名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

サイクリング

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國鵜足郡・宇閇神社。

宇閇神社の論社二社のうち綾歌の宇閇神社はレオマワールド手前の小高い丘の頂部分に鎮座する。
神社の最寄り駅はことでん琴平線栗熊駅。

快晴のその日、逗留先のマンションを出て最初の訪問先である田村神社を訪れた。
二番目の宇閇神社へは田村神社参拝後、ことでんの線路に沿って走っていった。
しかし早く着きたい一心に休憩なしでペダルを漕いでいたから一時間ほど走りっぱなし。
ロングツーリングバイクではないわがFATBIKEなので体が痛くなる前に休憩を入れなくてはいけない。
国道32号線をレオマワールドへ続く道で南下すると交差点にコンビニがあった。
神さまの前で疲れた顔をするのは申し訳ない。
コンビニコーヒーでひと息入れた。

コンビニ前の道を上がりきった場所が森になっていた。
入口は奥まったところにあるため道路沿いに鳥居はなく、代わりに「宇閇神社古墳」の案内板が立っておりその矢印に導かれて境内へ。
日の当たる道が突如、木々により密に覆われ薄暗くなるとそこは神社の入口で鳥居が立っていた。
そのすぐ左側の盛り上がった場所が宇閇神社古墳である。

墳上へは上がれるようになっていた。
立ち入り禁止になってはいるが石室をのぞくこともできる。
横穴式石室の羨道は境内の社務所近くまで伸びているそうだ。
神社という場所と一体になっているのがよく分かる。
古墳が先か神社が先か。
古墳前の説明には古墳時代後期とあり、「式内社調査報告」には神社の創始について「允恭天皇の御代、酒部盆甲黒丸の創祀」とあるから古墳のあとに神社が築かれたことになる。
それにしても死穢を忌み嫌うはずの神社と古墳という名の墓がこうして一体化しているのは不思議としかいいようがない。

古墳を堪能してから境内へ。
鳥居をくぐり正面にある拝殿まで45歩、まずは参拝。
祭神は鵜羽葺不合尊。
同報告には「三代物語」を引いて当社に関係する逸話を載せている。
鵜が盆甲黒丸に清泉の場所を教えたことから郡名が鵜足になった地名潭に加え、井の上に祠を建て酒を醸しその味が甘く色が黒かったことから盆甲黒丸という名前になり、允恭天皇に献納したことから酒部の姓を賜ったという。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國鵜足郡・飯神社。

「讃岐には これをば富士といいの山 朝げ煙 たたぬ日はなし」

晴れ渡った讃岐平野に秀麗な山容を見せる飯野山に西行の歌。
丸亀製麺の路面店に入ると壁に飯野山の写真が飾られている。

僕は讃岐国の古社を巡るに当たり、丸亀で丸亀製麺の本店に行こうと密かに決意していたが、本社が兵庫県と知りがっかりした。
その代わり本場讃岐では美味しいうどんを何度か食べる機会に恵まれたが。

讃岐平野を走っていると標高は高くなくむしろ低いくらいで、でもきれいな円錐形の姿の山を目にする機会が多かった。
東讃富士といわれる白山もそうだが、飯野山は「讃岐富士」と呼ばれるくらい讃岐を代表する山といってよいのではないかと思う。

飯神社は飯野山の麓に鎮座する。
神社へは遠くからでも目立つ飯野山に向かって走っていけばいいので、これほど楽なサイクリングもない。
さらに麓に近づくと「延喜式内讃岐國玉飯神社」と書かれた標柱も立っているので、なお分かりやすかった。

しかし鳥居をくぐり境内に入ると右側に隋神門がたち、その向こうに道が続いていた。
裏門から入ってしまったようなので、いったん一の鳥居まで戻り拝殿に向かった。
拝殿まで100歩、まずは参拝。

拝殿に向きながら腰掛けるとちょうど右側に飯野山の山頂が目に入る。
すると摂社である飯天神裏手から登山姿の男性が降りてきた。
そういえば標柱とともに登山口への案内も出ていた。

