名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

近江国

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・熊野神社。

190729熊野神社5

古社巡礼するにあたり心がけていることがある。
朝はどれだけ早くてもいいが、終わりは午後三時をめど帰宅の準備をしている。

熊野神社に到着したとき、手元の時計は午後五時を示していた。
夏なので日が長く明るかったからよかったものだ。
薄暗い状態で神社にいると、目的が古社巡礼という崇高なものであったとしても、賽銭泥棒と勘違いされる可能性が一段と高まる。
午後三時に終わらせるのは体力的に無理をしないようにすることと同時に、賽銭泥棒に間違えられるのを防ぐためでもあるのだ。
過去には午前中に間違えられたこともあるけど...

両台橋で安曇川を渡り上古賀の集落に入ると獣害を避けるためのフェンスがあちこちに張られていた。
もちろん熊野神社も例外ではない。
縛ってある鎖を解き、FATBIKEごとフェンスのなかに入れた。
鳥居の前の常夜灯にFATBIKEを立てかけて境内まで歩く。

七月末とはいえ境内のある辺りは都会よりも気温が低い。
しかも参道を歩きながら耳にするのはヒグラシの鳴き声。
どことなく夏の終わりを感じて物悲しさが身にしみる。
拝殿まで210歩。
山の水と思われる冷たい水が手水舍に注がれている。
すぐ近くの小川は音を立てて流れていく。
水が清らかなので、獣害さえなければ神社が鎮座する最適な場所である。

境内はかなり広い。
本殿に向かって左側には連なった社殿がまつられている。
相当に古い造りである。
対する本拝殿は平成三十年四月竣工というから、木々生い茂る古社に新鮮な風が吹きこまれたように鎮座している。

拝殿に腰掛けながら樹高の高い木々が境内を囲む風景を眺めた。
ここ熊野神社が近江国の古社巡礼、最後の神社となった。

写真は滋賀県高島市。

190729熊野神社2

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・大野神社。

190729大野神社市杵島2

大野神社の論社と考えられている神社は三社。
マキノ町の日吉神社、今津町の日枝神社大水分神社、朽木の市杵島神社末社の大野神社である。

日吉神社と日枝神社大水分神社を訪れたのは道路上に雪が残る寒い冬だった。
当日は近江今津駅で下車し、FATBIKEを組み立て湖岸沿いに鎮座する日枝神社大水分神社湖に向かい参拝。
その後、冷たい風が吹きすさぶ湖岸沿いを走り、近江中庄駅を西に向かうと日吉神社の鳥居が見えてきた。
二年ほど前のだけど、「式内社調査報告」を読みながら同地を訪ねたことを昨日のように思い出す。

そして三番目の大野神社は小野神社同様、朽木大野に鎮座する。
小野神社で書いたこととダブってしまうが、実際の距離だけでなく気持ちの上での距離も遠かったから、なかなか足が向かなかった。
大川神社、小野神社、熊野神社、そして大野神社の高嶋郡の遠方四社。
近江國がなかなか終わらない原因だったが神社が悪い訳ではなく、僕が行かなかっただけの話である。
何はともあれ、一日でこの四社を無事に回れたのだから、むしろそのことを感謝しなくてはいけない。

市杵島神社は巨岩の上に三つのお社が鎮座する。
鳥居をくぐり石段を上がり中心に位置する社まで30歩。
姫神を描いた扁額が掲げられているので市杵島神社であろう。
その両脇、左右に小祠がそれぞれ一社ずつまつられていて、向かって右側の社には大川神社と書かれた扁額がある。
一方、向かって左側の社には扁額がなく、こちらが大野神社と思われる。

「式内社調査報告」によれば、大野神社はもともと現在地よりも南部にあり、のちに合祀された。
祭神に関しては「本来この神社の祭神は大野氏の祖神とする考へが強いやうである」とある。
境内には祭神や由緒を示したものがないので、実際にはどうなのか分からない。

そもそも大野氏とはどんな氏族なのだろう。
「日本古代氏族人命辞典」には「豊城入彦命の後裔氏族の一つ。大荒田別命の子孫という」と出ている。
両者をまつる神社が高嶋郡の大荒比古神社である。
大野神社の存在は大荒比古神社が高嶋郡に鎮座することと関係があるのかもしれない。
大荒比古神社を拠点とした氏族の分派かもしれないし、姻戚関係から同じ郡内に拠点を設けそれが大野神社の前身となったのかもしれない。
その辺りの事情は分からない。

