名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

甲府市

【山梨・甲府市】“ヤネガミスト”のための甲府入門! 第二部

魚町の木祠道祖神はいつごろ造られたのだろう。

名古屋で現在おまつりされている屋根神さまの多くは明治期以降に造られたものといわれるので、それよりも古いのは確かだ。

この木祠道祖神は明治五年の「受難」の時期を超え現在に存在している。
甲府の道祖神祭が「当国一大盛事」といわれた時代をこの祠が体感していることを考えると、驚きを通り越して奇跡でさえある。

再び、山梨県令藤村紫朗の話に戻ろう。
「西南日本の下級武士出身であった地方官たちは、はじめての任地の習俗に強い違和感をもち、それを理解するよりも矯正することに激しい使命感をもやした」(「山梨県の百年」)なかに藤村紫朗もいた。
そして熊本県出身の彼が標的にしたのは道祖神祭だった。
もとよりこの青年県令が標的としたのは単に「陋習」だったからではないだろう。
江戸時代に著された「裏見寒話」によれば、

「十三日より十五日に至ては道祖神の霊、無妻の者に乗り移りて騒動せしむ...是に依て若き者共傍若無人なる事甚だし」

祭に乗じて若者たちのやりたい放題が記載されているだけでなく、
「町の長制すれど聞かず」(甲斐の落葉」)
というからずいぶんタチの悪い祭だったのだろう。

しかし一方で、年に一回の道祖神祭こそが当時の若者たちがわれを忘れて楽しめる唯一のハレの日だった。

だからこそ県令とはいえ他国出身の者に禁止されたことのショックは計り知れなかったに違いない。

その禁は長く守られ現在にいたる。

魚町の道祖神はそういった状況下で生きながらえてきた。

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道祖神といっても、一見するとそれはごくありふれた木製の祠だった。

これが名古屋市内であれば「昔は屋根神さまだったんだけど、屋根から降ろしてこうやってまつっとるんだわ」ということにでもなるだろう。

社の両脇にはつるつるした丸や扁平の小石が置かれている。
そして僕が見た当日には三宝に水やお洗米が供えられていた。

「甲府市史」によれば、この木祠道祖神は「高さ一一八センチ、奥行五七センチ、屋根は桧皮葺の流れ造り社殿で、向拝の木鼻の形がよく、江戸時代の手法をよく残している」と説明されている。

堂のなかをのぞき込んで社をじっくり見ると、桧皮葺の屋根やお札を納める扉、屋根を支える柱どれもが年期を感じさせる、相当の古さだ。

また、なくなったのか取り払われたのか、屋根の頂上部にはすでに堅魚木(かつおぎ)や千木(ちぎ)などの装飾はなかった。

土台は板状ではなく、四本の棒状の木材が社を支える。
水平な台の上に置いた際に安定する形で、傾斜のついたものではない。
傾斜がないとなればどうやって庇の上にあがっていたのか...

なぜそんなことをいうかといえば、この社こそが「甲府の屋根神さま」だからだ。

写真は山梨県甲府市。

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山梨県立考古資料館でもらった「平成甲府城下町絵図」を見ると、魚町は甲府城南東に位置し、現在でいう甲府市中央二、三丁目に当たる。

図書館から魚町まではそれほど遠くはない。
ただ、午後の太陽がさんさんと輝くなかを歩いたので時間がかかったような気もしたが、十五分くらいだった。

魚町のある町人地にはほかにも、竪近習町、横近習町、穴山町、山田町、工町、柳町、八日町、三日町、上連雀町、下連雀町、鍛冶町、桶屋町と、近世城下町の町名が使われていたというが、昭和三十七年の町名変更で、いまの「中央」というありきたりの名前になってしまった。

さて、僕は東西に延びる八日町の通りを左折し南北に延びる魚町を歩く。
マンションや一戸建ての建物が連なり旧城下の雰囲気も今は昔、静かな住宅街といった雰囲気である。
初めての町並を目を凝らしながら歩いていると、長屋らしき家屋に付随するように、社を納めた小さな堂が見えた。
堂の正面上には何やら文字が書かれている。

「道祖神」

魚町の道祖神との出会いの瞬間だった。

写真は山梨県甲府市。

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甲府を訪れる前に、参考になればと何冊かの資料に目を通した。
そのひとつ「甲府市史」を見ると、市内の道祖神のおおよそについて書かれているので助かった。

道祖神の種類として丸石が多いのは山梨県内他地域と変わらないようだ。

特徴的なものとして甲府市平瀬の「亀の甲道祖神」が写真つきで紹介されている。
中国などで見られる亀趺(きふ)に似て、亀の甲羅の上に三宝を載せ、さらにその上に丸石をまつる。
各地にはそれぞれの祭祀法というものもあろうが、僕がこれまで見た実物と写真のなかで最大級のまつり方とでもいえるかもしれない。
それくらい立派だ。

それはさておき、「市史」でも明治五年に道祖神祭が禁止されたことに触れている。
道祖神祭を強硬措置で禁止し、ご神体や祠を最寄りの神社境内に片つけさせたなかで、こっそりと残った祠もあるという。

僕は今回の旅で木製の道祖神祠を三体、目にすることができた。
山八幡社の境内に置かれた社殿は残念ながらガラス戸が反射するせいでよく見えなかったが、「市史」に掲載された写真を見ると唐破風造、桧皮葺きの屋根など造り自体は相当立派だ。
穴切神社境内にまつられている社は大きくて、「禁令のほとぼりが全く冷めた時代に泉町有志が再建復活したもの」であるという。