「日本の神々」によれば、標高は422m。
祭神は飯依比古命で往古、神社は山頂に鎮座していたという。
山頂には巨石があり、また石包丁や石斧、弥生式土器が出土したそうだ。
かつて城山神社が鎮座し、国司だった菅原道真公が雨乞祈願の祭祀を行った城山山頂に遺跡があるように飯神社の山頂でも祭祀が行われたようだ。

残念ながら登拝することはできなかったが、次回讃岐を訪れる機会があればぜひ登ってみたい讃岐山のひとつである。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・城山神社。

「ここは朝鮮式の山城があったところでね。白村江の戦の前後くらいからひとが渡ってきたんかな。坂出市には金がないから僕らがこうやって草刈ったりしてるんですよ。この辺は古墳だらけやね。明神原遺跡? もうすぐだよ」

FATBIKEで城山山頂に向かう途中、山頂に近い場所で草刈りをしているおじさんがいた。
挨拶すると「おお、ご苦労さん!」とねぎらいの言葉をかけながら城山について話してくれた。

展望台からの眺めは最高で、坂出市内から瀬戸内海、対岸の岡山までを一望できる。
だかこそ山城が築かれたわけだが、朝鮮式山城ということは半島から渡ってきた技術者たちによるものだろう。
僕が向かった明神原遺跡は「式内社調査報告」の言葉を借りれば城山神社が鎮座する城山のなかでも「最も神聖なる場所」とされる。

讃岐国が旱魃に見舞われたとき、国司であった菅原道真公が祈雨祈願をしたという雨乞石が残され、一帯には磐座がごろごろしているというから、その奥宮まで行き、「神聖なる場所」とはどんなところか見てみたい。
が、その前にまずは里宮へ。

里宮は旧讃岐国府跡から近く、坂を上っていくと道路幅いっぱいの鳥居が立っていた。
そこから拝殿までは200歩、まずは参拝。
名神大社ではあるけど境内自体はそれほど広くはない。
ちなみに境内の雨請天満宮は祈雨祈願のおかげで雨が降ったことに感謝した民が道真をおまつりしたものだそうだ。

里宮を参拝してから明神原遺跡に向かった。
道は舗装してあるので山道を通る必要なく向かうことができるが、決して楽な道のりではない。
つづら折りを繰り返し、ときにFATBIKEを降りて歩く。
それを繰り返すこと一時間。
冒頭のおじさんに会ったのは山頂に到着する十分くらい前だった。

明神原遺跡を示す矢印の方向に走っていく。
奥宮とはいっても社殿はなく、あるのは一面に散在する磐座群。
どれくらいの数が分からないが多くの巨岩が乱立していた。
その一角にある二つ並んだ平ぺったい石が「雨乞石」で、菅原道真が祈雨のための祭祀を行った場所といわれる。
なおこの付近からは銅鐸も出土しているそうだ。

眺望のよさや古墳が多いことも加え、古代においては相当な聖地だったに違いないと思わせるのに十分な雰囲気が感じられた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・神谷神社。

「Casaブルータス」十二月号の特集は「日本の聖地一〇〇」
このなかに香川県の神社として金刀比羅宮とともに神谷神社も取り上げられている。
当社の本殿は鎌倉時代に建造。
「三間社流造」としては日本最古とされる。
雑誌の解説によれば「神社建築の様式のなかでも最も一般的とされる流造のうち、正面の柱が4本、柱間の間口が3間あるもの」が三間社流造なのだという。

そんな国宝の全貌をこの目で確認したいと思ったけど、本殿は拝殿によってしっかりガードされているので隙間からのぞくようにしてしかその姿を拝むことはできなかった。
正面がダメならせめてうしろ姿だけでも...
国宝であるおかげか、神社の後方にはキレイなトイレが設置されている。
トイレを使わせてもらったあと、神社方向に視線を移すと桧皮葺の三間社流造のお社が鎌倉時代の武家のようにキリッとした姿で鎮座していた。

