名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

坂出市

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・城山神社。

「ここは朝鮮式の山城があったところでね。白村江の戦の前後くらいからひとが渡ってきたんかな。坂出市には金がないから僕らがこうやって草刈ったりしてるんですよ。この辺は古墳だらけやね。明神原遺跡? もうすぐだよ」

FATBIKEで城山山頂に向かう途中、山頂に近い場所で草刈りをしているおじさんがいた。
挨拶すると「おお、ご苦労さん!」とねぎらいの言葉をかけながら城山について話してくれた。

展望台からの眺めは最高で、坂出市内から瀬戸内海、対岸の岡山までを一望できる。
だかこそ山城が築かれたわけだが、朝鮮式山城ということは半島から渡ってきた技術者たちによるものだろう。
僕が向かった明神原遺跡は「式内社調査報告」の言葉を借りれば城山神社が鎮座する城山のなかでも「最も神聖なる場所」とされる。

讃岐国が旱魃に見舞われたとき、国司であった菅原道真公が祈雨祈願をしたという雨乞石が残され、一帯には磐座がごろごろしているというから、その奥宮まで行き、「神聖なる場所」とはどんなところか見てみたい。
が、その前にまずは里宮へ。

里宮は旧讃岐国府跡から近く、坂を上っていくと道路幅いっぱいの鳥居が立っていた。
そこから拝殿までは200歩、まずは参拝。
名神大社ではあるけど境内自体はそれほど広くはない。
ちなみに境内の雨請天満宮は祈雨祈願のおかげで雨が降ったことに感謝した民が道真をおまつりしたものだそうだ。

里宮を参拝してから明神原遺跡に向かった。
道は舗装してあるので山道を通る必要なく向かうことができるが、決して楽な道のりではない。
つづら折りを繰り返し、ときにFATBIKEを降りて歩く。
それを繰り返すこと一時間。
冒頭のおじさんに会ったのは山頂に到着する十分くらい前だった。

明神原遺跡を示す矢印の方向に走っていく。
奥宮とはいっても社殿はなく、あるのは一面に散在する磐座群。
どれくらいの数が分からないが多くの巨岩が乱立していた。
その一角にある二つ並んだ平ぺったい石が「雨乞石」で、菅原道真が祈雨のための祭祀を行った場所といわれる。
なおこの付近からは銅鐸も出土しているそうだ。

眺望のよさや古墳が多いことも加え、古代においては相当な聖地だったに違いないと思わせるのに十分な雰囲気が感じられた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・神谷神社。

「Casaブルータス」十二月号の特集は「日本の聖地一〇〇」
このなかに香川県の神社として金刀比羅宮とともに神谷神社も取り上げられている。
当社の本殿は鎌倉時代に建造。
「三間社流造」としては日本最古とされる。
雑誌の解説によれば「神社建築の様式のなかでも最も一般的とされる流造のうち、正面の柱が4本、柱間の間口が3間あるもの」が三間社流造なのだという。

そんな国宝の全貌をこの目で確認したいと思ったけど、本殿は拝殿によってしっかりガードされているので隙間からのぞくようにしてしかその姿を拝むことはできなかった。
正面がダメならせめてうしろ姿だけでも...
国宝であるおかげか、神社の後方にはキレイなトイレが設置されている。
トイレを使わせてもらったあと、神社方向に視線を移すと桧皮葺の三間社流造のお社が鎌倉時代の武家のようにキリッとした姿で鎮座していた。

坂出の市街地から神社までは少し距離があったように記憶しているけど、本殿が国宝であることから神社への道のりの途中には看板が立っており道に迷うことはなかった。
神社の場所はちょうど二つの山が重なる谷筋にあり神社の脇には神谷川が流れる。
一の鳥居から拝殿まで395歩。

境内を山側に歩いていくと「影向石」という大きな石がまつられていた。
その昔、神谷の渓谷にあった深い淵から一人の僧が現れ、淵の傍にあった大岩の上に祭壇を設け天地の神さまをまつった。
それが神谷神社の創始であると由緒に書かれている。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・鴨神社。

東鴨社を参拝後、境内を出たあたりからお腹に違和感を感じた。
刺しこむ痛み。
それでも我慢できると思い、山の麓にある東鴨社から西鴨社へと向かった。

途中、加茂町公民館を通った際、玄関近くに周辺遺跡の案内板があった。
腹痛とはいっても余裕があったのでペダルを止めて案内板に目を通すと周辺には古墳群はじめ祭祀遺跡が多いと書かれていた。
東西にある鴨神社も古代の祭祀場がルーツで、それが発展して神社という形に至った可能性もあるのではと思った。

いくつか紹介されている史跡のなかでも「鴻ノ池一号墳」という珍しい形の古墳がとくに興味深かった。
古墳というと前方後円墳や円墳など土を盛った墳墓を想像しがちだが、鴻ノ池一号墳は左右の柱状の石の上に天板状の石を載せた支石墓のような形態をしている。
近くにあるなら実際に見てみたいと思ったが普段はため池に沈んでいるので見られないとのこと。
なんだ...
残念な気分で西鴨社へ急いだ。

神社は国道沿いに鎮座していた。
東鴨社とは対照的に平地にある神社で、境内には建物が詰め込まれておらず空間が多い神社というのが第一印象。
FATBIKEを降りて鳥居をくぐり正面の拝殿まで85歩、まずは参拝。
別名「あおい社」と呼ばれる西鴨社の祭神は京都・上賀茂神社と同様、賀茂別雷命。

