名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

若狭国

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・木野神社

170401木野神社1

閉められていた防獣用の扉を開けて神社に向かったものの、拝殿の手前にも境内への侵入を防ぐためのフェンスが張られていた。
先に進めないので本殿に向かって手を合わせる。

どうにか境内に入れないものだろうか。

そう思っていたら、伐採作業で山に入っていたひとたちが作業を終えて戻るところだった。

「こんにちは。神社のなかには入れませんかね」
「向こうの方から行けるんじゃないかな」

神社の後方を指差しながらそう教えてくれた。

その場に向かったがやはりフェンスに囲まれている。
しかしよく見ると出入りができる場所があった。
ゆるく結わえられた針金を解いて境内に入った。

いったん先ほど参拝したフェンスのある場所に戻り拝殿へ、そこに鳥居からフェンスまでの歩数を足して95歩。
改めて手を合わせた。

じつはこうした光景は初めてではなく、この日は動物の気配こそ感じなかったけど防獣フェンスのすぐ向こう側にシカやニホンザルを目にすることもこれまで度々あった。
街で生活していると動物被害はニュースのなかの出来事で、実感することは難しいものだ。

神社を訪ねることは楽しい。
半面、その土地ならではの厳しい現実を見つめる旅になることもある。

写真は福井県美浜町。

170401木野神社5

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・織田神社

170401織田神社(佐田)1

僕はFATBIKEで神社を回る際に自分なりの決まりを作っている。
いくつかあるけど主なものは、

「境内では自転車に乗らない」
「必ずお参りする」
「ビンディングシューズは履かない」

の三点。

とはいえ最近は決まりを少し緩めて、境内が広く車も通行できるできる道だけは乗ってもいいことにした。

歴史の古い式内社とはいっても、入り口から拝殿までの距離が10歩ほどの場所から300歩以上というところまで本当に大小様々。
佐田の織田神社は僕がこれまで訪れた神社のなかでも広い神社だ。
入り口の鳥居から拝殿までは510歩。
まずは参拝。
祭神は国常立尊。

一直線に伸びる参道では四月四日と九月九日の年二回、夕陽が一の鳥居と二の鳥居を一直線に結ぶ「織田神社の夕陽」が見られる。
かつては海まで伸びていたという参道を使って騎馬や弓矢の練武場としても使われいたそうだ。

いまでは車も通るその参道、FATBIKEで走ってみた。
舗装されていない道を太いタイヤでショックを吸収しながら、現代版「騎馬の練武」と勝手に解釈して鳥居まで走っていった。

写真は福井県美浜町。

170401織田神社(佐田)5

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・織田神社

170401織田神社(北田)1

菅浜の海水浴場。
ベンチに腰掛けながら昼食に買っておいた焼き鯖寿司を頬張った。
ひとの姿がまばらな春の海の上空をトンビが鳴きながら旋回している。

気がつくと少しずつこちらに近づいてきて僕の頭上を旋回し始めた。
あわよくば昼食のおこぼれでもいただこうという腹かもしれない。
近くで見るトンビはタカの仲間だけあって大きい。
好物の焼き鯖を奪われてたまるか、と体で隠しながら食べた。

美浜町東岸は古来、朝鮮半島から人々が渡ってきた地点であると須可麻神社の由緒に書かれていた。
「式内社調査報告」に付いていた地図を見ると、美浜町東岸には海に沿って神社が点々と存在している。
これから訪れる神社も渡来人と関係があるのかもしれないと思いながら菅浜から海岸線をサイクリングして北田に入った。

集落の先、丘陵部手前の森に鳥居を見つけた。
入り口から拝殿まで65歩。
まずは参拝。

須可麻神社と同じく海をのぞむ場所にある神社で、境内に座ってメモをしていると常に波の音が聞こえる。
普段の仕事が大変でも森の緑を目にしたり波の音を耳にすると心が落ち着く。

