名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

町の神さま考

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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どんどの火を囲んでおじいさんから話が聞けたこと、団子を口にすることができたことは貴重な経験だった。

僕の旅は、なにかに興味を持ったらとにかく行ってみようというものである。
ともすれば「行って」「見る」のが先行し、現地で話を聞けずに帰ってくる「残念な旅」もしばしばだ。
少しでも収穫があればこそ、帰りの電車のなかで飲む酒もうまい。

ところでマラセの神は、他の町内が日にちを日曜などに変えて祭礼を行うのに対し、一月十四日開催を守っている。
また小屋がけの際、ガラス戸のついた覆屋を取り去ったあとで傷がつかないようにブルーシートでぐるぐる巻きにしていたことにも触れた。

当たり前のことかもしれないが、この地域の人々がマラセの神を非常に大切にしており、その意味を現代にも失わないための配慮が感じられた。

秦野市内の道祖神、双体道祖神は摩耗や欠損しているものが多く見られる。
道祖神という石神の扱い方に秦野独特の方法があったのかもしれない。

しかしマラセの神は違う。

ご神体の姿を間近で見たが、その表面は欠損どころか非常にツルツルしてきれいなのだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「僕はここの町に住んでいるのではないけど、近いからこうして来るんだよ。

むかし、僕たちが小学生だったころのどんど焼きはね、小屋がけからすべて子どもたちがやったもんだよ。
学校が終わると山へ行ってさ。
木を切りに行くんだよ。

どんど焼きでは正月飾りを燃やすけど、それだけだとすぐ燃えてしまうからさ。
切り株をね、木の根っこの部分を掘り起こして、それを持ってきたもんだよ。
それだと長く燃えるだろ。

(おばあさん「四十年も五十年も昔の話だけどね」)

また“御神竹”といって竹に弓のようなものを立てて燃やしたりもしたよ。
いまではハッサワ(地名)あたりだけだろうか。

それと“アクマッパライ”といってね。
子どもたちが仮面をつけて各家庭を回って。
家の中に入っていってお祓いをするんだ。
数え歌のようなものもあったな。
大人はついて太鼓でリズムをとる。
それで五十軒ほど回ったかな。

小屋のなかではね、子どもたちが遊んだもんだよ、十四日から十五日にかけて徹夜だったね。いまではかなり省略してしまっているようだけど」

写真は神奈川県秦野市。

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「これね、上新粉の団子」

息子夫婦と一緒にどんど焼に来ていたおじいさんたちは、先っぽに団子のついた棒を持ってどんどの火であぶっていた。
白とピンクの団子にこんがりとした焼き目がついてくる。

「初めて見ました。僕の住む地域にはこういうものがないんですよ」

おじいさんは「そう」とうなずいて団子について教えてくれた。

「団子はね当日か前日に作るのね。あまり早く作ると固くなってしまうから。上新粉に砂糖を混ぜておくと食べたときに味があるでしょう」

「ほら、これ一個食べてみたら」

横にいたおばあさんがリング状になった団子のなかからしっかり焼き目のついたものを取ってくれた。
いただくとほんのりと淡い甘さが感じられた。

「余ったらね、砂糖をまぶして醤油をつけて食べたりするよ。みそ汁のなかに入れたりなんてことも聞いたことあるな。それとね、薪の火であぶって食べると風邪を引かないっていわれてるしね」

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「暗くなった方が雰囲気出ますよ」

小屋でお札を売る男の子の母親と話しながら写真を撮っていると、近所に住むひとだろう、おじいさんとおばあさんが孫を連れて小屋にやってきた。

手には棒のようなものを持っており、その先端には輪になった針金に真珠のネックレスのように白とピンクの小さな丸い玉がつけられている。

お札を買って雑談しているおじいさんたちは小屋を離れるとどんど焼きの会場に移動し、棒の先についた丸い玉を火であぶっていた。

小屋の前にいると次々に学校を終えた子どもたちがやってきたが、みな手には同じような棒を持っている。

「神奈川県史」民俗編にはマラセの神のある今泉地区で作られたマユ玉の写真を載せていたのを思い出した。
俵のようなものの上に枝が伸びた木を立てて、枝という枝に団子を刺していた。
まるで花が満開に咲いているようだった。