ただ大野神社と考えられる三ヶ所の神社のうち、現在も大野神社と名乗っているのは当社だけであり、所在地にも大野とつくことから、大野氏に関係する人々が朽木周辺に住んでいた可能性は高いと思う。

写真は滋賀県高島市。

190729大野神社市杵島1

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・小野神社。

190729小野神社市杵島3

近江国、即ち滋賀県は名古屋からすれば隣々県だから、滋賀県自体に行くことはそれほど遠くはない。
名古屋から米原行きのJR東海道線に乗り関ヶ原を越えるとそこは近江である。
思った以上に近いので近江の式内社なんてあっという間に回れるさ、とついつい油断をしてしまった。
そこに立ちはだかるのが滋賀県でも名古屋から行きにくい高嶋郡の神社。

小野神社の論社である市杵島姫神社は、最寄りの安曇川駅から21km。
松江に「プチ移住」する五日前の五月二日、大学時代からの友人と自転車に乗り鯖寿しを食べに行った。
鯖寿しを商うお店自体は大津市だったが、お店までは高島市朽木を経由する。
ついでなので小野神社と大野神社の論社である市杵島姫神社に立ち寄った。
僕のFATBIKEと友人のロードバイクを重ねて写真を撮ったまではよかった。
しかし当日のメーンはあくまでも鯖寿し。
古社巡礼の事前準備を怠ったため市杵島神社がまつられる岩上の境内を撮りはしたものの、小野神社がまつられるとされる末社は写さず終いだった。

二度目の朽木は大川神社を訪れた帰り道だった。
二ヶ月前に訪れた市杵島神社の境内。
露出した岩の上には市杵島姫神社を中心に大川神社、大野神社がまつられている。
境内はそこだけではなく、鳥居の外側にもあり、小さな流れの対岸、鬱蒼とした木に覆われた小さな祠がまつられていた。
近寄って手を合わせる。
末社という体裁のようだが見たところ、現在までも祭祀が行われているのかよく分からない。
「式内社調査報告」に掲載されている小野神社の写真はこの小祠を写したもののようだ。

正直なところ、ここまでやってきた時点で自分の体の方が心配だった。
当日、FATBIKEで100km近くを走ったはずだ。
先に大川神社を訪ねたあとでの市杵島神社。
到着したころには尻は下着と擦れて痛いし、身体中に筋肉痛のような痛みが出て、歩くとフラフラする。
神社を訪ねるという目的ひとつでここまで走った自分を褒めてあげたい。

写真は滋賀県高島市。

190729小野神社市杵島2

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・大川神社。

190729大川神社旧社地1

大川神社を訪れる際、「式内社調査報告」に掲載されていた地図をグーグルマップ上に落とし込んでおいた。
その情報を大宮神社を発つ前にスマホで場所を確認する。
川に沿って西に向かえば自転車なら数分の距離である。

数分後、近くに来ているのは確かだが、落とし込んだ場所と現在地がほぼ重なりかけているにも関わらず、そこに神社らしき祠は見当たらなかった。

特別大きくなくともごく普通の神社であれば鳥居や社名が刻まれた標柱が立っていたり、背の高い木々が社叢林を形成していたりするはずである。
しかし目的地である大川神社は旧社地。
伊勢国で散々旧社地巡りをした経験から、社殿といっても小さなものだろうことは想像がつく。
また社殿すらなく碑だけが立つケースもひとつや二つではなかった。

川にかかる小さな橋の辺りを行きつ戻りつしながら祠を探してみた。
端からみれば集落内をウロつく怪しいおっさんに映ったことだろう。
昼下がりの集落には遠くで草刈機が草を刈る音が聞こえてもひとの姿を目にすることはない。
でも家の前には軽トラがとまっているからひとがいることは確かだ。

そのうちの一軒のお宅を訪ね、開いた窓から声をかけた。
すると昼寝をしていたとみられるおじいさんが窓から顔を出して返事をくれた。

「車庫があるさかい、入っていくと小さな祠があるわ」

小屋のような建物の横には草に覆われているけど足元に注意を凝らすと獣道のなような道がある。
小道をたどっていくと前方に小さな堂が建っていた。
これだこれだ! 

