りないものは現地で土地の人に声をかけて尋ねれば、どうにかなるものだ。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

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神楽屋形を見るのは簡単なようで簡単ではない。

稲荷者祭礼の行われる名古屋市港区では、十月初旬から後半にかけて毎週のようにどこかでかん高い太鼓の音が響き渡る。

東海通は一つの場所で三台見られる「おいしい場所」だ。
でも神社間が離れており、なかには同日同時間帯に巡行を開始するところもあるから、見学するだけで数年を覚悟しなくてはいけない。
しかも文化財級も存在するので、天候が悪いと即アウトだ。

「神楽寄せ」
神社や公共施設地域を新しくすると、つきあいのある周辺の村々がお祝いとして神楽屋形を引いて勢ぞろいする。
何台もの神楽屋形が一堂に会する場面を想像しただけで、神楽囃子のかん高い音が耳の奥によみがえってくる。

毎年七月に開催される「みなと祭」ではその年に選ばれた三地域の神楽が開会式に花を添える、「ミニ神楽寄せ」の雰囲気だ。
ポートタワーを背に新旧のコントラストは最高だが、やはり本格的な神楽寄せを一度は見てみたいものだ。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

091018東海通中之組神楽10

「立派なもんだろう!」

西之組神楽を下から仰ぎ見ていると、ハッピを着たおじさんが声をかけてきた。

神楽屋形は、仏壇製造で必要とされる細工や塗りの技術が投入された「モノづくり」の面と、全体を金で包んだ絢爛豪華な「派手好き」の面をうまくミックスして、名古屋人の性格を見事なまでに表現した祭具である。

東海通の三台の神楽屋形のなかで、僕がもっとも「名古屋らしい」と思うのは西之組神楽だ。
なぜなら、屋形の屋根の頂上に左右のシャチホコを従え、中心に名古屋城が勇ましくそびえ立つからだ。

「新修名古屋市史」民俗編には金箔を張る前、白木造の写真が掲載されている。
年月を経てコゲ茶色に変色した彫刻は白黒写真にもかかわらず、渋味をありありと伝えている。

「神楽屋形=金神楽」といってもいいほど金箔の張られた神楽が多いので、白木の神楽は逆に新鮮に見える。

しかし、白木だろうが金箔だろうが両方ともがよく似合うと思えるのは、もともとの素材がすばらしいからだろう。

西之組の町内をひき回された神楽屋形は集会所の前に停められ、町内のひとたちに囃子が披露された。

「尾張新次郎太鼓」のハッピを着たお兄さんは、手にしたバチに精魂を込めて、体全体を使うことで生まれる勢いをそのまま太鼓に伝えていた。
細バチから太鼓に伝わる勢いが、カメラを構えながら横で見ていてもしっかりと感じられる。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

101017港区東海通中之組27

「毎年のことだで、大丈夫だよ」

中之組神楽について歩いたときのこと。
交通量の多い江川線を突破した神楽屋形の一行にとって、難所は一か所だけではなかった。

東海通の神楽屋形のうち江川線の西側に地元がある中之組と西之組。
その位置する港区津金は中間に臨港線の線路が名古屋港に向かって伸びている。
バス停「臨港線踏切」の辺りだ。

東海通を西に進んだ神楽の一行はいったん東海通に敷設された踏切を渡り路地に入る。
そしてまつり宿で囃子を披露しながら中之組の集会所を目指す途中に最大の難所を経験するのだ。

再び現れた臨港線の踏切は盛土の上に敷かれた線路である。

冒頭のセリフは、踏切を渡る前に「本当に大丈夫ですか」と尋ねた僕に町内のおばさんが笑顔で答えてくれた言葉。

踏切の前に差しかかり、神楽屋形はいったん停止する。
中心の棒を抱えるひととサイドから屋形を支えるひとに分かれ、ゆっくりと線路を越す。

遠くには名古屋港の観覧車をのぞむ路地の踏切で、毎年この光景が繰り返される。

渡り切ったときの一行は皆、安どの表情を浮かべていた。
集会所はもうすぐだ。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

101017港区東海通中之組14

辰巳町の神楽屋形に引き続き、翌年は中之組の神楽巡行にお邪魔した。

中之組神楽の屋根の頂上部には弁慶と牛若丸の五条大橋での出会いが表現され、両脇をシャチホコが守り、鬼面がにらみをきかせている。

しかし、そのゴージャスな黄金色に輝く神楽屋形のシャチホコが巡行中に取れてしまったという。
中之組の神楽についていきながら、コトの真相を聞き出そうと町内に人に声をかけた。

前年のことだった。
僕が辰巳神楽とともに稲荷社の境内に戻ってくると、あとから現れた中之組神楽の様子がおかしい。

片側のシャチホコがない。

巡行中に屋根に取り付けられた細かい彫刻が取れてしまうという話はよく聞くが、大きなシャチホコが取れるなんてことはあるのだろうか。

「横断歩道の歩行者用の信号にぶつかっちゃってね」

稲荷社境内から出発した神楽屋形は町内の人々に先導され自分たちの町内のある地域を巡行する。
しかし田んぼのあぜを歩いた昔と違い、いまでは名古屋を南北に貫く大通りである、江川線という関門を突破しなくてはいけない。