僕の住む地域ではマユ玉を飾る習慣がないので、「これかっ」と思ったのだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年
「神奈川県史」各論編5民俗 神奈川県企画調査部県史編集室 一九七七年

【旅の空から】都市に息づいた、神さまという自然、大阪・大阪市

湖北地方の神木である野神さんを見て歩いた翌日も、当初は滋賀県内を歩く予定で計画していた。

京都の定宿でなんとなくネットを見ていると、野神ではないのだが大阪市内にある神木を取り上げた新聞記事を見つけた。

大都市・大阪で息づく神木。
記事は主に道路の真ん中にそびえる巨樹を取り上げていた。

京都からJR大阪駅を経由し環状線の天満駅下車。
今日の一番目は中央区野崎町の御神木である。

読売新聞大阪本社の社屋ビル西側、道路の東寄りに浮島のごとく設けられた神域にその御神木はあった。
朱色の玉垣で覆われた社殿、それは「龍王大神」と呼ばれる蛇をまつる社だった。
到着して写真やメモを取っているとどこからともなく自転車で現れたひとが社殿脇に自転車を止め、さっと手を合わせて走り去って行く、それもひとりではない。
それが御神木を対象としたものか、それとも蛇神を対象としたものなのかわからないが、僕の実感として、龍神信仰が盛んであることを感じる。

名古屋で龍神さんをまつる龍神社は大きな神社の境内に末社として入っている印象が強いが、同じ都市であっても大阪は違う。
「巳さん」という言葉があるように蛇、というか龍神信仰の根付きの深さを感じるのだ。

今日一日で六社の御神木を回ったがそのすべてが巳さん、つまり龍神をまつっていた。

木と蛇という組み合わせに聖性を感じるのが大阪人のメンタリティー なのかもしれない。

滋賀の高月では大阪以上の巨木をいくつも目にしたけど、そこに蛇がからむものを見ることはなかった。
同じ関西圏ではあるけど、木をめぐる信仰も土地によって一筋縄ではいかないようである。

一方で農の神さまとして崇められる巨木も他方では蛇と結びつく。

改めて木とはなんだろうという疑問が浮かんできた。

【旅の空から】湖北の巨木、野神さんを巡る旅へ、滋賀・長浜市

木之本駅を出て南側に歩を進める。

唐川地区の野神である大杉がまつられているのは、涌出山の南山麓に広がる唐川区の集落である。

高月駅を出てしばらくすると北陸本線の車窓から涌出山の麓に突出した木立が目についた。
それが唐川の野神さんだった。

「野大神」

推定樹齢四百年の巨木は二十メートルの樹高と約八メートルの胴回りを誇る。
幾重にも枝分かれしており、花粉と思しきものがたわわに実った果実よろしくその枝先に密集している。
もし自分が花粉症持ちならこのすばらしい巨木を見上げることさえままならなかったはずだ。

唐川を歩いた後、横山、東物部、西物部、松尾、西野、西柳野、柳野中と北陸本線の西側の地区を歩いた。

野神さんは地区によってまつられる場所はまちまちで、神社境内や専用の神域、分かれ道の角地、山の中などがある。

神体は僕が見た高月町の巨木はケヤキが多いが、スギや松もある。
ほとんど巨木だが、祠として神社境内にまつられていたり、巨木ではなく石を代わりにするところもある。
野神さんは滋賀県内では高月町のある湖北地方や湖東地方に多く、大阪府や奈良県でもまつられているという。

僕が野神さんにひかれるのはそれが木という自然神であり、集落の入り口に立っていることもあるので、どこか道祖神をほうふつさせるからである。

道祖神のような素朴さはないが、胴回り樹高ともに想像を超える大きさで、出会いのたびに上を見上げては「すげ〜」と声をあげている。

町の神さまというより「村の神さま」だが、いまはその魅力にハマってしまっている。

※続きは「「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二」終了後に掲載予定です。

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「一枚三百円です。お金はここに入れてください」

たどたどしい口調で客からお金を受け取り札を渡す。
その様子を母親は笑顔で見ながら「おつりが違うよ」とツッコミを入れる。

本来ならお札とともに煮物を振る舞うようだが、一番目の客である僕がお札を買ったのは四時を少し回ったころということもあり、煮物はまだ小屋に届いてなかった。

「お神酒はどうですかって聞いて」

母親から台詞を教えられた小屋の主人である男の子は、徳利をもって「どうですか」と尋ねた。

「当日皆がお参りに来る時には一人前位の量のおソバとお賽銭を、ドンド焼き(道祖神)の供え物として持ってくる。お参りをした人はその場でお神酒を飲みながら、なます、煮豆、きんぴらをつまむ」

マラセの神の項にはこう書かれているが、ソバと煮物の組み合わせの理由については触れられていない。

他の道祖神の前にも葉っぱの上にソバが供えられていたのを見た。

ソバは秦野の道祖神を語る上での重要なキーワードかもしれない。

じゃあ煮物は、酒の肴か...