とりあえず手を合わせたものの、腹痛は一向に引く気配がなく、むしろ時間をへるごとに痛みを増していく。
境内に隣接して児童公園が併設されているので公園まで行ってみるがトイレはない。
ここに来て焦りが出てきた。
慌ててスマホのグーグルマップを開け周辺地図を確認するとJR鴨川駅が近い。
境内に入ってしまったけど、腹痛が我慢できる限界を超えるのは時間の問題だと悟り、古社巡礼を中座してFATBIKEで駅に向かった。

ペダルを漕ぐ振動が腹に伝わり腸を刺激する。
まだ大丈夫、とひたすら祈りながら駅方向に向かおうとすると、幸いにもコンビニがあった。
ただトイレにはすでに先客がいたのでとにかくお茶でも一本買おうとペットボトルを持ってレジで支払いを済ませた。
再びトイレに戻ると空いていた。
かなり切迫していたので最悪の事態を覚悟していたのだが、万が一の事態にもコンビニなら下着も売っているじゃないか。
そう腹が据わったせいか、どうにか惨事は免れた。

ところでこの腹痛、原因はうどんなのだろうか。
高松「プチ移住」では同じことが二回あった。
二回ともかけうどんを食べた直後に起こっているのだ。
かけうどんに天ぷら。
いりこ出汁が合わないのか、天ぷらの油が問題なのか、それとも腰痛用コルセットで常に腹部を圧迫していたからか。
いまだ謎だけど、お腹がデリケートな自分は体が香川の水に慣れていなかったからじゃないかと解釈している。
うどんに罪はない。

参拝後、気になっていた「鴻ノ池一号墳」のあるため池まで走った。
高台にあるため池の水面は池を二分するように水草が繁茂していたが、水草がある部分とない部分の境界に古墳の石が水面から露出していた。
水位が下がり水面から姿を現したようだ。
天板状の石は鳥の糞で白くなってはいるが、水面から顔を出した古代の姿がこうして目の前にあるのだから、感動せずにはいられなかった。

つい数分まで腹痛に悩んでいたことはコロっと忘れていた。

【FATBIKE古社巡礼!】讃岐國阿野郡・鴨神社。

「式内社調査報告」によると阿野郡の鴨神社は東鴨社と西鴨社の二社が存在する。
両社の距離は近く、FATBIKEだと神社間は十分かからないくらいだ。

鴨神社近くまでやって来たのは午前十一時を少し回ったころ。
普段は「プチ移住」の経費節減のため昼食用に朝、おにぎりを握り、即席味噌汁とともに持っていくようにしていた。
「松江プチ移住」以来の習慣である。
しかしその日は朝から、讃岐うどんの名店である「がもう」でお昼をと決めていた。

「がもう」は観光系ムックや旅本では必ずといっていいほど掲載されている名店。
うどんよりも神社、の僕だけど妻が買ってきた旅本でその存在を知った。
しかもお店が鴨神社から近いと来ればうどんファンならずとも行ってみたくなるのが人情だろう。

坂出の市街地から東鴨社の近くを過ぎしばらく行くと遠目にも雑誌等で見た覚えのあるお店と青いドラム缶を見つけた。
ここだここだ! 
FATBIKEをとめてお店に向かうと大勢の客が店外に座ってうどんをすすっている。
駐車場の車も地元香川と同じくらい他県ナンバー車があり、お店に行く前には僕の地元、名古屋ナンバー車とすれ違った。

全国区の有名店に入れるなんて、テンションが上がった状態でお店に入り、かけ(うどん)の大を注文。
うどんの玉を入れてもらったうつわにちくわ天をのっけて、お金を払ってから寸胴から出汁を注ぐ。
それを店外のベンチに座ってすするのだが、さすが名店。
麺も天ぷらも出汁もおいしい。
名古屋でうどんといえば赤色の鰹出汁が基本だけど、薄色の割にはしっかりした炒り子出汁の味も僕の好みだ。
これを書いているいまでも思い出すとうどんが食べたくなる。

正午に近づき続々と客が増える前に店を出て、東鴨社に向かった。
「がもう」近くの大通りを加茂町鴨庄の交差点まで戻り、細い道に入って坂を上がっていくと境内に出た。
一見してクスノキが多い境内だが、鳥居を境に境内の反対側に伸びる参道は等間隔に植えられたクスノキの並木道になっていた。
クスノキの並木なんて珍しい。
鳥居から拝殿まで80歩、まずは参拝。

神社は山裾に鎮座しており山の木々と境内のクスノキで緑豊か。
とてもすっきりした境内には静寂が似合うのだろうが、山の方に採石場でもあるのか機械の作動音に加えて大型車の通行音のため騒がしい。

境内に祭神や由緒について書かれたものはなかった。
「式内社調査報告」によれば祭神は一言主命と玉依姫。
一方の西鴨社は別雷命をまつるので、近くにある鴨社とはいっても祭神を異にしているから不思議だ。

境内を歩き回りとめていたFATBIKEに乗って次の目的地である西鴨社に向かおうとしたとき、おなかに異変を感じた。
その状態でペダルを漕いだのだが、悲劇は十分後、西鴨社に着いてから起きた。

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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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