恐らくは、信号を急いで渡ろうとあわてた際にシャチホコを歩行者信号にぶつけてしまったのだろう。

神楽屋形は秋の収穫を感謝して引き回されるものだった。

車社会に変ぼうした風景のなかを遠慮がちに進む姿に、時代の流れは伝統文化に“生きにくさ” という試練を与えているような気がした。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

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「僕もついてってもいいですか?」
「あぁ、いいよ」

三台の神楽屋形が出る名古屋市港区東海通の稲荷社祭礼。

神楽屋形は境内前に集まったあと各町内を巡行するので、昼までは離ればなれである。
そこで一年に一町内ずつ、三年をかけて辰巳町、中之組、西之組をそれぞれ回らせてもらった。

東海通は名古屋南部を東西に貫く主要幹線。
でも大通りのすぐ南には車がすれ違えないほどの細くて狭い路地がのびている。

地図で確認すると、旧宮の宿西側の熱田区大瀬子町辺りからカーブしながら東海通に続いている。
脇往還の雰囲気だ。

もちろんこの細い路地を神楽屋形も進む。

辰巳町神楽は町内のまつり宿を一軒一軒訪ね、そこで神楽囃子を披露しながら巡行する。

町内の長老格が先導し、「稲荷社祭礼」と染められた白いハッピを着た囃子方の若衆があとに続く。

小さな子たちは神楽屋形ではなく町内や組で出すお獅子をかぶって町内を回っていた。

資料によれば、名古屋市内ではかつて、若者組や青年会という若者組織が中心となって重い神楽屋形を担ぎ、囃子を担当したという。
年齢階梯の厳しい環境下で行われていた祭礼もいまは昔、僕に目には秋の日のにぎやかな楽しいおまつりに映った。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

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僕が初めて東海通の祭を知ったのは、神楽屋形に興味を持った五年前のこと。
それまで神楽屋形自体も家から近い場所で祭をやっていることすらも知らなかった。

僕にとっての「初神楽」は中川区の中野神明社境内に置かれていた神楽屋形だった。
天保期に造られた神楽屋形は、基台である長持から屋形、彫刻にいたるまでこげ茶色に変色し年期を感じさせる白木造だった。

一方、神楽屋形に多い金箔を張った金神楽の初モノは、東海通の三台だった。

祭礼日の午後、神楽揃えの時間帯に入っていた仕事を無理いってずらしてもらった。

猶予は三十分。

あらかじめ近くのバス停から仕事場までのバスの時間を調べておいた。
祭礼後の仕事に差しつかえないように、持参するカメラ機材はできるだけ少ないものにした。

電車が駅に到着した。
カンカンカン、駅を出ると僕の向かう場所から、か細いがかん高い音が風にのって漂ってきた。

音の出所に歩みを早める。
音が大きくなったと思い神社の角を曲がると三台の金神楽が…

「すげぇ、キンキラキンだ...」

自分の貧しいボキャブラリーのなかからようやく絞り出した言葉だった。

あまりの感動に、この言葉以上の表現は見つからなかった。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

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祭の朝、午前七時半。
祭の準備の光景を見たかったので、早いとは思ったけど稲荷社に向かった。

三台の神楽屋形が納めてある神楽庫のうち、中之組以外のシャッターは閉まったままだった。

「カギ持っとるひとが来んもんでねぇ」

少し待っていると辰巳町、西之組のひとたちがやって来た。
辰巳町のひとたちは倉庫から稲荷社の境内前に神楽屋形を移動させ、西之組は倉庫の前で、それぞれ瓔珞や屋根に飾る装飾品を取りつけていた。

三町内の神楽屋形が揃うと囃子方の若者たちが細長い竹のバチで太鼓を叩く。
三台分のかん高い太鼓の音が境内正面のマンションにはね返って響き渡る。

神楽の近くにいると大音量に耳がおかしくなってしまいそうだが、しばらく聞いていると、そうそうこんな感じだった、と一年ぶりに聞くリズムが記憶のなかからよみがえってくる。

太鼓の音がやみ氏子総代があいさつする。
さっきまでのかん高い音がウソのような、つかの間の静けさ。

「今日も事故のないよう、お願いします」

カンカンカッカカカンカン…

待ってましたとばかりに太鼓が鳴り響く。
巡行の出発だ。

写真は愛知県名古屋市。

【愛知・名古屋市】神楽屋形に会いにいく旅へ 第二部

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「高速道路ができるもんだでね、神社をこちら側に移転したんですよ。そのとき神楽にも金箔を張ったんです」

地下鉄東海通駅を出て住宅街を東に進むと、最近建てられたような神社がある。
白木のつややかさが残る本殿、隣接して建つ縦長のシャッターを供えた倉庫は、電動シャッターと換気機能を備えた最新設備である。

東海通の交差点にあった神社のことは覚えている。
日比野の交差点から名古屋港に伸びる江川線沿いに稲荷社はあったが、気がついたときにはすでに神社地は更地になっていた。
高速道路が江川線上に建てられるのを機に道路拡張が行われ、そのあおりで移転を余儀なくされた。

中川区の中野神明社で初めて神楽屋形を目にして、その姿に感動した僕が向かったのは移転後の稲荷社だ。

そこで、辰巳、中之組、西之組の三台の神楽屋形に出会った。

十月の祭礼に通うこと五年。

神楽屋形の魅力にのめりこむきっかけを、東海通の神楽屋形が与えてくれた。

写真は名古屋市港区。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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