木々が邪魔して外からは見えなくなっているけど祠がまつられていた。
川とはいえない小さな流れの上を二本の丸太が通してある。
渡ると小さな広場に出た。

祠の前にはふかふかした苔がじゅうたんのように敷き詰められていた。
枝葉を広げた木立に遮られ地面まで十分に日光が届かないようだ。
神木であろうイチョウと間伐を施されていない木々が生い茂る。
周囲とは明らかに違う、ここは神域である。

トタン屋根で葺かれた鞘堂には木製の簡素な社殿が鎮座している。
軒部分には大川神社と書かれた扁額とともに祭神と関係するのだろうか、神像などが描かれた絵が掲げられていた。
まずは参拝。

それにしてもなぜここが旧社地なのだろう。
もともとこの場所に大川神社が鎮座していたが時代の流れで近くの大宮神社に合祀され、やはりここにも必要ということで再度まつられた、ということなのだろうか。
時をへていまでは合祀先と旧社地の二カ所にまつられている。

再び頭を下げて神域から戻ろうとしたら先ほど場所を教えてくれたおじいさんが様子を見にきていた。

「どうやってここに神社があること知ったんや」

不審そうに聞いてきたので「式内社調査報告」のことを話すと「ここは猪除けの神さんや」と教えてくれた。

「昔はクマもおったけど最近は見んな。シカやサルは最近になって出てくるようになったわ」

昭和十一年生まれというおじいさんは動物の話から始まり、いつしか昨今の日本と滋賀県の政治について熱く語り、最後にはこう嘆いていた。

「ここもだんだんとひとが少のうなった。滋賀県やったら大津、関西やったら大阪、日本やったら東京に行かなどうしようもあれへん」

今日中に近江国の残りの神社を巡りたいと思っていたから延々と続くおじいさんの話を時間を気にしながら聞いていた。

「そろそろ行きますね」

そう切り出すと「変な話聞かせてもうて悪かったな」と謝ってきた。

「いいえ、知らないことを知ることができて勉強になりました」

おじいさんの話はここに来ることがなければ聞けない話であるし、よそ者だからこそ聞かせたい話なのだと思う。

神社を巡るだけでも古社巡礼である。
そこに、土地のひとの話が加わるとよりリアリティーを伴う。

そうポジティブに考えようと思う。

写真は滋賀県高島市。

190729大川神社旧社地3

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・大川神社。

190729大川神社大宮1

大宮神社の鳥居をくぐり境内に入ると樹高の高い木々が拝殿や本殿を取り囲むように立ち並んでいた。

車の音もほとんど聞こえない境内でゆいいつ耳に届くのは手水舍に注がれる水の音。
その隣には小さな池があり清らかな水で満たされていた。
なかをのぞくと、いたいた、池の底や岩陰にはイモリの姿が。
外にはい出ようとするものもいたので、カメラをマクロモードにしてぐっと近づけて撮ってみた。
物怖じせずじっとしており、よく見るとかわいい。
イモリが生息するのは水がきれいな証拠である。

以前にも神社の池のなかでイモリを目にしたことがあった。
若狭国一宮である若狭彦神社の境内だった。
雰囲気を漢字で表すと静、閑、清。
大宮神社はどことなく若狭彦神社に似ている。
直感でそう思ったが、あながち的外れなことではなさそうだ。

大宮神社の次に向かった同社の旧社地で、近くに住むおじいさんはこんなことをいっていた。

「この辺は近江よりも若狭の影響を受けてます。駅も湖西線より小浜線の駅の方が距離が近いしな」

高島市朽木。
大学サイクリング部時代、この辺りを走ったときはまだ朽木村だったから、僕のなかでは村のイメージのままだ。
それにしても遠いところだ。
JR湖西線安曇川駅からペダルを漕ぐこと二時間半。
漕ぐたびに深い山のなかに入っていく。
上り坂ばかりで辟易だったけど、冷たい水が湧いていたり、猿の群れに出会ったりしてそれはそれで楽しいサイクリングだった。

