名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

美濃国

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國厚見郡・茜部神社

170107茜部神社1

岐阜市茜部に鎮座する茜部神社。

境内に置かれた由緒によれば、当地は710年ころに東大寺荘園である茜部荘として管理され、810年に荘園の守護神として神社が創建された。
祭神は宇佐八幡宮をはじめ、応神天皇、神功皇后、比売大神。
なお宇佐八幡宮を勧請した神社としては同社は十番目に古いという。

式内社の社名には漢字名を使わず万葉仮名を使ったものや新羅神社のように外国名がつけられたり不思議なものが多いなか、茜部神社のように荘園名を由来とする社名には初めて出合った。
茜部には先に訪れた比奈守神社もあり、古くから開けた土地だったようだ。

一の鳥居をくぐり長い参道を歩いて境内へ。
拝殿までは200歩。
まずは参拝。

一見して門松や注連縄、幟などの正月飾りはなく、すでに片付けられていた。
また僕以外に参拝客の姿は見られない。

最近は伊勢国の神社を中心に回ってきたこともあってか、境内に神馬舎や山神碑、五輪塔などの石塔がないことに違和感を感じる一方、それは伊勢国の神社の特徴だと気づいた。
たまに違う地域の神社を訪れると、神社に反映されたその土地の個性を知ることになるから面白い。

写真は岐阜県岐阜市。

170107茜部神社2

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國厚見郡・比奈守神社

170107比奈守神社(茜部)4

大型トラックがひっきりなしに通行する国道21号線を北上すると比奈守神社の森が見えてきた。
神社周辺は家やマンションの間に田んぼがポツンポツンとある郊外型の住宅街といった雰囲気だ。

この後行くことになるもうひとつの式内社、茜部神社も近くに鎮座することから、古い時代からひとが住んでいたのかもしれない。

参道と境内の間に道路が横切っているので、いったん参道端に立つ一の鳥居に行き、拝殿まで歩くことにした。

境内に入り拝殿までは195歩。
まずは参拝。
由緒や祭神を記したものは見当たらない。

拝殿に向かって右側に秋葉神社と津島神社が並んでまつられていた。
昨年一年間訪ねた伊勢国では見かけないが、名古屋をはじめ愛知県ではなじみ深い組み合わせである。

拝殿手前の稲荷社と豊受神社は鳥居の構えがある立派な末社だ。
石段を上がって手を合わせると、隣接する集会所からムード歌謡らしきゆったりとしたリズムの曲が聞こえてきた。
建物の中をチラと見ると、おじいさんとおばあさんが部屋いっぱいに集まって音楽を楽しんでいた。

写真は岐阜県岐阜市。

170107比奈守神社(茜部)2

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國厚見郡・比奈守神社

170107比奈守神社(手力雄)1

「美濃国厚見郡長森郷蔵前字比奈」

手力雄神社でもらったパンフレットには旧地名が記されていた。
一見すると字名の比奈が式内比奈守神社を思わせるが、当地は東山道における美濃側の防御点で、戦略上重要であったことから神社がまつられたという。

社名の手力雄命は当社の祭神でもある。
古事記に出てくる「天の岩戸神話」で岩戸の中に隠れてしまった天照大神を外に出そうと神々は鏡や勾玉を作ったり舞を舞ったりしていた。
何事かと大神が岩戸を少し開けたところで大神の手を引いて外に出したのが手力雄命である。

岐阜市の中心部から旧中山道を東に向かうと一ノ鳥居が立っていた。
そこから朱色の二ノ鳥居をくぐると前方に神社の玉垣が見えてきた。
入り口の鳥居から拝殿まで90歩。
先にお参りしている参拝客に続いて手を合わせた。

境内はとても広く、神社の建物が建つ場所の隣は運動場のような広場になっており、観覧席もある。
パンフレットによれば四月の春の大祭時に「火祭」として手筒花火が奉納されるという。

写真は岐阜県岐阜市。

170107比奈守神社(手力雄)4

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國厚見郡・物部神社

170107物部神社3

年が明けて最初の週末ということもあってか、伊奈波神社の参道には駐車待ちの車の列が続いていた。

僕が訪れたお昼ごろは風もないポカポカ陽気だったけど、神社が山裾にあるためか日陰に入るとひんやりした。
よく見ると陰になった場所には降りた霜がそのまま残っていた。

一の鳥居をくぐり上り坂になっている参道をゆっくり歩きながら拝殿へ。
岐阜のひとたちに親しまれている神社だけに、拝殿前にはひとの列ができていた。

数年前、岐阜市内の各町内にまつられている秋葉神社について調べたことがある。
古い町並みが残る河原町の秋葉さんは岐阜市内では珍しく名古屋の屋根神さまのように軒にまつられていた。
毎年五月に行われる祭礼では伊奈波神社から神主さんがお祓いに来ていた。
拝殿前の列に加わりながらかつて歩いたときのことを思い出した。