写真は福井県美浜町。

170401織田神社(北田)3

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・須可麻神社

170401須可麻神社1

「菅浜神社か、ここまっすぐ行ったら突き当たりに鳥居がある」

地図を見ながら神社を探すがいまいち分からない。
ちょうどスーパーからおばあさんが出てきたので声をかけた。

住宅が立ち並ぶ道を山側に進むと公民館のある広場に出た。
神社はその広場の端に鎮座している。
入り口の鳥居から拝殿までは80歩。
まずは参拝。

「敦賀半島及び美浜町東部は古朝鮮(新羅)の王子であった天日槍の一族が集団渡来した地点...」

祭神である菅竈由良度美もそのひとり。
この地に住みついて焼き物を作りそれが若狭一帯に広まった。
社名の「須可麻」は焼き物を焼くための「竈」から来ている。

菅竈由良度美のように朝鮮半島を故地とする人々が住み着いた菅浜には「川で洗濯物を棒でたたいたり、足で器用に踏みつける」といった半島由来の習慣が残っていたそうだ。

「いまはどこも電気洗濯機だあな」

金達寿氏は著書のなかで、氏をはじめ一向がその光景を確認するために地元の女性に声をかけたものの、そういって笑われたと書いている。

写真は福井県美浜町。

170401須可麻神社4

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・高那彌神社

170401高那彌神社4

丹生へ向かった道を再び戻り今度は竹波へ。
左手に見えていた美浜原発のドーム型の建屋が右手に変わった。

海の青さとは対照的に空にはどんよりと雲が覆っている。
近くの砂浜に降りて原発を眺めた。
その巨大な建物は風光明媚な日本海の風景のなかに圧倒的な存在感をもって建っている。

ちなみに砂にも強いはずのFATBIKEで初めて砂浜を走ってみた。
しかし空気圧が高いままだったのですぐに砂に埋もれてしまい漕ぐことさえままならなかった。

再び道路に上がると「式内高那弥神社」と書かれた標柱が立っていた。
神社は竹波の集落の奥、山の手前に鎮座。

入り口の鳥居から石段を上がって拝殿までは60歩。
まずは参拝。

拝殿の入り口には近江や越前でもよく見られるような雪を防ぐためのガラス扉が取り付けられている。
祭神や由緒について記されたものは見当たらなかった。

高台にある拝殿を背に海側に目を向けると社叢の木々の隙間から原発の建屋が見えた。
そして改めて原発からの近さを実感するものが境内に設置された放射線量を測定する「竹波モニタリングポスト」
ちなみに僕がいたときの数値は「70.7nGy/h」(nGyはナノグレイ)だった。

写真は福井県美浜町。

※「nGy/h」はナノグレイ毎時と読み、一時間あたりの放射線量を示している。関西電力のホームページによれば、美浜原発付近で測定される放射線量は20〜170nGy/h。

170401高那彌神社5

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・丹生神社

170401丹生神社1

「みなさん、今日は僕も走りますよ」

敦賀を訪れるたびに投宿するホテルはいつになくひとであふれていた。
その理由が分からないまま気比の松原を北上、常宮神社手前の縄間で西に折れて敦賀半島西部に出た。

美浜原発の姿が視界に入るころ聞いたことのある声が辺りに響いた。
そう冒頭の声は演歌歌手の五木ひろし。
美浜町出身の彼の名を冠した「五木ひろしマラソン」の開催日だったのだ。

岡谷公二氏の著書を読み敦賀半島先端の白城神社を訪ねてみたいと思っていた。
念願かなってFATBIKEで訪れたものの、僕を待ち受けていたのは五木ひろしと大勢のランナーだった。

あれから二年後に訪れた美浜町はとても静かで、ときおり大型ダンプカーが横を通り過ぎていった。

丹生神社は白木へ向かう道を山のなかに少し入った場所に鎮座している。
入口の鳥居から拝殿まで石段を上がり80歩。
まずは参拝。

社務所や常夜灯、末社などところどころ新築されているので、山中の古社に花が咲いたような明るさが印象的だった。

「丹生」の名がつく式内社は各国各郡にある。
丹生の語源である丹とは硫黄と水銀が化合したもの。
その丹を採掘した人々がこの山一帯にいたことを境内に座りながら想像してみた。

写真は福井県美浜町。

170401丹生神社2

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・多由比神社

160807多由比神社1

常神半島に点在する海に面した集落では海水浴客が暑い日射しのもと、海遊びに興じていた。
その姿を見ると久しぶりに海で泳ぎたい気分にかられた。
海水浴なんて何年も行ってない。

アップダウンの多い半島先端から三方五湖に面した付け根部分に戻ってきた。
持参した地形図では、多由比神社は三方湖岸から細長く山側に伸びた平野の湖寄りの山裾に鎮座する。
社名である「多由比」は「田井」「田井野」という地名と対応しているようだ。

入口の鳥居から拝殿までは55歩。
拝殿の入口はサッシの扉が取りつけられているので扉を開けてなかに入る。
まずは参拝。

手を合わせていると近くでブーンという音がしていた。
振り向くとスズメバチのような大きなハチが拝殿内を飛び回っていた。
刺激しないよう外に出る。

「式内社調査報告」によると、祭神は応神天皇と菅原道真公。
ただし元来の祭神は不詳とされるべきと書かれている。
また江戸時代までは神社に隣接する慈眼寺が神社を守っていたそうだ。

