名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

遠江国

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國長上郡・大歳、朝日多波加神社

190130大歳朝日多加波蒲神明2

午前中に奥浜名湖にある神社を巡り、午後には遠州鉄道沿いに南下。
蒲神明宮に着いたのは午後一時半ころだった。

「式内社調査報告」によれば遠江国長上郡の大歳神社と朝日波多加神社の論社と記されている蒲神明宮。

鳥居をくぐり参道を歩いて拝殿まで150歩。
先客にひとりの女性が参拝していた。
僕も続いて手を合わせるが久しぶりに長い距離を走ったものだから疲れてしまい、池のほとりのベンチにへたり込んでしまった。
耳を澄ますと近くの幼稚園から子どもたちの声、またクスノキほか多くの木々が周りを囲んでいるので視覚的にも疲れた体を休めてくれる。

いただいた略記を読むと、もともと奉祭していた「蒲大神」は創立年月不詳であるも古い神社らしく、一説には大同元年(806)創立とも。
その後、藤原静並公が伊勢神宮の御神託によって当地を開発。
「蒲御厨」として伊勢神宮に寄進、神明宮を勧請した。

しかし大歳、朝日多波加の両社との関わりについては触れられていない。
それどころか「式内社調査報告」にも式内社と比定するのは難しいと書かれている。

ちなみに当社の手水舎には水質調査の結果が張られていた。
飲料用ではないが汲んでいくひとが多いそうだ。

写真は静岡県浜松市。


190130大歳朝日多加波蒲神明3

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・若倭神社

190130若倭神社1

浜松の銘酒「花の舞」
これまでも浜松に行くたびに買ってはいたが、浜松出身の義兄が駅ビル「メイワン」に浜松土産を集めた場所があると教えてくれたことがきっかけで、そこのしぼりたて生原酒を買うのが恒例となった。
しかし毎度駅ビルで買ってばかりでは味気ない。
一度蔵のある場所を訪ねてみたいと思っていた矢先に、最寄り駅である天竜浜名湖鉄道宮口駅に降り立った。

蔵の近くに鎮座する若倭神社。
「花の舞」本社蔵を通り過ぎて右手にみかん畑、左手に竹やぶの小道を奥に進むと「新興社」と書かれた山車蔵に隣接して小さな社が鎮座していた。
手を合わせるが、扁額には八幡社と書かれており若倭の社名は見当たらない。
横に立つ万葉歌碑の説明を読むとその答えが分かった。

「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘れらじ」

この歌を詠んだのは防人に徴兵された同地出身の若倭身麿。
麁玉郡の役人の息子で郡家はこの付近にあったという。
八幡社ももとは若倭神社だったそうだから、若倭部氏の祖神をまつった神社がいつしか八幡社に変わってしまったのだろう。

話を戻して花の舞だが、近くに蔵元直売所があったので、喜び勇んで出かけたものの水曜日はあいにく定休日。
結局浜松駅でいつもの生原酒を買って帰ることになったのだった。

写真は静岡県浜松市。

190130若倭神社2

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・多賀神社

190130多賀神社高根山2

みかん畑に囲まれた小道を上がっていくと鳥居が立っていた。
式内多賀神社の論社、高根神社が鎮座する高根山の入り口。

FATBIKEをとめ置く場所に困り拝殿近くまで押して歩くも、くねくねと曲がる急坂に悪戦苦闘。
左手でハンドルを持ち右手でサドルを押しながらFATBIKEを押し上げる。
最近の運動不足を思い知らされる場面である。

坂を登りきりベンチにFATBIKEを立てかけ、僕はさらに上の境内へ。
古そうな拝殿は文亀二年(1502)建立。
由緒によれば、初めは多賀神社と呼ばれていたがその後、明治の初めまで観音さまを合わせまつることから高根山観音と呼ばれていたという。
どことなくお堂の雰囲気を漂わせる造りでもある。

本殿はといえば拝殿の裏手に鎮座。
手すりの鎖をつかみながら岩山を登ると頂上の手前、岩に囲まれた場所に高根神社と岩本神社の小祠がまつられていた。
狭い空間で身を縮ませて手を合わせる。

そこからさらに急斜面をよじ登ると急坂が嘘のような平面を木々が覆う頂上へ。
当日二つ目となる高根山古墳があった。
石室は柵などなく開口しており、石室を覆う大きな石板が露出している状態だった。

式内社+山+古墳。
尾張国や伊勢国でも同じような組み合わせを見たことがあった。

写真は静岡県浜松市。

190130多賀神社高根山4

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・多賀神社

190130多賀神社六所1

小道の右手にはみかん畑、左手には神社の社叢林。
私有地だったらやばいな、と思いながらペダルを漕いで進んでいくと参道らしき道に出た。

突き当たった参道の先にはこんもりと盛り上がった塚。
手前には案内板が立っており、「興覚寺後古墳」と記されていた。
全長33mの前方後円墳。
古墳時代後期・六世紀前半のもので副葬品には金銅板の馬具、太刀、鉄鏃、玉類、須恵器が埋葬されていたという。