坂出の市街地から神社までは少し距離があったように記憶しているけど、本殿が国宝であることから神社への道のりの途中には看板が立っており道に迷うことはなかった。
神社の場所はちょうど二つの山が重なる谷筋にあり神社の脇には神谷川が流れる。
一の鳥居から拝殿まで395歩。

境内を山側に歩いていくと「影向石」という大きな石がまつられていた。
その昔、神谷の渓谷にあった深い淵から一人の僧が現れ、淵の傍にあった大岩の上に祭壇を設け天地の神さまをまつった。
それが神谷神社の創始であると由緒に書かれている。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・鴨神社。

東鴨社を参拝後、境内を出たあたりからお腹に違和感を感じた。
刺しこむ痛み。
それでも我慢できると思い、山の麓にある東鴨社から西鴨社へと向かった。

途中、加茂町公民館を通った際、玄関近くに周辺遺跡の案内板があった。
腹痛とはいっても余裕があったのでペダルを止めて案内板に目を通すと周辺には古墳群はじめ祭祀遺跡が多いと書かれていた。
東西にある鴨神社も古代の祭祀場がルーツで、それが発展して神社という形に至った可能性もあるのではと思った。

いくつか紹介されている史跡のなかでも「鴻ノ池一号墳」という珍しい形の古墳がとくに興味深かった。
古墳というと前方後円墳や円墳など土を盛った墳墓を想像しがちだが、鴻ノ池一号墳は左右の柱状の石の上に天板状の石を載せた支石墓のような形態をしている。
近くにあるなら実際に見てみたいと思ったが普段はため池に沈んでいるので見られないとのこと。
なんだ...
残念な気分で西鴨社へ急いだ。

神社は国道沿いに鎮座していた。
東鴨社とは対照的に平地にある神社で、境内には建物が詰め込まれておらず空間が多い神社というのが第一印象。
FATBIKEを降りて鳥居をくぐり正面の拝殿まで85歩、まずは参拝。
別名「あおい社」と呼ばれる西鴨社の祭神は京都・上賀茂神社と同様、賀茂別雷命。

とりあえず手を合わせたものの、腹痛は一向に引く気配がなく、むしろ時間をへるごとに痛みを増していく。
境内に隣接して児童公園が併設されているので公園まで行ってみるがトイレはない。
ここに来て焦りが出てきた。
慌ててスマホのグーグルマップを開け周辺地図を確認するとJR鴨川駅が近い。
境内に入ってしまったけど、腹痛が我慢できる限界を超えるのは時間の問題だと悟り、古社巡礼を中座してFATBIKEで駅に向かった。

ペダルを漕ぐ振動が腹に伝わり腸を刺激する。
まだ大丈夫、とひたすら祈りながら駅方向に向かおうとすると、幸いにもコンビニがあった。
ただトイレにはすでに先客がいたのでとにかくお茶でも一本買おうとペットボトルを持ってレジで支払いを済ませた。
再びトイレに戻ると空いていた。
かなり切迫していたので最悪の事態を覚悟していたのだが、万が一の事態にもコンビニなら下着も売っているじゃないか。
そう腹が据わったせいか、どうにか惨事は免れた。

ところでこの腹痛、原因はうどんなのだろうか。
高松「プチ移住」では同じことが二回あった。
二回ともかけうどんを食べた直後に起こっているのだ。
かけうどんに天ぷら。
いりこ出汁が合わないのか、天ぷらの油が問題なのか、それとも腰痛用コルセットで常に腹部を圧迫していたからか。
いまだ謎だけど、お腹がデリケートな自分は体が香川の水に慣れていなかったからじゃないかと解釈している。
うどんに罪はない。

参拝後、気になっていた「鴻ノ池一号墳」のあるため池まで走った。
高台にあるため池の水面は池を二分するように水草が繁茂していたが、水草がある部分とない部分の境界に古墳の石が水面から露出していた。
水位が下がり水面から姿を現したようだ。
天板状の石は鳥の糞で白くなってはいるが、水面から顔を出した古代の姿がこうして目の前にあるのだから、感動せずにはいられなかった。

つい数分まで腹痛に悩んでいたことはコロっと忘れていた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・鴨神社。

