名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

和爾賀波神社

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

鰐河神社も広い神社だが、和爾賀波神社はさらに輪をかけて広い神社だった。
縦に長い森。
裏側から境内に近づいてしまったようでいったん入口まで戻ったが、一の鳥居までかなり長い距離だった。

FATBIKEを降りて押しながら木立が並ぶ参道を再び境内に向かって歩き、随神門が見えたところで左手に手水舎があったので手と口を清めた。
門をくぐれば正面に拝殿が見えてくる。
拝殿まで直進し手を合わせた。
一の鳥居から345歩、まずは参拝。

拝殿は柱も壁板も木の表面を見る限りかなり古そうだ。
なかをのぞけば建物に負けず劣らず古い絵画が飾られていた。
逆に新しいもの、といっていいのか分からないが、祭礼のたびに撮影された集合写真が何枚も飾られていた。
祭礼時の恒例なのだろう。

由緒は随神門の手前に石碑として立てられていた。
だが、オール漢字の難文のためすべてを読み通すだけの力量は僕にはなかった。
そこで文字を拾い読みすると「豊玉姫命」という神名を見つけた。
鰐河神社も同神を祭神としてまつっているので当社もそうなのだろうと思う。

ちなみに三つ巴の神紋も同じであるし、どちらも広い境内を持ち、関係あるかどうかは別として神社がある場所からは白山の秀麗な姿を仰ぎ見ることができるというのも共通だ。
ただ、鰐河神社にあったようにその由緒が浦島太郎話から派生したものかどうかは分からない。
難文中には浦島太郎の文字はなかったような気がするが...

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

和爾賀波神社の論社のひとつである白山神社。
白山と書いて「しらやま」と読む。

ことでん長尾線白山駅の南側にそびえる山の方に向かって坂を上がっていくと鳥居が見えてきた。
鳥居のなかに白山が収まる位置で写真を撮り、FATBIKEをとめて境内へと歩いていった。
随神門をくぐり境内に入る。
入口の鳥居から拝殿まで250歩。
拝殿の扉が開いていたのでなかをのぞくと神輿が飾られていた。
そういえば拝殿に隣接する社務所付近には黒服を着た氏子さんたちが数人、立ち話をしている。
そう当日はお祭りの日。

掲示板に張られていた告知によれば祭礼は土日で行われ、日曜日が本祭である。
氏子さんに尋ねると午後二時に神輿の引き回しがあるというから、午前中はお祓いなどの神事が執り行われるのだろう。

とりあえずお参りしようと賽銭を準備していたら小さな女の子を二人連れたお母さんが先に手を合わせていた。
その後ろで終わるのを待っていたのだけど、ふとお母さんの足下を見ると登山靴を履いていた。
僕がそうであったように神社の境内までは登り坂を上がるといっても登山靴が必要なガレ場ではなくきれいに整備されている。
なぜかその登山靴に引っかかりを感じた。

参拝し、境内の掲示板には簡単な由緒が掲示されていた。
白山神社は石川の白山を本宮とする神社であり、祭神は伊邪那美命。
神社の後方にそびえる白山は別名、「東讃富士」とも呼ばれているという。

ところで先ほどの登山靴のお母さん、もしかして白山に登るのではないだろうか。
神輿の渡御は午後からなので午前中に登拝があるのでは。
気になりネットで調べてみると白山頂上には神社があるようだ。
歩いても頂上まで二十分ほどだから苦になるような登山ではない。
本祭当日頂上の神社でもお祓いがあり、そのための登山靴ではないか、と僕は考えた。
氏子さんに聞いたわけでもなく、あくまでも登山靴姿のお母さんから僕が想像しただけのことなのだけど。

当社も和爾賀波神社の論社のひとつである。
「式内社調査報告」の「祭祀」の欄に「白山神社氏子は鰐河神社の氏子でもあ」り、宮司も鰐河神社と兼任と書かれている。
しかし記事を読む限り白山神社を強力に推すような論調ではない。
鰐河神社との関係から論社のひとつとされたのではないだろうか。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國三木郡・和爾賀波神社。

逗留先のマンションを出てことでん長尾線沿いを走った。

十月第二日曜日であるこの日、通過先の町内では法被を着たひとたちが朝早くから動き回っていた。
秋祭りの準備だろう。
ということは当日訪れる予定である神社でも祭礼が行われる場所もあるかもしれない。
その予感は的中し、訪問社中二カ所が祭礼日で、そのうちの一社が先に書いた志度の多和神社である。

延喜式によれば讃岐国三木郡の神社は和爾賀波神社一社しかないが、論社には引宮神社と白山神社、鰐河神社、和爾賀波神社の四社が存在する。
引宮神社について、「式内社調査報告」には「讃岐国官社考説」を引用した「香川県神社史」の内容として、「社家記録中に当社の地図ありて、和爾賀波神社と載せ、又社地傍の川を鰐川と記せり」と書いている。
当社を和爾賀波神社と見るのはそういういきさつがあってのことだろう。

高松市内から南東方向に走り一時間ほどでさぬき市の引宮神社に到着。
神社の南側の敷地内には青地に赤文字が染め抜かれた幟が立っていたが、引宮神社ではなく八坂神社と染め抜かれていた。
詳しくは分からないが当社とは違う氏子地域に当たるのかもしれない。

境内はコンクリートで固められた高台の上にある。
一見すると神社に見えないが緑が多いことでもしやと思ったら、入口鳥居の近くに社名が書かれた石板が埋め込まれていた。

鳥居をくぐり石段を上がり拝殿まで60歩、まずは参拝。
拝殿を見上げると精巧に作られた獅子と鯱が屋根の上に載っている。

日曜日の朝早くに訪れたから境内にひとの姿はなかった。
歩くたびに蜘蛛の巣に引っかかったものだから、参拝に来るひとが少ないように感じられた。

「讃岐国官社考説」に書かれているように神社の近くには川があるにはあるが、橋に表示されていたのは鰐川ではなく寒国川だった。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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