台風の影響だろうか、塚の上には幹の太い木が倒れていた。
倒木の上をまたいだり下をくぐったりして南側に出ると、横穴式石室の開口部がぽっかり口を開けていた。
柵などない無防備な開口部。
何かが出てきそうなわけではないけど、なかをのぞいて写真を撮り、一目散にその場を離れた。

「式内社調査報告」によると宮口地区の六所神社は麁玉郡の多賀、長谷、若倭の三社の論社と考えられている。
「昔、多賀神社と申し伝えられて」いたとされる由緒の言葉を反映してか標柱は「式内六所神社」となっていた

鳥居をくぐり拝殿まで50歩、まずは参拝。
僕が訪れた日は社叢林の伐採作業中で、チェーンソーのエンジン音とそれがやむと「ガシガシガシ」とノコギリで枝を切る音が境内に響いていた。

写真は静岡県浜松市。

190130多賀神社六所3

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國麁玉郡・長谷神社。

190130長谷神社六所3

天竜浜名湖鉄道「宮口」駅で輪行してきたFATBIKEを組み立て、北に向かうこと三十分。
曲がりくねった登り坂は森林公園を抜けると尾根道のようにダラダラしたアップダウンに変わった。
目指すはその先、堀谷地区に鎮座する六所神社。
「式内社調査報告」によれば、同社は麁玉郡の長谷神社と考えられている論社のひとつである。

集落には入り「不審者注意」の看板にドキリとしながら神社のある丘に上がっていく。

「おぉーすげぇ」

境内に入ると拝殿手前に立つクスノキのあまりの巨大さに思わず声を上げた。
クスノキは注連縄を巻かれたご神木で浜松市の保存樹にも指定されている銘木だ。
樹高20m、幹周5.8m、根元が特に太く、しかも別の位置から見るとぽっかり穴が空いている。
巨大な口を開けた怪獣のようで、うかつに近づきでもしたら飲み込まれそうな迫力である。

鳥居をくぐり石段を上がって拝殿まで25歩。
二礼二拍手をすると屋根の内側に取りつけられているランプがパッと点灯した。
先ほどの「不審者」には賽銭ドロも含まれているのかもしれない。

ここでそんなことしたらクスノキの巨大な口に飲み込まれてしまうような気がして、僕なら怖気づいてしまうだろう。

写真は静岡県浜松市。

190130長谷神社六所1

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・蜂前神社

190114蜂前神社2

NHK大河ドラマの地元にもたらす経済効果は大きいらしい。
そのため大河ドラマを誘致する動きもあって、僕の職場がある名古屋市中村区でも同区出身の加藤清正を題材にした大河ドラマ作成の署名活動を見たことがある。

「おんな城主 直虎」はすでに終了したドラマだけど、井伊氏出生の地である引佐郡井伊郷界隈を訪ねるといまだその余韻を感じ取ることができる。

蜂前神社の境内、駐車場に一台タクシーがとまっていた。
先客かなと思い、FATBIKEをとめて鳥居をくぐり境内を横切って拝殿に向かう。
すると音声ガイドが流れてきた。
それを聞いていたら入口鳥居からの歩数を忘れてしまった。
とりあえず参拝。

拝殿の鈴の右側にヒモが下がっていてそれを引っ張ると説明が流れる仕組みになっている。
耳をそばだてると、神社の創建は古墳時代初頭。
応神天皇の命令を携えて都から「八田毛止恵」という役人が来て祝田に勧請、蜂前神社としてまつったのが始まり。
当社には井伊直虎の直筆花押のある「徳政令」も残されているという。

古文書の写真だけでなくドラマ出演者の写真が社務所に掲示されいた。
直虎ファンには見どころが多い神社だろう。
古社ファンの僕にとってはなんとなく落ち着かなかったが...

写真は静岡県浜松市。

190114蜂前神社1

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・須倍神社

190114須倍神社2

四柱神社のある滝沢地区から上り下りを繰り返し都田川沿いの国道362号線に出た。
ここまで降りてくるとつい数十分前まで三岳山にいたことがうそのようにアップダウンがなくなる。

気楽な気分で国道を走っていると道路脇に自然石風の標柱が立っていた。
うっすらと須倍神社の社名が書かれており、先に目をやると境内の入り口に鳥居も見える。

鳥居をくぐりゆるい石段を上って拝殿まで192歩、まずは参拝。
すでに先客があり熱心にお参りした後でおみくじを引いていた。
僕が境内にいる間も何組かの参拝客が車で来ては帰っていった。
大半がお札や注連飾りを専用の箱のなかに入れていった。
近日中に行われる「焚上祭」の告知が張られてあった。

