名古屋発! 町の神さま考

FATBIKEで巡る古社巡礼の旅...

町の神さま考

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

140114秦野市今泉マラセの神5


どんど焼きの会場である駐車場で当番の方から道祖神祭の流れを聞いたものの、ポケットから時計を出すと開始までは時間がたっぷりある。

他の道祖神を見ようにも近辺をウロウロしていれば怪しまれそうなご時世だ。
近くに学校があるから「道祖神大好きおじさん」が単なる「怪しいおっさん」と疑われる可能性だって否定できない。

どんな祭をやるのか、どういう方法でやるのか。
見たい気持ちがあるからこうして遠方まで訪ねてきているが、身の置き場に困ってしまうのは、知らない土地で寄る辺のない風来坊たる所以である。

十五時半ころ、再び小屋の前に戻ってみると、先ほどの当番の方ともうひとり男性が立っている。

「そろそろですか」

声をかけると、

「そうですね、のぼりをつけますよ」

当番氏は小屋のなかに入っていくとご神体に巻かれたシートを取り、たたまれたのぼりを奥から持ってきた。

「一年のうちで今日しか見られませんよ」

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

140114秦野市今泉マラセの神24


「なんでご神体はブルーシートにかぶせてあるのですか」

先ほどからずっと気になっていたので聞いてみた。

「小屋を建てるときに傷がついてはいけないからかぶせてあるんです。のぼりをつけるときには取りますよ」

僕が正月に訪れたときに見た堂は小屋に隣接する家の敷地内に置かれていた。
ガラス扉を開けてご神体を取り出すのかと思いきや、ご神体の上からかぶせるようになっている。

ご神体が固定されているのは「相模の三魔羅」に共通する特徴で、盗難防止の意味もあろう。

一月十四日にどんど焼きを行うのは毎年決められている。
最近の傾向として「勤め人やこどもが来やすいように」という配慮から、本来なら平日に行っていた祭を土日に変更するケースが目立っている。

「ここは必ず一月十四日です」

マラセの神では日程の変更などあり得ないそうだ。

祭は子どもたちが学校を終えて午後四時ころに集合してから、夜の九時まで続く。
その間、近隣の人々が参拝方々、お札を買いにくるという。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

140114秦野市今泉マラセの神16

「順序があるんですよ。小屋にのぼりをつけるのが三時過ぎ、十五分から半ころですかね。お祭は四時からなんですけど、子どもたちが学校から帰ってこないと始められないんです」

市内、といってもマラセの神のある今泉から秦野駅にかけて少し歩いてみたけど、いつ準備をやるのか分からないだけに気がかりで、足は自然と今泉に向いてしまう。

再び戻ってきたとき、どんど焼会場の駐車場にひとがいたので声をかけた。
道祖神祭の当番の若い男性はどんど用に積まれた材木に火をつけながら祭の内容について教えてくださった。

祭の本番は夜になってからで、四時からというのはあくまでも子どもたちが集まる時間である。
集まった子どもたちには、小屋でお札を売るもの、各家庭にお札を売りにいくもの、太鼓を鳴らしてお小遣いをもらいにいくものの大きく三つに分担され役割が与えられる。

さらに小屋でお札を売るものは参拝者に食べ物(煮物)を振る舞う。
またどんどで燃やす正月飾りが家の前に置いてあるのでそれを回収する役もあるという。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

140114秦野市道祖神4


歩いてみるとそこここにある道祖神。

秦野の特徴といい切っていいのか分からないけど、道祖神は一体だけで立っているのではなく庚申供養塔や「天社神」と彫られた地神塔、五輪塔の破片など、道祖神以外の石仏たちと一群を形成している。
開発や環境の変化にともない周辺に散在していたものを集めただけなのかもしれない。