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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子どもたちが集まってきた。
聞くとお札を売りにいくという。

手にするのは「奉納」と書かれたプラスティック製の丸形ポット。
ふたには小銭を入れられるような小さな穴があいており、お札を売った代金はそこに入れてもらうようになっている。

お札は近隣の約九十軒に売り歩く。
すべてを売るのに八時ころまでかかるそうだ。
一月の寒空のもとで、さぞ大変だろうという思いは大人の感覚だろう。
子どもたちにとっては普段の生活の中ではありえないイベントなので、むしろ刺激的で楽しいのかもしれない。

出かけた子どもたちもいれば残る子どもたちも。

小屋のなかに入り、お札を売る準備をする。
小屋に上がるのは男の子だけに許されていることなので、売り子も男の子二人。
ヒーターがあるとはいえ簡素な小屋のなかは完全に冷えきっている。
それでも友だちと二人で小屋に上がった子たちのテンションは高い。

まだ札を求める客はいない。
僕が一番めの客になりそうだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「奉納 岐神」

当番の男性がサオに通して小屋の軒に吊るしたのぼりにはこう書かれていた。

「岐神」とはマラセの神の手前側に立っている石塔に刻まれた文字でもある。
道祖神ではなく岐神とする理由は分からないけど、「岐」とは三叉路のような分かれ道のことを指すので、境界の神である道祖神とは同義といってよいと思う。
マラセの神が辻の角地に立っていることも関係があるのかもしれない。

そうこうしている間に祭の開始時間である四時が迫っていた。

学校を終えた子供たちが勢いよく学校から走ってやってきた。
平日の、しかも学校がある日にもかかわらず、これから一年に一度の祭を楽しみにしているような雰囲気を感じた。

自分はどんな役なんだろうと大人に聞く子もいれば、どんどの火の回りで遊んでいる子、のぼりの取り付けをじっと眺めている子、三脚を持った珍客を珍しがっている子…

「こっち来て〜」

当番の男性が声をかけると、散らばっていた子どもたちが小屋の前に集まってきた。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【旅の空から】湖北の巨木、野神さんを巡る旅へ、滋賀・長浜市

道祖神から石神、そして社宮司(シャグジ)に関心を持った僕は、シャグジが木に関係すると知って以来、いつしか木に注目するようになっていた。
そして神社を通ると注連縄を巻いた御神木をチェックするのが最近の習慣である。

樹齢の古い巨木を見たければ鎮守の杜を訪れるのが手っ取り早いが、ごくまれに神社とは関係ないと思われるところにも立っていたりする。

木を気にしていたら、今度は木を見ることが楽しみになってきた。
町の神さまから町の木々へ…

ある日、一杯飲んだほろ酔い気分で本屋さんに入り、何気に棚を見ていたら「神」「木」という言葉をトロンとした目が察知した。

その本「神の木」は僕に新たな視点を与えてくれた。
これまで道祖神という名の石の神さまばかり気にしていたけど、この本に載っているのは木、つまり木そのものを神体とする、いわゆる御神木である。
副題につけられた「日・韓・台の巨木・老樹信仰」という文言にもそそられる。

この本の中で韓国人研究者である著者が最初に取り上げたのは滋賀県長浜市高月町の「野神さん」。
写真で見る限りこの野神さんはとてつもない巨木で滋賀県でも湖北、湖東地方で信仰されているという。

それにしても神社で見られる注連縄を巻いた御神木とは何が違うんだろう。

本だけで満足できないなら実物を見るしかない。
青春18切符を手に北陸本線高月駅向かった。

※参考文献
李春子「神の木 日・韓・台の巨木・老樹信仰」 サンライズ出版 2011年
※続きは「「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二」終了後に掲載予定です。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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