参拝後、広い境内を歩いた。
瑞垣の外から本殿を眺めると屋根に鰹木を載せた神明造のお社が二社並んでいた。
伊勢神宮の内宮と外宮で、それぞれ天照皇大神と豊受大神をまつる。

「光孝天皇仁和三年(887年)建宮」
「延喜二年(902年)に上都田内宮と下都田外宮を合わせて社号を須倍神社と改めた」
由緒には建立に関してこの二つの年代が書かれていた。

写真は静岡県浜松市。

190114須倍神社5

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・大セチ神社

190114大セチ神社四柱1

三岳神社を参拝後、東に向かうとしばらく尾根のような道が続いた。
激坂ではないのでありがたいが、ダラダラ続く登りもあまり嬉しくない。
とはいえ雲ひとつない青空を見上げながらのペダリングは心地よいもの。

すると目の前に風力発電の白い塔が現れた。
先端にはプロペラがゆっくり、ブーンブーンと鈍い音を立てながら回っている。

滝沢展望台まで上がった道は一気に下りになった。
しかも斜度はかなり急である。
風力発電の近くでロードバイカーとすれ違った。
僕は幸い下りで楽だけど、彼はこの急坂を登ってきたのだろうか。

スピードを控えながら下りきった。
山側を見上げるとついさっき横を通ったはずの風力発電塔がかなり遠くに立っていた。

四柱神社は滝沢の集落内、小学校や保育園に隣接する形で鎮座していた。
保育園の園庭を抜けて境内に入り鳥居をくぐる。
拝殿まで22歩、まずは参拝。
ガラス戸をのぞくと住吉三神と若魂皇大神の四柱の神名を記した札が張ってあるのが見えた。

「式内社調査報告」によれば大セチ神社の論社のうち三岳神社を奥宮、四柱神社を里宮との見方が記されている。
実際に山上の三岳神社から麓の滝沢に降りてくるとそんな気もしないでもない。
あくまでも自転車で両社を訪ねてみた感想だけど。

写真は静岡県浜松市。

190114大セチ神社四柱4

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・大セチ神社

190114大セチ神社三岳1

井伊谷から東に向かい山のなかに入る。
運動公園を見晴らす場所に建てられた墓地と隣接する形で北岡大塚古墳という前方後方墳の説明板が立っていた。
こんもりとした墳丘があるのは分かるが円墳のようで、四角を二つつなげた前方後方墳には見えない。
説明によれば古墳は四世紀中葉に築かれたそうだ。
近くには七世紀初頭から中ころに気づかれた同二号墳もあり、先に訪れた天白磐座遺跡といい、旧引佐郡は古代から多くのひとが居住した場所であるということがよく分かる。

「三岳山はあの山ですよ。ここを道なりに行くと階段があるもんで、そこを上がると神社があります」

大セチ神社の論社である三岳神社は正面にある三岳山に鎮座しており、そこまでは車で行けるような道があるらしい。

FATBIKEを押して歩きしばらく行くと鳥居が見えてきた。
この先は階段と車用の道があったが強がって階段を行くことにした。
幅の狭い石段を上っていくと、倒木が階段を遮いでいたがどうにかクリアすると、正面に社殿が見えてきた。

階段下の鳥居から拝殿までは287歩。
コンクリート作りと思われる社殿でまずは参拝。
由緒によれば祭神は勾大兄広国押武金日尊。

さらに山道をたどり三岳城に向かう途中にはかつて使われていたと思われる奥宮跡があった。

写真は静岡県浜松市。

190114大セチ神社三岳4

【FATBIKE古社巡礼!】遠江國引佐郡・三宅神社

190104三宅神社3

井伊谷の交差点を北に曲がりしばらく進むと鳥居と常夜灯が立っていた。
標柱に二宮神社の社名を確認して鳥居をくぐると、一直線に伸びる道は小高い山へと続いていた。

途中までペダルを漕いだが登りに差し掛かるとFATBIKEを降り押して歩いた。
久しぶりの古社巡礼、最初から飛ばし過ぎてはあとが続かない。

二ノ鳥居から社務所の横を抜け拝殿へ向かう。
入り口の鳥居から310歩、まずは参拝。

本殿手前には写真をたくさん張り付けた看板が立っていた。
当社にゆかりのある小野但馬守政次が登場した「おんな城主 直虎」の一場面。
俳優の高橋一生が授賞式に臨む写真と本殿横の天王社を参拝する写真が掲載されている。

「へぇ〜、ここに来たんだ」

そう思いながら小ぶりな天王社に手を合わせて社前の由緒を読んだ。
井伊家の筆頭家老であった小野政次は徳川家康の井伊谷奪還に際し処刑された。
その御霊をまつった但馬社が目の前の天王社に合祀されているという。

なお二宮神社という社名は式内社とされる三宅神社とともに、後醍醐天皇の皇子で南北朝の争乱時に亡くなった宗良親王を合祀することから二つの宮、つまり二宮神社となった。

写真は静岡県浜松市。

190104三宅神社2
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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