「式内社調査報告」によると阿野郡の鴨神社は東鴨社と西鴨社の二社が存在する。
両社の距離は近く、FATBIKEだと神社間は十分かからないくらいだ。

鴨神社近くまでやって来たのは午前十一時を少し回ったころ。
普段は「プチ移住」の経費節減のため昼食用に朝、おにぎりを握り、即席味噌汁とともに持っていくようにしていた。
「松江プチ移住」以来の習慣である。
しかしその日は朝から、讃岐うどんの名店である「がもう」でお昼をと決めていた。

「がもう」は観光系ムックや旅本では必ずといっていいほど掲載されている名店。
うどんよりも神社、の僕だけど妻が買ってきた旅本でその存在を知った。
しかもお店が鴨神社から近いと来ればうどんファンならずとも行ってみたくなるのが人情だろう。

坂出の市街地から東鴨社の近くを過ぎしばらく行くと遠目にも雑誌等で見た覚えのあるお店と青いドラム缶を見つけた。
ここだここだ! 
FATBIKEをとめてお店に向かうと大勢の客が店外に座ってうどんをすすっている。
駐車場の車も地元香川と同じくらい他県ナンバー車があり、お店に行く前には僕の地元、名古屋ナンバー車とすれ違った。

全国区の有名店に入れるなんて、テンションが上がった状態でお店に入り、かけ(うどん)の大を注文。
うどんの玉を入れてもらったうつわにちくわ天をのっけて、お金を払ってから寸胴から出汁を注ぐ。
それを店外のベンチに座ってすするのだが、さすが名店。
麺も天ぷらも出汁もおいしい。
名古屋でうどんといえば赤色の鰹出汁が基本だけど、薄色の割にはしっかりした炒り子出汁の味も僕の好みだ。
これを書いているいまでも思い出すとうどんが食べたくなる。

正午に近づき続々と客が増える前に店を出て、東鴨社に向かった。
「がもう」近くの大通りを加茂町鴨庄の交差点まで戻り、細い道に入って坂を上がっていくと境内に出た。
一見してクスノキが多い境内だが、鳥居を境に境内の反対側に伸びる参道は等間隔に植えられたクスノキの並木道になっていた。
クスノキの並木なんて珍しい。
鳥居から拝殿まで80歩、まずは参拝。

神社は山裾に鎮座しており山の木々と境内のクスノキで緑豊か。
とてもすっきりした境内には静寂が似合うのだろうが、山の方に採石場でもあるのか機械の作動音に加えて大型車の通行音のため騒がしい。

境内に祭神や由緒について書かれたものはなかった。
「式内社調査報告」によれば祭神は一言主命と玉依姫。
一方の西鴨社は別雷命をまつるので、近くにある鴨社とはいっても祭神を異にしているから不思議だ。

境内を歩き回りとめていたFATBIKEに乗って次の目的地である西鴨社に向かおうとしたとき、おなかに異変を感じた。
その状態でペダルを漕いだのだが、悲劇は十分後、西鴨社に着いてから起きた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國香川郡・田村神社。

田村神社は讃岐国の名神大社の一社にして香川郡ゆいいつの式内社、さらに一宮でもある。

高松市内の逗留先からはことでんに沿って南下すること三十分ほど。
一宮町の交差点から大鳥居が視界に入ったので、鳥居の方に進路を取ってペダルを漕いだものの鳥居の先にあるのは駐車場だった。
境内図によれば僕が入ったのは正面とは逆の裏門だったようだ。
古社巡礼ではどこも初めて訪ねる神社だから、よくあることである。
裏門の大鳥居をくぐると真ん前にはかっぷくのよい布袋さんが鎮座。
しかも金ぴかである。

境内に入りいったん正面鳥居に向かう。
鳥居をくぐって再び境内に入り直し、拝殿までは245歩、まずは参拝。
参道には大名行列で使用するような槍など長物の祭具が並べられ、行列の見本となるような絵が飾られていた。
どうやら今日は祭礼日のようだ。