信州でも甲州でも福島でも石仏が一群をなす姿が見られる。
その地域で必要とされている神々によるグループなので、構成要員はその土地ならではの面々だ。

あるものは町内会館前に、あるものは駐車場前に、そしてマラセの神の前にもグループが存在する。
僕は勝手に「秦野グループ」と名づけ呼んでいる。

道祖神祭当日、グループの主役はもちろん道祖神だが、道祖神札が張られるのはグループの中でも比較的、タッパのある庚申塔や地神塔である。

「道祖神守護」

それを張られた石塔はなんと思うのだろう。
一年に一度の道祖神祭に免じて自分の体の一部を使わせてやっているという気持ちなのだろうか。

秦野で地神と庚申にそれぞれ祭礼があるか分からないけど、そのときは「庚申供養」と書かれた札を道祖神に張る、なんてことがあるのだろうか...と取りとめのないことを考えてしまった。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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ブルーシートに包まれたマラセの神。
小屋掛けはすでに終わっているものの時間が早いせいか周囲にひとの姿はない。

空には雲が立ちこめている。
本当に祭礼が見られるのかと考えると、心の中まで曇り空が迫ってくるようだ。

マラセの神がまつられた辻を右手に上がっていくと駐車場があり、材木が積まれている。
お札売りとどんど焼きは別々に行うということだろうか。

秦野市教育委員会発行「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」には、暗くなってから小屋でお札を売る子どもたちの写真が掲載されているし、教育委員会に尋ねた祭礼開始時間まではまだまだ先である。

時間をつぶすのが大変だが、ここが道祖神の密集地域であることを忘れてはいけない。

道祖神でも屋根神でも、ある場所から次の神さままでの時間が徒歩五分圏内であれば密集地域、と勝手に定義している。
秦野はまさにその定義に当てはまるのだ。

あてもなく歩いていると庚申塔や地神塔とともに道祖神が並んで立っている。
双体像もあれば文字碑もあり豊富なラインナップで目を楽しませてくれる。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

140114秦野市今泉マラセの神1


名古屋から秦野への経路は、JR線を乗り継いで小田原まで行き、小田原から小田急線に乗り換える。

言うは易いが実際には電車に乗っている時間が長いだけに、マラセの神に会えなければくたびれ儲けである。

万が一、何らかの都合で祭礼日の変更があったりしたら...

秦野に知り合いはいないので、困ったときの頼みの綱は行政に問い合わせることである。

「本年は一月十四日の十六時より開始予定と地元より伺っております」

秦野市教育委員会のホームページではマラセの神のほかにも市内の道祖神祭を紹介しており、また写真も毎年新しいものわを掲載していることから、実際に市の方も祭礼を訪れているようである。

小田原駅から秦野まで小田急線急行で三十分。
駅を出てマラセの神までの道のりは十五分ほど。
正午を少し回ったころだから準備にはまだ時間があるだろうけど、念のために現場に向かう。

以前訪れたときにマラセの神が納められた堂と「岐神」「庚申塔」の三体が立っていた神域には、簡単な小屋が設営されていた。

祭の主人公であるマラセの神は堂を取り払われ、祭が始まるまでひと目にさらさぬようブルーシートてその姿が覆い隠されていた。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年
秦野市ホームページ http://www.city.hadano.kanagawa.jp/bunkazai/kyoiku/bunka/bunkazai/dousozinmaturi.html

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」異色の道祖神と出会う旅 その二

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「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」によれば、市内の道祖神総数は三一〇体(双体像一八二、文字塔一一〇、その他一八)を数え、密集地域としての貫禄をそなえている。

その秦野にあって異色の道祖神といえばなんといってもその筆頭に「マラセの神」があげられる。

二〇一三年の正月に初めて秦野を訪れた際、通りがかりに声をかけたおばあさんに教えてもらったのが初めてだった。

「一年に一回、小正月のときだけしか見られませんよ」

マラセの神は農家のような広い敷地を持つ住宅の一角、曲がりくねった道が交差する場所の角地にまつられている。
ガラス扉がついた長細い小堂のなかに入れられ、正月といえど扉は閉じられたままでガラス戸越しにしかその姿を拝むことはできなかった。