ようやく到着した大宮神社の入口にFATBIKEをとめ、鳥居をくぐり拝殿を回り込んで本殿まで96歩。
標柱には日吉神社、鳥居の扁額には大宮神社とあるけど、目的の大川神社は本殿右隣に他の神社とともにまつられていた。

「式内社調査報告」によれば大川神社の論社とされるのはマキノの唐崎神社と朽木の大川神社旧社地の二社。
しかし朽木には旧社地だけでなく大宮神社境内にも摂社として大川神社がまつられている。
社が二つ存在するのは単に新旧の差なのだろうか。

同書の地図には唐崎神社と対比させる形で旧社地の方に所在印を打ってはいるが、大宮神社にも丸印が打たれていて論社と匂わせるような記述がある。
はたまた大野神社や小野神社の論社である市杵島姫神社境内の大川神社についても論社を匂わせて説明しているので、一体どこがどこやらと頭がこんがらがってしまう。

写真は滋賀県高島市。

190729大川神社大宮5

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・櫟原神社

190502櫟原神社(櫟)2

大学時代の友人とともに鯖街道にあるお店に鯖ずしを食べに行こうと約束していた。
FATBIKEとロードバイクという異色の組み合わせ。
ゆっくりペダルをこぎながら安曇川沿いの県道を北に向かうと、道路沿いの森が視界に入った。
翌日五月三日が祭礼日のようで、入り口には「櫟神社」と染められた幟が立てられていた。
友人とともに参道を進む。
本殿の手前に立つ鳥居をくぐり正面の覆屋に鎮座する本殿まで25歩、まずは参拝。

お社は桧皮ぶきで大変古そうな造り。
向かって右手には一社の祠が、左手には数社を収めた祠が立っていた。
友人を待たせてはいけないと思いながらも、本殿の周囲を一周。
櫟原神社の論社である当社について、由緒などは見当たらない。

「式内社調査報告」によれば祭神は罔象女神と片岡神。
岡と安曇川の水に囲まれた場所にふさわしい神と書かれている。
また延喜式にふられたルビには社名の「櫟原神社」を「イチヒハラ」と読んでいるが、「櫟」はクヌギと読む。
境内を見渡したけど、よく目につくのはヒノキのような針葉樹だった。

写真は滋賀県高島市。

190502櫟原神社(櫟)1

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・大荒比古神社二座

180805大荒比古神社2

波爾布神社の参拝を終えて大荒比古神社に向かう。
通り抜けた森からはカナカナカナとヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。
しかし森を抜けると日差しがジリジリと照りつけ、額からには汗がほとばしる。

両社間の距離は五キロ。
何でもないときと比べると猛暑のなかでは余計に遠く感じられる。
途中にある熊野本古墳群にも立ち寄ろうとした。
説明には隣接して高地性集落があったとされ見てみたかったが、急坂のため向う途中であえなく撃沈。
諦めて先を急ぐことにした。

境内に到着したものの、大きな神社なのに鳥居が見られないことを不思議に思っていたら、長い参道の向こう側に立っていた。
いつもなら鳥居まで戻り拝殿までの歩数を数えるのだが、暑さのため割愛することに。

石段を上がり拝殿を回って本殿にて参拝。
由緒が書かれたパンフレットを一部いただいた。
社名とともに書かれた四つ目結の神紋に見覚えがあった。
確か湖東の沙沙貴神社も同じだったはず。

主祭神は豊城入彦命と大荒田別命だが、相殿にまつられている四座(少彦名命、仁徳天皇、宇多天皇、敦實親王)は佐々木氏が当地を領有した時代に累代の祖神としてまつったものだという。

境内のベンチに座り、空を見上げるとトンビの群れが上空を旋回していた。

写真は滋賀県高島市。

180805大荒比古神社5

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・熊野神社

180805熊野神社1

木の枝に大股開きで座って枝の表面をかじっていたおサルさん。
その姿をじっと見ていたが、そろそろ神社へと思い、立ち上がるとびっくりしたように山のなかに逃げていった。

小川にかけられた石橋を渡り鳥居をくぐって拝殿まで71歩、まずは参拝。
境内でいただいた由緒によれば波爾布神社の祭神は水神である彌都波乃賣命と土神である波爾山比賣命の二柱。
当初は彌都波乃賣命をまつっていたが、天平十三年に阿波国勝浦郡の建島女祖命神社から波爾山比賣命を勧請した。
三間社流造の本殿は県の文化財に指定されている。