そして残るひとつは旧魚町の社である。

写真は山梨県甲府市。

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藤村式学校

甲府で知りたい三つのテーマのうちのっけから三つめで気が引けるが、道祖神祭を禁止した県令(知事)藤村紫朗について調べるのにちょうどよい場所を見つけた。

駅を降り立った僕はコインロッカーに荷物を預け、北口にある県立図書館に向かおうとした。
駅舎から外に出ようと階段を下りたそのとき、視界の右側にレトロな建物が目についた。
二階建て、ベランダのある洋風建築だが屋根はなぜか瓦葺きという和洋折衷の建物。

「藤村記念館」

旧睦沢学校(現甲斐市)を甲府駅に移築したものだそうだ。
このような擬洋風建築のことを当地では「藤村式建築」と呼んでいる。

山梨に文明開化の光を射し込もうと尽力した藤村県令はこの建物様式を積極的に奨励した。
記念館ではここ以外にも県内に残る建物が写真つきで紹介されていた。
パンフレットによると、藤村県令は文明開化の諸施策に積極的に取り組み、養蚕技術の普及や製糸場建築、幹線道路の改修などに功があったとたたえている。

「山梨県の歴史に関する本ならたいてい出ているひとだと思いますよ」

記念館の係の方に尋ね返ってきた言葉によれば、近代山梨の基礎を築き上げた偉人といってもよさそうな人物である。

しかし近代化を進める一方で、昔から行われてきた道祖神祭、道祖神信仰を「陋習」(ろうしゅう)として一蹴した。

記念館での用事を済ませ地図を片手に甲府城下の旧魚町に向かった。

写真は山梨県甲府市。

【山梨・甲府市】“ヤネガミスト”のための甲府入門! 第二部

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そもそも、僕が甲府にやってきたのはツルツルした丸石道祖神を訪ね歩くだけでなく、どうしても知りたいことがあったからだ。

旧甲府城下の道祖神は、名古屋で見られる屋根神さまのように家の庇の上にまつられていたという。
しかし明治五年、それまで「当国一大盛事」といわれていた道祖神祭が、大阪から転任してきた県令(県知事)藤村紫朗により禁止され、道祖神の神体は近くの神社などへ強制移設された。

この「屋根神」「道祖神」という僕の大好きな二大キーワードに、三つのテーマを設定して旅をしてみようと思った。

ひとつは、禁止された当時の道祖神祠はなくなってしまったのか、もしあるとすればどういう状況下で残されているのか? 

二つめは、旧甲府城下での道祖神祭が禁止された明治五年以降、甲府市内(旧城下)では道祖神祭は一切消滅してしまったのか、もし継続されているとすればどのように行われているのか? 

三つめは、そもそも甲府や山梨県とは関係のなかった県令、藤村紫朗とはどんな人物なのか、道祖神祭を禁止しようとした理由は? 

丸石だけを訪ねるだけでも面白い。
さらに深いテーマを自分に課せばもっと面白い。
旅は面白くなければならない。

短い滞在期間ですべてのテーマについて調べられるとは思わないけど、糸口さえつかめればメッケモノ、くらいに考えて動こうと思った。

写真は山梨県甲府市。

【山梨・甲府市】“ヤネガミスト”のための甲府入門! 第二部

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名古屋から高速バスに乗り一路、甲府へ。

金曜朝一の便にもかかわらず座席は三分の一以上が埋まった。
子ども連れで実家に帰るような母親、大きなキャリーバッグを引いた若い女の子、デイパックとペットボトルの水を持ちタオルを首に巻いた軽装のおじいさん、ルイヴィトンのバッグを持って常に携帯でだれかと連絡をとっていたおじさん...みなそれぞれの事情で甲府に向かっている。
僕はといえば...もちろん道祖神に会うためだ。

二泊三日の貴重な休みをいかに使うべきか。
甲府までは片道四時間の長い道のり、考えるには十分な時間がある。

道祖神のある場所は、以前訪れたときに偶然見つけたところしか知らず、そこさえも記憶がままならない。

地図を見て大まかな地理を頭に入れてから...いや昼に着くんだから昼メシが先だわ、それよりもこの荷物をどうにかしよまい...頭のなかでいろんな意見が駆け巡り、結局は、まあ着いてから考えようということに落ち着く。

バスは定刻より数分遅れて甲府駅に到着した。
甲府盆地に溜まった熱気の洗礼を覚悟していたものの、風があって思ったより心地よい。

駅のコインロッカーに荷物を預け向かったのは駅北口にある県立図書館。

「甲府市内の道祖神について書かれた本を探しているんですが」
司書の方に声をかけた。

こうして甲府市内の道祖神と出会う旅は幕を明けた。

写真は山梨県甲府市。

【山梨・甲府市】“ヤネガミスト”のための甲府入門 その四

110808甲府市内稲荷社1



さらに南下して住吉神社まで行ったものの電車の時間が気になり、木陰で休憩後、再び駅を目指して歩き始めた。

すると駐車場内に祠を発見。
写真を撮り辺りを見回してみると、周辺の家の敷地内にも同じような祠がまつられている。

「あれはね、お稲荷さんをまつっているんですよ」

近所の人の話によると、豊川稲荷を参拝する豊川講がかつて大変流行していたというから、この辺りは昔から商売屋さんが多い地域なのだろう。

市内の金山神社や住吉神社境内にも豊川稲荷を勧請し、また個人宅にも屋敷神をまつるくらいなので、お稲荷さんが流行したことは分かる。

だけどそれが甲府独特の町の神さまといえるかといわれれば、何か違うような気もしないではない。

これはヤネガミストである僕の思い込み...いや鋭い勘である。


写真は山梨県甲府市。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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