一メートルほどあるいわゆる巨根であるマラセの神は、男根を示す「マラ」と塞ノ神がなまった「セーノカミ」との合成語であると思われる。

ガラス戸をのぞいただけでもその存在感の大きさには目を見張る。

ならばぜひ実物を見てみたい。
いつものことだが、先走る好奇心を抑えるのは難しい。

小正月の道祖神祭が行われる一月十四日、秦野に向けて始発の電車に乗った。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
武田久吉「路傍の石仏」第一法規 一九七一年
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【神奈川・秦野市】「相模の三魔羅」 異色の道祖神と出会う旅 その二

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「道祖神祭」

それは僕にとって初めて訪れる祭である。
道祖神を扱う本には祭の光景が写真や文章で紹介されているが、実際にその場に赴くのは初めてであり、そのせいか胸の高まりを感じる。

神奈川県秦野市。

神奈川県西部、丹沢山地の南側に位置する秦野は道祖神の密集地域である。
武田久吉著「路傍の石仏」によれば、年代の明らかな最古の双体道祖神として秦野市戸川の道祖神が取り上げられている。
「寛文九年酉八月廿六日」と記銘された像には頭の丸い僧侶が並んで彫り込まれている。

双体道祖神といえばつい、手をつないだり抱き合うといった男女の愛情を表現したものを連想してしまう。
しかし秦野では並立像ではあるが、僧侶の姿をしていたり、男女のような二人であっても合掌したり拱手(袖のなかに手を入れ胸元まで上げた状態)で、双方が「連結」せず独立した状態にあるのが特徴といえる。
信州とは違った系統の流れを組んでいるようだ。

写真は神奈川県秦野市。

※参考文献
武田久吉「路傍の石仏」第一法規 一九七一年
「秦野の道祖神・庚申塔・地神塔」秦野市教育委員会 一九八八年

【福島・番外】あたしは福の神、福島の道祖神考六

歩きであれば、いくら早足といっても限度がある。

時速四キロなら路傍の石仏の存在をいちいち気にとめることもできるし、落ちている百円玉や塀の上でひなたぼっこしている蛇にも気づくことができる。

その小さな「気づき」の積み重ねが旅を豊かにしてくれる。

地面に足跡を刻みながら脳内には記憶を刻む。
それはゆっくりした歩きならではといえるだろう。

名古屋で屋根神さまを探し始めたときは自転車が大変役に立った。
でも道祖神やほかの町の神さまとの出会いをかつてのように図鑑を作るような探訪にしたくはないと思う。
凝り性の自分だからこそ、息抜きしながらのんびり歩いていくのがちょうどよいのかもしれない。

ゆっくりと風景を楽しみながら、その土地が紡いできた歴史から生まれ落ちた石仏、石神、町の神さまを見るためには、やっぱり歩きじゃないといけないのだ。

【福島・番外】あたしは福の神、福島の道祖神考六



福島市内を回ろうと決めていた朝は、あいにくの雪模様。

自転車をあきらめ歩き始めたが、しばらくすると雪はやんで明るい日ざしが見えてきた。

最初にたてた予定をすべて回ることは不可能となり、ひと駅分の間を右往左往していた。

出会った道祖神は五体のみ。

だけど歩き終わったときには、

「もっと行けたはず」

というより、

「よう歩いた」

という充足感が体を満たしてくれた。

僕は寝床でその日にあったことを頭の中で反すうするのだけど、自転車で走ったときには対象物(道祖神や道祖神のある場所)についてはよく覚えていても、そこに行く過程の記憶はそれほど残っていない。

速く効率よく移動できるものの、目の前の道路と地図に集中し、さらには自転車というマシーンを操るので、道程へ気持ちを向けることは難しい。

一方、歩きの場合は対象物はもちろん、そこへ行く過程も驚くほどよく覚えているのだ。
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FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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