普段、神社に着くと手を合わせてから境内をくまなく歩き回るのだが、さすがに当日は氏子さんや神社の職員が慌ただしく動いていたから迷惑になるのでやめておいた。
本殿横の宇都伎社に参拝してから近くにあったベンチに腰掛けた。

神社で話を聞けなかったので「式内社調査報告」に助けを求めると面白いことが書かれていた。

「田村神社の建物配置は、本殿の奥にさらに「奥殿」と称せられる殿舎が続き御神座はこの奥殿内部の一段低いところにある由である。そしてその床下に深淵があり、厚い板をもつてこれを蔽っている。奥殿内部は盛夏といえども冷気が満ちてをり、宮司といへども、決してその淵の内部を窺い見ることはしないといふ」

もちろん奥殿を目にすることはなかったけど、この文章を読んで想像する限り田村神社の御神体とは湧き水のようだ。
ここに来て当社が名神大社で一宮である所以がなんとなく分かってきた。
湧き水が出るこの地には古くからひとが住みついていた。
現在でさえもため池が多く水を得るのに労苦が多い讃岐国において、水がこんこんと湧き出るということは奇跡であり、そのありがたみは文字通り湯水のごとく水を使っている現代人の僕では計り知れないものがあったのだろう。
だからこの湧き水自体を神としてまつったのが当社の由来ではないだろうか。
水という第一級の自然神がここに坐すのだ。

しかし、休憩にベンチに座ると、目の前には昇り竜の置物とそこにお供えするおびただしい数の小判。
先ほどの布袋さんといい、確かに縁起物ではあると思う。
でも、なんといえばいいのだろう、この違和感。
僕が知っている一宮や名神大社にあるような大きく静かな「森感」や「自然感」は感じられないどころか、田村神社自体が持つ水という自然とはかけ離れた俗世が目の前に広がるようだった。

ため息をつきながら、FATBIKEをとめていた裏門に戻る途中、石祠が並ぶ一角があった。
近辺にまつられていたものを移築したのだろう。
石祠は三体。
中心は祠というか柱のようで、途中から折れた痕跡が見受けられ、注連縄とともに竹筒にさした幣がまつられている。
右端の祠には丸石が数個納められ、左端には木の扉がありなかは見えないが、右端のものと同じように内部に石が納めてあるのかもしれない。

小さな石の神たちに自然を見つけた気がして、なんだかホッとした。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

鰐河神社も広い神社だが、和爾賀波神社はさらに輪をかけて広い神社だった。
縦に長い森。
裏側から境内に近づいてしまったようでいったん入口まで戻ったが、一の鳥居までかなり長い距離だった。

FATBIKEを降りて押しながら木立が並ぶ参道を再び境内に向かって歩き、随神門が見えたところで左手に手水舎があったので手と口を清めた。
門をくぐれば正面に拝殿が見えてくる。
拝殿まで直進し手を合わせた。
一の鳥居から345歩、まずは参拝。

拝殿は柱も壁板も木の表面を見る限りかなり古そうだ。
なかをのぞけば建物に負けず劣らず古い絵画が飾られていた。
逆に新しいもの、といっていいのか分からないが、祭礼のたびに撮影された集合写真が何枚も飾られていた。
祭礼時の恒例なのだろう。

由緒は随神門の手前に石碑として立てられていた。
だが、オール漢字の難文のためすべてを読み通すだけの力量は僕にはなかった。
そこで文字を拾い読みすると「豊玉姫命」という神名を見つけた。
鰐河神社も同神を祭神としてまつっているので当社もそうなのだろうと思う。

ちなみに三つ巴の神紋も同じであるし、どちらも広い境内を持ち、関係あるかどうかは別として神社がある場所からは白山の秀麗な姿を仰ぎ見ることができるというのも共通だ。
ただ、鰐河神社にあったようにその由緒が浦島太郎話から派生したものかどうかは分からない。
難文中には浦島太郎の文字はなかったような気がするが...