周囲には民家が建ち並ぶが、ひとの姿は見られずセミの鳴き声だけが大きく響いていた。

写真は福井県若狭町。


160807多由比神社2

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・常神社

160807常神社3

青春18きっぷを使いJR三方駅に到着したのは午前十一時三十分ころ。
そこからFATBIKEを組み立てて常神半島に向かった。
日中でも暑さの厳しい時間帯である。

半島の付け根部分は平坦な道が多く楽だったが、先に進むにしたがいアップダウンを繰り返すようになった。
上りはきつい分、下り坂は風を受けるから気持ちよい。
そして時折目にする小浜湾の透き通る青い海に心が和む。

一時間半ほどかけて半島先端の常神に到着。
神社は集落の手前、まだ緑に覆われた山のなかに鎮座する。
入口の鳥居横には根元にコブのある立派なタブノキが枝葉を広げていた。

鳥居をくぐり石段を上がって拝殿までは115歩。
神社に足を運ぶひとが少ないからか、石段の所々にクモの巣が張っている。
まずは参拝。

三方駅出発時にはツクツクボウシが鳴いていたが、境内ではヒグラシの鳴き声が聞こえる。

「式内社調査報告」によれば、地名は常神だが、社名は「ツネノ神ノ社」と記されるように「常」である。
また社名に「常」の文字がつくことから敦賀の常宮神社との関係が深く、祭神も同じく神功皇后をまつっているという。

写真は福井県若狭町。

160807常神社4

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國遠敷郡・波古神社

160725波古神社1

波古神社にはこんな言い伝えがあるという。

「伊屋谷の峰より夜な夜な光が差していた。この光は一つの箱のなかより差していたので、これを御神霊の御降臨として奉った」

社名の波古(ハコ)はこの「箱」と関係があるようだ。

須部神社から波古神社に向かう途中、田んぼのなかにある上ノ塚、中塚、西塚の脇袋古墳群に立ち寄った。
さらに波古神社の由緒書には近くの堤向山古墳群から袈裟襷紋銅鐸が出土していると書かれていた。

それほど遠くない場所に若狭比古比賣神社や他の式内社も点在していることから、この辺りは古代史上、重要な場所であったことが分かる。

日が暮れる前に神社に行こうとFATBIKEのペダルを漕いだ。
入口の鳥居をくぐり拝殿までは100歩。
まずは参拝。

由緒書によれば祭神は波邇夜須毘古ノ神で波古大神ともいい、山野田園の土壌を司る神とされる。
再び由緒書にある言い伝えを見ると境内の森は、社殿完成時に一夜のうちに樹木が茂ったので「一夜の森」、またツバキが多いので「椿の森」とも呼ばれる。
実際境内を歩いてみると、ツバキより大きなタブノキやイチョウの方が目についた。

写真は福井県若狭町。

160725波古神社3

【FATBIKE古社巡礼!】若狭國三方郡・須部神社

160725須部神社1

FATBIKEで式内社を回る前の準備として、いつも地形図に神社の場所を蛍光ペンで印をつけておくようにしている。
いまではGoogleマップという便利なサービスがあるけどそれだけに頼っては面白くない。
とはいえ事前に地図に印を落とし込む際にはGoogleマップに大変お世話になってはいるが。

須部神社を探すときも検索窓に「若狭町 須部神社」と入れてみた。
しかし結果として出てくるのはなぜか恵比寿神社。
どうしてだろうと不思議に思いながら現地に向かった。

境内から離れた場所にある標柱には「須部神社」と書かれていたので安心したものの、近くの鳥居の扁額にはやはり恵比寿神社の文字。

FATBIKEを担いで石段を上がり拝殿までは250歩ほど。
まずは参拝。
拝殿前に置いてあった由緒書には「西の神 恵美須神社(須部神社)」と書かれていた。
創建は養老二年。
祭神は蛭子大神(恵比寿大神)、大国主大神、陶津耳之命。

「延喜式神名帳」によると須部神社の社名には「スヘノ」とルビがふられていた。
神社が鎮座する末野町も「陶ノ宮」が転訛したといわれ、ここから須恵器や土器が産出されたそうだ。

写真は福井県若狭町。

160725須部神社2
カテゴリ
最近のコメント
RSS
ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
ライブドア 天気
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
お願い
◆お問合せ、ご質問、取材などご連絡はコメント欄へお願いします。後ほどご連絡差し上げます。


◇ ◇ ◇


◆当ブログの写真や図、文章等の無断転用・転載を禁止します。
お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
  • ライブドアブログ