その本殿に向かって左側には熊野神社が鎮座する。
「式内社調査報告」によれば近江国高島郡の熊野神社と考えられる論社のひとつ。
小祠には「式内社熊野神社」と書かれた石碑が立てられていた。

現在神社がある饗庭野はかつて熊野山と呼ばれ、その地主神としてまつられていた。
元亀三年に焼き打ちにあったとき御神体を猛火のなかから運び出し波爾布神社の
境内にまつったという。

熊野神社の手前にはスギがご神木でとしてまつられている。
根元付近が二股になっており、波爾布神社の祭神二柱を象徴すると説明には記されている。

写真は滋賀県高島市。

180805波爾布神社3

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・波爾布神社

180805波爾布神社3

どこからともなく肉が焼ける美味しそうな匂いが僕の鼻先に流れてきた。
湖岸沿いに目を向けるとバーベキューやデイキャンプを楽しむグループが陣取っている。
湖を目の前に肉を食いながらビール飲むなんて最高じゃないか。

羨ましく思いながら今津駅近くで簡単な昼食をとったあと、湖岸から離れ内陸方向にペダルを漕ぎ始めた。

境内に古墳群のある建速神社を参拝してさらに山側に向かう。
波爾布神社は小さな川を挟んで田んぼと山の境界のような場所に鎮座していた。

社名の書かれた標柱にFATBIKEを立てかけて写真を撮っていると、明らかに鳥やセミとは違う動物の鳴き声が聞こえてきた。
森に目を向けると数匹のサルが僕の行動をじっと見つめていた。
どうやら近くに群れがいるらしいが、こちらが何かをしない限り逃げる気配はない。

サルの鳴き声を真似ると僕の目の前数メートルの距離に一匹のサルがやってきた。
僕が地面に座ってその姿をじっと眺めていると、サルも木の枝に足をかけ大股開きで木の表面をかじり始めた。
動物園における動物は一方的に見られる対象だが、この場所においてはサルもニンゲンもそんな対象ではない。
日常では味わうことのない体験だ。

僕が立ち上がって境内に向かおうとするとサルは驚いたようで慌てて山の方へ逃げていった。

写真は滋賀県高島市。

180805波爾布神社1

【FATBIKE古社巡礼!】近江國淺井郡・都久夫須麻神社 その三

180805都久夫須麻神社8

狭い道を通り抜け境内に出た。
湖を向いた本殿とその手前には竜神の拝所があり、どちらも参拝客でにぎわっていた。

FATBIKEを境内のふちに立てかけ、石段を上がり国宝である本殿へ。
まずは参拝。

殿内は写真撮影禁止。
なかなか来られないところでもあるのでじっくり目を凝らすと扉や桟には細かい彫刻が施されていて豪華だ。
説明によればそのひとつひとつが彩色されているそうだが、正面部分は日に焼けており色がはげている。
そこで隙間から奥をのぞいてみると確かに彩色されていた。

参拝案内図には市杵島姫、宇賀神、淺井姫を祭神として記されていた。
一方、「日本の神々」という本には、神秘的な島自体に神が宿ると考えられたことから祭神は竹生島神ではないかとしている。

本殿の向かい側の竜神拝所では「かわらけ投げ」ができる。
かわらけとは小さな素焼きの皿で、願い事と名前を書いた二枚の皿を海に向かって投げ、鳥居の間をすり抜けたらよいとのことだ。
えいっ、と手のスナップを効かせて投げるが、うまく飛ばず落下してしまった。

参拝を終え港に降りて休憩していると、船が到着ともに参拝客が列をなして島に上陸してくる。
竹生島が信仰の島であることは僧侶の先導で参拝目的にやってくるひとの姿の多さからも分かる。

再びFATBIKEを船に載せた。
マキノ桟橋まではあっという間に到着。

「これから先も熱中症に気をつけて走ってくださいね」

船内スタッフの方の言葉にお礼をいって湖岸に降り立った。

写真は滋賀県長浜市。

180805都久夫須麻神社9
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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