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

白山の麓に鎮座する白山神社をあとにして南に下り鰐河神社へ。
境内は平野にあり、社叢のおかげで遠くからでもすぐに神社だと分かる。
社叢の木々が茂る方向にゆっくりペダルを漕いだ。

祭礼日である白山神社には礼服を着た氏子さんたちの姿があったり、拝殿の扉が開いていてスタンバイしている神輿が見えたりと祭独特の雰囲気が感じられたが、鰐河神社の境内は対照的にひっそりしていた。
それもそのはず、祭礼は一種間前に終わっている。
しかし耳を澄ませば近隣の祭礼で囃される囃の音色が風に乗って聞こえてきた。

入口には堀のような細い川が流れ、両脇に擬宝珠がつき中心が膨らんだ太鼓橋を渡ると境内。
橋に向かって左側には「鰐川神社」右側には式内社としての名前である「和尓賀波神社」と書かれた石柱が立っていた。

橋を渡ると鳥居があり、くぐって拝殿まで50歩、まずは参拝。
広前は境内を囲む木々が日光を遮っている。
涼しいというほどではないけど、高松から自転車で走ってきたので心地よく感じる一方、ベンチに座ると蚊の大群が寄ってきた。
十月も半ばなのに...

祭神は豊玉姫。
掲げられた「讃岐三木鰐川神社由来」によると浦島太郎が竜宮城を去った後、乙姫が太郎を慕い現在の屋島、蒲生の里にたどり着いた。
乙姫は太郎の子を身ごもっており、神武天皇の父となる鵜葺草葺不尊を産んだ。
尊を産んだ乙姫は鰐に乗り新川を遡って三木町の高田郷に着き永住した。
乙姫は豊玉姫と呼ば、当社の祭神となった、らしい。
浦島太郎の話を知っているだけに少々強引な附会のような気もするが。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

和爾賀波神社の論社のひとつである白山神社。
白山と書いて「しらやま」と読む。

ことでん長尾線白山駅の南側にそびえる山の方に向かって坂を上がっていくと鳥居が見えてきた。
鳥居のなかに白山が収まる位置で写真を撮り、FATBIKEをとめて境内へと歩いていった。
随神門をくぐり境内に入る。
入口の鳥居から拝殿まで250歩。
拝殿の扉が開いていたのでなかをのぞくと神輿が飾られていた。
そういえば拝殿に隣接する社務所付近には黒服を着た氏子さんたちが数人、立ち話をしている。
そう当日はお祭りの日。

掲示板に張られていた告知によれば祭礼は土日で行われ、日曜日が本祭である。
氏子さんに尋ねると午後二時に神輿の引き回しがあるというから、午前中はお祓いなどの神事が執り行われるのだろう。

とりあえずお参りしようと賽銭を準備していたら小さな女の子を二人連れたお母さんが先に手を合わせていた。
その後ろで終わるのを待っていたのだけど、ふとお母さんの足下を見ると登山靴を履いていた。
僕がそうであったように神社の境内までは登り坂を上がるといっても登山靴が必要なガレ場ではなくきれいに整備されている。
なぜかその登山靴に引っかかりを感じた。

参拝し、境内の掲示板には簡単な由緒が掲示されていた。
白山神社は石川の白山を本宮とする神社であり、祭神は伊邪那美命。
神社の後方にそびえる白山は別名、「東讃富士」とも呼ばれているという。

ところで先ほどの登山靴のお母さん、もしかして白山に登るのではないだろうか。
神輿の渡御は午後からなので午前中に登拝があるのでは。
気になりネットで調べてみると白山頂上には神社があるようだ。
歩いても頂上まで二十分ほどだから苦になるような登山ではない。
本祭当日頂上の神社でもお祓いがあり、そのための登山靴ではないか、と僕は考えた。
氏子さんに聞いたわけでもなく、あくまでも登山靴姿のお母さんから僕が想像しただけのことなのだけど。

当社も和爾賀波神社の論社のひとつである。
「式内社調査報告」の「祭祀」の欄に「白山神社氏子は鰐河神社の氏子でもあ」り、宮司も鰐河神社と兼任と書かれている。
しかし記事を読む限り白山神社を強力に推すような論調ではない。
鰐河神社との関係から論社のひとつとされたのではないだろうか。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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