参拝前に駐車場の隅にFATBIKEをとめたところ、近くに「式内社顕彰碑」が立っていた。
碑には、美濃国厚見郡の物部神社は現在、伊奈波神社に合祀されていると記されていた。
境内を歩いてみたけど、物部神社の記憶が残っているのは残念ながらその碑だけのようだ。

写真は岐阜県岐阜市。

170107物部神社2

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國不破郡・仲山金山彦神社。

150526式内南宮大社3

この日は朝五時に家を出発、西に向かってFATBIKEのペダルをこいだ。

靭帯炎になってしまったものの、FATBIKEでも長距離を走れることに味をしめた僕は、膝の痛みがなくなったころ、「一宮」を訪ねる旅に出た。
とはいえ行けるところは限られているので、敦賀まで走った際に近くを通った美濃国一宮である南宮大社と尾張国一宮の真清田神社の二社を目指した。

養老町まで名神高速道路に沿って走り、田畑が広がるなかをJR線が見えるまで北上すると看板と鳥居が見えてきた。

朱塗りの楼門をくぐると広い境内には同じく朱塗りの社殿。
晴天の青空と朱色のコントラストが美しい。
また楼門の内側の狛犬には角が生えていた。

せっかくの一宮参りなので、中央の本殿だけでなく、末社も含め目につくところに賽銭を入れ頭をたれる。

神社の由来を記したしおりはないか社務所に尋ねると、御朱印を押したひとにだけ渡していると素っ気いない返事。

由緒書によると元の名は「仲山金山彦神社」で、金属に関わる神社である。
美濃国府の南側にあったことから南宮と改名されたようだ。

写真は岐阜県不破郡垂井町。

150526式内南宮大社1

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國多藝郡・御井神社

150526式内御井神社4

昨年の五月初旬、FATBIKEで初めての長距離旅で敦賀を訪れた。

しかし大学時代以来、久しぶりの長距離行に膝が悲鳴を上げ、帰宅後に整形外科に通うと「靭帯炎」と診断された。
とほほ…な結果である。

しばらくは職場の自転車もFATBIKEにも乗らない日々が続き、そろそろいいだろうと二週間後、美濃一宮である南宮大社を目指した。

愛知から岐阜に入り、牧田川沿いを走って多芸橋を北へ渡ったところ、名神高速道路の高架下に「式内御井神社」の標柱が立っていた。
このころから式内社を意識するようになっていたので行ってみることに。

朝早いこともあってか境内には人の気配はない。
FATBIKEを入口に止めて、まずは参拝。

境内を歩いてみて目につくのは、大正十五年製の鳥居や拝殿手前に置かれた「御神酒」と書かれた古そうな石台。
社叢にはイチョウやケヤキが植えられていた。

社名の御井とは井戸のことだろうが、境内を見渡しても井戸は見当たらない。

境内にあった石碑によれば、この辺りはかつて「金屋」と呼ばれ、室町から江戸期にかけて鋳物師たちが繁栄したそうだ。

写真は岐阜県養老町。

150526式内御井神社3

【FATBIKE古社巡礼!】美濃國池田郡・養基神社

160102養基神社1

年が改まった翌日の一月二日、岐阜県揖斐川町の妻の実家に新年のあいさつに出かけた。

休む間もなく…
そんな言葉がぴったりのように、前日には福井から戻ったばかりなのに、再びFATBIKEに乗ってJR金山駅に向かった。
旅の間、毎日輪行していただけあって、自転車の分解と輪行袋への収納はとてもスムーズだ。

熱田神宮への初詣客で駅も電車も混雑していた。
終点の大垣駅で自転車を組み立てる。

養老鉄道の線路に沿って揖斐川町に向かう間、寄りたい神社があった。

式内養基神社は「延喜式神名帳」によれば池田郡唯一の神社である。

美濃本郷駅の場所を確認して西へ。
田んぼが広がるなかにこんもりとした森を確認した。
あぜ道をFATBIKEを押して近づいていくと標柱に式内の文字が見えた。

入口の鳥居から拝殿まで80歩。
FATBIKEを立てかけ、まずは参拝。

右手に広がる豊かな森には、親切にも主要な木々に名札が取りつけられている。

モチノキ、ヤマザクラ、サカキ、アラカシ、モッコク…

「式内社調査報告」によれば祭神は「養藝大神」
社名の「養基(ヤギ)」とは八岐の意味で、粕川扇状地の旧河道分岐点にあたることから、もとは治水のための神社だったようだ。

写真は岐阜県揖斐郡池田町。

160102養基神社2
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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